安倍晋三首相の発言録
安倍晋三首相の発言録
【憲法改正】,【慰安婦・歴史認識問題】,【教育論】,【畏敬の念】,【拉致問題】
【憲法改正】
国の理想、形を物語るのは憲法
《国の理想、形を物語るのは憲法であります。現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、また、六十年近くを経て現実にそぐわないものとなっています。私は、今こそ、私たち自身の手で、二十一世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要と考えています。
今後、与野党において議論が深められ、方向性がしっかりと出てくることを願っております。まずは、日本国憲法の改正手続に関する法律案の早期成立を期待します。》
(平成18年10月3日・衆院本会議)
憲法改正を政治スケジュールにのせていくためのリーダーシップを発揮したい
《現在、私は自由民主党の総裁であると同時に行政府の長でございます。自由民主党の総裁として、党首として、この憲法改正を政治スケジュールにのせていくためのリーダーシップを発揮してまいりたいと思っております。他方、これは解釈はいろいろあるわけでありますが、国会の三分の二の発議によって憲法は改正されるわけでございまして、まずは党同士が議論を深めていく、まさに議員同士が議論を深めていくべきであると考えているところから、行政府の長としては、さらにこの議論が広がり深まっていくことを見守っていくべきである、こう考えているところでございます。》
(平成18年10月18日・国家基本政策委合同審査会)
在任中に憲法の改正を成し遂げたい
《国民的な議論を是非私は巻き起こしていきたいと思っております。そういう中で、国民の声にも耳を傾けながら、最終的な成案を政党間で話し合いをしながら得なければならない。スケジュールについては、これは大変な大作業であります。歴史的な大作業でありますが、私の在任中に何とか憲法の改正を成し遂げたいと考えております。》
(平成18年12月19日・臨時国会終了を受けての質疑応答)
憲法改正手続法案の成立を期し、憲法改正についての国民的な議論を高めたい
《本年は、憲法が施行されてから60年になります。憲法は、国の理想、かたちを物語るものです。新しい時代にふさわしい憲法を、今こそ私たちの手で書き上げていくべきです。まずは、その前提となる、日本国憲法の改正手続に関する法律案について、本年の通常国会での成立を期します。そして、それを契機として、憲法改正について、国民的な議論が高まることを期待しております。》
(平成19年1月1日・年頭所感)
憲法改正を参議院選挙で訴えたい
《今年は、イノシシ年であります。美しい国に向かってたじろがずに、一直線に進んでまいる覚悟でございます。(中略)今年は憲法が施行されて60年であります。憲法を、是非私の内閣として改正を目指していきたいということは、当然参議院の選挙においても訴えてまいりたいと考えております。》
(平成19年1月4日・年頭記者会見)
【慰安婦・歴史認識問題】
「狭義の強制性」が「広義の強制性」の議論に変わっていった
《(河野官房長官談話は)韓国においていわゆる従軍慰安婦として心に傷を負った方々に対して、政府としての認識を示したものであるわけでありますが、そのときに、この問題に関しましていろいろな議論があったのは事実であります。
いわゆる狭義の上での強制性という問題がありました。それは狭義の強制性ではなくて、広義の意味での強制性について述べているという議論もあったわけでございますが、私が当時述べていたことについては、具体的に狭義の強制性が果たしてあったかどうかという確証については、いろいろな疑問点があるのではないかということを申し上げたわけでございます。
しかし、強制性という中にはいろいろな強制があるのではないか、直接の強制ではなくても、これは広義の意味でそういう状況に実は追い込まれていたのではないかという議論もあったのは確かであります。しかし、最初は狭義の強制性であったわけでありますが、それはその後、いわば広義の強制性ということに議論が変わっていったのも事実ではないかと思います。》
(平成18年10月5日・衆院予算委)
「狭義の強制性」を裏づける証拠はなかった
《当時、私が質問をいたしましたのは、中学生の教科書に、まず、いわゆる従軍慰安婦という記述を載せるべきかどうか。これは、例えば子供の発達状況をまず見なければならないのではないだろうか、そしてまた、この事実について、いわゆる強制性、狭義の意味での強制性があったかなかったかということは重要ではないかということの事実の確認について、議論があるのであれば、それは教科書に載せるということについては考えるべきではないかということを申し上げたわけであります。これは、今に至っても、この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか。
また、私が議論をいたしましたときには、吉田清治という人だったでしょうか、いわゆる慰安婦狩りをしたという人物がいて、この人がいろいろなところに話を書いていたのでありますが、この人は実は全く関係ない人物だったということが後日わかったということもあったわけでありまして、そういう点等を私は指摘したのでございます。》
(平成18年10月6日・衆院予算)
歴史はあくまでも歴史家に任せるべき
《私は、今まで何回か申し上げているわけでありますが、歴史の認識とか分析について、政治家が一々それを神のごとく判断するのは間違っていると思います。
歴史というものに対しては、これは一知半解な意見を言うべきではないし、政治家の吐いた言葉、行った議論というのは政治的な意味を持ってくるわけでありますし、外交的な問題を生ずる場合がある。当然、そのことを頭に入れながら発言しなければならないのであれば、これは歴史の分析にならないわけでありますし、歴史の分析をある意味曲げてくるという可能性もあるわけであります。
歴史はあくまでも歴史家に任せるべきではないか、政治家は謙虚であるのが当然だろう、私はこのように思います。》
(平成18年10月5日・衆院予算委)
歴史は連続性の中で緻密な議論をすべき
《例えば、盧溝橋事件の際に、日本の軍隊は盧溝橋にいたわけであります。そもそもそのときに中国に日本の軍隊がいるのが悪いではないか、恐らくそれは中国の方々はそう感じるだろう、このように思うわけでありますが、では、あのときなぜ日本の軍隊がいたかといえば、これは、いわゆる義和団事変、北清事変の結果、辛丑条約、北清事変議定書によって八カ国ともどもの軍隊があそこにいることが認められたわけでありますが、では、その条約そのものがどうであったかという分析もしなければならないわけでありまして、歴史は連続性の中でやはり緻密な議論をするべきではないか、このように思います。》
(平成18年10月5日・衆院予算委)
いわゆるA級戦犯は国内法的な意味での犯罪者ではない
《日本において、国内法的にいわゆる戦争犯罪人ではないということでございます。遺族援護法等の給付の対象になっているわけでありますし、いわゆるA級戦犯と言われた重光葵氏はその後勲一等を授与されているわけでありまして、犯罪人であればそうしたことは起こり得ない、こういうことではないかと思います。(中略)
そもそも日本においては、いわば国内法的に犯罪者ではないということははっきりしているわけであります。(中略)
いわゆるA級戦犯と言われる方々は、東京裁判において戦争犯罪人として裁かれたわけでありますが、国内としては、国内法的には戦争犯罪人ではないということは私が先ほど申し上げたとおりであります。私の認識もそうであります。》
(平成18年10月6日・衆院予算委)
平和条約第十一条はいわゆる戦犯の犯罪者扱いを約束したものではない
《サンフランシスコ平和条約十一条について言えば、いわゆるA級と言われた人たち、B級と言われた人たち、C級と言われた人たちを犯罪者扱いを私たちはしますということを約束したものでは全くないわけであります。このことについてははっきりと申し上げておきたい、こう思います。
先ほど申し上げましたように、あの十一条を受け入れたということは、つまり、あのときサンフランシスコ講和条約を我々が受け入れなければ独立できなかったということでございます。その中においてあの十一条を受け入れるということは、日本のみならずフィリピン等々で、海外で服役をしている人たちについても頭を悩ませながら、しかし、通常であれば国際法的に講和条約を結んで釈放されるべき人たちについても、ここは連合国の了解なしには釈放できないという条件を我々はあえてのんで独立を達成したわけであります。
その後、国会において累次釈放すべしとの決議がなされたものと承知をしておりますが、その結果、先ほど申し上げましたように、昭和三十一年にいわゆるA級、そして昭和三十三年にいわゆるB、C級と言われる方々が釈放された、こういうことではないか。つまり、この方々を我々は犯罪者とこの講和条約の結果呼ばなければいけないということではなくて、あの講話条約を受け入れたことによって、この裁判について我々が異議を申し立てる立場にはないということではないかと思います。》
(平成18年10月6日・衆院予算委)
いわゆるA級戦犯として処刑された七名の方々は命をもってある意味責任を果たしている
《あの大戦についての評価、だれがどれぐらい責任があるのかどうかということについては、それはまさに歴史家の仕事ではないか、政府がそれを判断する立場にはないと私は思います。
いわゆるA級戦犯と言われる方々の七名は処刑されているわけでありますが、先ほど名指しされました東条英機元首相も恐らく大きな責任を感じているからこそ従容として刑を受けたということではないかと思います。それぞれまさに命をもってある意味責任を果たしているという考え方もあるわけでありますが、このいわゆる歴史の問題については、政府が、またあるいは政治家がそれを判断するということについては、私はもう少し謙虚でなければならない、このように思います。》
(平成18年10月6日・衆院予算委)
いわゆる侵略戦争は国際的な定義として確立されていない
《当時も、私は、さきの大戦において多くのつめ跡をアジアの地域に残した、このように考えていたわけでございます。そして、日本人を塗炭の苦しみの中に落とした、こういう認識を持っていたわけでございます。しかし、その中で、いわゆる侵略戦争ということについては、これは国際的な定義として確立されていないという疑問を持っていたような気がするわけでございます。》
(平成18年10月6日・衆院予算委)
【教育論】
志ある国民を育てたい
《教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくることです。吉田松陰は、わずか3年ほどの間に、若い長州藩士に志を持たせる教育を行い、有為な人材を多数輩出しました。小さな松下村塾が「明治維新胎動の地」となったのです。家族、地域、国、そして命を大切にする、豊かな人間性と創造性を備えた規律ある人間の育成に向け、教育再生に直ちに取り組みます。》
(平成18年9月29日・衆院本会議での「所信表明演説」)
《志のある国民というのはもちろん、自分はこの世に生まれたからには人々のために役に立ちたい、あるいは地域や社会を今より明日、いい地域や社会にしていきたい、そのために役に立つ人間として自分はこの日本で生きていきたい、あるいは世界の中で活躍をしたい、そういう思いを抱く国民をつくっていくことが、養成をしていくことが私は大切であろうと、このように思うわけでございます。
そういう意味におきましても、この教育基本法におきまして、自律の精神、あるいは社会に参画をする、国際社会において平和と発展のために寄与する態度を養っていくということが書き込んであるわけでありまして、広く地域、社会だけではなくて国やあるいは世界のために役に立っていく、そういう大きな夢や希望や志を抱く、そういう心を、気持ちを涵養していく、そういう教育のためにも私はこの教育基本法の改正は必要ではないかと考えております。》
(平成18年11月22日・参院教基法に関する特別委)
教員は崇高な使命を負っている
《先生の、教職員の使命、これは政府の教育基本法の改正案の中にありますように、崇高な使命を負っているわけでございまして、これは単に大学の受験のためということではなくて、常に人格の完成ということを念頭に、今後、基本に立ち戻って教育に当たってもらわなければならない、このように思うわけでございます。
先般、私の通った小学校の同窓会が、四十年もたつんですが、ございました。なぜそうした同窓会が行われるかといえば、やはり先生をみんな慕っているわけでありまして、もう八十九歳になられる方でありますが、まさに、本当に人格でもって子供たちを教える、一緒に悩み、そして、徹底して自分は子供たちを信じるという信念の持ち主でありまして、私どももう卒業して四十年たつんですが、そのことをまたお話ししておられました。私は、そういう先生とめぐり会って本当によかったな、このように思うわけでありますが、そういうすばらしい先生方に子供たちを託したいとみんな思っているんだろうと思います。
そのためには、教員の資質の向上に向けた教員免許更新制度の導入あるいはまた現職の研修の充実、そして優秀教員を表彰していくことを実施していきたい。そしてまた、能力、実績に見合っためり張りをつけた教員給与体系の検討、これにはいろいろ議論があるかもしれませんが、やはり一生懸命頑張って範となる先生という方に対してはそれなりに対応していくということも大切ではないか。》
(平成18年11月15日・衆院教基法に関する特別委)
国旗国歌に対する敬意と尊重の気持ちを涵養することは極めて重要
《正に学校の場において、これは国際人を教育をしていくという意味においては、自国の国旗・国歌に対する態度について学ぶ機会を提供する私は必要があるんだろうと思います。
これは、自国の国旗・国歌に対する、これは尊重し、またこの国旗・国歌に対しての態度を養っていく、と同時に、他国の国旗・国歌に対してこれを尊重するという態度を養っていくことに私はつながっていくだろうと、このように思います。これは正に、むしろ日本人の中でも、海外で生活をされた方々にはそういう感慨というのが非常に私はむしろ強いのではないだろうかと、このように思うわけでございます。
そういう意味におきましては、学校のそうしたセレモニーを通じて自国の国旗・国歌に対する敬意、尊重の気持ちを育てる、涵養するということは極めて私は重要であろうと思うわけでありますし、また、例えば国歌の歌詞についても、そこで子供たちが自分たちの国歌の歌詞について学ぶ機会が失われることになってはならないと、このように思うわけでございまして、そういう意味におきましては、例えば教室、また学校の現場において、言わば政治的闘争の一環としてこの国旗の掲揚や国歌の斉唱が行われないとすれば、それはやはり私は問題ではないかと思います。》
(平成18年11月22日・参院教基法に関する特別委)
子供たちが自国の歴史に「静かな誇り」を持てる歴史教育を
《子供たちに対して教育を通じて我が国の歴史について学んでもらうことは、もちろんこれは極めて重要であると思います。日本の歴史、また世界の歴史について学び、そしてまた、当時の人々、また状況について思いをはせる、そういうことも重要だろうと思います。そして、それと同時に、歴史を謙虚に振り返りながら、また私たちの歩んできたこの歴史に静かな誇りを持てることも私は重要ではないかと、このように思います。むしろ、真の国際人をつくっていくためにも、自分の生まれ育った、また自分が生活をしているこの日本の歴史についてよく知識を備えているということは、当然私は必要だろうと思います。》
(平成18年10月12日・参院予算委)
「損得を超える価値」を教えよ
《戦後六十年の中での一つの風潮として、価値を計る基準として損得が大きなこれは比率を占めているということになってしまったのではないかと、つまり損か得かで自分の行動を計っていく。損なことはしない、得なことはする、うまくいけばいいけれども、うまくいかなかったときにはその間の努力の価値は認めない、あるいは人のために尽くしたり、公共の利益になるという観点から奉仕をしたり、自分のやりたいことも少し我慢しよう、そういう思いに対する言わば尊重とか敬意、そういう点について教育の現場で重点的に教えてこられたかどうかという私は反省はあると、このように思います。
そういう中から、今回の教育基本法の改正において、公共の精神あるいは道徳心、自律の精神ということを盛り込んでいるわけでありまして、損得を超える価値についても、やはり子供たちに教えていくことによってすばらしい人格を形成していくことに私はつながっていくのではないかと、このように思っています。》
(平成18年11月22日・参院教基法に関する特別委)
「公共の精神」があって「個人の尊厳」は守られることを教えるべき
《公共の精神をみんなが大切にすることによって、個人の尊厳も私は結果として守られていくことになるんだろうと、このように思うわけでありまして、自由気ままに、勝手に、欲望にのっとって自分のやりたいことをみんながやり始めたら社会は成り立たないわけでありますし、それぞれ個人も自らの尊厳を守りながら生活をしていくことも危うくなっていくんだろうと、このように思うわけであります。
ですから、この個人の尊厳、そして公共の精神、私と公、これは両方とも子供たちに教えていく必要があるんだろうと、この両方があって初めて社会は成り立っていく、個人の尊厳も守られていくということを教えていかなければならないと思います。》
(平成18年12月14日・参院教基法に関する特別委)
子供たちに「もったいない」という気持ちを教えるべき
《私が党の幹事長代理を務めておりましたときに、党としてこのもったいない運動を展開をしようということも徹底し、行ってきたところでございます。
やはり、このお金で何でも買えるという認識があると、もったいないという気持ちがこれはうせていくものでございまして、やはりこの自然の恵みを大切にしていくという気持ち、あるいはまた自分が使っているものを大切にしていこうという、そういう気持ちをはぐくんでいくことは、これは環境を保全をしていく、循環型社会をつくっていく上においても重要であると思います。そうした観点から、教育の場においてそういう気持ちをこれははぐくんでいくように、これは教育の現場で実行していくことが大切だろうと思います。
我々が子供のころは、例えば消しゴムにしろ筆箱にしろ、相当これは使えなくなるまで使ったわけでありまして、これを、もう早く新しいものが、子供ですから新しいものが欲しいんで、それを何となく新しいものを買ってくれと言っても、母親や父親がそれはもったいないだろうということをよく連発をして、子供のときには、それはあるときは反発を覚えるわけではありますが、なかなかこのもったいないという認識をだんだん気持ちの中に構成していくわけでございます。そういう意味におきましては、教育の場でこのもったいないという認識を植え付けていくことも大切ではないかと、私もそのように思います。》
(平成18年10月11日・参院予算委)
いじめは恥ずべきことであることを子供たちに教えるべき
《いじめている児童に対しては、やはりこれは毅然として指導していくという姿勢が私は大切だろうと思います。そして、いじめは恥ずかしいことであるということを、やはり学校の先生がクラスでホームルームを開いて、一度は少なくとも生徒に呼び掛けていくことも大切であろうと、このように思います。》
(平成18年11月22日・参院教基法に関する特別委)
いじめられている子供が転校を余儀なくされるというのはおかしい
《問題を起こす子供に対しては、指導、懲戒の基準を明確にして、毅然たる対応を取っていく必要があるということも指摘をしているわけでありまして、いじめられている子供が転校を余儀なくされるというのは、これはやはり私はおかしいんだろうと思います。いじめている子供たちに対しても、もちろん教育的に指導をしていくことが大切です。しかし、直ちにいじめをやめるべく厳しく指導していく、それもやはり私は大切ではないか。また、先生にとってもそういう厳しい指導をすることもできるということでなければ、なかなか問題の解決は私は難しいのではないかと思います。》
(平成18年11月30日・参院教基法に関する特別委)
子供たちに語った「友情論」
《みなさんはもうすぐ中学校に上がりますが、将来、未来は開かれています。それはみなさんが何をやっていくかにかかっています。未来はみなさんの希望や熱意、努力で変えていくことができます。夢にむかってがんばってもらいたい。
わたしは小学校時の友達と、40年たった今でもつき合っています。同じクラスで勉強したり、ときには喧嘩をしたり、一緒に遊んだり、一緒に泣いたり。みなさんもそういう友達を大切にしてもらいたい。友情をつくっていくことも大切なことです。もし友達がいなくてひとりぼっちの子がいたら、ぜひ声をかけてあげてください。私が子どものときにそういうことができなかったことを、今でも後悔しています。》
(平成18年12月7日・東京都新宿区の小学校を訪問した際)
※約三十分間、子供たちと歓談した後のお別れの挨拶の一部。
《来年4月になると、みなさんは卒業して離れ離れになると思いますが、小学校6年間ずっと一緒だったとも聞きました。私も本当に、先ほど言いましたが、小学校時代の友達とは今でもまだ付き合っていますし、そのころの失敗を、みんなで楽しくしゃべって、お互いそれぞれ良さをみんなで認め合って。違いもあるけども、尊重し合うのが大切なんじゃないかなと思います。
人間うまくいっているときもあるし、なかなかうまくいかないときもある。そういうときにお互いに励ましあったり、助け合ったりするのが大切だと思います。みんなで仲良く、この友情を持ち続けるのが、人生でも大切なことになるだろうと思います。
あと卒業まで4か月だと思いますが、やはり最後まで仲良く楽しく勉強したり、遊んだりしてください。そして皆さんの将来の夢、獣医になりたいという人、科学者、スポーツの選手、政治家もいましたが、将来を目指して情熱を持ってがんばってください。どうもありがとうございます。》
(平成18年12月7日・東京都新宿区の小学校を訪問した際)
【畏敬の念】
米国大統領の就任式、皇居における親任式の意義
《私も、今から十数年前、大統領の就任式に列席をしたことがあるわけでございますが、大統領は聖書に手を置き、宣誓をいたします。大統領として職務に忠実に、そしてまたあらん限りの努力で尽力をしていくことを誓うわけでございます。
これはアメリカの国の成り立ちにも私は深くかかわっていることではないかと、このように思うわけでありますが、宣誓する言葉の中身におきましては、これは憲法によって規定されている中身であります。しかし、最後のソー・ヘルプ・ミー・ゴッドのところは、これはジョージ・ワシントン大統領が最初の宣誓でおっしゃった言葉で、それを慣用的にその後の大統領もおっしゃっているということではないだろうかと、このように思うわけでありますが、あの就任式において人知を超えるものに対する畏敬の念を表しながら、謙虚な姿勢と同時に国民の前で誓いをする、この厳粛な行為の中において責任感を持ち、自らの職責の重大さを再認識をするということではないだろうかと、このように思うわけであります。
私も九月の二十六日に国会において首班として指名をいただきました。国会において指名されることのこれは職責の大きさ、責任の大きさを感じるとともに、その後、宮中において、皇居においての親任式がございました。その親任式におきましては、やはり日本の長い歴史と伝統の中での総理への就任の意義、意味において、この責任の重さを改めて認識をいたしました。
そして、その後の記者会見において、私の考え方を最初の記者会見で述べるに際しましては、これはもうカメラの向こうに国民がいる、その国民の前で総理としての職責を全うする、このことを宣言をしたわけでございます。国民に対しての責任を改めて実感をいたしたような次第でございます。》
(平成18年11月22日・参院教基法に関する特別委)
「畏敬の念」を育む上での宗教の重要な役割
《先ほど文化の議論のときに申し上げましたように、法律以前に人間として守るべき規範があり、それをどこで学ぶか。それはやはり家庭であり地域であり、あるいはまた宗教的な情操教育、それは学校で行われるということではなくて、いろいろな場面でそういう体験をしていくということではないんだろうかと思います。
人間の人知を超えた神秘なるものに対する畏敬の念という、そういう謙虚な人間を育てていく上においては、そうした精神文化をつくっていく意味においても、宗教というのは極めて重要な役割を私は担うのではないんだろうかと思います。かつては、こういう行為をしたら恥ずかしい、あるいは伊吹先生に言わせれば、おてんとうさまが見ているのではないかと、こういう認識をやはり持つ。そのためにも精神文化を、そうした精神文化を養っていく上においての宗教という役割は私は重要であると、このように認識をいたしております。》
(平成18年11月22日・参院教基法に関する特別委)
【拉致問題】
《北朝鮮による拉致は未曾有の国家的犯罪であります。私は内閣総理大臣として、国民の生命、身体、財産を守るという大きな責務があるわけであります。そしてその責務はもっとも重要な責務であります。そうである以上、この拉致問題において決して譲ることはできません。そしてかならず解決をしなければならない問題であると考えています(拍手)。
拉致問題の解決なくして国交正常化なしとの原則は、私が総理大臣である限り、必ずこの原則を守っていくということはお約束を申し上げたいと思っております(大きな拍手)。
(中略)すべての拉致被害者の帰国があってはじめて拉致問題は解決されたといえるわけであります(拍手)。……私の内閣におきまして最重要課題として、全力をもって、この問題に取り組んでまいりますことをお誓いを申し上げる次第でございます。》
(平成18年12月14日・政府主催の拉致集会での挨拶の一部)