国政介入:「話し相手」「随行秘書」崔順実氏、朴大統領と40年以上前からのつきあい

 しかし、崔氏の役割は単なる「話し相手」や「女性随行員」程度ではなかったらしい。80年代になると、崔氏は朴大統領関連の組織・事業へ本格的に身を投じた。まず86年、朴大統領が理事長を務める育英財団の付設幼稚園を江南に開設した。朴大統領が三養食品から理事長職を譲り受けた「韓国文化財団」付設研究院の副院長も務め、出版・奨学事業などの実務を担当した。ソウル・新沙洞にある韓国文化財団は、2000年に朴大統領が一時ハンナラ党を離脱した際に「脱党宣言文」を作成するなど、裏仕事をやった場所といわれる。12年の大統領選挙の局面で解体されるまで朴大統領はここに出入りし、「新沙洞チーム」とも呼ばれており、その実務には崔氏が深く関与していたという。

 朴大統領の韓国政界入り前後に崔氏が密着随行していたことは、韓国政界でもごくわずかな人物しか記憶していない。ある人物は、本紙の取材に対し「1994年、当時まだ政界入りしていなかった朴大統領がテレビ局からインタビューを受けた際に、崔氏が付いてきた。インタビュー後、テレビ局の社長や局長など幹部との食事の席が設けられたが、崔氏が陪席して非常に驚いた。ただの随行秘書なら、そういう場に同席できるだろうか」と語った。また、別の政界関係者は「朴大統領が国会議員になった後、議員外交活動のため英国に渡る際、正式補佐官でもない崔氏が一緒にやって来た。崔氏は英語がかなりうまく、通訳もできて、朴大統領の代わりに大なり小なり重要なことを決めた。非常に自信にあふれ、有能に見えた」と語った。さらに、与党大物クラスのある人物は「朴大統領がハンナラ党の代表を務めていたころ、崔氏の家族と一緒に海外で休暇を過ごす場面を実際に見た」と語った。

 朴大統領が政治家として急速に成長する中、崔氏は表に姿を現さない方向を選んだとみられる。崔氏の元夫の鄭允会(チョン・ユンフェ)氏は、96年から朴大統領の秘書室長を務めたが、夫婦関係が疎遠になったのに伴い、鄭氏も自然と朴大統領のそばを離れることになったという。朴大統領が国会議員だったころに崔氏・鄭氏夫婦が推薦した李在万(イ・ジェマン)、アン・ボングン、チョン・ホソン補佐官らは、今も青瓦台で「権力の3人組」と呼ばれている。ミル財団・Kスポーツ財団において崔氏は、「会長様」と呼ばれながらも公式な職責は一切担当せず、側近の男性を表に出す形で人事や事業、資金運用などを総括していた疑惑が持たれている。

鄭始幸(チョン・シヘン)記者
前のページ 1 | 2 次のページ
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) The Chosun Ilbo & Chosunonline.com>
関連フォト
1 / 1

left

  • 国政介入:「話し相手」「随行秘書」崔順実氏、朴大統領と40年以上前からのつきあい

right

関連ニュース