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ドイツ文学者とその家族たち 12

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↑どーでも良くなってエアコンの室外機の上に雨ざらしのドイツ語原書

 Mugiさんの、例の池内紀さんの息子さんのことをかいた「ドイツ文学者の息子」をまた読みました。
「池内紀というのはそもそも世間一般ではそんなに有名人でもないし、有力者でもない。ただ、一部の文芸愛好家には愛されているようだ。」
「あと、池内紀が泣いているぞ、みたいな揶揄にはもうどうしようもない。」
よくわかりますね・・・。
グスグス、ユルユル・・・なんて表現するんだから、父子関係、お互い距離を置く・・・という感じかもしれませんね・・・。

 だいたい独文科というのはヘッセやケイストナー、そしてやっぱりゲーテとその周辺を研究するものであって、ゲーテとその時代、ゲーテの家庭環境だとかそういうことをマイナーにそして局所的にネチネチと研究してはああだこうだ言っている連中のたまり場のことです。
ウチの二階のドイツ文学者も
「今度は今までとは別な角度からゲーテをやってやろう(研究してやろう)と思っているが・・・。」
何ぞといっていた事を覚えています。それは恐らく日本にはまだ紹介されていないゲーテの短編のことだとおもうけど・・・。ドイツ文学者なんていうのはヘッセやケイストナー、ゲーテなんかの時代に遊び、甘口のドイツワインを飲みながらドイツ菓子「シュワルツヴァルタークーヒェン」を食べながら、そして浮世を別れて空想の世界に浸っているようなそんな連中に過ぎないといえば過ぎないのですが・・・。

 ドイツ文学者の実家は下町といえば下町、今では住宅やマンションばかりですが、当時まだ農地もかなり残っていて、農村らしく鎮守や道祖神もあるようなところでした。まるで畑の中に家があるような感じで庭では大根などを作っていて、当然茶の間があり、茶の間には隣近所の人がやってきてはお茶を飲みながら世間話をしていく・・・いう光景が日常的に繰り広げられていたようですが、ドイツ文学者はそういう中に入らずに二階の自室でいつでも本を読んでいたようです。
 とにかく成績はよかったので、親戚(ドイツ文学者の母の妹)に特に可愛がられ、期待されていたとのことでした。このドイツ文学者の母の妹というのは教師で子供が居なかったようです。そんなわけで少年の頃のドイツ文学者はよく彼女の家に行っていたようです。教師根性丸出しで偉そうに余計なお節介をやく彼女は親戚からは
「カネは出さないけど口は出す」「教師根性丸出しのくそったれ」「あの女はどこでも自分の教室のつもり誰でも自分の教え子のつもりらしい。」
と嫌われていたものの、ドイツ文学者だけは
「背筋に一本鉄心の入った真の教育者」
として尊敬していました。

 ちなみにどこの家でもバトル(言い争い)はあるものです。夫婦間、親子間、兄弟間・・・しかしドイツ文学者宅ではそれがまったくありませんでした。そんな事をしていたら二階からドイツ文学者が降りてきて
「うるさい、なんのつもりだ。何度も言わせるなっ。」
とキチガイみたいに怒鳴りつけるに決まっています。もちろんドイツ文学者と他の家族との間にバトルなんてありえません。ドイツ文学者がピンクレディはアメリカの歌手といったらアメリカの歌手なのです。

 独文科というところは「主にゲーテ、あとヘッセと飛ぶ教室のケイストナー、カールブッセにアルトハイデルベルクのマイヤーフェルスター」なんかを研究してはその世界に憧れ現実逃避する人たちの集まりのようなものです。しかし独文科にも世間話ばかりする俗者がいて、この俗者は見た感じもとても文学青年とは思えず、ウチの二階のドイツ文学者は蛇蝎のごとく嫌っていました。がわたしから見れば優しいおじさんだったしこの俗者独文科学生の家庭はごく普通の家庭でテレビから流行歌が聴こえてきていたし、奥さんが近所の人たちと玄関先で立ち話をしている家でした。この当時小学生だった家の女の子がデニムショートパンツを穿いていて私は羨ましいと思ったものです。

高円寺ルック商店街にかつて『山水書房』だかそんな名前の古書店があったんです。場所としては有名な喫茶店「七つ森」の向い側・・・あたりかもしれません。でこの古書店にはそれこそカールブッセの海聴音、アルトハイデルベルク、それから手塚富雄や阿部次郎などの本ばかり置いてあるような・・・。そこは店内に質素なイスとテーブルがあって、い150円とかいくらかだすと、テーブルの上のインスタントコーヒーとクリープをいれて自分でコーヒーを作ってそこでコーヒーが飲めるらしいのです。いつでも女性店主が本を読みながらクラシック音楽を聴きながら店番をしていました。もちろんドイツ文学者はこの店が好きだけど、この店内にある本はすでにドイツ文学者宅にある本ばかりでした。それでもこの店に出かけては『定価よりも多めに』お金を出してコーヒーを飲んできているようでした。高円寺に限らず古書店といえば店の一番目立つところにビニールで包んだエロ本を並べておくのが常でしたが、この「山水書房」(?)はそうではなく、ワゴンセールのところにも雑誌太陽のバックナンバーを置いておくほど『良質』だったそうです。

 そんなことで、あのドイツ文学者がカールブッセの詩だとかゲーテの短編「メルヒェーン」などに自分の居場所…救いと生きる活路を見出したことは今とはなればなんとなく解かるんですが・・・。そしてドイツ文学者は必死になったその世界を守ろうとし、わたしもその世界に引き込もうとしたのでしょう。ワーグナーの楽劇広がる秋の黄昏のような・・・。
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2016.10.20 Thu l ドイツ文学者と家族 l コメント (0) l top

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