韓国の朴槿恵(パク・クンヘ)大統領と、「陰の実力者」といわれる崔順実(チェ・スンシル)氏の縁の始まりは、40年以上前にまでさかのぼる。崔氏は20代初めのころから、4歳年上の朴大統領の「話し相手」にして「随行秘書」という役割を果たしてきた。その後、朴大統領の威を借りて自分の活動範囲や事業を拡張してきた。朴大統領と二人の妹との関係は疎遠という点を考慮すると、現在朴大統領の周囲で生きている人物のうち、最も関係が深い側近は崔氏になるとみられる。
朴大統領は、ファーストレディー時代に精神的メンターだった故・崔太敏(チェ・テミン)牧師の紹介で、1970年代半ばに崔牧師の娘の順実氏と会った。崔牧師は、自身がつくった「大韓救国宣教団」の名誉総裁に朴大統領を据え、その後「救国女性奉仕団」「セマウム奉仕団」と名前を変えつつ急速に組織を大きくした。崔牧師はセマウム奉仕団に、中学生・高校生・大学生はもちろん宗教界・財界などにも及ぶ各種の傘下機構をつくり、79年には当時壇国大学在学中だった娘の順実氏に「大学生総連合会」の会長を任せた。セマウム奉仕団は、国民の精神教育やボランティア活動も行ったが、水産物市場の運営権に食い込むなど各種の利権にも手を出した。その際、大企業の総帥・役員を呼んで巨額の運営基金を拠出させたという。当時、太平洋を手始めに現代・東亜・大農・双竜などの財閥が次々と「セマウム職場奉仕隊」に参加した。現在のミル財団・Kスポーツ財団の企業募金方式とも似ている。
朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領が死去した後、朴大統領は蟄居(ちっきょ)に入り、二人は急速に親しくなった。85年の再会後、崔氏が朴大統領を「お姉さん」と呼んだ-という目撃談もある。2006年に朴大統領が地方選挙の遊説で「カッターテロ」に遭った時も「崔氏が病室や三成洞の自宅に通い、必要なことを処理した」という話がある。崔氏が最近まで朴大統領の服やアクセサリー、女性用品などをそろえて大統領府(青瓦台)に送っていたのは、数十年にわたってやってきたことの延長線上にあるというわけだ。