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この作品には 〔ガールズラブ要素〕 が含まれています。

青い箱

作者:優気
青い。
水を抜いたプールの壁によりかかって、四角い穴の底から外を見ている。
空も、床も壁も、青い。
プールサイドのコンクリートもフェンスも、他には何も見えない。ぜんぶ青い。
夏休みの校舎の時計が夕方のチャイムを響かせ、吹奏楽部がずっと同じ曲を練習してるのが蜃気楼みたいに聞こえてくる。

やっと優しい日差しに変わったけど、遮るものは何もない。
照り返しのまぶしさと、塩素の生ぬるいにおいと、熱。

横に置いたタオルの上でケータイが鳴る。大きな画面にLINEの通知。

  終わったよ!!

  いまどこ?

  どこーー

  ゆうちゃーーーーん

メッセージを確認して既読をつける。返さない。
はぁと息を吐くと、つむじのあたりに熱を感じて、ケータイと一緒にとったタオルを頭に乗せた。
落っこちないように手と壁で押さえながら、空を見上げる。

そっと手を伸ばしてみる。
傾き始めた太陽に掌をかざして、掴んでみる。ガシリ。
しばらくそのままにしていた。
遠くでヒグラシが鳴いてて、じっとしていると汗が服の中をつたってどこかに消えていく。
焼けるなぁ…
でも、動きたくない。ここいい感じ。

聞いてほしい話があって、夏休みは長すぎて、時間だけが過ぎて……
いや、本当は話なんかない。
よくわからないけど、ただ、会いたい。
素直にそう言えない自分が嫌だ。
今日だって忙しいのに、みんなの人気者なのに、独り占めしたい。

白い雲がのんびりと通り過ぎていく。
おまえいらない、あっちいけ。
ここから見える私の青を、汚さないでくれ。

握っていた陽の光が掌の横から少しずつ漏れて、夜のほうへ落ちていく。
太陽を捕まえるのをあきらめて、体育座りの膝を抱きかかえる。
止められない。

「なぁちゃん」

終わっちゃうなぁ、夏。
一緒に過ごせる時間も、胸の痛みも、空の雲も、ぜんぶ一緒に流れてくるし、流れていく。
でも、止まったら止まったでつらいことも一緒に止まるなら、流れていってくれたほうがいいのかもしれない。

さすがにちょっと暑いな。着替えたばかりなのに、もうブラウスが貼り付きそう。
場所変えようかな……と、思ったら。
ドアが開く音。ビニール袋が揺れる音。コンクリートを打つ、軽い足音。

「いたー!」

突然の大きな声にびくっと肩が震えた。
見上げると25メートル先のプールサイドになぁちゃんがいる。

「返信しろーー!!とっくに終わったろー!!」

そうです。体育委員会のプール清掃はとっくに終わりました。
はしごの途中から飛び下りてダンッと着地した振動が、ビックリするほど低い音で響いた。

「こらー!土足禁止ー!」

「あ、ごめん」

25メートル先のなぁちゃんは、まっくろくろすけを踏みつぶしたさつきちゃんみたいな格好で、自分の足元を確かめた。
脱いだローファーにくるぶしの短いソックスを突っ込んで、青の上を歩いてくる。

ダッダッダッダッ
足を進めるたびに、振動が弾むように伝わってくる。時々、乾ききっていない水たまりに足をついてピチャッと跳ねる。
いつも聞くどんな足音とも違う。プールって何で出来てるんだろう?
意外と広い青い箱の中を、なぁちゃんは着実に私のほうに向かってくる。

「はー!暑い!」

空気を吸い込むみたいに真上を向いて叫んだ。
25メートルプールを歩ききった岡田選手は、ローファーをプールサイドに乗せた。

「おしり濡れるよ」

「めっちゃ乾かしたから大丈夫」

プールの中でボーっとしてみたくなって、この壁際の床は入念に掃除して拭いて乾かした。
このお天気だからちょっと拭いてあげたら一瞬で乾いた。

「ほれ」

「うわっ」

頬っぺが急にすごく冷たくなって、またびくっと震える。
何かと思ったら、「買ってきたよ」と、手に持ってたコンビニの袋からカルピスが2本。

「真っ赤なゆいりんごになってますよ」

「そんなことないよー」

手じゃなくて頬に押し付けてくるのを、顔の横で受け取った。
ペットボトルは気持ちよさそうに汗をかいている。喉は乾いてるけど飲む気になれなくて、横に置いた。

見上げていたまぶしいなぁちゃんは、床がめっちゃ乾いてることを確認してから隣に座った。

「こんなところでどうしたの」

ちょっと困らせてみたかった、だけ。どこにいるか探してくれるかなって。
でもなぁちゃんはすぐわかった。
校舎から離れた学校の端にある生徒会室からはプールがよく見えるから、わざと死角になる側の壁に座ってたのに。

「ここってよくわかったね」

「だってゆうちゃん、いつまで経っても更衣室から外出てこないから」

「…見てたんですか」

「監視してましたよ」

「仕事しろよ」

文化祭の準備で大忙しのはずでは。

「したよ!朝からめっちゃした!」

窓際でプール監視しながらね。ご苦労様でした。

なぁちゃんは自分のぶんのカルピスを飲む。さぞ美味しそうにごくごくと。
もう軽く半分はなくなろうとしている。
そしてボトルから口を離すと、「暑い!」とまた叫んだ。

短く切った髪のもみあげのところが細い束になって、汗が玉になってる。
白い肌が紅潮してて、さすがにこの青い世界の暑さが異常なんだなと思う。

「こんなとこでよくじっとしてられるねぇ。焼けちゃうし、もう行こうよ」

「視覚的には涼しいもん。落ちつくし」

意地で言ったけど、はい。空調入ってる生徒会室よりも暑いと思いますよ。

「暑くないの?やばくない、大丈夫?」

「さっきシャワー浴びたし平気」

「はっ!?」

体育委員ですからね。更衣室のシャワー使えちゃうんですよ。

「なんで呼んでくれないの!?」

「呼ぶ必要あった?!」

「いこう、今からシャワーいこう!」

座ってたのがいつでも立ち上がれるしゃがんだ姿勢になってて、本気で更衣室のほうを指差してる。

「バーカ!ほんっと変態」

今にも走り出しそうな前のめりがおかしくて、笑った。
へんなの。さっきまで、全然笑える気分じゃなかったのに。

膝の上で組んだ腕をまくらに横向きに伏せたまま、置いてあるカルピスに手を伸ばした。
変わらない青と白。
子どものころ大好きだったけど、この歳になっても飲むなんてね。
たっぷりと汗をかいたボトルをタオルで軽く拭いて、こぼさないように慎重に封を切った。
一口飲むと、いつの夏にもあった甘い味が広がった。

ボトルを握って少しだけ冷めた手を、さっきまで抱えていた膝に戻そうとすると、動きがとまった。
なぁちゃんに手首を掴まれてる。

「捕まえた」

まっくろくろすけを捕まえたさつきちゃんみたいに、誇らしそうに笑う。
私の手の甲を包むと、手を繋いでくれた。
暑さのわりにその手はすべすべしてて、柔らかい。

なぁちゃんは私の横にぴったりと身を寄せて、もたれかかってきた。近い。

「近いよ」

「嬉しいくせに」

なぁちゃんは平然と言って、絡めた細い指でとんとんと手の甲をたたいてくる。
西日のせいだ。急に強くなったから火照ってるんだ。だって、こんなにあつい。

「ゆうちゃん」

なぁちゃんがしゃべるたびにブラウスが擦れて、薄い袖ごしになぁちゃんの体温が伝わってくる。
短い髪が首筋のあたりにあたってチクチクする。

何もしなくていい。ただ、隣に居てくれるだけで。
でもちゃんと訊いてみたくて、それもこわくて。
なんて言えばいいんだろう。ずっともどかしかったけど、うまく言えない。

「会いたかったよ、ゆうちゃん」

首筋に生あたたかい息づかい。でも素直に委ねられなくて、ちょっと意地悪を言ってみる。

「今日はめぐ一緒じゃないんだ」

「え?」

「なんでもない」

体育座りの膝のうえに顔を伏せてそっぽを向いた。穴に逃げ込むまっくろくろすけと同じくらいには速かったと思う。
言わなきゃよかった。恥ずかしい…またあつくなる。

「めぐは置いてきたよ」

「聞こえてんじゃん」

バーカと言って、あいてるほうの手でなぁちゃんをどつく。
まんざらでもなさそうにニヤニヤしてるのがムカつく。

なぁちゃんは空を見上げた。私も同じように空を見た。
太陽はどこかに行ってしまって、青かった四角い天のすみに、夕陽のオレンジと夜の紺が流れてくる。

「この後どうします」

「いつものとこ行くか」

「行きますか」

まだ大丈夫だよね。だってまだ、夏だから。

プールサイドに上がって、また手を繋ぐと、足元を見て俯いてた頬にやわらかい感触。
ふいに止まった時間。
唇が離れてまた流れ出すと、手を強くひっぱって感情を伝える。何するの、もう!
私の半歩先で笑ってるなぁちゃん。まったく、油断も隙もない。

早くこのプールを新しい水でいっぱいにして、この今の全部をしまっておかなきゃ。
ふたりだけの長くはないけど大切な時間を、いっぱいに詰めて。
なぁちゃんの笑顔をいちばん上にして、鍵をかける。

青かった空、白い肌、桃色の唇、茶色のさんかく、澄んだまる。

青い箱。


◎おわり◎

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