第2回 戦後まで引き継がれた汚名
叔父の細野日出男(元中央大学教授、故人)が、1942年に祖父の遺品を整理していて手記を見つけたんです。タイタニックが沈んだ4月14日の夜から、救助されてニューヨークに送り届けられる18日までのことが、タイタニックの船室にあった便箋に書き綴られていました。
その内容を読むと、祖父は決して卑劣な行動はとっていない。婦女子優先を守って、船と一緒に沈む覚悟でいたんです。
しかし、救命ボートに空きがあるというのを聞いて、ボートに向かって飛び降りた。警備の船員が持つ拳銃に打たれてもやむを得ないという決死の判断でした。
叔父は、手記でそのことを知って、汚名返上のためにさまざまな取り組みをしたようです。しかし、なかなか汚名をそそぐことができなかったらしい。戦時中のことでしたから。
それは戦後も続きますが、祖父を中傷していたのは、ある特定のジャーナリストだったようです。僕の両親も、とてもいやな思いをしていて、叔父はその人の書いたものに対して反論していたそうです。1950年代ごろのことです。
――それが大きく転換するのは、タイタニックが沈んで80年以上経ってからですね。
ええ、実はそのきっかけをつくったのがジェームズ・キャメロン監督の映画『タイタニック』(1997年)だったんです。
――レオナルド・ディカプリオ主演で、アカデミー作品賞をとったあの映画ですか。
そう。映画公開に合わせた話題づくりでもあったらしいんですが、タイタニック財団(RMSタイタニック社)が調査に来たんです。それまで外に出したことのない祖父の手記を貸したのですが、その調査によって、それまでわかっていなかったことが、いろいろと明るみに出ました。
――どんな事実が判明したのでしょう。
つづく
細野晴臣(ほその はるおみ)
1947年東京生まれ。音楽家。69年エイプリル・フールでプロデビュー後、はっぴいえんど、ティン・パン・アレー、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)等を経て現在に至る。2011年4月、久々のソロアルバム「HoSoNoVa」をリリース。
自身の公式サイト:http://hosonoharuomi.com/
レーベルの公式サイト:http://daisyworld.co.jp/
高橋盛男(たかはし もりお)
1957年、新潟県生まれ。フリーランスライター。自動車専門誌の編集を手がけたのちフリーライターに。JR東日本新幹線車内誌「トランヴェール」、プレジデント社「プレジデント」「プレジデントファミリー」などに執筆。