ドイツ文学者とその家族たち 22

2016-10-30

ドイツ文学者とその家族たち 22



 明日はハロウィンですね・・・。とすると、これがこのブログの最後の記事になるかもしれません。永らくご愛読ありがとうございました。

 しかし私は今でもドイツ文学者の遺影を見たくないです。今度生まれ変わるんだったら赤の他人になりたい・・・隣近所にも居て欲しくないです。どーしてもダメです、あの人は…

  
 学者の家庭というのは普通の家庭とはまず家庭内の空気なんかも大きく違いますね。そして感覚も常識も・・・。
 あれは私が小学校の高学年か中学の頃だと思うけど、休日の朝、近所に住む大学教授Nがきたんです。
「どうです、近くの散策なんかっ」
て・・・。例のネチーッとしたバリトンで・・・。するとドイツ文学者が
「Nと一緒に散歩にいってくる。」
とだけ言いました。その言葉のニュアンスからお昼ご飯にまでは帰ってくると思いました。しかし待てども待てども帰ってきません。母は次第に機嫌が悪くなります。
「・・・ったくお父さんたら・・・・。」
そうして一時半、ついに私たちはドイツ文学者に待ちきれなくなってお昼ご飯を食べました。そして恐らく二時半頃か三時ごろだと思うけど、外でドイツ文学者とNの声がしました。そしてドイツ文学者が何食わぬ顔で
「ただいまっ」
と帰ってきたのです。
「お父さん、どこに行っていたの?」
と母は呆れていう、ドイツ文学者は
「横浜まで行っていたっ。」
といって横浜土産のなにかお菓子を買って来たとおもいます。
「・・・。」
母はムッとしています。それは当然ですね・・・・しかしドイツ文学者は
「いやぁ、Nと吉祥寺にいったら、なんとなく井の頭線に乗っちゃって、そして渋谷に着いちゃって、そうしたらNがこのところ東横線に乗ったことが無いっていうモンだから・・・。」
とかなんとかいって渋谷から東横線に乗って横浜まで行ったというのです。で横浜で昼飯食べて、後は今度は東海道線で東京駅まで来て、そして中央線で・・・ということだったんですね!!
「いやーNの奴っは・・・わつはっはっはっ。」
とドイツ文学者は涼しい顔。一方は母は
「連絡もくれないで・・・」
と珍しく父に口答えしたんです。そうしたらドイツ文学者が
「なんだっ不愉快なっ。」
といって母を怒鳴りつけました。
「せっかく人が土産までかってきたのに・・・。」
といって母を平手でぶった・・・かもしれません。母は目を赤く腫らして台所の床にしゃがみこんでは両手で覆いました。わたしが心配して母に寄り添うと、母は私を抱きつめました。そしてドイツ文学者は
「・・・。」
と無言で二階の書斎に上がっていきました。
 その日はその後どうなったか覚えていないけど、とにかくこんなかんじですね・・・。対話なんて無い、一方通行・・・。


ちなみにドイツ文学者宅で包丁沙汰があったと以前話しました。包丁を手にしたのはわたしです。この事件は永らく『無かった事』にされていた隠蔽されていました。
 具体的にいうと、小学校六年生の夏休みに友達から借りたアイドルの歌本をドイツ文学者に見付かって、怒鳴られて破き捨てられ、殴られたからです。
「お前もこんなものみていたのかっ、こういうものはこうしてくれるっ」
って破り捨てられ、平手で殴られました。
それまでドイツ文学者の暴君的なやり方に不満がたまっていたわたしは一挙に爆発して台所に行って包丁をとりだし、ドイツ文学者めがけて突進していったんです。間一髪でわたしの包丁を交わしたドイツ文学者はそのまま二階の書斎に上がったきり階下に降りてきませんでした。このとき、母は私を連れてO市の実家に帰ろうかといいまた。
 実はこのアイドルの歌本、転校してきた友達から借りたものです。わたしがこの転校してきた女の子を傘に入れてあげたりしてこの転校生にとって私が最初の友達になったんです。それまでこの友達は孤立して泣いていたんです。それでもう私はドイツ文学者のやり方に我慢できなかったわけ・・・。
その事件後、私はドイツ文学者を避けるようになりました。ドイツ文学者もどこか辛そうで、わたしにチョコレートなんかを買ってきましたが、そのお菓子がドイツ文学者が買ってきたものだとわかると決して口にしませんでした。わたしも本気でドイツ文学者のもとを離れて祖母のところに行く事を考えていたんです。その後はどうなっていったのかわかりません。ただ借りた本を返せなくなったし、まさかこんな事があったと打ち明けられないからそひの転校生とは友達でいられなくなってしまいました。

 しかしドイツ文学者はこういう重大な事件をお互い話し合うなどして根本的に解決することなく、「無かったこと」として「お茶を濁したまま」このドイツ文学者宅という船は航海を進めてしまったんです。
そしてドイツ文学者は出版社からいろんな本を出す話がまとまったかなんかで、いよいよドイツ文学者としてデビューできると張り切っていました。

 
 確かに学者さんの家は雰囲気が違うんです。書斎というものがあって、そこに平日昼間でも学者さんが居る事も珍しくない、そのために静かにしなくちゃならない。学者さんは本を読まない人とは話が合わないしまた話が合わない人と付き合う必要は無い。本を読む人とだけ付き合えば言い訳でそれ以外は「良好な関係を模索する」なんていうことはない、そして学者さんの行くところは書店古書店図書館で、そういうところに学者さんが顔を出せば
「先生、先生」
とチヤホヤしてくれる・・・。そしてそんな店員に適当に
「やはり核軍縮はうまく行かないだろう・・・。ばら戦争というものがあったが・・・。人類は誕生以来ずっと戦争を繰り返している・・・」
なんていう話をしていれば
「はっはーっ」
と聞き入ってくれる・・・んです。
思い出してみれば小学校時代にもうすでにわたしはドイツ文学者宅に友達を連れてくる事をためらっていました。それでも何度かは友達連れてきましたが、ドイツ文学者が二階に居るときはわたしが友達何人かと遊んでいると、必ず下りてきて顔を出し、「良書」を読むことを勧めるのです。ドイツ文学者にとつて小学生の女の子はとても「教えがいのある」
教え子さんだったのかもしれません。が、私はイヤでした。他の友達のお父さんと明らかに違うんです、ドイツ文学者の子供に対する関わり方が全然違うんです。

 かつて近くに早稲田の過激派だったという人たちが平日昼間からブラブラと町を歩いていたんです。一目でわかるんです。妙に理屈っぽい顔して独特の雰囲気で・・・で町で有機農法の野菜なんか売っているけど・・・。
 とにかく理屈っぽくてオーラが合わないから普通の人たちは距離を置いているんです。早稲田に入るぐらいだからかつては成績よくて優等生でそして友達づきあいはしてこなかったっていう感じで、そういうところはウチの二階のドイツ文学者と良く似ているんです。ということはどうしてもわたしともオーラが同調してしまうところがあってたりしたんです。わたしがこういうこと書くぐらいだからやっぱりドイツ文学者の娘なんでしょうね・・・。
 でこの早稲田の過激派だった人たちの中にもキレイな女の人が居て、私は彼女に声を掛けられたんです。彼女Aさんっていうんですが、当時過激派だった人たちは左翼思想からオカルトへと乗り換えている頃だったんです。左翼のテキストから何かオカルトの神秘的なものへと自分の進むべき道の指針となる思想を捜し求めていたらしい・・・。わたしは無精ひげにカッターシャツの早稲田過激派OBはイヤでしたが、Aさんみたいにフェミニンな女性だと自然に親しくなれました。 
 Aさんもオカルトな事に関心があって、当時竹内文書とか酒井勝軍酒井勝軍(かつときと読むらしい)なんかに夢中・・・ぽかったです。この酒井勝軍というのは戦前日本の霊的指導者だとされていました。日本のあちこちのピラミッドを発見したとか言う人だそうです。「神秘之日本」という本をこの人が書いていて、そこにこの人の写真が載って居たんですが、「いかにも霊的指導者」っていうファション&ルックス・・・センスに限っては酒井勝軍はマジで精神世界指導者ルックです。
 でその頃だと思うけど、Aさんがオカルト雑誌「ムー」をかつて来てそれを阿佐ヶ谷北口のモスバーガーで話をしていたんです。そうしたら「ムー」に酒井勝軍の写真とかが出ていました。さらに次のページには海パン姿の不細工な男性と、タンクトップに短パンのきれいな女性二名が移っていました。わたしとAさんはこのきれいな女性二名はモデルクラブ所属のさんだろう・・ということで意見が合いました。じつは海パンの不細工な男性とはオウムの麻原で、美女二名は美人幹部の石井さんと飯田さんだったんですね・・・。
 でそのムーの記事には酒井勝軍は凄い超能力者だけど超能力開発が出来たのはヒヒイロカネという石によるものだという事が書いてあったんです。さらに不細工な男性は美女二名とともに酒井勝軍の出身地の東北の深山の渓谷に旅にでかけて生前の酒井勝軍と友達だった老人にヒヒイロカネという石を分けてもらったそうです。
この記事を見て読者は麻原に問い合わせてオウム教団が大きくなったんですが、どうでもいい事だけど二人の美女のうちの一人、飯田さんってこのモスバーガーから歩いて10分ぐらいのところにある「文化女子」文女(以前は城右といっていた)という女子高の生徒さんだったんですね・・・。
 でAさんと
「ヒヒイロカネがあったらいいなぁ・・・。」
といっていましたが・・・。でも二人ともあの不細工な男性のところに問い合わせる気には到底なれませんでした。
やがてAさんは過激派仲間から足を洗って足を洗って実家と仲直りして結婚しました。

そしてあの界隈はもと過激派の皆さんに代わってオウムの信者さんたちが平日昼間から町を歩くようになりました。子のオウム信者さんってやっはり過激派とオーラが似て居ますね・・・ファションセンスがダサいところとなんかも・・・。
今思い出してみると、あの無精ひげのもと過激派の人たちもオウムの信者さんもっウチの二階のドイツ文学者の後輩に当たる独文学者宅でニートしている息子さんとオーラが似ているんです。 
 
 
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