ドイツ文学者とその家族 9
Mugiさんの『ドイツ文学者の息子』、改めて読んでみました。
リアルに迫ってきますね・・・。武蔵境の池内家のお父さんがキレる様・・・恐いです、マジで・・・。
オッサンがキレると食卓のその場の雰囲気が凍り付いて、それまで美味しかったハンバーグの味が急にわからなくなってまるで図工の時間に使う油粘土を噛み砕いて飲み込んでいるような感じになってしまった・・・ことでしょう。
さらに
「おい劣等生、お前に似合いのクズ学校生だぞっ。」
なんてディスリスペクトされる言葉を浴びせつけられれば、それは人格がゆがみますね・・・。
実際に武蔵境の池内家のそばに住んでいた事は無いのでわかりませんが、よほどの豪邸でなければ大人の男がブチキレた声は隣近所に筒抜けです。ウチも凄かったです。いちどドイツ文学者はブチると収支がつきません。
「このやろう、なんだとー!」
といってテーブルを拳でたたき、
「おいっ。」
といって髪の毛を掴んで振り回し、
「なんだとこのやろう。」
と拳で殴りつけます。凄かったですね・・・。時には蹴りが入ることも。いくらドイツ文学者が細身で華奢な優男でも、しかしやはり男の人の突きや蹴りを受ければ女の身ではたまったもんじゃありません。私は身の危険を感じて
「やるて、お願いだから。」
と懇願するしかありません。命乞いです。それでもドイツ文学者の激情は納まるものじゃありません。
「キャー、助けてーっ!」
と悲鳴を上げて家の外に飛び出すしかありません。
そして近所のおじさんが
「どうした?大丈夫かっ?」
と血相を変えて出てきては始めてドイツはわれに返って(?)決まり悪そうに二階の書斎に閉じこもるんです。
そんなことで外から
「ここのキチガイとうちゃんこの前凄かっだっ」
なんていう声も聞こえてはドイツ文学者が顔を曇らせたこともありました。ドイツ文学者=きちがいとうちゃんだったんですね・・・。ブチ切れた後、ドイツ文学者も決していい思いはしなかったようですが・・・。
さらにドイツ文学者宅では本を読まないヤツ、クズ学校にしか行けないヤツは徹底的にディスリスペクトされるのです。一方読書家は特別待遇されたものです。
あるとき近所にHという少年が来たことがありました。金融機関に勤める父親とキリスト教系団体の活動をしている母親がいて、しつけが厳しいことで有名でした。この読書家少年のうわさを聞きつけたドイツ文学者を少年を家に招きいれて厚遇していました。そしてドイツ文学者はこの少年に
「Hくん、この家にはたくさん本があるからいつでも来て、階下ならどこでも好きなだけ本を読んでいいよ。」
といっていました。するとHは毎日ウチにやってきました。ドイツ文学者宅にはいたるところに本があるからこの本好きのH少年はこの家の階下を我が物顔で読んでいました。当時私は中学生で、わたしが学校から帰って来るとH少年が私の部屋に居て、そして勉強机にある私の教科書を読んでいたのです。言葉ではいえないほどの不快感を感じました。それで母に文句を言ったけど、H少年がドイツ文学者のお気に入りだったので誰も何もいえない状況でした。そしてわたしがH少年に
「あたしの机の上、勝手にいじらないでよ。それにもうあたしの部屋に入らないでっ。」
といったらH少年がキッとわたしをにらみつけ、そしてなんかわたしをバカにするようなナマイキな理屈っぽい事を言ったことは覚えています。そしてH少年は私の部屋に居たままでした。
まもなくドイツ文学者が(職場である)学校から帰ってくるとH少年に優しい表情で
「ちょっと、H君、二階にいらっしゃい。」
といって私が行く事ができなかった二階にH君を連れて行ったことは覚えています。
わたしは本当にどうにかなりそうでした、この家から出て行きたいという家出願望と、いちど死んで隣のKさんの家の子に生まれ変わりたいという自殺願望と、そして本当にこの少年を亡き者にしなければ・・・という殺意とが要り字待った気持ちでした。実はその様子を見て居たくれていた隣の家のお姉さんが私に
「シオリちゃん、ウチにいらっしゃい。」
と隣の家に入れてくれて、ミルフィーユを出してくれたのです。
しかしそれからまもなくH少年は北関東に転勤になりました。そのとき、ドイツ文学者が
「Hくん、行っちゃうのか・・・。」
と居間兼食堂で淋しそうにつぶやいたことは覚えています。わたしは
「・・ったくこの男はっ・・・」
とその様子を見ていた・・・かもしれません。
そしてH少年が北関東にいってからもH少年に本を送っていたみたいですが、H少年は北関東でも自分と合う友達が出来ずに孤立しては「おじさん=ドイツ文学者」のところに行きたいとよくていったという話は聴きました。
その後私はロマンスカーに乗って祖母の家の子になりました。そしてある正月にロマンスカーでドイツ文学者宅に里帰りしていました。するとドイツ文学者宅に年賀状が誤配されてきたんです。ドイツ文学者は郵便局に問い合わせると、アルバイトの高校生が誤配したということで、局員が高校生とともに謝りに来るというのです。それを聞いたドイツ文学者は居間兼食堂で
「そうだ、その高校生に何か本を上げよう。こういう時にもらった本は一生の思い出になるだろうから・・・。」
といって張り切り始めました。
それを見て私は
「バーカじゃないのっ。恥ずかしい・・・。」
と思いましたが、ドイツ文学者は席を立ち、家中の本を物色して一冊何か詰まらなそうな本を持ってきました。
で呼び鈴が鳴ると「待ってました」と言わんばかりに玄関にすっ飛んでいきました。
しかしその後ドイツ文学者は何か辛気臭い顔をして玄関から戻ってきて黙々と本を読んでいました。そして以後年賀状誤配高校生の話は一切しませんでした。
さて、ドイツ文学者は一人ではいられないみたいです。母が十日か二週間ぐらい入院していた事があり、ドイツ文学者はO市にいるわたしにしきりに
「こっちに来てくれないか・・・。」
というのです。わたしも観光協会の仕事があるので行けないっいったら、休みの日でもいいから来てくれないかってシツコクいうのです。それで休日の前日、仕事が終わるとすぐにドイツ文学者宅に向かいました。乗換えや徒歩を入れて片道3時です。夜ドイツ文学者宅に着くと家にはドイツ文学者と当時また高校生か大学生になった弟が居ました。
掃除や洗濯は全然誰もしていなくて流し台もメチャクチャ、まず洗濯して掃除して台所を片付けて・・・。ドイツ文学者は病院が大嫌いなので母の身の回りの世話をしに行くはずはありません。近所の母の友人が下着の洗濯などの世話をしていました。そして食事の用意をして母のところに顔を出して小田急線ホームについたのはかなり暗くなった頃です。そしてO市に着いたのはかなり遅い時間です。女一人じゃ危ないのでタクシーで帰りました。
ところでそのときドイツ文学者がわたしに
「観光協会には勤めなかったほうが良かったな。」
といったことになにかムカつきました。その後何度もドイツ文学者は
「観光協会なんかに勤めなかったほうが良かったな。」
あの男は一体何を考えているのでしょう・・・。
あるとき、ドイツ文学者は
「卓越したものがあれば多少のわがままは許されるものだ。」
とか
「卓越したもののためにある程度周囲が犠牲になる事は止む終えない。」
と私にいった事がありました。ドイツ文学者は自分の研究や学門、そしてなにより独文科教室的な雰囲気のためには周囲がある程度犠牲になる事は仕方ない事だろう・・・それを認めよ、ということでした。むっとして私は地下鉄で新宿に行きました。すると例によっていつものように「あの志集売りの女」が地下鉄と小田急の乗り換え口の柱の前にところに突っ立っていました。
『私の志集 二百円』
と毛筆で書いたボール紙のゼッケンをつけて・・・。白いブラウス、グレーの地味スカート、そして肩に触れない程度で切った髪と意外にも女優かアイドルのような可愛らしく端正な顔立ち・・・。なんでも彼女は「冬子さん」というそうですが、単なるバカ女ですね。私は
「あのドイツ文学者はわたしもあの女みたいになれって思っているに違いない。」
と思って小田急線乗り場に入りました。わたしはあの新宿西口の「志集売り」を見る度に何か頭に来たものです。
新宿西口志集売りの女性
ドイツ文学者はよくドイツ語を自分で作っていました。その詩とその和訳にバカどもは陶酔していました。そのバカの一人が鈴木京香似のあの人、ドイツ文学者死去したときに
「あんなに素敵な人だったのに・・・。」
とワーワーバカ声を張り上げて泣いていたあの人です。私はあのとき
「ワーワーバカ声張り上げてバッカじゃないのっ。」
と思いましたが、やはり私が思ったように、あの人はあんなダンナに尽くだけ尽くしてやっとの事で別れて、結局バカを見た女としかいいようがありません。
そんな彼女の中ではあのドイツ文学者はあくまでも「精錬潔癖で素敵なドイツ文学者」でありつづているようです。そして近所にいたどろぼう大学教授Nは「最初からあの精錬潔癖なドイツ文学者はあのどろぼう大学教授Nと一切接点が無かった」ことになっているのです。
ちなみにドイツ文学者は自分の死期を悟り近所に居たどろぼう大学教授Nに
「後を頼む。」
と言い残していたのは事実だったかもしれません、それでNは相続権は自分にあるという風な事を言い張ってきたのでしょう。弁護士の話ではいわゆる法的に有効な遺言証書があればNの主張は通ってしまうということだったし、Nが私の相続の欠格事由(相続が許されない要件)を立証すれば更にわたしが不利になるということでした。Nはこの二つを何とか立証しようとしていました。だから私はかなり不利だったのです、しかしNの奥さんがNがドイツ文学者やドイツ文学者宅に対して相続権を主張する事に反対していました。しかしNは奥さんの言う事を効かなかったです。そこにそれまでおとなしくニートをしていた息子さんが今度は家庭内暴力をふるってきたようてす。ドイツ文学者の偲ぶ会でも会のプログラムにデザイン代印刷代として30万も計上されていたものです。観光協会で発注するパンフだってあんな値段になるはずはないです。恐らくNやMが領収書偽造したのでしょう。
Mugiさんの『ドイツ文学者の息子』、改めて読んでみました。
リアルに迫ってきますね・・・。武蔵境の池内家のお父さんがキレる様・・・恐いです、マジで・・・。
オッサンがキレると食卓のその場の雰囲気が凍り付いて、それまで美味しかったハンバーグの味が急にわからなくなってまるで図工の時間に使う油粘土を噛み砕いて飲み込んでいるような感じになってしまった・・・ことでしょう。
さらに
「おい劣等生、お前に似合いのクズ学校生だぞっ。」
なんてディスリスペクトされる言葉を浴びせつけられれば、それは人格がゆがみますね・・・。
実際に武蔵境の池内家のそばに住んでいた事は無いのでわかりませんが、よほどの豪邸でなければ大人の男がブチキレた声は隣近所に筒抜けです。ウチも凄かったです。いちどドイツ文学者はブチると収支がつきません。
「このやろう、なんだとー!」
といってテーブルを拳でたたき、
「おいっ。」
といって髪の毛を掴んで振り回し、
「なんだとこのやろう。」
と拳で殴りつけます。凄かったですね・・・。時には蹴りが入ることも。いくらドイツ文学者が細身で華奢な優男でも、しかしやはり男の人の突きや蹴りを受ければ女の身ではたまったもんじゃありません。私は身の危険を感じて
「やるて、お願いだから。」
と懇願するしかありません。命乞いです。それでもドイツ文学者の激情は納まるものじゃありません。
「キャー、助けてーっ!」
と悲鳴を上げて家の外に飛び出すしかありません。
そして近所のおじさんが
「どうした?大丈夫かっ?」
と血相を変えて出てきては始めてドイツはわれに返って(?)決まり悪そうに二階の書斎に閉じこもるんです。
そんなことで外から
「ここのキチガイとうちゃんこの前凄かっだっ」
なんていう声も聞こえてはドイツ文学者が顔を曇らせたこともありました。ドイツ文学者=きちがいとうちゃんだったんですね・・・。ブチ切れた後、ドイツ文学者も決していい思いはしなかったようですが・・・。
さらにドイツ文学者宅では本を読まないヤツ、クズ学校にしか行けないヤツは徹底的にディスリスペクトされるのです。一方読書家は特別待遇されたものです。
あるとき近所にHという少年が来たことがありました。金融機関に勤める父親とキリスト教系団体の活動をしている母親がいて、しつけが厳しいことで有名でした。この読書家少年のうわさを聞きつけたドイツ文学者を少年を家に招きいれて厚遇していました。そしてドイツ文学者はこの少年に
「Hくん、この家にはたくさん本があるからいつでも来て、階下ならどこでも好きなだけ本を読んでいいよ。」
といっていました。するとHは毎日ウチにやってきました。ドイツ文学者宅にはいたるところに本があるからこの本好きのH少年はこの家の階下を我が物顔で読んでいました。当時私は中学生で、わたしが学校から帰って来るとH少年が私の部屋に居て、そして勉強机にある私の教科書を読んでいたのです。言葉ではいえないほどの不快感を感じました。それで母に文句を言ったけど、H少年がドイツ文学者のお気に入りだったので誰も何もいえない状況でした。そしてわたしがH少年に
「あたしの机の上、勝手にいじらないでよ。それにもうあたしの部屋に入らないでっ。」
といったらH少年がキッとわたしをにらみつけ、そしてなんかわたしをバカにするようなナマイキな理屈っぽい事を言ったことは覚えています。そしてH少年は私の部屋に居たままでした。
まもなくドイツ文学者が(職場である)学校から帰ってくるとH少年に優しい表情で
「ちょっと、H君、二階にいらっしゃい。」
といって私が行く事ができなかった二階にH君を連れて行ったことは覚えています。
わたしは本当にどうにかなりそうでした、この家から出て行きたいという家出願望と、いちど死んで隣のKさんの家の子に生まれ変わりたいという自殺願望と、そして本当にこの少年を亡き者にしなければ・・・という殺意とが要り字待った気持ちでした。実はその様子を見て居たくれていた隣の家のお姉さんが私に
「シオリちゃん、ウチにいらっしゃい。」
と隣の家に入れてくれて、ミルフィーユを出してくれたのです。
しかしそれからまもなくH少年は北関東に転勤になりました。そのとき、ドイツ文学者が
「Hくん、行っちゃうのか・・・。」
と居間兼食堂で淋しそうにつぶやいたことは覚えています。わたしは
「・・ったくこの男はっ・・・」
とその様子を見ていた・・・かもしれません。
そしてH少年が北関東にいってからもH少年に本を送っていたみたいですが、H少年は北関東でも自分と合う友達が出来ずに孤立しては「おじさん=ドイツ文学者」のところに行きたいとよくていったという話は聴きました。
その後私はロマンスカーに乗って祖母の家の子になりました。そしてある正月にロマンスカーでドイツ文学者宅に里帰りしていました。するとドイツ文学者宅に年賀状が誤配されてきたんです。ドイツ文学者は郵便局に問い合わせると、アルバイトの高校生が誤配したということで、局員が高校生とともに謝りに来るというのです。それを聞いたドイツ文学者は居間兼食堂で
「そうだ、その高校生に何か本を上げよう。こういう時にもらった本は一生の思い出になるだろうから・・・。」
といって張り切り始めました。
それを見て私は
「バーカじゃないのっ。恥ずかしい・・・。」
と思いましたが、ドイツ文学者は席を立ち、家中の本を物色して一冊何か詰まらなそうな本を持ってきました。
で呼び鈴が鳴ると「待ってました」と言わんばかりに玄関にすっ飛んでいきました。
しかしその後ドイツ文学者は何か辛気臭い顔をして玄関から戻ってきて黙々と本を読んでいました。そして以後年賀状誤配高校生の話は一切しませんでした。
さて、ドイツ文学者は一人ではいられないみたいです。母が十日か二週間ぐらい入院していた事があり、ドイツ文学者はO市にいるわたしにしきりに
「こっちに来てくれないか・・・。」
というのです。わたしも観光協会の仕事があるので行けないっいったら、休みの日でもいいから来てくれないかってシツコクいうのです。それで休日の前日、仕事が終わるとすぐにドイツ文学者宅に向かいました。乗換えや徒歩を入れて片道3時です。夜ドイツ文学者宅に着くと家にはドイツ文学者と当時また高校生か大学生になった弟が居ました。
掃除や洗濯は全然誰もしていなくて流し台もメチャクチャ、まず洗濯して掃除して台所を片付けて・・・。ドイツ文学者は病院が大嫌いなので母の身の回りの世話をしに行くはずはありません。近所の母の友人が下着の洗濯などの世話をしていました。そして食事の用意をして母のところに顔を出して小田急線ホームについたのはかなり暗くなった頃です。そしてO市に着いたのはかなり遅い時間です。女一人じゃ危ないのでタクシーで帰りました。
ところでそのときドイツ文学者がわたしに
「観光協会には勤めなかったほうが良かったな。」
といったことになにかムカつきました。その後何度もドイツ文学者は
「観光協会なんかに勤めなかったほうが良かったな。」
あの男は一体何を考えているのでしょう・・・。
あるとき、ドイツ文学者は
「卓越したものがあれば多少のわがままは許されるものだ。」
とか
「卓越したもののためにある程度周囲が犠牲になる事は止む終えない。」
と私にいった事がありました。ドイツ文学者は自分の研究や学門、そしてなにより独文科教室的な雰囲気のためには周囲がある程度犠牲になる事は仕方ない事だろう・・・それを認めよ、ということでした。むっとして私は地下鉄で新宿に行きました。すると例によっていつものように「あの志集売りの女」が地下鉄と小田急の乗り換え口の柱の前にところに突っ立っていました。
『私の志集 二百円』
と毛筆で書いたボール紙のゼッケンをつけて・・・。白いブラウス、グレーの地味スカート、そして肩に触れない程度で切った髪と意外にも女優かアイドルのような可愛らしく端正な顔立ち・・・。なんでも彼女は「冬子さん」というそうですが、単なるバカ女ですね。私は
「あのドイツ文学者はわたしもあの女みたいになれって思っているに違いない。」
と思って小田急線乗り場に入りました。わたしはあの新宿西口の「志集売り」を見る度に何か頭に来たものです。
新宿西口志集売りの女性
ドイツ文学者はよくドイツ語を自分で作っていました。その詩とその和訳にバカどもは陶酔していました。そのバカの一人が鈴木京香似のあの人、ドイツ文学者死去したときに
「あんなに素敵な人だったのに・・・。」
とワーワーバカ声を張り上げて泣いていたあの人です。私はあのとき
「ワーワーバカ声張り上げてバッカじゃないのっ。」
と思いましたが、やはり私が思ったように、あの人はあんなダンナに尽くだけ尽くしてやっとの事で別れて、結局バカを見た女としかいいようがありません。
そんな彼女の中ではあのドイツ文学者はあくまでも「精錬潔癖で素敵なドイツ文学者」でありつづているようです。そして近所にいたどろぼう大学教授Nは「最初からあの精錬潔癖なドイツ文学者はあのどろぼう大学教授Nと一切接点が無かった」ことになっているのです。
ちなみにドイツ文学者は自分の死期を悟り近所に居たどろぼう大学教授Nに
「後を頼む。」
と言い残していたのは事実だったかもしれません、それでNは相続権は自分にあるという風な事を言い張ってきたのでしょう。弁護士の話ではいわゆる法的に有効な遺言証書があればNの主張は通ってしまうということだったし、Nが私の相続の欠格事由(相続が許されない要件)を立証すれば更にわたしが不利になるということでした。Nはこの二つを何とか立証しようとしていました。だから私はかなり不利だったのです、しかしNの奥さんがNがドイツ文学者やドイツ文学者宅に対して相続権を主張する事に反対していました。しかしNは奥さんの言う事を効かなかったです。そこにそれまでおとなしくニートをしていた息子さんが今度は家庭内暴力をふるってきたようてす。ドイツ文学者の偲ぶ会でも会のプログラムにデザイン代印刷代として30万も計上されていたものです。観光協会で発注するパンフだってあんな値段になるはずはないです。恐らくNやMが領収書偽造したのでしょう。
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ドイツ文学者のお気に入りだったH少年のお話、なかなか興味深いですね。母親がキリスト教系団体の活動をしていたならば、彼女も信者の確率が高いはず。クリスチャンというのは総じて非常識な人間が多いですよ。少年の家では躾が厳しかったそうですが、シオリさんの部屋に勝手に入ってきて、それを咎められるや不躾な口答えをしている所からも、一体どんな躾だったの?と言いたくなります。
クリスチャンホームでは、周囲のノンクリスチャンの子供たちと遊ばないように言われたり、TVや漫画雑誌を読ませない家もあるそうです。当然ながら信者の子供たちは周囲に馴染めず、浮いているケースも多いとか。成人後は社会不適合者になったり。
H少年はこの時、何歳だったのでしょうね。「北関東でも自分と合う友達が出来ずに孤立して」いたならば、最悪の場合は登校拒否になったかも。大体ドイツ文学者宅に入り浸って読書三昧の少年では、友人が出来るはずもない。この少年、今頃どうしているのでしょう。
H少年は北関東に転居してからその後二、三度ドイツ文学者宅を訪ねてきたようです。ドイツ文学者宅ではH少年は特別待遇だったのでといい思い出だったようですが、その後の消息はわかりません。