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【コラム】

筆洗

 <ヒロシマはどこにあるのか/ヒロシマはヒロシマにあるのか…>。そう問い掛ける詩がある。『原爆詩一八一人集』に収められた風山瑕生(かざやまかせい)さんの「ヒロシマはわがもの」だ▼詩人はうたう。<すべての国々は ヒロシマを持つべきだ/…ヒロシマに水はながれ/ヒロシマに木はしげり/人々は屋根をかかげて/生きる日々にちからをそそぐ/うるわしいヒロシマはきみのもの/だが ヒロシマの始源の日をおもえ/夏の朝の惨劇もきみのもの…>▼国連で来春から、「核兵器禁止条約」をつくるための交渉が始まることになった。「ヒロシマを持つ」。そう決意した百二十三もの国々が、交渉開始の決議案に賛成したのだ▼しかし、その百二十三の国の中に、日本は入っていない。反対したのだ。「(交渉の)足を引っ張らないでほしい。もしそういうことをするなら、被爆国と言ってほしくない」。自ら被爆し、広島市の原爆資料館の館長を務めた原田浩さん(77)が口にしたという言葉が何とも、やりきれない▼ヒロシマがあり、ナガサキがある。そして、フクシマがある。原爆と原発。核の恐怖をこれほど知り尽くした国はないのに、この国の政府は核兵器禁止に尻込みし、脱原発にも後ろ向き。核の呪縛を解こうとしない▼世界の人々が問い掛けていることだろう。ヒロシマはどこにあるのか、ヒロシマはニホンにあるのか。

 

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