今月(10月)10日、事故現場近くの港に家族たちが集まっていました。
イ・グミさん。
事故当時、高校2年生だった長女、チョ・ウナさんが今も見つかっていません。
この日はウナさんの19回目の誕生日。
娘が好きなものを持ってきました。
イさんは、今も船が沈む現場に向かいました。
イ・グミさん
「ウナ、家に帰ろう。
あなたをこんなに長くここにいさせて本当にごめんね。」
イ・グミさん
「引き揚げられないんじゃないか、見つけられないんじゃないかと思うと怖くなります。
私はどう生きていけばいいのか…。」
海底に沈んだ船の本格的な引き揚げに向けた作業は、今年(2016年)6月に始まりました。
行方不明者がいることから、引き揚げは全長146メートルの船体を切断せずに行われます。
船の下に金属板を差し込み、クレーンで吊り上げ、台に載せます。
そして台ごと海上に引き揚げ、港までえい航する計画です。
しかし、現場は潮の流れが速く、海底には岩が多いため、作業は難航しています。
事故現場近くに政府が用意した仮設住宅。
ここでイさんは夫と共に娘の帰りを待ち続けてきました。
韓国政府は、今月末には引き揚げを完了するとしていましたが、先日“さらに遅れる恐れもある”と告げられました。
なぜ、こんな目に遭わなければならないのか。
いらだちは、安全に対して十分な対応をしてこなかった韓国社会にも向かっています。
イ・グミさん
「事故当時、誰か責任を持って指揮を執っていれば、こんなことにはならなかったでしょう。
『私たちの責任です。私たちが解決すべきです』と言う人が一人でもいてくれれば…。」
事故を受け、安全を最優先にする社会を築いていくと誓った韓国政府。
韓国 パク・クネ(朴槿恵)大統領
「皆が立ち上がり、安全な国をつくるために力を合わせなければならない。」
しかし、その姿勢が疑われるような事態が発生しました。
セウォル号の中に、韓国軍の施設に使うはずだった鉄筋が、当初の発表より多い400トン以上積まれていたことがわかったのです。
政府は“指摘があるまでわからなかった”と弁明。
遺族の間に不信感が高まっています。
遺族の強い求めで、去年(2015年)、「特別調査委員会」が設置されましたが、韓国政府は、「法的な調査期間が過ぎた」と宣言。
最終的な報告書をまとめることなく、先月(9月)、事実上の解散に追い込まれました。
遺族たちは、繁華街で断食などをして抗議の意志を示しましたが、事故から2年半が経って市民の関心は急速に薄れ、世論の大きな後押しは得られていません。
娘を今も待ち続けるイさん。
ダイバーによる行方不明者の捜索が打ち切られたことをきっかけに、船の引き揚げを訴え、事故の風化を防ぐ活動を始めました。
この日、訪れたのは南東部の都市・テグです。
13年前、192人が犠牲となった地下鉄火災が起きました。
駅に停車中の車両が放火され、火災が発生。
しかし、運転手は避難誘導をせずドアを閉めたまま逃げました。
さらに指令センターが列車の運行を止めなかったため、反対側のホームに入ってきた車両にも火が燃え移り、被害を拡大させました。
イさんを迎えたのは、地下鉄火災で高校生だった長女を失ったファン・ミョンエさんです。
ファン・ミョンエさん
「これは火災が発生した列車です。
でも、死者が多かったのは対向列車でした。」
イさんはファンさんとともに、事故で娘を失った母の悲しみを語り合う会に参加します。
会場で、セウォル号の事故の映像が流されました。
イさんは、当時の映像を見ることができません。
ファンさんが話し始めました。
ファン・ミョンエさん
「もし地下鉄火災事故の教訓が生かされていたら、セウォル号の惨事は起きなかったはずです。
私たちは、セウォル号の遺族のみなさんに心からお詫びを申し上げます。」
ファンさんの言葉に、イさんも応えました。
イ・グミさん
「(私のような)平凡な母親が平凡に暮らせる国。
私たちのように大きな苦しみを受ける人がいない国になって欲しいと思います。」
参加者
「韓国社会は変わるべきなのに、かえって隠そうとします。
安全意識の低下は明らかで、事故が後を絶たないのは残念です。」
参加者
「最後まで責任を持つ組織がないことが問題です。」
セウォル号の悲しい事故から、韓国社会は貴重な教訓を得られているのか。
2年半がたった今も、家族の切実な訴えが続いています。