ギタリスト・福田進一によると、きょうフランスのギタリスト、ローラン・ディアンスが亡くなったという。
61歳という若すぎる死だった。
同い年、でもエコル・ノルマル音楽院の先輩だったローラン・ディアンスが亡くなったとの報せ。信じられない。
— 福田 進一 (@fukushinsanchan) 2016年10月29日
昨夜、マルコ・タマヨから癌で危ない状況と聞いていたが、まさか今日とは!
冥福を祈ります。
きのう、たまたま癌保険の記事を書いたばっかりだったのもあって、ほんとうにびっくりした。
ローラン・ディアンスのことはクラシックギターになじみのないひとにはぜったいに知らないだろうけれど、20世紀後期の現代ギター音楽にかれほど大きな貢献を果たしたひとなんてそうはいない。
作曲家として、編曲者として、そして演奏者としてユニークな音楽をたくさんのこしてきたかれが、とくに若いギタリストに与えた影響は大きい。
ぼく個人としても、ギターを弾くことしかほとんどしなかった15歳から22歳までの青春にディアンスが占めていた割合はとてつもなく大きい。
今回はぼくの好みに偏るけれど、ローラン・ディアンスの音楽について振り返ってみたい。
目次
来歴
1955年10月19日にチュニジアで生まれたディアンスは9歳でギターをはじめる。
そしてフランスでも最高峰の音楽院「エコール・ノルマル」へ進み、ギターをスペインの巨匠アルベルト・ポンセに師事。そして広範囲にわたる音楽的才能を開花させるに至る。
数々の音楽賞をあらゆる国で受賞していて、「最も作品数が多い存命している世界のギター作曲家」とされていた。
作曲
作曲においては純粋なクラシックだけでなく、ポップミュージック、ジャズ、タンゴ、あらゆる音楽を横断的に取り入れる現代的な作風で多くのギタリストに愛された。曲の構成はときに複雑で難解さもあるけれども、それを単なる「難しい音楽」ではなく、むしろポップに仕上げているところが一番の特徴かもしれない。事実、かれの曲はギターをはじめて日が浅い若いひとに人気だったようにおもう。もちろん、ぼくもその一人だった。
タンゴ・アン・スカイ(1985年)
いまから15年ほど前にトヨタ・カローラのCMで採用され村治佳織が演奏したことで日本でも有名になった。日本だけでなく世界中でその認知度は高く、プロアマ問わず「なんか弾いて」といわれたらとりあえずこれを弾くギタリストは多い。当然ならがらタンゴのリズムを軸とした曲だけれども、即興的なパッセージがちりばめられ、むしろその印象が強く、(おそらく)意図的に「タンゴのような感触」が避けられている。
リブラ・ソナチネ(1986年)
Roland Dyens - Fuoco (Libra Sonatine)
ディアンスで一番有名な大曲。全3楽章で構成されているが、特によく演奏されているのが動画でも取り上げた「Fuoco」だ。直訳すると「炎」になるのだけれど、ディアンス自身が生死をさまよった際の「生命力」をモチーフとして作られている。「この曲をどれだけ速く弾けるか」という遊びも流行した。
リブラ・ソナチネ、すなわち「自由なソナチネ」は名の通り自由奔放な旋律の波のような曲で、特に最終章「Fuoco」はそのすべてに構成感を感じることが見出せない。パッセージのそれぞれの独立性が高く、行き当たりばったりにもおもえるけれども、それでも曲の終わりまで熱量を高めながら突き進んでいく。
カプリコーンの夢(1994年)
Michael Gratovich plays Songe Capricorne by Roland Dyens
ディアンスの音楽的な色彩感が強くあられた一曲。5弦をB♭にする特殊な調弦で演奏される。
ぼくはギターという楽器の一番の特徴は、音が消えていくことにあるとおもう。一度出した音はそこから減衰するしかなく、それはちょっとした夢に似ている。「カプリコーンの夢」はまさにギターという楽器でなければ意味をなさない音使いがなされているのだけれど、特にこの曲が優れているのは、その特徴に甘んじることなく、音楽が消え去ってしまうことに抗おうとする中盤の構成にあるとおもう。
サウダージ第3番(1980年)
Kaori Muraji : Roland Dyens -Saudade No 3
ディアンスのなかでも特に高い完成度を誇り、壮大といえるスケールを持つ大曲。
ギター弾きのあいだでは「意外と弾ける」と知られていて人気が高い。
おなじフランスの作曲家フランシス・クレンジャンスに捧げられた曲なのだけれども、曲の雰囲気は南米的な印象を受ける。どこまでも陽気なリズムに、野性的な旋律が乗るのではなく「絡む」。文化人類学者のレヴィ=ストロースは「サウダージを的確に言い表せる外国語など存在しない」といっていたような気がするけれど、たしかに単に「郷愁」と受け止めてしまうとどこか味気ない。底ぬけな明るさと、どこか空洞になってしまったような所在なさが混交する、味わい深い一品だ。
トリアエラ(2004年)
Thomas Viloteau: Roland Dyens Triaela, Mvts. 1-2
Thomas Viloteau: Roland Dyens Triaela, Mvt. 3
全3楽章からなる楽曲で、
第1楽章「ライトモチーフ〜ブラジルのタケミツ」
第2楽章「ブラックホルン〜スペインがジャズと出会うとき」
第3楽章「クラウン・ダウン〜サーカスのジスモンチ」
により構成される。
この曲からは音楽的な意味での「国籍」が消える。それが大きな特徴であり、ディアンスのなかでもひとつの到達点におもえる。ディアンスはかれの作風からおもうに、土地に根付いた音楽を愛したのだろう。しかし、ディアンスがひとりの音楽家として極めて優れていたのは、複数の土着的な音楽(=決して同一空間で出会うことのない音楽)をあらゆる音楽の土壌に植え付けるような表現を積極的に行ったことだ。この音楽性は日本の武満徹、ブラジルのヴィラ=ロボスと同様の方向性を持っているだろう。武満はノヴェンバーステップで、ヴィラ=ロボスはブラジル風バッハで、オーケストラ作品として越境的な音楽を作り出したのに対し、ディアンスはギター1本でそれをやって見せた。
編曲
ディアンスは20世紀のさまざまなコンテンポラリー音楽を自身の作曲に持ち込む一方で、その音楽性を編曲にも活かし、優れたアレンジャーとしても知られている。
フェリシダージ(アントニオ・カルロ・ジョビン)
映画「黒いオルフェ」のためにジョビンが作曲したボサノヴァ。ディアンスの編曲では旋律の哀愁を保ちながらも、スピード感と奔放さが与えられ、原曲とはまったく異なる印象となっている。ただただ単純なかっこよさに満ちていて、それが素晴らしく、作りの複雑さの割にずいぶんと聴きやすい。ギターをはじめたばかりの男の子がこぞって弾きたがる1曲。
チュニジアの夜(ディジー・ガレスピー、フランク・パパレリ)
Roland Dyens - A Night in Tunisia
モダン・ジャズのスタンダードナンバーとして非常に有名で、だからこそこの曲を「ギター1本で弾く」など、悪ふざけがすぎるし暴挙としかおもえない。
そしてディアンスはこの曲のアレンジを「曲の多くの部分でギターを弾かない」という手法でやってのけた。ジャズで演奏されるときは様々な楽器が入れ替わり立ち替わり主題を演奏する、まるで大規模な飲み会のような賑やかさで、奏者と聴衆が一体となって音楽を楽しむ「エンターテイメントの空間」がつくられる。
ギターの特殊奏法は見ていて華やかだ。ギター1本だとどうしても音色の豊かさという点ではバンドにはかなわない。しかし、たとえギター1本であっても、奏者と聴衆によって「共犯的に」エンターテイメントの空間を作り上げることはできる。ディアンスはこのアレンジでそれを証明して見せた。
ぼくにとっての唯一無二の音楽家
ディアンスの音楽について語りだせばキリがない。あまりにも個人的な思い出が多くありすぎるし、その大半はぼくのなかでしか意味をなさない。
それでも何かひとつ、ついてぼくがいうとすれば、自由で広大な音楽を思春期から青年期のぼくに教えてくれたのは紛れもなくディアンスの音楽だった。
ディアンスはいわば音楽というフィールドにおける高貴なジプシーのような存在で、土地に根付くことを愛しながらも移動をやめなかった。かれが旅を終えるには61年というのはあまりにも短く、残念でならない。ただ、ディアンスの音楽は世紀をいくつまたいでも、多くのギタリストに演奏され続けると確信している。
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