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柳原滋雄と信濃町界隈の切っても切れない腐れ縁、法匪関係者の妨害と瓜二つの事実!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月28日(金)20時18分40秒
編集済
  ダメ様
お疲れ様です。少し、補足と修正を。

一般的に、民事裁判は判決のみで判決理由が読まれません。判決は決定した主旨だけが読み上げられ、その理由に関してまでは口頭で説明されていない。そのかわり判決文は後日、弁護士に渡されます。

だから、最初は結果だけを書いて、後から加筆していたのでしょう。


なぜ彼が判決文を即日読める立場にいるのか?
ここが大いなる疑問点です。
当事者や弁護士ならわからなくもないのだが?


この経過から、柳原氏が信濃町の手先だということを自白?自爆?したも同然(笑)との指摘は90%以上の確率で当たっているでしょう。


さて、念の為、東京地裁に聞いてみました、
一般的に、判決文は当日、翌日に直ぐには見ることが出来ないが、その時の状況次第で即日に見れる場合もあるとのこと。
係の書記官に申請を出せば対応してくれるようです。

この事件がいつから閲覧出たかはわからないですが、今から閲覧したいのならば事件番号を教えてくれれば、準備するとのことでした。

当日、翌日は事務的な作業があり、書記官などが判決文を使用していることもあり、事前に申請して時間などの連絡を入れてくれれば、準備は可能なんだとか。

ですから、柳原氏が手続きをして閲覧した可能性は否定出来ないと言えます


もっとも、突然、宿坊板と波田地氏を関連づけて躍起となる無様な姿は、2014年の10月に宿坊板に登場した信濃町ネットリスク対策室のメンバーの主張と瓜二つなのです、

すなわち、信濃町ネットリスク対策室の面々は、当時、教学部レポートや丹治の不正、秋谷会長の裏切りと池田先生が罵倒した事実などを明らかにされたくない為、執拗かつ陰湿な妨害を行なっていた。
彼らが、法匪の手先として、弓谷氏の配下の学会本部職員、外郭の職員であったのは間違いない。
これには、聖教や本部の職員からも、恥ずかしい、みっともない、同じ職場、机を並べて働いていた人だったとは思いたくない醜態。など、多数の証言を得ているのです。

その後、弓谷氏は批難の声を気にして、妨害手法を変えてきました。

皆さんが指摘している通り、今回も法匪主導の妨害であることは間違いない。


また、最近、ある職員が話していた内容が漏れ伝わりました。その内容によれば、選挙も近いので、学会本部、公明党に意見する大きな勢力を何らかの形で潰していこうと蠢いているのだとか。

所詮、柳原などは自分より力の強いものに、媚びへつらう憐れな人なのです。

矢野裁判のレポートを書いていたが、突然の和解以降、その経緯を何も書かずに終えている。
あれだけ矢野をくさしていたのに変な終わり方をして。ジャーナリストを自称するなら、その不透明な和解の裏に何があったのかを厳しく追及するべきです。

先生の意向で始まった矢野追撃。仏敵と和解?
意味がわからないから、そこが大事なのに完全スルーの柳原氏。
この一点を持っても、彼は信用ならない人間なのです。

>>妙法のジャーナリストの柳原さん。
そもそも判決主文は昨日現場では読まれていないよね?<<

>>裁判を傍聴出来たとしても裁判長が読んでいない判決文を聴く事も録音する事も出来ないはず?<<

>>では何故早々に昨日更新していたコラム日記に今朝、内容・詳細を加筆出来たのか?<<

>>文書が手に入るのは原告、被告の弁護人もしくは関係者。関わりの無い第三者が即日入手出来る訳はありません。
ズバリ!被告側である信濃町界隈関係者から入手したという事でしょう。<<

>>信濃町界隈の御用書きという事を御自分で証明されたのも同然なのでは?<<

http://6027.teacup.com/situation/bbs/58890
 

閲覧の皆様 おかしく思いませんか?

 投稿者:通行人  投稿日:2016年10月28日(金)20時00分35秒
  ドミサイル信濃町入居者さんに対する組織内での対応。
「安保に反対をしたら、B長を馘になりました。組織では、除名秒読みと云われています。」

地元の幹部は、職場か何処かと勘違いしているのか?
もともと持っている野放図な人間性を会内で丸出しに発揮して立ち振る舞う傲岸な幹部。
自分は違う!そう思っても、それを評価するのは縁している会員ですからね。

会員のなかにも様々な人がいることも知っている。すべてが正しくない。
それでも、池田先生はどのようにおっしゃられていたか?「当如敬仏」。

自分は嫌われていると思えば、顰蹙した顔を露骨にする幹部。狭い境涯。
言うことを聞かないと、懲らしめるような言動をする幹部。高慢な境涯。
どこに、ひたむきな人間革命の姿勢があるのか?

けれども、会員の方が境涯が高いので、そんな人だとわかっていても、つまらない話でも会合で拍手をしてあげ、
威張られる必要もないけど立ててあげているのです。会員はそんなの見下ろして、超克しているのですよ。
でも、そうした姿に疑問を持った大半の人は、静かに現場から距離を置き始めていくのです。

ここのところを先生は「勘違いするな」と、何度も何度も何度も何度も何度も言い含められてきたのに、まだおかしな幹部が出るわけですね。その人自身の自律心があまりにも貧弱で、本当に先生のご指導を学んでいないからです。

それと、おとなしい会員(私も一会員ですから…)と上位役職の顔色を伺いすぎる腰巾着現場幹部が、出来損ない(人格を信心で本気に練り上げようと努力しない)の官僚幹部を生み出していることに気づいている?はずだから、言うべきは言う方がいい。

でも、言うと…たいがいの場合排撃するんですよね。境涯狭い、指導力ない、人の話しに耳傾け学ばない幹部は。
なぜかって?「俺のほうがお前らよりエライんだって!」と心根で思ってるから。全部ココ。

私の尊敬申し上げる人は、当然そうではありません。
 

空き家氏の思い出

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月28日(金)19時57分27秒
  「わが創価学会青年部は、恩師戸田城聖先生に仕える池田先生ただおひとりの力によって築かれてきた。

青年部の歴史と伝統は、そのまま会長池田先生の戦いの歴史であり、大精神の発露にほかならない。

されば、この講演集第三巻こそ、億劫の辛労を尽くして師匠に仕え、身命を賭して戦う真の弟子の道を教えられた実践の書であり、

われら青年部に永遠不滅の指針を示された指導書である。池田門下生たる自覚に立つものは、本書を繰り返し読み、学会精神を会得し、

その歴史と伝統を見に体して、たとえ万分の一なりとも、わが身に実践して弟子の道を歩むべきである。」

                                       昭和三十六年十一月五日
                                              青年部長  秋谷城栄
(会長講演集第三巻 あとがきより引用)


さて、今でもこの決意でいらっしゃいますか? 秋谷サン、それとも「こんな昔のことは覚えていないよ」と

どこかの前知事のごとくしらばっくれますか? はたしてどちらでしょうか(笑)
 

おれにできるだろうか

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月28日(金)18時38分58秒
  「池田大作という人 その素顔と
愛と生き方」 五島勉著

第6章 ふきあがる炎

「おれにできるだろうか」

戸田さんのこの言葉を聞いた途端、池田青年は
(ああ、先生はとうとう・・・・それを言って
しまった!)
そう思って体が震えたという。

彼は、自分がいつか、戸田さんの後をつながな
ければならないだろう、ということは感じていた。
どん底の中で、戸田さんと二人きりで戦い、
戸田さんのすべてを吸収したのだから、
自分以外にうけ継ぐ者はいない、とも思っていた。

ても、師の口から、はっきり、第3代会長と
いう言葉でそれを云い出されてみると、
それまでの自信はいっぺんに吹っ飛んだ。
そして、何もかもなげ捨てて逃げ出したい
ような重責感が全身をいき苦しく締めつける
のを覚えた。

無理もなかった。これは政党や大会社の後継者の
使命とはまるで違うのだ。出来上がった組織を
受け継ぐのではなく、生まれたばかりの組織を
これから発展させて、世界中に仏法を広めて
いかなければならないのだ。

その長い道の途中には、どんな障害や弾圧、危険
や攻撃が待ち構えているかわかったもんじゃない。
しかし、何度も言うように、会の会長という地位は、
教祖でも権力のトップでもない。「日蓮正宗」その
ものを受け継ぐ代々の上人、僧侶たちは、富士の
大石寺にちゃんといる。それを外から守っていく
信徒・民衆の団体が学会だ。だから、その会長には、

宗門への権限は何もなく、それを守り抜く責任が
あるだけなのだ。
(おれはそれに耐えられるだろうか、会長になって
学会活動の先頭に立つなんて、このおれに
できるだろうか?おれは早いところうまく辞退して、
もっと年上の経歴の古い先輩を推薦した
方がよくはないだろうか?)

彼は周りを見回した。しかし、その時、彼は周りの
同志たちがみんな、すがるような眼でかれをみつめ
ているのに気づいた。戸田さんが「次の会長」と
いったときから、みんなは、期せずして池田青年
一人を見つめ続けていたのだ。

「私なんか、彼よりも信心の経歴は長かったが、
指導力、情熱、人を引き付ける魅力、どれをとっても
彼には及ばなかった。大変なのはわかっていたが、
戸田先生のあとは彼にやってもらうより仕方ないと
思った。水が流れるべきところに流れるように、
ごく自然にそう思いました」

出席していた先輩の一人は、その時の気持ちをこう
言っている。これがほかの団体や会社だったら、
社長の息子とか、一番古株の幹部とかが後継者に
選ばれたろう。でなければ、策謀や金力や票数の
力を持った人が、味方同士、必死に戦って後継者に
選ばれたろう。

ぼんくらな 2代目、3代目ができたり、お家騒動の
種がまかれたりするのはそのためだ。創価学会は、
そういうよどんだ慣習を、ここできっぱり断ち切った。
年齢・学歴・毛並みと関係なく、最もリーダーに
ふさわしい人物を選ぶルールも、ここで確立した。

しかもそれは、できるだけ早めにその人を選び、
十分な準備期間を与え、その間にその人の一層の
成長を待つ、という新しい生き方だった。

戸田さん独特の、完ぺきな後継者育成法。
先輩たちの期待のまなざしを受け止めているうち、
池田青年のこころには、この師の気持ちがふかく
沁みとおった。同時に、「次の会長」という、
言葉は、決してえこひいきや思いつきじゃなく、
途方もない努力と成長を求める、厳しいムチ
だったことも分かった。

(とすると、避けるのは卑怯だ。おれはやって
みるほかない。これから、リーダーにふさわしい
人間になれるように、全力で励んで・・・辞退する
ならそのあとでもいい。ためらうよりまずぶつ
かってみることだ。たとええらい会長になれなく
とも、皆のためのゾーキンみたいな働きはできる
だろう)彼はようやくこう決心した。

血を吐きながら、コッペパンと水だけで戦った
つらい経験があるだけに、どんな苦しみでも
耐えられる確信はあった。それだけの力に、
池田青年は戸田さんの期待にこたえる道を
ともかくよじ登ってみようと思った。

だけど、ほんというと、「それだけを力に」
っていい方はあまり正確じゃない。
もう一つ、彼の決意を支えてくれるものがある。
それは当時、彼が知りあってまもない、19歳の
可憐な女性との激しい恋愛だった。
 

世も末、創価学会は大丈夫??

 投稿者:オンブスマン  投稿日:2016年10月28日(金)18時37分46秒
  真言宗別格本山で申告漏れ=興正寺、3年で6.6億円

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016073000177&g=soc
 

無冠様

 投稿者:警鐘  投稿日:2016年10月28日(金)14時22分49秒
編集済
  未収録の大白の御指導ありがとうございます
まさに遺言の如き御指導です
ありがとうございます

寝たきりおじさん様
いつもありがとうございます
名は体を表す
もはや「寝たきり」ではありません

真の弟子が立ち上がり、「覚醒」の鐘を鳴らし、居眠り、寝ぼけ眼の弟子を起こして下さっています

熱原の法難はいつか?
今である!と気がつきました

法が滅せんとする今
師匠の精神が滅せんとされる今
この時に立ち上がっている人
その人こそ、現代の日興上人であり、南条時光であり、三烈士です

それぞれ、自分の使命の場で見事に使命を果たして行きたいものです

「覚醒」の投稿、いつもありがとうございます
 

無冠様

 投稿者:さあ!変わろ!!メール  投稿日:2016年10月28日(金)12時41分13秒
編集済
  〉師匠の心が伝わる「全文」を投稿しようかと思いま
〉す。
〉写真や大見出し等も添えて荘厳し、「師匠の心」をし
〉っかり宣揚しようと考えております。

の件、自分としては本当にありがたいです。

ただ自分が想像している以上に労力を要する作業と感じて

おります。どうぞ無理をなされませんように。

起きたおじさん様(笑)、みなみなさまいつも本当にありが

とうございます。

この掲示板が自分にとって最高の励みになっております!

感謝、感謝、合掌!
 

ダメよ~ダメダメさん

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月28日(金)11時45分54秒
  いやぁ~鋭い指摘! 恐れ入ります、その通~り\(^o^)/

柳チャン、クライアントの意向で駄文の連チャンになるのかな~(笑)

明日のコラムを期待しているよ~(笑)
 

粛清とか…。

 投稿者:ウォーズマン  投稿日:2016年10月28日(金)11時38分53秒
  学会の本来もっている温かさと仏法に説く人間の仏性を信じる心と、上層部で起こる魑魅魍魎の世界の隔たりは何なのだろう。

魑魅魍魎の世界は己が作り出すのであろうか?
幻想なのか?

『誰々体制』とか
時流の話が嫌で嫌で

そもそも、先生は人を斬ったことがなかったと聞く

どんな危なっかしい人でも信じて育てたと。

来るもの拒まず、去るもの追わず


ましてや粛清など…。


先生がいらっしゃらなくなったら、
それこそ多くの人が整理されるのだろう。

自分たちがやり易いように。

見習うべきは、戸田先生から池田先生に変わった時の先生の心では。

整理する人間はやがて老いぼれて整理される。


死ぬ気で戦った人間の子孫末代まで護るという男気がない者に、人は命をかけて戦わない。連なっていかない。

釈尊の教団が崩れたように、
日蓮正宗が腐敗したように、

そんなことがないように、
どうか清浄な信仰ができる学会であってほしい。

もちろん、自分ができることはやります。
 

憲法問題に関わる視点の第一歩

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月28日(金)11時25分43秒
  便所虫が騒ぐ以上に、ハタチ氏の裁判は今後に影響する初動です。地裁判決で棄却・上告していった場合は、信教の自由に関わる論点に至り、創価村貴族に取っては表に出したくない判例になります。

身勝手な除名、職員解雇が連続している状態で、被告による様々なケースでの事件が公に取り扱われた場合、上級審での審尋角度が変わり、その身勝手さ(不実)に起因した事件として判決も変わります。

便所虫が今、小躍りするような話ではなく、『事は始まった』と見るべきではないですか?
これからが、大変な事になります。憲法に保障された信教の自由を侵害する創価村貴族社会(-_-)どうされるのでしょうかね?
 

さすが!

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月28日(金)11時18分22秒
  妙法のジャーナリストの柳原さん。仕事が速い!と言いたいところですが、

そもそも判決主文は昨日現場では読まれていないよね?

だから仮に裁判を傍聴出来たとしても裁判長が読んでいない判決文を聴く事も録音する事も出来

ないはずなんですが?

では何故早々に昨日更新していたコラム日記に今朝、内容・詳細を加筆出来たのか?

そもそも読まれてもいない上、文書が手に入るのは原告、被告の弁護人もしくは関係者。関わり

の無い第三者が即日入手出来る訳はありません。

と言う事は、ズバリ!被告側である信濃町界隈関係者から入手したという事でしょう。

これって要するにビジネスでなくともここでいつも言われている信濃町界隈の御用書きという事

を御自分で証明されたのも同然なのでは?

妙法のジャーナリストの柳原さんに贈ります。「頭隠して尻隠さず」(笑)


ちなみに前から言おうと思っていましたが、近年「妙法の〇〇〇〇〇〇〇」という表現使うのは

某右系&大石寺系日蓮教団の信者さんが会合や機関紙でよく使う表現ですね(笑)


以下。今日の加筆され更新された、2016/10/28 柳原滋雄コラム日記より抜粋引用。

 「全20ページの判決文によると、宗教団体も私的団体としてその自律権が尊重されるとしたうえで、司法として介入できるのは、処分の認定において事実を捏造したり、著しく不合理な判断方法に依拠した場合などに限られる旨を説明。その上で、今回のケースに具体的に言及している。以下は判決の中心部分からの引用である。
 「前記前提となる事実及び認定事実によれば、原告は、被告(※教団)の幹部の一部を強い批判の対象とし、被告内部において原告に同調するなどするグループ内で上記批判的言動を繰り返していたほか、本件フライデー記事及び本件ファクタ記事が掲載される過程において原告が情報源となったことを必ずしも否定しないような言動(一部、積極的にこれを認めるかのような言動もある。)もしたことなどが認められ、本件フライデー記事の記載内容には原告の警察による取調べの進行状況など第三者が容易に知り難い情報も含まれていることなども併せ考慮すると、被告が主張する除名事由の存否について、およそ経験則または論理則に照らして到底是認することができない程度に達しているとまで断ずることはできない。したがって、除名事由の存否に関する原告の主張を採用することはできない」」
 

ツイッターから、『権力者は正義の声を恐れ、なりふり構わない暴挙を』創価の世界で起きている暴挙、会長はエライ人だから?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年10月28日(金)10時51分52秒
  権力者というものは自分の意にそわないものや正義の声を極度に恐れる。臆病な心が、時として常識では考えられない、なりふりかまわぬ暴挙へと走らせる。

そうした権力者に対して大聖人は
「なんと、おもしろいことか」
「ものに狂っている姿を見よ」
と一喝されている
 

イタリアで大きな地震・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月28日(金)10時29分47秒
編集済
  ご存知かもしれません。ただ、日本側ではあまり、報道されていないと家内が言っておりました。

水曜日の夜、イタリアの中部でマグニチュード5.9と5.4の地震が起き。

さいわい、死傷者が出ませんでしたが、大きな被害が建物等に。

また、道路には大きな落石が多数。

https://www.youtube.com/watch?v=Tfzy4oxN5kk

http://it.blastingnews.com/cronaca/2016/10/photo/photogallery-torna-l-incubo-terremoto-migliaia-di-sfollati-945179.html

夏の地震に引き続き、民衆も不安を感じているようです。
2010~2011年に北部であった地震で政府庁舎が崩壊。財政難で政府予算がなく。
建て替えができず。そこで働いていた、同志のお父さんは結局失業に追いやられています。
それほど、イタリアの財政と経済は大変な状況です。
冬に向かい、地震の被害にあった人々は大変。
立正安国の戦いが続きます。

http://

 

おやおや親

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月28日(金)10時02分44秒
編集済
  半年前・・・

ひかり「(笑)このブログ見てよ。」

息子B「なになに。ん、なんじゃこりゃ。リチャード・コシミズ?」

ひかり「おもしろすぎ(笑)この濃すぎるキャラ。こんな人がいたのかー」

息子B「バッカじゃね。見んなよこんなの」

ひかり「だって、おもしろいよ」

息子「こんなの見るあなたが私は信じられません。ブチッ(消す音)」

ひかり「あ~あ」



3ヵ月前・・・

ひかり「おもしろ~い(笑)ガッハハハ」

息子C「なに見てんの。うわっ。カハハハ」

息子B「また見てる!二人ともバカ!ヤメロ。ブチッ(消す音)」

ひかり・息子C「ああ~あ」



先日・・・

ひかり「なに見てんの?むずかしい顔しちゃって」

息子B「え・・・ああ、これね・・・」

ひかり「リチャード・コシミズ?八王子講演10月?今月じゃん!動画?」

息子B「え・・・まあ」

ひかり「おもしろい?」

息子B「いや、ちょっと・・・」

ひかり「創価学会のみなさんへのメッセージがあるやつ?」

息子B「・・・・・キチガイだよ、こいつ」

ひかり「そうかな。けっこうフツーでしょ。いるよ、こんな人は」

息子B、腕組みして黙って見ている。

ひかり「トランプみたいじゃん」

息子B「言うと思った」





 

寝たきりオジサンさんへ

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年10月28日(金)09時25分22秒
  はじめまして、グリグリです。


>皆様こんばんは、27日の男、寝たきりオジサンです。
>同盟題目に参加させていただいて一年と七か月になりました。
>体調すこぶる良好、ありがたいことです。

いつも感動する投稿、ありがとうございます。
読んでいて、すごく心が温かくなります。

体調が良好とのこと。
やはり、持続の実践と題目の力はすごいですね♪
感動しました。


>もう27日だけじゃなくて毎日でしゃばってますけどお許し下さい。

それだけ生命力が旺盛になったということですね。笑
寝たきりオジサンさんは、活の仏法の証明者ですね。

いっそのことハンネを変えたらどうですか ?

「寝たきりオジサン」から「起きてしまったオジサン」へ ! 笑 ジョークデス
 

財務の実際

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年10月28日(金)09時05分56秒
  広布部員に申し込みしていても
嫌なら振り込まなくても大丈夫だからね~

1000円でも振り込みできるらしいしww

お金が掛かる世代は無理にがんばる必要ないからね~

安心してくださいw
「心の財第一なり」です!よ~
 

全集未収録スピーチ(聖教新聞 2006.5~2010.4)に思う ①

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月28日(金)08時19分29秒
  全集未収録スピーチ(聖教新聞 2006.5~2010.4)に思う ①

全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)の掲示が一応完了しました。
私自身も改めてこれらのスピーチを読み返し、未来に残すべき重要指導であると認識し広く宣揚する事を決意した次第です。
勝手な抜粋で恐縮でした。本掲示板と読者の方々に迷惑が及ぶ事を懸念し全文掲載をためらいました。

そもそも「抜粋」は不本意です。
「反宿坊板」からは、『「抜粋」は「削除」であり師匠の「心」が伝わらない(趣旨)』とのご指摘を賜っております。
的を射たご指摘であると思いますので、「反宿坊板」に師匠の心が伝わる「全文」を投稿しようかと思います。
写真や大見出し等も添えて荘厳し、「師匠の心」をしっかり宣揚しようと考えております。
「反宿坊板」の方々から大いに称賛される事でありましょう。
その前に、当掲示板の方々にご意見を伺っておきましょう。
 

柳チャ~ン、「勝った、勝った」と騒ぐのもいいんだけど~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月28日(金)07時55分22秒
  柳チャン、なんと素早い反応(笑)まるで戦時中の御用新聞を連想させる記載(笑)

嬉しさがにじみ出ていると思われるような文章、(笑)よほど嬉しかったのかな~(笑)

でもね~、よ~く考えてみようよ柳チャン、波田地氏は「除名は無効」として裁判を起こしていたと思うんだけど~、

判決は「除名は有効」としたんじゃなくて、「棄却」したんだよね~。

まあ、裁判所をしては、宗教団体の内部の判断(除名・処分等)には是非を判断しないという判例に従っただけとも言えるんだよね~


それはいいんだけど、柳チャン。

そもそも、教団の高位の役職者(副会長等)でもない一個人を何故にここまで非難・批判するのかっていう事のほうが問題だと思うんだけど~

だって柳チャンは大草氏の裁判で、公共性・公益性を認めることはできないって30万円の罰金とネットの文を削除するように言われているじゃな~い(笑)

教団から処分された一個人に、何の公共性・公益性があると思っているの? そこんとこはっきりさせた方がいいんじゃな~い(笑)

>「宿坊」ではさまざまな名前で投稿がなされる。その中には一人で多くの名前を使いまわす者もいる<
>波田地の場合はその投稿内容と同人の人格などがにじみ出ていると思われる文体から「八尋みのる」「カンピース」などが同人の投稿と思われている<
(10月7日コラム日記から削除された部分)

柳チャンが勝手に削除しちゃったけどさ~(笑)こんなこと、もしかして「名誉棄損」になってな~い(笑)

くれぐれも「被告」の立場にならないように頑張ってね~(笑)
 

【定期案内:おすすめ】教学部レポートをお読みください!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月28日(金)07時06分0秒
  ■注目!
【教義変更の経緯・今の執行部の狂いの元を知る為に】

★☆詳しくはこちらから☆★
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56053

【参考】「教学部レポートとは」(英訳あり)
(こちらもお読みください。)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/53571

なお、送付までは1~2週間程度かかる場合があります。
 

わが友に贈る 2016年10月28日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年10月28日(金)06時44分52秒
  新しい同志を
皆で育んでいこう!
善き縁に触れることで
生命は劇的に変わる。
人材の花園を築け!
 

愛読者さま、心配ご無用!二十四時間勤務です!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月28日(金)03時45分47秒
  空き時間を利用しながら投稿していますが、深く広く論の展開が投稿されていないのは、違和感ですね。いろいろ課題を皆投げ込んでいると思うのですが(-_-)  

戦争の足音

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月28日(金)01時23分8秒
  小学生のころだが、日本が戦争に巻き込まれかけたことが一度はあった。

「一度は」と言うのは、ひょっとしたら複数回あったかもしれないからである。



ある日、自衛隊員に嫁いだ母の友人が、電話してきた。

「夫が北海道に緊急招集された。戦争が起こるそうだ」



その夜遅く、激しい雷雨に跳ね起きた母は私を起こし、「爆撃かな?」

母は、幼児期の戦争体験の悪夢を思い出し、本心から怖がっていた。



その母は、3・11のあと、病院での治療が中断され、手遅れになり、他の多くの入院中の

親戚同様、亡くなった。(これも、震災関連死の一種だと思う)



母が生前によく戦争の話をしてくれた。



地域で一番最初に爆撃の犠牲になったのは、4才の女の子だったこと。

学校の上空にグラマンが飛んできた。

運動場を逃げるこどもたち。

隠れていた場所から、兄を追いかけて走ってきた妹が犠牲になった。



学校が犠牲者の安置所兼傷病兵の救護所になったこと。

血のにおい。死のにおい。

大黒柱を亡くした家庭の悲惨さ、地獄。

周囲が似た状況だから言えない苦労。

生きることだけに必死の日々。



だから、母は、戦争をものすごく憎んでいた。

創価学会は世界平和に真剣だから好き。胸を張っていた。

戦争は、権力と、どす黒い欲の一握りが、罪のない人々の命をゲームの駒のように利用して、

結局は何もかもを無駄な灰燼にしてしまう、最悪の愚挙であると、教えたのだった。



戦争の悲惨さを忘れないため、婦人部は証言集を何巻も編んだ。

「女たちの太平洋戦争展」のような貴重な遺品と写真の展示も行ってきた。


あの偉業を、全て昔日の幻にして、追憶の彼方に追いやるつもりなのだろうか?

本当に愚かな執行部であるよ。










 

ダメよ~ダメダメ様

 投稿者:愛読者  投稿日:2016年10月28日(金)01時19分50秒
  早速、ご回答を頂き、ありがとうございます。
柳原コラムの日付を確認しようと見てみたら、判決内容の詳細が更新されておりました。

某住人は、日常生活や人とのコミュニケーション、大丈夫ですかね。
事故を起こさないで下さいね。

おやすみなさい。
 

愛読者さま、一番下品認定ありがとうございます!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月28日(金)00時51分20秒
  違和感いかがですか~、違和感寿司いかがですか~?久しぶりにやりますか?スナック「風俗」やら便所男とか便所虫キャラもブンブン飛んでいるようですから。

創価村地下ゴールデン街のひみつとか、おばあちゃんだよ、わしゃ反板のひみつをしっておるんじゃ、これじゃよ!

↓↓↓
え!! 日蓮世界宗創価学会 発表してるじゃん!?投稿者:九州人
?投稿日:2015年11月17日(火)23時09分48秒
創価学会公式サイトより
会則(1)

池田先生は、創価学会の本地と使命を「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されて、創価学会が日蓮大聖人の仏法を唯一世界に広宣流布しゆく仏意仏勅の教団であることを明示された。
そして、23世紀までの世界広宣流布を展望されるとともに、信濃町を「世界総本部」とする壮大な構想を示され、その実現を代々の会長を中心とする世界の弟子に託された。
http://www.sokanet.jp/info/kaisoku01.html
?
↑↑↑
だから、糞タレ刺繍入り勝負パンツ論は、大嫌いなんじゃよ!

と言う展開が嫌いですね?
 

ドミサイル信濃町の入居者様

 投稿者:警鐘  投稿日:2016年10月28日(金)00時22分37秒
編集済
  ようこそ、宿坊へ
管理人様に代わり、歓迎させていただきます

 

【師弟不二とは生命論】を展開!~「在在諸仏土常与師倶生」

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月28日(金)00時16分48秒
編集済
  蘭夢様

>>ここから、師弟不二とは、実に生命論であるということが、感じ取れたならば幸いである。<<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58864


『御書と師弟 三世の勝利劇 』(2009年8月13日)より

■師とともに勝つ!

戸田先生は、戦後、学会再建の第一歩の座談会でも、この「在在諸仏土常与師倶生」の経文を踏まえて、殉教の師・牧口先生と共に、三世永遠に戦うご決意を、烈々と師子吼されました。

大聖人は最蓮房に「我等無始より已来師弟の契約有りけるか」等、たびたび「契約」という表現を用いられています。
世法の次元においても「契約」という言葉には重みがあります。いわんや、仏法上の「契約」です。それは、絶対に 違たが えない仏の約束ということです。
しかも、仏法の「師弟の契約」は、今世限りの関係ではありません。

師と弟子が、ともに大難を受けながら、命をかけて仏国土の建設のため、人類の宿命転換のために戦う。その実像の中に、過去から未来へと続く久遠の生命の栄光が、凝結しているのです。

広宣流布という無上の使命を抱いて、我らは「勝つため」に生まれた! そして「師とともに」戦い勝つ! これが師弟の約束です。誓願であります。
「在在諸仏土常与師倶生」とは、三世永遠にわたる師弟不二の広布大願のドラマにほかなりません。
 

妄想ではなく

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月28日(金)00時06分12秒
  首都圏一帯が人間の居住に適さない状況になりつつある。
フクイチの放射能のみならず複合的要因が積み重なって。
豊洲の汚染土壌の問題もその一端を暗喩するものなのだ。

中枢(学会本部)と現場の関係性そのものが雲散霧消すると言ってきたのはそういう意味である。
しっかりと地に足を着けて、今ここにある己が五体を基点として創価学会を刷新していくのみだ。

体力の回復を待って、月替わりには『21世紀ーー』再開します。
昭和31年の大阪。“アパッチ族”と呼ばれた集団にも少しだけ触れます。

長きにわたり戦争の残骸を拾い集めて生計を立てていた人たち。
今、私たちは自覚の有無に関わらず次なる戦争のパズルを埋めるピースを手にしているのかも知れない。
 

一年と七か月

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月27日(木)23時59分16秒
  皆様こんばんは、27日の男、寝たきりオジサンです。
同盟題目に参加させていただいて一年と七か月になりました。
体調すこぶる良好、ありがたいことです。

もう27日だけじゃなくて毎日でしゃばってますけどお許し下さい。
一年半たまにしか書き込みしませんでしたが、同盟題目でお世話に
なってるので何か貢献できることはないかな~と思って投稿させて
もらうようになりました。

これからもよろしくお願いいたします。
 

愛読者さん。

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月27日(木)23時50分10秒
  >ところで、柳原コラムに、波田地さんが裁判で敗訴とありましたが、本当なのでしょうか?
>なかなかできないことをされる方だなと思っていたので……

とのご質問。

妙法のジャーナリストの柳原さん。さすがに仕事がお早い(笑)明日付けのコラム日記ですね。

お答えになるのかどうかはわかりませんがヤフー知恵袋からの引用です。ご参考まで。

柳原さんは信濃町界隈側なので「敗訴」という表現を使用されています。



棄却と敗訴
(Yahoo!知恵袋より)

●「棄却」は原告の請求に着目した言い方、「敗訴」は相手方当事者との関係に着目した言い方です。

原告の請求が「理由がない」として認められなかった場合、「棄却」判決になります。原告側から見れば「敗訴」ですが、被告側から見れば「勝訴」です。

逆に、原告の請求が認められた場合、「認容」判決になります。原告側から見れば「勝訴」ですが、被告側から見れば「敗訴」です。

●原告側から見た場合であっても、正確にいえば「棄却」は「敗訴」の一種です。

裁判を起こしても、裁判所から判決で、「そもそもこんな裁判は起こせませんよ」と言われることがあります。この場合、「却下」判決になります。原告側から見れば、「却下」も「敗訴」の一種です。原告にとっての「敗訴」には「棄却」と「却下」の二種類がある、ということになります。

●主体が異なります。

請求を「棄却する」のは、裁判所です。原告側から見れば、請求が「棄却された」ことになります。

これに対して、「敗訴する」のは、当事者である原告または被告です。ただ、裁判所が「敗訴させる」とはあまり言いません。裁判官はあくまでも、法令を解釈適用しているだけで、どちらかを「勝たせよう」と思っているわけではない、という建前だからです。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年10月27日(木)23時42分25秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

師弟不二とは、生命論。無冠様、いつもありがとうございます。

 投稿者:蘭夢  投稿日:2016年10月27日(木)23時33分32秒
  無冠様、いつもありがとうございます。

全集未収録の会長就任五十周年記念特別寄稿『創価の魂 地涌誓願の誉れ』

この中で先生が
「創価学会は、この「師弟不二」の魂があるゆえに、日蓮仏法を現代に広宣流布することができたのである。」
また、
「もとより法華経も、日蓮大聖人の仏法も、「師弟」に、その魂がある。」
と言われています。

重要なことです。

このことは、先生ばかりがおっしゃっているわけではありません。

以下に、まだ日蓮正宗が日顕宗という魔に落ちる前の正しき時代の猊下のお言葉です。

日淳上人は、戸田先生逝去の直後、師弟不二についてこのように指南されている。
 「創価学会が何がその信仰の基盤をなすかといいますと、この師匠と弟子という関係において、この関係をはつきりと確認し、そこから信仰を掘下げてゆく、これが一番肝心なことだと思う。今日の創価学会の強い信仰は一切そこから出てくる。
 戸田先生が教えられたことはこれが要であろうと思つております。
 師を信じ、弟子を導く、この関係、これに徹すれば、ここに仏法を得ることは間違いないのであります。だから法華経神力品において『是の人仏道に於て決定して疑いあることなし』と説かれております。
 この決定して疑いあることなしとは、師弟の道に徹底して、そこから仏法をみてくる時に始めてその境涯に到達するんだとこれが法華の段取りになつております。それを身をもつて実行されましたのが戸田会長先生でございます。
 戸田会長先生ほど初代会長牧口先生のことを考えられたお方はないと思います。親にもまして初代会長に随つて来られました。これがきよう皆様方が戸田会長先生によつて信仰の眼を開けて頂いたんだと、この師に対する弟子の道を深く考えられましてまいります時に、仏法に、しつかり決定することができるのでございます。
 この初代会長、二代会長を経まして、皆様方の信仰の在り方、また今後の進み方の一切ができ上つているわけです。これを一つ皆様の団結の力で、大いに会長先生の志に報いてやつて頂きたいと、ただそれを念願致す次第でございます」(昭和三十三年六月一日 福岡香椎球場 創価学会九州第二回総会御講演 『日淳上人全集』所収)

師弟の道に徹した時、始めてその境涯に到達する。
これが、法華の段取りとまで言われている。

ここから、師弟不二とは、実に生命論であるということが、感じ取れたならば幸いである。

えっ、飛躍しすぎてわからない?

我々が抱く、胸中の池田先生。池田先生が抱く胸中の戸田先生。
そして、胸中の御本尊。
これは、全て同じことを言っている。

胸中に先生を抱き、師弟不二と感じたその生命をそのまま図顕するならば
師匠の生命即ち、南無妙法蓮華経日蓮、それを抱く我が生命は、正に鏡に映した御本尊の相貌となる。

師弟不二とは、生命論だったのですが、みなさん、気づいてましたか?
 

ひかり様

 投稿者:愛読者  投稿日:2016年10月27日(木)23時24分43秒
  失礼な物言いをしてしまい、申し訳ございません。
半年くらい前から愛読し、学ばせて頂いておりますが、違和感があり投稿してしまいました。

学会員を啓発するのに、違和感を生む発言は「広がり」を欠くと思っていまして。
たまたま一番上にあった投稿に反応してしまいました。
大変に失礼いたしました。

また、皆様からも様々な反応を頂き、恐縮しております。

ただ、一番下品な方が過剰反応をしていますが、この人の投稿は一番頂けないですね。
この人のせいで、伝わるものも伝わらないと、前から思っていました。
正直な気持ち、「イケディアン」を名乗ってほしくないです。

ところで、柳原コラムに、波田地さんが裁判で敗訴とありましたが、本当なのでしょうか?
なかなかできないことをされる方だなと思っていたので……

題目あげます。
 

毎日婦人11月号

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月27日(木)23時08分28秒
編集済
  一般紙は毎日新聞をとっている。

新聞の集金が来て、「毎日婦人11月号」をくれた。

これは、集金のときにくれる冊子だ。

表紙をめくると、すぐに「諏訪哲史のうたかたの日々」というコラムページだ。

11月号のこのタイトルが、「『どうも変だ』の自覚」。

大変なことが書かれている。

手元にある方は是非読んでほしい。



「戦争への筋書きからいえば次は報道の統制だが、これはマスコミの自主的萎縮という形で

既に進行中だ。筆鋒鋭い学者やジャーナリストらが次第に活動の場を失ってゆく。場を持ってい

る媒体が政権との確執を面倒がるのだ。萎縮は読者を置き去りにして、問答無用で行われる。

諏訪さん、あんたも書く場を奪われるよと、多くの愛読者の方がメールや手紙で心配してくださ

る。このコラムは始まってまだ3年も経たないが、皆さんは「本当のことを書く諏訪さんの気概

を応援し永続を願うが同時に諏訪さんへの圧力を案じてもいます」と言ってくださるのだ。

時代の悪い趨勢を敏感に感じ取り、国からの注文を「どうも変だ」と自覚でき、そして「これは

おかしい」という声を上げられる人が日本には大勢いる。僕らはいま100年後に著される21世

紀戦争史の中盤、民が国から批判意思を奪われ、無思想を奨励され、世界でなく「国」を愛させ

られる箇所を読んでいる。 中略 いま扉の向こうで、戦争が口を開けて僕らを待っている。」



これほどの文章が、いま言論統制の入口に置かれた新聞の冊子に出た事実を、知ってください。





 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月27日(木)22時51分52秒
  23時、開始です。よろしくお願いします。  

(無題)

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月27日(木)22時42分7秒
  あそう。バカがまた来た。もう慣れっこだね。

のんきな事言ってる場合じゃないんだよ。切迫しているんだよ。


一人でも二人でもいい。

言葉に出すのをためらっていた人も、今こそ言うべき時。

執行部の大馬鹿者、よーく聞け。

出て行け!さっさと。

キ・エ・ロ!

仏法の本義の軌道に戻ること、これが第一であり、

それをはばみ、会員に黙って悪行をなした執行部を直ちに排除すべきだ。



我々は、沈黙し、偽善に流され、だまされ、利用されることは、断じてしてはいけない!



 

愛読者さま、私に『消えろ!』と客観的妥当性の有る投稿をどうぞ!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月27日(木)21時29分17秒
  愛読者を自称されているようですので、先般の空化中の三諦論における認識論で、中諦で私の糞タレ刺繍入り勝負パンツ論を破折していただけませんか?

次いでに以下の不可解な公式ホームページの内容もお願いします。
↓↓↓
え!! 日蓮世界宗創価学会 発表してるじゃん!?投稿者:九州人
?投稿日:2015年11月17日(火)23時09分48秒
創価学会公式サイトより
会則(1)

池田先生は、創価学会の本地と使命を「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されて、創価学会が日蓮大聖人の仏法を唯一世界に広宣流布しゆく仏意仏勅の教団であることを明示された。
そして、23世紀までの世界広宣流布を展望されるとともに、信濃町を「世界総本部」とする壮大な構想を示され、その実現を代々の会長を中心とする世界の弟子に託された。
http://www.sokanet.jp/info/kaisoku01.html
?
↑↑↑
 

虹と創価家族さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月27日(木)21時16分46秒
編集済
  過分なお褒めの言葉、ありがとうございます。
それに私の体のこと覚えていて下さったんですね、涙が出ます。

地元の地区のみなさんにも、「私がほんのけし粒ほどでもいいから
みなさんのお役に立てれば本望です、成仏できます」と言って
いるのですが自分のできることを一生懸命やらせていただいています。

毎月の座談会御書や御書学習会の講義と座談会の入場券を作らせて
もらっています。

ところが昨日、支部長と支部婦人部長と地区婦人部長が来て、いったい
何事か?と思ったら支部総会の入場券作ってくれ~というお話でした。

もちろん引き受けましたが、みんな私の体のことを気遣ってくれて
申し訳なさそうな感じだったので断れませんでした(笑)

それと同じでここでも池田先生が心にいらっしゃる方たちのお役に
たてれば本望です。ありがとうございます。
体に気を付けてがんばりますね。
 

Re.ハンドル名の由来

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月27日(木)21時05分50秒
  ドミサイル信濃町の入居者 さま、
現場組織でしっかりと学会活動をして下さい。
選挙とか聖教啓蒙ではなく、勤行指導(と言うよりも一緒に勤行すること)と先生の指導の拝読(無冠さまの投稿)が基本です。現場は皆、疲れています。雑談の中でお互い気づく事も多いと思います。この交流が基本です。ひかりさまの対話、何気ないような話ですが現場の実態をよくあらわしています。対話していると、思わぬ人間関係やら趣味が分かったりして楽しいです。情報取得は、この板で取捨選択して学び、現実の組織は末端の上から目線の大患部の見えないところでしっかりと地道に動いていく。そうすると、諸天善神が大きな波となって動いてくれます。\(^o^)/
 

幸せな人さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月27日(木)20時57分49秒
  レスありがとうございます。

確かに昔は、部員さんの米びつの中まで知ってるという
ぐらいかかわってましたね。

今はプライバシーの問題とかもあってそこまでかかわって
いいのかというのもありますけど。

でも誠実に向き合えば真心は必ず通じるものと思って
友人や会員さんに接しています。

私にできることはごくわずかなんですけど。。
 

ひかり様

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月27日(木)20時49分33秒
  どんどん言ってやってください!
毎回楽しみにしてます!!
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月27日(木)20時44分36秒
  全集未収録の会長就任五十周年記念特別寄稿『創価の魂 地涌誓願の誉れ』を掲示します。

2010.5(大白蓮華) 会長就任五十周年記念特別寄稿 『創価の魂 地涌誓願の誉れ』

 ■弟子の勝利は、師匠の勝利である。
 私の五十年は、ただただ、恩師・戸田城聖先生に捧げた闘争であった。
 この五十年の創価の師弟の勝利は、何よりも、私とともに戦ってくださった全学会員の勝利である。
 それは、法華経に説かれる「地涌の菩薩」の勝利の劇にほかならない。

 「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」(御書202㌻)──この「開目抄」の御文のごとく、仏意仏勅の我らの前進は、荒れ狂う大難また大難のなかにあった。

 嵐のような迫害が続く五十年であった。
 正義の旗を高く掲げた五十年であった。
 庶民と苦楽を共にする五十年であった。
 健気な母の幸福を祈る五十年であった。
 同志の歓喜に包まれた五十年であった。
 片時たりとも師を忘れぬ五十年であった。

 ただ恩師のために! ただ恩師とともに! 勝利また勝利の広宣流布の大道を、全世界に切り開いた五十年であった。
 私には一点の悔いもない。わが心は、友と一緒に仰いだ、あの5月3日の澄みきった天晴大のように、どこまでも広々と晴れわたっている。

 ■殉教の師弟三代
 その日、私は日大講堂の壇上で宣言した。
 「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらせていただきます」
 恩師の遺影の下、32歳の私は誓った。
 「化儀」とは、現実社会を変革する実践である。それは、人間を苦しめる一切の魔性と戦い、そして勝利する実践でもある。
 この日、私が心に刻んだ御聖訓がある。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(御書232㌻)
 「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願《ねがい》やぶるべからず」(同㌻)
 御本仏・日蓮大聖人の不惜身命の大誓願を拝すれば、凛然たる決意に身が引き締まる。
 諸難よ、来るなら来るがよい! 身命をなげうとう! 私は、広宣流布の師子王から訓練された不二の弟子だ! 何を恐れようか!
 初代会長・牧口常三郎先生は、戦乱の世に「立正安国」の大精神を貫かれ、非道の投獄にも断じて屈せず殉教なされた。
 第2代会長・戸田城聖先生は2年間の獄中闘争を耐え抜かれ、戦後の荒野に「妙法流布」の大願を掲げて一人立たれた。
 戸田先生は、先師の三回忌に紅涙を滴らせて言われた。
 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」
 「その功徳で、地涌の菩薩の本事《ほんじ》を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」と。
 この峻厳にして崇高なる師弟の精神こそ、人生の究極であり、仏法の真髄である。
 創価学会は、この「師弟不二」の魂があるゆえに、日蓮仏法を現代に広宣流布することができたのである。

 ■法華経は滅後のための経典
 もとより法華経も、日蓮大聖人の仏法も、「師弟」に、その魂がある。
 法華経は、全人類を最高の境涯に引き上げようという仏の誓願の結晶である
 その法華経では、「況んや滅度の後をや」(法華経363㌻)等と、滅後に法華経を持《たも》つ者に襲いかかる大難が、繰り返し繰り返し説かれている。
 誰が、この大難を耐え忍んで、滅後の民衆を救うのか。真正の弟子は、いずこにいるのか──。
 この仏の命を受け、娑婆世界の大地を叩き破って登場した真実の弟子が、「地涌の菩薩」である。
 「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどり《踊》てこそいで《出》給いしか」(御書1300㌻)
 大聖人は、地涌の菩薩の上首、すなわち、リーダーの上行菩薩は、喜び勇んで踊りながら涌き出てきたと仰せである。
 「さあ、いよいよだ!」「師匠の命ずるままに戦う時が来たのだ!」と、全身に「歓喜の中の大歓喜」(同788㌻)を漲らせて、師匠のもとに馳せ参じたのである。

 ■生死を超えて師匠と共に
 地涌の菩薩とは、久遠以来、師匠と「一体不二」の弟子である。
 千日尼への御返事には、こう仰せである。
 「上行菩薩等と申して四人の大菩薩まします、此の菩薩は釈迦如来・五百塵点劫よりこのかた御弟子とならせ給いて一念も仏を・わすれず・まします大菩薩を召し出して授けさせ給へり」(御書1306㌻)
 上行・無辺行・浄行・安立行という四菩薩は、久遠五百塵点劫の昔に、仏弟子になってから、瞬時たりとも師匠のことを忘れない大菩薩であったと言われるのである。釈尊は、その四菩薩を呼び出されて、自らが入滅した後の妙法広布を託された。
 「一念も仏を・わすれず」──常に師匠のことを忘れない。これが弟子の道である。
 私の心は、いついかなる時も戸田先生と共にあった。ただ、師匠のために身命を捧げて戦い抜き、真の弟子の模範を残して死ぬ覚悟でいた。
 先生は、私の心を見抜いて言われた。
 「お前は死のうとしている。俺に、命をくれようとしている。それは困る。お前は生き抜け。断じて生き抜け! 俺の命と交換するんだ」
 私の命は、先生から頂いた命である。
 御逝去の前、先生は語ってくださった。
 「大作、よくやってくれたな。これで学会は大丈夫だ。また永遠に一緒に行こうな」
 「いい弟子を持って、俺よ本当に幸せだ。牧口先生と一諸に牢獄に行ったことも幸せだったけれども、お前がいたおかげて学会の未来は開けた」
 戸田先生が亡くなられた後も、私は「先生ならば、どう言われるか、どう戦われるか」──そう師弟の対話を重ねながら、戦い生きる毎日であった。いかなる三障四魔が紛然と競い起ころうとも、師に思いをはせれば、勝利の太陽が昇る。未来への道は明々《あかあか》と照らし出される。師匠の慈愛は広大無辺である。

 ■「民が子」との自負
 末法の御本仏であられる日蓮大聖人は、白法隠没の時代にあって、広宣流布の道を開く上行菩薩としての振る舞いを示された。
 上行とは、法華経の会座に集っていた弥勒菩薩はじめ並み居る大菩薩たちが、驚嘆して見つめた、最高に尊貴な存在である。「無辺にして窮まり有ること無けん」(法華経574㌻)という、宇宙大の功徳に包まれた至高の大指導者である。
 その上行菩薩が、どこに、どのような姿で出現されたのか。
 御書には「日蓮は中国・都の者にもあらず・辺国の将軍等の子息にもあらず・遠国の者・民が子」(御書1332㌻)と明言なされている。
 大聖人は「民が子」としてお生まれになられた。何の後ろ盾ももたないゆえに、増上慢の輩から「悪口罵詈」を浴び、「刀杖瓦石《じょうもくがしゃく》」を受け、いわれなき讒言によって「流罪・死罪」をも受けられた。
 「少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」(同200㌻)と仰せの通り、ありとあらゆる法難を堪え忍ばれながら、苦悩に喘ぐ民衆のために、妙法を弘めていかれたのだ。
 権力にもよらず、権威にもよらず、ただただ、真実の人格の力、生命の本然の力を発揮して、戦い勝たれた。傲慢な権力者を、「わづかの小島のぬしら《主等》」(同911㌻)とはるか高みから笑い飛ばしながら、悠然と万年の令法久住の流れを開いてくださったのである。
 これが日蓮仏法の魂である。ここに、地涌の菩薩の底力がある。
 わが創価学会は永遠に民衆の側に立つ。この一点は、学会不変の規範である。
 牧口先生は、御自身のことを「荒浜の一寒民」と毅然と言われた。戸田先生も「北海道の貧乏な漁師の倅《せがれ》」と胸を張って語られた。私も第3代会長の就任が決定した際、「一漁師の子、池田大作、遂に広布の陣頭に起つ。一大事の宿命を知覚するのみ」と記した。

 ■衆生をいとおしむゆえに
 法華経法師品には、滅後に法華経を流布する菩薩の境涯について、こう明かされる。
 「自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於いて、衆生を愍《あわれ》むが故に、悪世に生まれて、広く此の経を演ぶ」(法華経357㌻)
 過去に大願を成就して最高の境涯を得た大菩薩が、衆生をいとおしむゆえに、自ら清浄な業報を捨てて、悪世に生まれて、この法華経を弘める──と。
 さらに続けて、こうも説かれる。
 「能く竊《ひそ》かに一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(同㌻)
 誰か一人のために一句でも法華経を説く人は、如来の使いであり、如来に遣わされて如来の聖業を行じている──と。
 ここには、末法に法華経を弘通する地涌の菩薩の実践が示されている。
 大聖人は、「日蓮賤《いやしき》身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり」(御書1121㌻)と仰せになられている。
 地涌の菩薩は、民衆を慈しむがゆえに、あえて、一番大変なところ、一番必要とされているところに、自ら願って現れるのだ。
 これが、我ら学会員の大精神である。我らは、仏意仏勅の使命を行ずる「如来の使い」の大境涯なのである。

 ■学会員は「如来の使い」
 戸田先生は叫ばれた。
 「自分をいやしんではなりませぬ。『仏の使い』であります。如来につかわされた身であります。大聖人の分身であります。凡夫のすがたこそしておれ、われら学会員の身分こそ、最尊、最高ではありませんか」
 草創期、学会は、心なき人々から「貧乏人と病人の集まり」と冷笑された。
 その悪口に対して、戸田先生はこう切り返すように教えられた。
 「それでは、あなたは、貧乏人と病人を、何人救ったのですか」と。
 苦悩の底に沈む人たちを根底から励まし、幸福ヘリードしてこそ、力ある宗教である。
 いわれなき悪口罵詈は、民衆仏法の実践にあって、最高に誉れある勲章である。
 だからこそ、罵られれば罵られるほど、笑われれば笑われるほど、我ら創価の誉れの友は、いよいよ闘志をみなぎらせて、苦悩の民衆の大海原に飛び込んでいったのだ。
 尊貴な地涌の菩薩である学会員の一人一人は、同じく苦しむ人々を立ち上がらせるために、あえて宿命との悪戦苦闘を、今世の人生に引き受けたのである。
 「我、地涌の菩薩なり」。この久遠元初の誓願に立ち返れば、宿命はすべて使命に変わる。昇りゆく太陽が暗雲を金色《こんじき》に染めるように、苦悩を突き抜けて歓喜の光を放つのだ。

 ■「二人・三人・百人と」
 師弟不二の誓願に一人が立ち上がれば、二人、三人、百人と、必ず同志が続いていく。これは、広宣流布の不滅の方程式である。
 「日蓮一人《いちにん》はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人《ににん》・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(御書1360㌻)
 この「地涌の義」のままに、今や、創価の同志は、世界192カ国・地域に広がった。この地球全体を南無妙法蓮華経の音声《おんじょう》が包み始めている。
 「仏法西還」という大聖人の未来記は、全創価学会・SGIの師弟の力によって完璧に証明されたのである。
 戸田先生から「君は世界へ征くんだ」と命を受け、私が、先生の写真を胸に、世界広宣流布への第一歩を、愛するアメリカの天地に印してより今年で50年になる。
 そのころ、アメリカの数少ないメンバーのほとんどは、戦争花嫁として日本から渡った女性たちだった。「いったい何ができるのか」と陰で嘲笑する者もいた。しかし、私は、この女性たちこそが偉大な使命を帯びた地涌の菩薩であると信じていた。いな、必ずそうなっていただくのだと決めていた。
 事実、この方々が、アメリカ広布の勇敢なパイオニアとなった。誓願に目覚めた女性たちから、大いなる拡大のうねりが起こったのである。
 「地涌」の自覚とは、民族よりも、人種よりも、文化よりも、もっと奥深い、人間生命の根源の目覚めだ。そこには、あらゆる差異の壁を突き破って、最も美しく、最も深く、最も強い「心」と「心」の連帯が開かれる。
 だからこそ、私は、縁《えにし》ある一人を、この人こそ地涌のリーダーなりと信じて信じて信じ抜いて励ましを続けた。あの国でもこの国でも、その一人が立ち上がって、二人、三人、百人と地涌の友が涌出していったのである。

 ■「賢王と成って愚王を誡責」
 一閻浮提の広宣流布とは、仏法を基調にした人類不滅の平和の大建設にほかならない。
 「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」(御書254㌻)とは、「観心本尊抄」の一節である。
 上行等の四菩薩は、時に応じて、ある時は賢王となり、ある時は聖僧となって出現する。時代社会の要請に応えて、自在の使命の姿をとって仏国土を築くために働いていく。
 戸田先生は叫ばれた。
 「今度の広宣流布は化儀の広宣流布と申しまして、もっとも重要な広宣流布であります。この時には上行菩薩、安立行菩薩、浄行菩薩、無辺行菩薩、その他もろもろの菩薩が出られる」「大聖人様の眷属が集まって広宣流布ができなかったら、なんのかんばせあって霊鷲山にまみえん。地涌の菩薩の皆さん、やろうではないか」
 現代にあって、地涌の菩薩は、現実の真っただ中で、賢王となって、破邪顕正の言論の闘争を通じて、民衆の連帯を広げ、平和と繁栄の国土のために前進する。
 「立正安国」が、我らの誓願であるからだ。

 ■「三類の強敵」を打ち砕く
 民衆の幸福のために戦う以上、民衆を不幸に陥れる「無明の闇」との対決は必然である。「無明の闇」は、妙法の光でなければ破れない。勇気ある信心で打ち勝つのだ。
 法華経には「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」(法華経575㌻)と説かれる。
 ひとたび、日月が輝けば、闇は消え去る。上行菩薩は、世間の中で妙法を行じて、衆生を照らし、その無明の闇を滅していくのだ。
 末法は、命の濁った衆生の無明が重なり合って、暗雲のように、この世界全体を覆い尽くしてしまう時代である。
 「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(御書997㌻)と、大聖人は喝破なされている。
 世界を覆う無明は、民衆を支配し不幸に引きずり込む「第六天の魔王」の働きとなって現れる。その「第六天」の魔性が身に入った「三類の強敵」が、勧持品で説かれる通り、一切衆生の成仏のために戦う「法華経の行者」を責め苛むのである。それは、「法華経の行者」の戦いを起こしたからには、絶対に避けて通ることのできぬ誉れの法戦である。
 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり(同903㌻)
 大聖人の仰せを信じて「法華経の行者」となった我らは、広宣流布のため、「三類の強敵」に立ち向かう覚悟を決めねばならない。
 創価学会のこの80年、また50年の歴史もまた、末法の無明の闇を破る連続闘争であった。「三類の強敵」を予言した勧持品を色読する歳月であったといってよい。
 御書に仰せ通りの「無尽《むじん》の讒言」(同1158㌻)があった。権力の魔性に魅入られた僭聖増上慢からの弾圧があった。嫉妬に狂った邪僧と忘恩背信の退転者による謀略もあった。「大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ」(同297㌻)との仰せに照らし、最極の名誉の歴史である。
 私が若き日から魂に刻んできた言葉は、「波浪は障害にあうごとに、その頑固《がんこ》の度を増す」である。これはそのまま、私と共に歩んでくださる広宣の戦友の心境でもあるにちがいない。
 創価の同志は、「当に忍辱の鎧を著《き》るべし」(法華経419㌻)の経文のまま、耐えに耐えて「時」を待ち「時」を創ってきた。そして「三類の強敵」を堂々と打ち砕いて、世界広布の大発展の新たなる「時」を厳然と開いたのである。

 ■永遠に広宣流布の前進を
 永遠に、民衆の真っただ中に生まれ出て、民衆のために、民衆とともに、前進する。
 もっと前へ! もっと高く! もっと力強く! と先頭に立って皆を引っ張っていく。
 ──これが地涌の菩薩の誓願である。宿願であり、悲願なのである。
 広宣流布は、御本仏から託された、一閻浮提へ、そして末法万年尽未来際への大事業である。正義の中の正義の大偉業である。
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外《ほか》・未来までもながる《流布》べし」(御書329㌻)
 万年へ! 未来永遠ヘ! 広宣流布の大河の流れを、更にいっそう盤石たらしめる。
 いよいよ、万年のための基盤をつくる総仕上げの時に入った。一切は、これからである。
 師弟に徹すれば、何も恐れるものはない。宇宙大の仏の智慧と仏の力が、わが胸中に涌現するからだ。師弟不二の地涌の誓願に生き抜くわが学会員に、すでに、永遠に崩れざる常楽我浄の境涯を、胸奥に会得していると、私は確信してやまない。
 地涌の菩薩が集い来た仏勅の創価学会は、永遠に、民衆を幸福にするために存在する。広宣流布のためにあるのだ。その一点が崩れない限り、あらゆる障魔が競い起こっても、学会は永久に発展する。
 熱原の法難の渦中、大聖人は青年門下の南条時光に仰せになられた。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(同1561㌻)
 「をなじくは・かり《仮》にも法華経のゆへに命をすてよ、つゆ《露》を大海にあつらへ・ちり《塵》を大地にうづ《埋》むとをもへ」(同㌻)
 すべては青年で決まる。大願に生き抜く青年の勇気で決まる。
 「この地上から悲惨の二字をなくしたい」──恩師・戸田先生から受け継いできた不二の誓願を、今、若き地涌の友に託したい。

 民衆の凱歌の行進を、
 永遠に続けゆくために!
 次の五十年の栄光のたに!
 創価の師弟の未来永劫の勝利ために!

 

ジャンパーと靴下と使命と

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月27日(木)20時44分10秒
  「池田大作という人 その素顔と
愛と生き方」 五島勉著

第6章 ふきあがる炎

「ジャンパーと靴下と使命と」

しかも、コッペパンはほんの一例なんだ。
当時の池田青年の行動をたんねんに
たどっていくと、あちこちで同じような
話しにぶつかる。

横浜に近いある古い支部でも、こんな
エピソードをきいた。
冬の寒い日、池田青年はその支部を
励ましにやってきた。

二、三十人の人が座談会に集まった。
が、会場はしんしんとひえ、片隅では
一人の少年が、うすい夏服をかき
あわせてガタガタ震えていた。

とたんに、池田青年の口からほとばしった
のは、「ウーッかわいそうだ!」という、
絞り出すような叫び。

彼はポロッと涙をこぼした。
自分の一枚っきりのジャンパーをパッとぬいだ。
そして、自分も寒さでふるえているのに、
その少年の肩にそっとジャンパーを着せかけて
やった。

ジャンパーぐらいならまだいい。やはり冬の最中、
別の支部に励ましに行ったときは彼は靴下まで
ぬいだ。「これ使えよ」と、向かい合ってた若者に
優しくはかせてやった。その若者がボロボロの
靴下をつけ、はみ出した指に「あかぎれ」を
きらしていたからだった。

この靴下のエピソードとよく似た話しは、ある新聞の
ベテラン記者・央忠邦さんが書いた、『池田大作論』
という本の中にも出てくる。

しかし、これにしろ、先のコッペパンやジャンパーの
話しにしろ、池田さんはしゃべったことがない。
学会の正確な歴史をえがいた『人間革命』の中にも、
一行も出てこない。どうして書かないんですか?
と本人に問い詰めると、池田さんはすごく怒って、

「なかったよそんなこと!誰がそんなこと
言いましたか!」と、照れ臭そうに黙りこんでしまう。
私は、こんな池田さんを、特別に讃美するつもりはない。

ただ、池田大作とはそういう人だ、ということを
言いたいのだ。そういう人だからこそ、皆が喜んで
ついていった。そういう池田青年が高くかかげた
火だったからこそ、激しい炎がみんなの胸にも
広がっていったんだ。

天性の指導者としての才能。会員みんなのために
いつまでも自分を投げだせる素質。
師の戸田さんは、池田青年のこの大きな成長を、
本人よりもハッキリ見抜いていた。未来の学会を
引っ張っていけるのは池田青年しかいない、と、
戸田さんはあらためて強く思うようになっていた。

だから、1951年の初夏、学会に初めて「男子部」が
つくられた時、そして23歳の池田青年が小さな班の
班長として、その結成式に加わった時、戸田さんは
静かに微笑んで全男子部員に告げた。

「ここに集まった百数十人の若い男子部員諸君。
この中に創価学会の 第3代会長になるべき方が
おられます。私は、その方に今、心から
ごあいさつ申し上げます。その方がこれから
切り開いていく道こそ、学会が進むべき道です。

それは人類に永遠の平和と幸福をもたらす道、
暗黒の現代の中にたった一つひらける道、
世界の新しい夜明けを告げる力強い道になるに
ちがいありません!」
 

私は、消えません!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月27日(木)20時43分8秒
編集済
  ひかりさまどころか、私なんて何度も便3さまから「一緒に去ろうではないか!」とか投稿されてマスが?

↓↓↓
ひかり様  投稿者:愛読者
投稿日:2016年10月27日(木)19時59分2秒
単なる悪口は、板の品位を下げます。
あなたが消えて下さい。

↑↑↑

あのお方の糞タレ刺繍入り勝負パンツ論でも、再び展開しマスか?
あのお方々(便所男1~3、便所虫)は、糞位か便位(-_-)、私は品位\(^o^)/良いコラボではありませんか!

苦情は、品位有る私にどうぞ!!
 

品位?

 投稿者:tesuto  投稿日:2016年10月27日(木)20時25分47秒
編集済
  当掲示板への投稿者は 品性にあふれている人々です 「消えて下さい」などの 言辞は 使用しません 「ゲスの極み」様へ  

ハンドル名の由来

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年10月27日(木)20時21分52秒
  ドミサイル信濃町は、1974年ごろに信濃町に建設された高級マンション。聖教新聞本社ビルの近くにありますが、一説によると創価学会の工作部隊が部屋を借り上げて、24時間のネット対策をしているとか。ドミサイルを辞書で引くと"住居"と云う訳語があたります。ドミサイル信濃町の入居者を名乗っていますが、私は工作部隊ではありません。これからも、宜しく。男子部時代は部幹部で、壮年の地区幹事です。安保に反対をしたら、B長を馘になりました。組織では、除名秒読みと云われています。  

ドミサイル信濃町の入居者様

 投稿者:警鐘  投稿日:2016年10月27日(木)20時03分55秒
  長い物に巻かれる信心、信伏服従
八万宝蔵というべき先生の御指導の中で、それらのことを推奨する言葉は一遍たりともありません
寧ろ
信念を貫くことを賛嘆されています

発迹顕本
おめでとうございます!

創価学会はより多くの人を救う大乗教から時代遅れの我慢を強いる小乗教と堕す道に行こうとしているのでしょうか?

戸田先生は
「社会に信念の人を」と言われました
宗教の根本、人生の根本を「信念」に置かれていました

出でよ!
信念の人材!

ひかり様
真っ向勝負、ありがとうございます
消えないでください
 

ひかり様

 投稿者:愛読者  投稿日:2016年10月27日(木)19時59分2秒
  単なる悪口は、板の品位を下げます。
あなたが消えて下さい。
 

(無題)

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月27日(木)19時38分41秒
  大バカ執行部、さっさとキエロ、この大馬鹿者めらが!

オマエラのせいで、三代会長と創価学会員の苦闘と努力の積み重ね全てが台無しだ!



それに何だ、臆病者ばかりになって長いウソツキ舌に巻かれて。

どうしたんだみんな、早く、早く、一刻も早く、目を覚ませ!



害悪も総罰も一国全体が被るんだぞ!?

一人残らず、そう、あなたもだ、例外はない。



声を上げ、叫び続け、恐れるな!

師匠の人生に続こう!

 

その昔は独善的科学的社会主義の日本共産党、今は独善的宗教社会主義の創価村貴族教団(-_-)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月27日(木)19時19分46秒
編集済
  全ては誰のためか?
人民、労働者、民衆、大衆、信者のためか?

否、無責任に何でも打ち出して責任を問われない官僚機構のノーメンクラトーラ、カネに汚い怠惰な創価村貴族社会の面々のためですね。

津波の高さが益々増してきました。(-_-)
 

連戦連勝、仏意仏勅の創価学会

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年10月27日(木)18時49分23秒
  私に御指導がありました。連戦連勝、仏意仏勅の創価学会。公明党は絶対正義。信ずる者は救われる。長いモノに巻かれる信心。信伏随従の信心。それができなければ貴様は除名だ!  

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