険しいUnix道

Unixは本当に難しい、とつくづく思います。
いままでに10年ばかりmacを使ってきて、大体やりたいと思うことは比較的何でも自由に快適にできるようになったけど、Unixでは何にもできない。
もちろんこれは私が有能だから、macで何でも出来るのではなくて、はっきり言って、macがすばらしいパソコンだからなの。
macは本当に簡単で、わかりやすくて、使いやすい。
それでも、あるレベルまでに達すると、探究心とか好奇心とかがかなり満たされてしまい、飽きてくるのかもしれない。
そんなときに、怪しげで魅力的な一冊の本が私の前に躍り出てきた。
「NetBSD/mac68k徹底入門」という神山文雄さんが書かれた本である。使い古されたmacでUnixを動かそうというのである。なんだかよくわからないが、名前だけは聞いたことのあるUnixという謎のOSが自分のmacで動くというのだから、これはやらずにはいられないですよ。
で、本に書いてあるとおりにやって、なんとか無事にインストールできてNetBSDと御対面と相成った。でも、そこから先がぜんぜん進まなかった。結局私はNetBSDでmacのようなグラフィカルな使い方をしたかったのだし、そうした環境は自分の手で一から作り上げねばならず、しかも簡単ではないのだ。
NetBSDと少し疎遠になると、今度は世の中ではLinuxというものが脚光を浴び始めてきた。LinuxもUnixだというではないか。しかもNetBSDよりはるかにグラフィカルな環境が用意されているではないか。
macしか使ったことのない私はLinuxのためにDOS/Vパソコンを自作した。入門書を買ってきて、インストール。おお、なんとLinuxではディストリビューション様のおかげで何の苦労もなくGUI環境が手にはいるのである。
しかしながら、この幸せも長くは続かない。何かしようとすると、やはりLinuxもUnixとしての本性を現わす。わけのわからない設定ファイルを書きなさい、コンパイルできません、モジュールがありません、などとまるで地図も持たずに巨大な迷宮を歩かされるようなはめに陥るのである。
Unixは本当に難解で、不便で、快適に使えるようになるには気の遠くなるような勉強と修練を要するOSなのであった。
にもかかわらず、私はUnixと没交渉でいられない。
macが家電製品のように便利になってしまったいま、パソコンで知的好奇心を満たすには、もはやNetBSDやLinuxしかないのである(そうとも限らないかもしれないが)。おそらく一生ど素人のままで終わるだろうが、それでいいと思う。
まるで悪女に惚れてしまうように、私も謎めいたOSに魅せられてしまったのだから。
(2001/10/13)

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