台湾人の父と日本人の母との間に生まれる。
青山学院大学法学部卒。
88年、第14代クラリオンガールに選ばれ芸能界デビュー。
主に司会やレポーターの分野で活躍し、93年には「ステーションEYE」
(テレビ朝日)で報道キャスターに転身。95~97年北京大学に留学。
帰国後、男女の双子を出産。2004年7月11日の参議院選挙で当選。
取材日:2006年5月
書籍『13歳のハローワーク』には、出版以来多くの読者カードが寄せられていますが、その半数以上が子どもを持つ母親からの感想です。当サイトでも、将来を考える子どもたちのサポート役である母親の視点も常に大切にしていきたいと考えています。今回は、双子のお母さんでもある参議院議員蓮舫さんに、政治家の立場はもちろん、母親の視点も交えながら、政治、教育、子育てについて、たっぷりお話しいただきました。【代田(編集長)】
5年のスパンで将来像をイメージすると、足りないものが見えてくるんです。
非常に変化に富んでいる蓮舫さんのご経歴ですが、その中でご自身が大切にしていらっしゃることがあればお聞きしたいなと思います。
まずモデルからスタートしてジャーナリストになり、今度は政治家になる中で、蓮舫さんが一貫して大切にしてきたモットーはお持ちですか。
自分の中での連続性はありますが、ほかの方が見たら、モデルをしたり、タレント、司会、ニュースキャスターやジャーナリスト、そして政治家。多分整合性がとれないと思うんです。ただ、与えられた仕事は後悔しないように常に努力をしてきています。その場所から後戻りしないように必ず努力し、勉強してきました。それぐらいですね。
中学生の頃、父に教えられた考え方ですが、5年後の自分についてのイメージングをずっとしてきていました。例えば13歳のときの5年後、つまり大学1年生のときに自分は何をできるようにしているか。18歳のときの5年後の23歳ではどうか。28歳のときは33歳について。5年のスパンで自分の将来像をイメージしていると、足りないものが見えてきます。その足りないものを補う日々でした。その中で仕事をさせていただいて、たまたまいろいろな職業がリンクしてきた感じです。
出会った人から聞いた一言って、忘れないんですよね。
だから、私はそれをすごく大切にしています。
出会った人から学べることを必ず選び出していました。皆さんもそうだと思うんですが、小学校、中学校、高校、大学と、どんどん友達が増えていくんだけれども、逆に親友と呼べる人って、どんどん減ってくるんですよね。それは実にもったいない。出会いの場所が多ければ、どんどん親友って増えていくんですよ。それには自分の殻をつくらないことです。「嫌だな」と思うことでも、中には「そのとおりだな」と思えることが必ずあるんです。「彼女がああ言っていたな、その本読んでみよう」「あの子がこう言っていたな、じゃあ、その音楽を聴いてみよう、映画を観てみよう」。つまらなかったと思えることもあるんだけれども、「これ、新しい世界だな」と思えるものは必ず見つかる。すると、その新しい世界をくれた人に今度会ったときに「観たよ」「読んだよ」「聴いたよ」と言うと、友達がまた増えていくんですね。世界は無尽蔵に広がっていくんですよ。
自分が育つには人との関わりでしかない。人と出会う刺激って一番心に残ります。本や映画や音楽は「思い出すことはあるかもしれない」程度だけれども、出会った人から聞いた一言って、忘れないんですよね。だから、私はそれをすごく大切にしています。
特に仕事を始めてから、年上の方たちと接する機会が多くありました。40歳、50歳離れた方から聞かされる言葉ってとても大切なことが多くて、「うっるさいな、おじさん」と思う説教があっても、その中に一つ絶対正しいことがありました。それは素直に聞くようにしてきています。そうすると無理しないでも広がるんですよ。だから「自分は何がしたいかわからない」というときがなかった。「ああ、忙しい」と、やることがいっぱい。捨てるのはもったいないので全部やって、その中から好きなものを残していく。そこからまた広げていっては残す。だから、すごく楽しい日々を送ってきていました。