人を殺すことの大切さ


長崎の事件に関して、少し考えてみた。
被害者のこととか、遺族のこととか、少年法のこととかではなく、ヒトのココロについて。

「カルネアデスの舟板」というお話(?)がありまして、なんでも刑法の緊急避難の源なんだそうですが、
ここで言いたいのは、合法とか非合法とか、そういうことではありません。

人を殺すことは「悪い」ことである。
しかしながら、たとえ人を殺しても「自分が生きたい」と思わなければ、その人生は生きるに値しない。

わたしたちの大半は実際には人を殺しませんが、心の奥底で「他人」を殺しているからこそ、「自分」が生きられるのではないでしょうか?

わたしたちの大半は実際には人を殺しませんが、昆虫や小動物を殺したり、弱い仲間を虐めたりするのは、心の奥底で「他人」を殺し、「自分」が生きるためではないのでしょうか?

「生きたい」と思うココロに善も悪もないでしょう。だから、それはそれでいいのです。

生きることは殺すことである、といっても過言ではありません。もちろん心の奥底での話ですが。
わたしには、あの事件は少年の「生きたい」というメッセージのように感じられるのです。

(2003/8/11)


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