零号機の起動実験でレイが負傷したとき、第十四使徒にレイが特攻をかけたとき、ゲンドウは我を失うほど動揺した。
レイ自身が「わたしが死んでもかわりはいるもの」と諦観していながら、ゲンドウはレイが死ぬことを恐れていた。
そしてゲンドウが恐れていた通り二人目のレイは失われ、三人目が登場したが、補完計画には支障をきたさなっかた(最後の最後でゲンドウの思惑どおりにならなかったが、それは別の話。計画の進行には問題なかった)。
ならばゲンドウが恐れていたのは、補完計画の障害ではなく、個人的な感情だったのだろうか。
一見ゲンドウとレイは親密で深い信頼関係で結ばれているように思われる。
ところが貞本コミック版では、レイはありのままの自分にゲンドウが接してくれているわけではないことに気が付いてしまう。ゲンドウの自分に対する愛情はほかの人物を投影したものにすぎなかった(本編TV版ではレイはそのことに気づかず、問題にもしない)。
ゲンドウが本当に求めていたのは自分の妻、碇ユイの面影をレイに見て取っていたのだ。
そもそもレイはゲンドウの補完計画のために生み出された。その意味では「道具」にすぎない。それなのにゲンドウにとってはそれ単なる道具にはとどまらなかった。リリスと消えた最愛の妻の遺伝子を持つ少女に「レイ」と命名したとき、ゲンドウはユイとのあいだに娘を得たような気持ちになったのだ。
「子は鎹」という諺どおり、レイを通じてゲンドウはユイと夫婦でいられると思った。こうしてゲンドウの「家族ごっこ」は始まった。
最愛の妻にはいまは会えないが、もうすぐ再会できる。娘はますます妻に似て美しくなっていく。扱いにくい「息子」とちがって、娘は従順で自分を尊敬して愛してくれている。ゲンドウはかりそめの幸せを得た気分だったのではないか。いやゲンドウにとってはそれはかりそめではなく本物だったのだ。本物だからこそ、レイが傷つくことを恐れた。もし百人レイが存在するならば、百人すべてがゲンドウには愛すべき存在であったにちがいない。かわりなんていないのである。冷徹な面持ちながら、碇ゲンドウ氏は意外と情愛豊かな人物だったのではあるまいか。
さてゲンドウとレイの肉体関係うんぬんが取り沙汰されるが、関係の有無はまったく問題外なのである。
父親と娘が相思相愛ならば、親密な肉体関係があっても不自然ではないから(まあ既存の道徳からはすこし外れるが)。
ほかの女性にはともかく、レイに対してはゲンドウが無理やり犯すなんてありえない話である。
それでも、あえて肉体関係があったかどうかについて考えてみれば、私は「肉体関係無い」派だ。
「きもちいいこと、碇指令」というレイの独白はセックスではなく心の交歓を指していると思うし、GAINAXの原案にあったというゲンドウのベッドに裸でいるレイのシーンも肉体関係を意味しない(レイは裸でいることに羞恥を感じない)。
ゲンドウにとってレイは掌中の珠だ。大事な大事な愛娘なのである。もしレイを犯せば「家族ごっこ」が崩壊するし、「家族ごっこ」の崩壊はユイとの絆が断ち切れてしまう。ここが他の女性に対しては鬼畜で外道な振る舞いをするゲンドウの純真な部分だ。つまり自分の愛する家族を守るためには、他人に対しては冷酷な人間にもなれるということだ。
碇ゲンドウと綾波レイの絆、それは擬似的ではあるが父と娘の絆であると思います。
(2002/5/5)