金メダリストリレートーク
2016年11月30日・中日劇場
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新貧乏物語「新貧乏物語」の削除問題を検証中日新聞社は十九日、連載「新貧乏物語第4部 子どもたちのSOS」の記事や写真を一部削除し、十二日朝刊に「おわび」を掲載した問題で、外部委員四人を交えた「新聞報道のあり方委員会」を東京本社で開いた。本社の検証報告に対し、外部委員は取材対象者との向き合い方、連載の手法、編集局内の意識の見直しを求めた。 外部委員はジャーナリスト木村太郎、東京工科大教授吉田俊実、弁護士田中早苗、ノンフィクションライター魚住昭の四氏。本社側は菅沼堅吾東京本社編集局長、臼田信行名古屋本社編集局長、深田実東京本社論説主幹らが出席した。 検証は編集局から独立した紙面審査室が担当。関係者から聞き取りなどを行い、佐藤亮室長らが結果を委員会に報告した。 委員会は春と秋の新聞週間に合わせて年二回開催している。今秋は四日に開き、夏の参院選や障害者殺傷事件などの報道を議論。本社のおわび掲載を受け、外部委員から再会議の要請があった。再会議では四日の議論の掲載を見送り、十九日の議論だけを掲載することで一致した。 菅沼東京本社編集局長は「委員会の意見に応えることを、読者の信頼をつなぎとめる第一歩としたい」と述べた。 <お断り> 削除した写真は名古屋本社発行の中日新聞のみ掲載し、東京新聞、北陸中日新聞、東海本社発行の中日新聞は別の写真を使用しました。新聞報道のあり方委員会は名古屋本社発行の中日新聞をもとに議論しました。連載の掲載日は各新聞で異なっています。 ◆取材班と取材経緯連載「新貧乏物語」は年初からスタートし、今年九月までに第6部まで掲載。奨学金の返済に苦しむ若者や年金を受け取れない高齢者らの苦境を取り上げた。記事全文と写真を削除した第4部「子どもたちのSOS」の二本を除き、連載記事は三十五本に上る。 取材班は名古屋本社社会部のベテラン記者をキャップに各部ごとに四〜五人の記者で構成。社会部員のほか、地方の若手記者一〜二人をメンバーに入れている。 第4部は貧困家庭を支援するNPOや現役の教職員などへの取材を通じ、生活苦から子どもの学校教育に不安を抱える家族を探して話を聞いた。記事全文と写真を削除した連載記事二本は、いずれも地方から取材班に加わった男性記者(29)が取材と執筆を担当した。 ◆チェックの機会生かせず写真の自作自演【概要】 五月十七日付の名古屋本社版朝刊の連載一回目「10歳 パンを売り歩く」は、母親がパンの移動販売で生計を立てる家庭の話。写真は、仕事を手伝う少年の後ろ姿だったが、実際の販売現場ではない場所での撮影を、取材班の男性記者(29)がカメラマンに指示していた。少年が「『パンを買ってください』とお願いしながら、知らない人が住むマンションを訪ね歩く」のキャプション(説明)付きで掲載された。 撮影当日、少年がパンを訪問販売する場面の撮影は無理だと判明。少年に関係者宅の前に立ってもらい、記者自らが中から玄関ドアを開けたシーンをカメラマンに撮らせた。 男性記者は「写真提出の締め切りが迫り、まずいなと思いながらやってしまった」と理由を話した。 こうした撮影の経緯は、十七日付朝刊の印刷開始後、取材班全員で深夜の会食中に話題となった。初めて事実を知ったキャップは「やらせだ」として男性記者を叱責(しっせき)するとともに、後日に掲載される東京、北陸、東海の三本社向けには、写真やキャプションを差し替える措置を取った。 【なぜ素通りしたのか】 取材班に専任のカメラマンはいなかった。取材記者が撮影日を設定し、当日に仕事の予定がないカメラマンがその都度、駆り出されることが多く、記者との意思疎通を欠く面があった。 今回の写真を担当したカメラマンは、ドアのノブに手を掛けているのが男性記者だと知っていたが、「イメージ写真のつもりで撮っていた」と説明。撮影の場面をセッティングした記者に疑問を投げかけることはなかった。場面を変えて何種類かのカットを撮影し、取材班あてに送信した後はノータッチだった。 掲載する写真の選択やキャプション作成は、男性記者ら取材班メンバーだけで進められた。撮影の状況を知っているカメラマンが参加しなかったことで、チェックする機会が失われた。 また、取材班メンバーの一人は紙面掲載前に、男性記者から「写真に自分の手が写っている」と聞かされていたが「補助的なところを手伝ったのだろう。キャップも当然知っているはず」と問題視せず、キャップに報告しなかった。 ◆「記事の不採用怖かった」原稿の捏造【概要】 五月十九日付朝刊の連載三回目「病父 絵の具800円重く」の見出しが付けられた記事には、事実でない内容があった。家族から指摘を受けて確認したのは三カ所。 一つは、病気の父親を持つ中学三年の少女の家庭では、冷蔵庫に学校教材費の未払い請求書が張られているとして「絵の具 800円」「彫刻刀 800円」と架空の品目や金額を書いた。 二つ目は、「中二の終わりごろから両親に『塾に行きたい』と繰り返すようになった」の記述で、実際には母親の方から「塾に行かなくていいの」と尋ね、少女が断っていた。 三つ目の「バスケ部の合宿代一万円が払えず、みんなと同じ旅館に泊まるのをあきらめて、近くにある親類の家から練習に参加したこともある」は、実際には合宿代は支払われており、親類宅での宿泊は合宿入りの前夜だった。 男性記者は三カ所の捏造(ねつぞう)について「貧しくて大変な状態だというエピソードが足りないと思い、想像して話をつくった」と説明した。 その背景の一つに、取材班の上司から原稿執筆について「描写は具体的に」「ディテール(細部)が大事」との方針を示されていたことを挙げた。 エピソード不足は、肝心の少女に直接取材していないことも要因だった。 記者は「悪いことをしている」と感じつつ、「自分が取材している五件の家庭が、連載で一本も採用されなかったらと思うと怖くなった。その怖さが、悪いことを思いとどまる気持ちを上回った」とも話した。実際には五件のうち三件が採用された。 【なぜ見抜けなかったのか】 写真の問題が判明した五月十七日、キャップらは男性記者が書いた原稿も再チェックする必要があると考え、当初は二回目で使う予定だった「病父 絵の具800円重く」の一日繰り延べを決めた。 キャップは取材班を前に「連載には『頑張ってください』というファクスなどが多数寄せられている。そんな読者を裏切ることをしてはならない」とあらためて注意を喚起。男性記者に原稿の事実関係を一つ一つ確認し、記者は「問題はない」と答えた。 名古屋本社の寺本政司社会部長は「男性記者が地方からの応援者で、普段の仕事ぶりや性格をよく知らないことに加え、本人から『ない』と言われれば信用するしかなかった」と話す。 しかし、写真の自作自演という例のない問題が明らかになった直後だけに、別の記者に再取材させるといった一歩踏み込んだ対応を取れなかったのか。 ◆家族の抗議、上司に伝わらずおわび掲載の遅れ名古屋本社版に掲載された連載一回目の写真・キャプションと、三回目の捏造があった記事の削除は、十月十二日付朝刊の「おわび」までなされなかった。 写真の問題発覚直後にキャップから関係者に謝罪するよう指示された男性記者は、関係者に会う約束をとる電話で「いい記事をありがとう。写真は問題にしていない」旨を先方から伝えられたと報告した。実際には電話をかけていなかった。「約束したプライバシーが守られていない」と家族や支援者から抗議を受けた際も取材班に伝えず、対応が遅れる一因となった。 キャップは六月、読者からの支援品を持って少年の母親と面会し、謝罪。八月下旬には、連載三回目の少女の家族に支援品を送ろうとしたところ、「うその記事に対して贈られた物は受け取れない。説明した内容が貧困を強調するエピソードに改ざんされている」と抗議を受け、初めて原稿の捏造が分かった。 十月までに四回、うち一回は男性記者を同行して少女宅を訪問し、謝罪。事実でない記述を聞き取って確認し、「おわび」という形で紙面化する方針などを伝えた。この間、先方の仕事の都合や、より正確を期してほしいという意向で掲載時期が延びていった。 写真の問題発覚後から男性記者が精神的に不安定になり、詳しく事実関係を聞くことができない事情もあった。 ◆作り手の論理を優先まとめ今回の検証では、問題の背景を幅広く探るため、取材班以外に範囲を広げて話を聴いた。検証を通じて、読者や取材先よりも作り手の都合や論理を優先する姿勢が浮かび上がった。 取材班の風通しは悪くなかった。エピソードや内容が不足する部分の指摘は互いにあったが、最年少の男性記者にだけ厳しい指導がなされたという証言はなく、本人も「どなられたりしたことはない」と話す。誘われて酒席や食事に行くことも少なくなかった。 記者は取材班メンバーとの会話の中で、一連の連載を新聞協会賞に応募することや、出版予定だと聞くうちに「大変なところへ来た」と思うようになった。 連載一回目のプライバシー問題などについて抗議を受けた際に「これ以上、事が大きくなることが怖いと思った」として、取材班に伝えなかった。隠す方が後に大問題になるという通常の判断ができず、触れてほしくないことも話してくれた相手を裏切り、傷つけたことにも考えが及ばなかった。「問題を一人で抱え込んだ」と言うが代償はあまりに大きい。 組織の問題を挙げるなら、ライター集団である取材班や編集幹部に、原稿優先の考えがあったことは否めない。問題の写真について「イメージと捉えれば、ぎりぎりセーフでは」という声が幹部からも聞かれた。記者の「自作自演による写真」という行為を突きつけられても、「原稿ではないから」と重く受け止めなかったと言わざるを得ない。 原稿の捏造が発覚せず、写真の問題だけだったら、うやむやになっていた可能性が高い。寺本社会部長は「写真の削除に思いが及ばなかった。認識が甘かった」と話した。 ◆社内処分今回の写真、記事削除問題で、中日新聞社は管理・監督責任として臼田信行取締役名古屋本社編集局長を役員報酬減額、寺本政司同本社社会部長と社会部の取材班キャップをけん責、執筆した記者を停職一カ月とする懲戒処分を決めました。いずれも十一月一日付。 ◆連載を読んで贈られた善意の扱いについて連載「新貧乏物語」に対し、本紙には奨学金の返還に苦しむ若者あてに匿名で現金1000万円が届いたのをはじめ、各シリーズごとに読者から支援の現金などが寄せられました。 第4部「子どもたちのSOS」にも約20人の読者から現金や商品券、教材、おもちゃ、食品などが送られてきました。多くが贈り先を指定しており、差出人の氏名が書かれた現金や品物は送り主と届け先の双方に連絡したうえで、取材班が届けました。 差出人が匿名でも、贈り先の了解を得て郵送などで届けました。贈り先が指定されていない現金は、公益団体などと相談して全額を寄付します。
新聞報道のあり方委員会開催 4氏の見解は◆記者を萎縮させるな 木村太郎氏NHK記者としてワシントンにいた時、米国のマスコミ史上最悪の捏造(ねつぞう)事件が起きた。八歳の麻薬中毒児童を取り上げた「ジミーの世界」という一九八〇年のワシントン・ポスト紙の記事。八一年に優れた報道に贈られるピュリツァー賞を受賞したが、記者の経歴が違うという話が出てきて、調べたら記事は全部捏造だった。その時、ポスト紙はオンブズマンに検証させ、その結果を大きく紙面を割いて掲載した。 記事を書いた記者にはものすごい野心があり、それが最大の原因だったが、社内にも問題があった。社会部と政治部で一面を取り合う競争があった。社会部は特ダネがほしかった。記者が「こういう子がいるらしい」と話をしたところ、デスクから「それを追いかけろ。一面の話だ」と言われ、結局、架空の記事になった。検証では部内の声として「編集局に重圧と競争があった」「応じきれないようなデスクの要求があった」と指摘された。 今回の連載で捏造した記者は気が弱そうな印象を受けた。社内に圧力のようなものがなかったか。気になったのは、この記者が「新聞協会賞に応募するという話を聞いて重圧を感じていた」というところ。協会賞ありきの連載企画になってはいなかったか。 連載企画の取材は「何があるのか探ってみよう」というところから入って、そこから面白い話が出てくるというのが本当だ。結論ありきの連載にしないということが、すごく大切だ。 NHKで地方にいた時代は、とにかく東京に行きたいと思っていて、それが仕事の動機付けになっていた。この記者にとって連載に参加できるのは千載一遇のチャンス。「何でも応えたい」という気持ちが働いても無理はないと思う。そういう事情がなかったのかも検証した方がいい。単なるコンプライアンス(規範の順守)の問題じゃないような気がする。記者を萎縮させるようなルールはつくるべきではない。 委員会の議論は前回の分の掲載をすべてやめ、今回の問題だけ掲載してほしい。社の考えも入れて。委員会はそのためにある。 <きむら・たろう> 1938年米国バークリー市生まれ。慶応大法学部卒。NHKベイルート、ワシントン特派員などを経てニュースキャスター。87年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。著書に「ディア・グロリア」などがある。 ◆独善の姿勢に警戒を 吉田俊実氏いろいろなことが遅れた理由の中に、この記者の心のケアがあった。取材班のキャップや部長はケアを優先した。若い人の教育管理は難しいと感じる。なぜ記者がこんな不可解なことをしたのか。理由の一つに体制の問題があると思う。 記事掲載後に、取材先からのクレームがその記者にしか入らなくて、彼が隠したら社内の他の人にクレームは届かない。例えば、取材に同行したカメラマンから「こういうのちょっとまずいです」という情報が入っていれば対応は違っていたのではないか。チームで取材しているのだから、クレームなどを把握できるよう回路をいくつか開いておく必要があった。 取材に関わった全員が弱者に寄り添う気持ちを持っていた、という聞き取りの報告が気になった。本当に持っていたと言い切れるものなのか。寄り添うっていうのは大変なこと。問いかけても問いかけても、これで寄り添うことになるのだろうかと考えるもの。言い切ってしまうところに、取材班の独善があったのではないか。それが回路を開かないことにつながっていたと思う。 記事は憐憫(れんびん)を誘うために、これでもかこれでもかと貧乏を作り上げている。これでは取材対象者の現実から懸け離れてしまう。取材対象の家族は病気が原因で生活が苦しくなった。取材を受けたのは「あなたたちだって、すぐこうなってしまうんですよ」との思いがあったからだろう。捏造(ねつぞう)は取材対象者を二重に踏み付けることになる。 私たちが記事を読む時、まるでその場にいたかのように感じることがある。文章がうまければうまいほど、ある意味で現実と乖離(かいり)してしまう。そうなると、取材を受けた人たちが記者を通じて本当に訴えたいことが、すり抜けてしまう。問題の写真は印象に残っていた。でも、ドアを開ける手が記者だったなんて。 読者が記事から得るものと、記者が五感を使って感得したものが、ぴったりは重ならないにしても近いものであってほしい。それが記者を信じることになるし、署名記事の意味だと思う。 <よしだ・としみ> 1954年東京都生まれ。昭和女子大大学院修了。東京工科大教授(文化研究、英文学)。メディアやジェンダー問題に取り組む。共著に「番組はなぜ改ざんされたか」「イギリス文学ガイド」などがある。 ◆読者の目を意識して 田中早苗氏記者が「捏造(ねつぞう)は発覚しない」と考えた自信がどこから来ているのかという点が分からない。功名心などがあって、こういうことを犯したという簡単な理由ではない、別の理由が何かあるのではないか。なぜ、これだけのことをして大丈夫だと思ったのかという部分を解明しないと、会社としても、今後どうやって社員を教育していけばいいか分からないのではないか。 記者が「どうせ生活に困っている人だから新聞も買えないだろう」「抗議してこないだろう」と思っていなかったか。あるいは「今までもそうだったから、発覚したとしても上司がかくまってくれる」と思ったということはないか。何かがなければ、今回の行為はあまりにも大胆だ。そこをちゃんと確認する必要がある。 新貧乏物語は「貧しい人たちを助けてあげよう」ということから始まった連載のはず。それがもし「どうせ生活に困っているから…」ということが理由で捏造していたとしたら、傲慢(ごうまん)な思いで記事を書いていたとしたら、と思うと本当に残念だ。 最近、NHKの番組で貧困の女子高校生が取り上げられた時、インターネット上で「貧困ではないのではないか」などの書き込みが相次ぎ、放送された女子高校生に対する誹謗(ひぼう)中傷が出てきた。 貧困問題に一家言ある人はたくさんいる。うそを見つけようという目で記事を読んでいる人もいる。いろいろな人の目にさらされているのだという危機感がなかったように思える。今回は取材対象者からの告発だったわけだが、ニュースで取り上げられた人への誹謗中傷が出てくる今の社会状況とか、取材対象者との関係などを考えると、なぜ、こんなことをしてしまったのかという点に踏み込んで調べてほしい。一般常識というか、取材対象者のことを考える教育がなされていないと感じる。 写真の件では、撮影のやりようがあったのかなと思う。記者の方がカメラマンより偉いということなのか。カメラマンが、これでは撮れないから、こういう撮影もあると提案する方法もあったと思われる。 <たなか・さなえ> 1962年東京都生まれ。慶応大法学部卒。弁護士。女性と人権、報道と人権・プライバシー問題などに取り組む。著書・共著に「企業のセクハラ対策最前線」「Q&A 子どものいじめ対策マニュアル」などがある。 ◆貧困問題の取材続けて 魚住昭氏記者本人を責めたくはないが、驚いたのは、写真のやらせについて関係者に謝罪するよう取材班のキャップから指示を受けた後、この記者が「先方から『いい記事をありがとう』と言われた」とうその報告をしたこと。内部では正直にしゃべるのが普通だと思っていたが、ちょっと尋常じゃないなという感じがした。 写真の問題が発覚した時、編集幹部が「イメージ写真としてぎりぎりセーフではないか」と判断したことも気になった。少年本人が写っているのにイメージ写真と言えるのか。少なくとも「ぎりぎりセーフ」ではなかった。 正直言って記者だけの問題ではない。編集幹部に問題をできるだけ表面化させず、小さく見ようという意識があったのではないか。組織のチェック機能のようなもの、言い換えると、良い記事をつくろうという気持ちや読者に対する裏切り行為はやめようという意識が、薄いのではないかという感じを持った。 連載自体はレベルが高い。文章もうまいし、単に貧しい人を取り上げるのでなくて、一つ一つのテーマの中にある核心的な問題について、シリーズごとに読者に訴えている。 「子どもたちのSOS」というテーマには、この記者が捏造(ねつぞう)した部分がないと、単に貧しい人の話になってしまう。捏造は論外だが、連載の勘所をキャップも記者も分かっている。捏造問題が出たからといって、こうしたテーマを取り上げることをやめないでほしい。 貧困というテーマの記事は匿名でないと成立しにくい。実名ではほとんどの人が登場してくれない。だからこそ、匿名をやめようという話にしてはいけない。匿名の必要性がある記事は匿名でよい。 詳しく検証することで新聞の評価を上げてほしい。逃げ腰ではなく、問題の背景にあるものをこれだけ追及したという姿勢を読者に示してほしい。もう一点。この記者を解雇しないでほしい。解雇して社の威信を守るやり方は間違いだ。記者として雇った以上、記者として再教育すればいい。辞めさせたからといって読者の信頼が回復するわけではない。 <うおずみ・あきら> 1951年熊本県生まれ。一橋大法学部卒。共同通信で司法記者などを経て96年からノンフィクションライター。著書に「特捜検察」「野中広務 差別と権力」など。ウェブマガジン「魚の目」で情報発信している。 ◆自問と自戒重ねる名古屋本社編集局長 臼田信行中日新聞社は社是の第一に、「真実」を掲げています。ニュースでも連載でも「真実」に近づく事実の積み重ねが命です。それを違(たが)えた今回の問題では、四人の外部委員から数々の厳しい指摘をいただきました。 まず、パンを売る少年の後ろ姿の写真です。「自作自演」が内部で発覚しても、編集幹部や担当デスクは「イメージ写真として、ぎりぎりセーフではないか」と判断しました。 しかし、本人が写った具体的な写真をイメージ写真とは言い難く、この判断は甘く、誤りでした。委員の指摘のように、問題を小さく見ようという意識もあったと言わざるを得ません。 写真は、記者がカメラマンに撮影箇所などを指示して撮影させたものでした。取材チームの一員として、カメラマンにも記事の意図などをきちんと伝えていれば、「自作自演」を防げた可能性があります。さらに、掲載する写真をよく吟味していれば、使わずに済んだはずです。つまり、取材体制とチェック体制に隙がありました。 当該記者へのこれまでの指導と教育も、結果を見れば極めて不十分でした。 「新貧乏物語」を担当した記者たちは、現代の貧困を大事な問題だととらえ、事実をもって伝えるよう努めてきました。弱い立場の人たちに寄り添おうとしてきました。しかし、委員からは「どうせ生活に困っている人たちだから抗議などしてこないだろう、という傲慢(ごうまん)な思いで捏造(ねつぞう)したなら本当に残念」という意見があり、はっとしました。 心のどこかに、そのような傲慢さや独善を潜ませた取材であってはなりません。私たちは何のために報道するのか。新聞はだれのためにあるのか。編集局の全員で自問と自戒を重ねていきます。 同時に、萎縮することなく、世の中のさまざまな問題を事実の積み重ねで伝え、読者の期待と批判に応えていこうと思います。 最後に、今回の件で取材に応じていただいた方々と読者の皆さまにあらためて、おわびを申しあげます。 PR情報 |
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