一年前、私はもともとミニマリスト界隈としてブログデビューしました。
人よりいつも一言多いからか、妙に悪目立ちして今日まで来てますが、やってることは割と界隈の主流だと思う。
- 他者評価で生きる日常に疑問を持って、
- 自己評価で生きることを目的とし、
- 自分に必要なもの以外を断捨離して
- 次のステップを考える(たいてい旅に出る)
ゲストハウスガイド100 - Japan Hostel & Guesthouse Guide -
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けっこうその頃みんな「何捨てた」とかの記事が多かったんだよね。
端から見れば、
「そんなこといちいち報告されても……」
って思った人もいるかもしれませんが、私は今思うと、自己肯定感を築く過程でこういう記録をしていくのって非常に大事だと思うんだよね。
(私はその記事もすでに捨ててしまったけれど。)
わたしのウチには、なんにもない。 「物を捨てたい病」を発症し、今現在に至ります
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「なぜそれを捨てたのか」、ここが一番重要だと思っています。
闇雲に全部捨ててとりあえず部屋をすっからかんにして写真掲載するタイプもいましたが、自己肯定感を築くという観点ではそれだと意味がないと思っています。
例えるならそれは自傷行為。無理なダイエット。
おそらく一度スッとして、またリバウンドする。
捨てたものに対して切り捨てて見ないふりをすることは、かつてそれを手に入れるに至った自分の選択を見なかったことにするということ。
今までの自分の選択の積み重ねが今の自分の人生であり、持ち物であるわけです。
持ち物には自分の生き様が出る。
たとえば私なら、
「ああ、全部親になんとなく買ってもらっただけで本当に自分でほしいと思ったことないや。」
とかね。
年齢に似合わず小奇麗で高価でこだわりがなく無難な持ち物には、親の言われるがままになんとなく物事を選択してきてしまった私の人生が表れていたのです。
立派なブランドものの服はすべて売ってしまいました。
誰にも干渉されず、働く時間を最小限におもに引きこもるか旅をするかだけの日々に、生地のしっかりした毎回クリーニングが要るとくに気に入ってもいない服は邪魔だったからです。
そして不思議と、手放すと自然と気に入った服が手に入るようになりました。
今は手入れのいらない、ざぶざぶ洗えてちょっとかわいいぐらいの服が気楽で過ごしやすいです。
モノを捨てられない人へ
あなたに自己肯定感はありますか?
あった場合、捨てる必要なんてなのかもしれません。
必要なものだけに囲まれて、今の生活になんやかんや割と満足しているのかもしれません。
自己肯定感がなかった場合、モノの要るいらないを自分ではない誰かの視点で考えていませんか?
「せっかくあの人がくれたんだし」
「もったいないって言われそうだし」
「邪魔だけど仕事で使うし」
誰かと暮らしているなら人のモノを勝手に捨ててはいけませんが、自分のモノを自分で整理するときぐらいは自分を優先してもいいのです。
仕事で使うものを自分は邪魔としか思えないなら、邪魔なものに囲まれて仕事をするのが日常になっているということですから相当なストレスでしょうし、仕事やライフスタイルを見直すべきかもしれません。
よくある「いつか使うかも」も「それ誰視点で言ってますか?」って話です。
思い出の品とかもなんか、
「思い出を捨てると自分が薄情と思われそう。」
とか、そういう他者目線ない?
大切な思い出はずっと心に生きるし、サークルの飲み会の写真とかならべつにいらんやろって私は思うタイプですが。
ものを取捨選択する時間は自分と向き合う時間でもあります。
捨てたくても捨てられないならせめて、モノの重要度の優先順位ぐらいは自分でつけられるようになるといいかもしれませんね。