ひらめきの月曜日 2016年10月31日
 

アメリカ人をやめるかどうかの面談に行ってきた話

1979年3月のマンハッタンにて。父と母と兄。僕はこの1年半後に生まれる
1979年3月のマンハッタンにて。父と母と兄。僕はこの1年半後に生まれる
本日、10月31日はハロウィンである。近年は日本でも盛り上がりを見せているが、世間が浮かれるほどに「でも、アメリカの文化でしょ」と、ややナナメに見てしまうところがある。だが、それは昨年までの話で、今年はカボチャをくり抜いて素敵なランタンでも作ってみようかしらという心境に至っている。

なぜなら僕は最近、アメリカ人であったことが発覚したからです。
1980年生まれ埼玉育ち。東京の「やじろべえ」という会社で編集者、ライターをしています。ニューヨーク出身という冗談みたいな経歴の持ち主ですが、英語は全く話せません。
> 個人サイト Twitter (@noriyukienami)

前回のあらすじ

…同じ書き出しで、3カ月前「35歳にしてアメリカ人であることが発覚した話」という記事を公開した。その時はアメリカの独立記念日だった。
ニューヨークの自宅にて(今回もアメリカ時代の家族写真でお届けします)
ニューヨークの自宅にて(今回もアメリカ時代の家族写真でお届けします)
詳しくはそれを読んでほしいのだが、ことの経緯を簡単に説明すると、

・僕は35年前、当時の父親の赴任先だったアメリカで生まれる
・両親は日本人だが、アメリカで生まれた子どもにはアメリカ国籍も与えられる
・以後、日本とアメリカの“二重国籍状態”で過ごし、大人になる
・18歳の時、国籍選択届を提出し「アメリカ国籍の放棄」を宣言する

〜〜〜なんやかんやで十数年〜〜〜

・「元アメリカ人です」というギャグを持つ日本人として暮らす毎日
・しかし35歳にして、アメリカの国籍がどうやら残っているらしいことが発覚
・日本に対して宣言するだけでなく、アメリカ側でも手続きをしなければ正式に国籍を離脱したことにはならないことを知り、大使館に「国籍離脱に関する面談」の予約を入れる←今ココ
アメリカ大使館からの「面談了解!」的な返信メール
アメリカ大使館からの「面談了解!」的な返信メール

「面談」に行ってきました

面談を申し込んだのは7月の頭だったが、実施は2カ月先になるという。アメリカ大使館ってそんな「予約のとれないおこもり宿」みたいなところなの?とは思ったが、じっくり考えるには十分な時間ができた。この時はまだ、離脱か維持か決めかねていたのだ。なんとなく離脱寄りでは考えていたが、最終的には領事の方(アメリカ人)の話を聞いてから決めようと思った。英語は全くできないが、「ハロゥ(Hello)」と「テンキュー(Thank You)」だけはネイティブの発音を練習しておいた。
誕生日パーティーでかっこつける兄
誕生日パーティーでかっこつける兄
なお、この時点では「二重国籍が法律に反しているか否か」という観点は選択の判断ポイントにしていなかった。というか、法律違反云々という発想自体がなかった。日本に対してアメリカ国籍の放棄を宣言した時点で、義務は果たしたとの認識でいたからだ。(※その後、例の二重国籍論争が巻き起こるわけですが、そのことについては後述します)
ロングアイランドのモントークにて。しかし、日本人しか写っていないので九十九里感がある。スナック菓子のでかさが、かろうじてアメリカ
ロングアイランドのモントークにて。しかし、日本人しか写っていないので九十九里感がある。スナック菓子のでかさが、かろうじてアメリカ
ともあれ、僕が面談で聞きたかったのは「二重国籍状態でいることによる個人的な利益と不利益」である。ネット上では「アメリカからも税金とられるぞ」とか、「アメリカにいつでも住めてイイじゃん」とか、色々な情報・意見が散見されたが、それなりに重い決断なのでやはり自分でちゃんと確かめてから判断しようと思ったのだ。

そして9月上旬、赤坂にあるアメリカ大使館へ足を運んだ。
アメリカ大使館
アメリカ大使館

セキュリティやばい

面談の時刻は14時。余裕をもって15分前には大使館に到着したのだが、入口から担当窓口にたどり着くまで20分かかり、約束を5分オーバーしてしまった。なんせ、セキュリティが超厳重なのだ。

まず、建物外の通路で警護のお巡りさんに要件を聞かれ、「国籍離脱の件で…」と応えて第一関門突破。門の前にも警察官がいて、要件を応えて第二関門突破。入口はパスポートの申請と市民手続きの2列に分かれ、並ぶこと5分。まず小さい建物に通され、ここで1回目の手荷物検査。空港でやるのと同じ厳重なチェックを経て、スマホとイヤホンを没収されるも第三関門突破。大使館本館の入口にて2回目の手荷物検査をクリアして最終関門突破である。

就職もバイトからもぐりこんだ者として、人生でこんなに関門を突破したのは初めてなので達成感がある。
1982年、サマーキャンプにて。アメリカの子どもにまみれる
1982年、サマーキャンプにて。アメリカの子どもにまみれる

へー、ここが大使館かー

建物の中は、全ての案内が英語であること以外は日本の役所とそう変わらない。職員の方に「国籍離脱の件で」と伝えると7番の窓口へ案内された。ここでアメリカのパスポートを提出し、しばし待つ。何らかの手続きに来た黒人ファミリーと並んで座りながら待つ。パパの腕にはごついタトゥーが彫られ、胸板はバリー・ボンズのようにたくましい。しかしおれだってYouと同じアメリカ人なのだ。負けてられるか。

胸筋を張りながら待っていると、日本人と思しき職員さんに「エナミさん」と呼ばれる。どこか部屋に案内されるかと思ったが、カウンター越し、しかも立ったまま面談がスタートした。
セントラルパーク、とかではない近所の公園にて
セントラルパーク、とかではない近所の公園にて
「何か質問ありますか?」と聞かれたので、とりあえず「二重国籍の義務と権利」について質問する。「アメリカ国籍を持っていて困ることはありますか?」「逆に、メリットは?」

以下、回答の要約である。

・あまり大きい声では言えないが、ほとんど困ることはない。
・一方で、アメリカ国籍を保持することのベネフィットがある。
・国籍があれば、いつでもアメリカに住めるし働ける
・アメリカに渡るときは、原則としてアメリカのパスポートを取得すること
・国籍を一度失ったら、再び取得するのはかなり難しい
・外務省の職員や自衛隊など、「国同士の直接的な利害が発生する仕事」の場合は離脱することが多いが、一般的な職業の二重国籍者はほとんどそのままにしている。
アーリントン国立墓地。ジョン・F・ケネディの墓
アーリントン国立墓地。ジョン・F・ケネディの墓
気になる税金のことについても聞いてみた。

・税金のことは私共では申し上げられない。原則を言えば納税の義務は発生するものの、アメリカ生まれの二重国籍者は膨大かつ世界中に存在するため、いちいち追徴課税するような話は聞いたことがない。

ちなみに、

・国籍を離脱するのには2300ドル(約24万円)くらいかかる

とのことだ。取るのにかかるならまだしも、手放すのに24万もかかるのか…。2400円くらいでなんとかなりませんかね?
1982年夏、ニューポートのでかい船
1982年夏、ニューポートのでかい船

領事じゃなかった

ともあれ、知りたいことは全て聞けた。さあ帰って検討しようと思ったら、

「では、今から領事が来ますので少しお待ちください」

へ? あなたが領事じゃなかったの?

今のが正式な面談かと思ったら、この後に大ボスが控えているらしい。どうやら、面談にも第二関門があるようだ。アメリカめ、どれだけ厳重なんだ。

次に対応してくれたのは、アメリカ人領事。「キャサリン」という雰囲気の女性である。通訳を介し、キャシーとの面談が始まった。

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