さようなら、憂鬱な木曜日

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さようなら、憂鬱な木曜日

サラリーマンの投資ログなど

何かもっともらしい理由をつけて職場の飲み会開くのやめてほしい

生活 生活-飲み会の理由

私が今いる部署に、飲み会好きのおじさんがいる。その人は、部署内にて、何かしらの理由をつけて、事あるごとに飲み会を開こうとする。

 

「○○君が配属になったから、歓迎会をやろう」

「▲さんが定年で退職するから、送別会をやろう」

私の心の声:(うーん、あまり行きたくないけど、仕方ないかな。)

 

「桜がきれいだから、お花見をやろう」

「部門で忘年会をやろう」

「部門で新年会をやろう」

私の心の声:(チッ、もっともらしい理由をつけやがって…)

このへんまでは、まだわかる。常識的な範疇だと思う。

 

「△△さんの引っ越し祝いをやろう」

「●●君が彼女に振られたから、慰安会をやろう」

「プロジェクトが終わったから打ち上げをやろう」

私の心の声:(…あんたそれ飲み会したいだけだろ!!)

 

私は、このような、「何かにかこつけてやたらと飲み会を開きたがる人」に何度か遭遇したことがある。

別に、「飲み会を開くな」とは言わない。好きなものを否定するつもりはない。好きに飲んでしゃべって、団欒してほしい。

しかしながら、「お祝い」とか「慰安」という名目で間接的な強制力を持って飲み会に誘われるのは、はっきり言って迷惑だ。

 

私は、ほとんどの場合においてこういった飲み会は断っているが、断る方も気を遣うのだ。なぜなら、「○○君のお祝い」という名目の飲み会を断ると、○○君に対して悪い気がする。

別に私は○○君の何かしらの出来事に対して、祝う気持ちはある。よかったね、おめでとう、と思う。しかし、その気持ちと飲み会の出欠に因果関係はない

その飲み会に欠席したから、祝う気持ちがないと思われるのは癪だ。

 

だから、そういう飲み会が好きな人たちは、「純粋な飲み会」を開けばいい。そして、好きな人たち同士で、好きなだけやればいい。「今日飲み会行きたい人ー」と言って、手を挙げた人たちだけで行けばいいじゃないか。

なぜ我々を巻き込む? なぜ、○○君、△△さんをダシにして、飲み会を開こうとする?

 

飲み会というのは、時間と金銭を消費するものだ。行きたくもない飲み会に行くほどの甲斐性は、私にはない。

よく、飲み会のメリットについて、「職場の人間関係を円滑にするため」だとか、「職務中に離せないことも話せる」などともっともらしい理由で語られるが、私から言わせれば、「○○君のなんとか祝い」に出席しなかったことで、○○君との人間関係がギクシャクする可能性があるし、職務中に話を聞き出せないのは、そういう状況を勤務時間中に作り出せていない上司が悪い。

すべて、飲み会が好きな人のこじつけだ。後付けの理由に思える。

 

私は、仕事とプライベートは出来る限り切り離したい。プライベートに職場の人間関係を持ち込みたくないし、職場にプライベートも極力持ち込まないようにしている。

プライベートな時間を、職場の人たちと過ごすのは、正直できるだけ避けたいし、積極的にそういう時間を作ろうとする人のことは理解できない。

別に好きとか嫌いとか、そういう問題ではない。「切り離したい」だけだ。職場の人間関係は、勤務時間中だけ。勤務時間が終わったら、「お疲れ様です」で終わり。それでいいじゃないか。

飲み会が好きな人たちは、「仕事」に付随すること以外で、プライベートを充実させてほしい。巻き込まないでほしい。

よろしくお願いします。