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 最愛の家族を奪われた悲しみは、60年の歳月では癒えない。熊本県水俣市で水俣病の犠牲者慰霊式があった29日、経験を語った患者遺族は涙をこらえられなかった。公式確認60年を経ても水俣病の被害の全容はわからず、差別や偏見も残されている。患者・被害者団体からは、行政に対応を求める声が相次いだ。

 「私のような悲しみは、もう誰にもしてほしくありません」。29日の水俣病犠牲者慰霊式で、認定患者の大矢ミツコさん(90)=熊本県水俣市=は患者・遺族代表として祈りの言葉を述べた。60年前、夫を水俣病で奪われた辛苦を言葉を詰まらせながら語り、犠牲者を追悼した。

 水俣湾の埋め立て地を見下ろす高台に住む。その埋め立て地にある慰霊の碑の前で、三女の吉永理巳子さん(65)に付き添われ、用意した言葉を読み始めた。ひざの上には夫の写真がある。「祈りの言葉……」。冒頭からこみ上げるものを抑えきれず、目頭を押さえた。

 〈かまどで焼いたイワシのおいしさは、今も忘れません〉

 18歳で水俣市の隣の熊本県津奈木町から嫁いだ。夫二芳(つぎよし)さんの家は20人ほどの網子を抱えて漁を仕切る網元。豊かな海が生活を支えたが、1954年ごろ、二芳さんに異変が起きた。

 〈あなたが急に「口の周りが、もやもやすっと。手足がふるえて、力が入らん」と言い出して、私はびっくりしました〉

 チッソ労働者だった二芳さん。熊本大付属病院を受診しても原因はわからない。「死なんでよ――」。祈るほかなかった。55年夏に入院。栄養にと病院に魚を持っていった。

 〈いま思うと、わざわざ毒を食べさせていたのと同じだったです〉

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