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自分にとって K DUB SHINE さん は 最も尊敬し敬愛する日本人ラッパーなんだ。

自殺とかばっか考えてた 若いころに K DUB SHINE さん のラップに触れ 夢や生きる希望をもつことができて。

ヒップホップに興味を持ち始めた 15年前 「 Creation Rebel The Best Of Cutting Edge Hip Hop 1995-2000 」 という 2枚組みのアルバムを買って それに収録されていた 「 理由なき犯行 ( 中学生日記 ) 」 という曲に 衝撃を受けた。

アルバムのなかでも ズバ抜けてリアルな曲で 2枚組みのなかで 一線を画し いちばん曲が目立った。

当時自分がおかれていたシチュエーションと曲の内容が似ていて シンクロした部分で まず 「 なんなんだ..このリアルな曲は... 」 と ショックのような衝撃を受け 「 このカッコイイ声と とてつもなくリアルな歌詞を書く この人はなんなんだ... 」 と 衝撃を受けた。

それが K DUB SHINE さん だった。

自分を見失い 鏡に悪魔がみえたような時期。

報道されていた 神戸の事件 ( 酒鬼薔薇事件 ) は 興味深くみた。

いろんな意味でね。

あのころの自分は 加害者の精神状態に近いものがあったから。

俺はx物x待とかもやっていたぐらいだから...。

当時 自分は 13歳。

自分は 学校関係 中学で問題ばかり起こし たくさんの問題を抱えていたり ひとりになりたいのにひとりになれない家庭環境 自分の部屋がないことがひどく嫌だった。

自分の父は 幼いころに 親に捨てられた という父で 実家をもたず 母は母で 母の事情で 母方の実家というものに縁がなく 自分と弟には実家ってものがなく 自分は長らく ボロアパートの台所を部屋と寝床とし 寝る場所にも困っていたような ひどい生活でいて。

台所の冷蔵庫の横の 「 人ひとり5歩ほど歩けるスペース 」 が 自分の居場所と寝床だ。

台所へ向かうには 居間側からとトイレ側から向かえたけど 居間側から真っ直ぐには俺がいて通れないので 家族3人は必ずトイレ側から迂回して台所にくる形。

そこをふすまみたいなガラス戸で仕切ることはできたけど 冷蔵庫の横だから 常に家族が行き来し 多感な時期にどうしても家族に終始さらされるのが嫌だった。

家じゃプライベートなんてあったもんじゃないんだから。

ひとりになれるのはトイレのなかだけ。

友達を連れてこれるような広さや環境じゃなく 2歳からのダチの親友のかつ以外 友達を家に連れてきたこともない。

台所にふとんがあるんだから。

学校のこと以外にも そういうのもすごく悩んだ。

精神を病み 自分を更におかしくさせた。

そんな同じ家に一緒にいるにもかかわらず おやじとは 学校のことで暴力を振るわれてから 5年近く 一言も口を利かなかった。

13歳の ある日 寝ていたら 学校のことで おやじに いきなりぶん殴られ 暴力を振るわれ ひどくショックを受け それからおやじをひどく憎んだ。

絶縁といっていい。

心を閉ざし ふさぎ込み あまりに誰ともしゃべることがなくなったため しゃべるということができなくなり 意思の疎通をはかることが困難となり 植物人間のようになった時期もあった。

ストレスで過食症に陥り 腹がひょうたんのように膨れ上がるまで食い物を食ったり 精神的に追い詰められたせいか 真っ黒な黒いションベンがでたことがあって これは本気でヤバいと感じた。

自分が崩壊していく様がこわかった。

おやじに暴力を振るわれたときに母がそれをとめてくれたこともあって 母には少しずつ心を開いていくことになる。

母に対してだけ 無言で首を縦か横に振るのが 自分の唯一の感情表現だった。

当然自殺は毎日のように考えてた。

刃物と迷ったが 首2りが無難 ってのは よく思ってた。

友達とも疎遠になって悲しかった。

孤独だった。

数年が経ち おやじと久々に話したキッカケは 「 バイク 」 だった。

暴力団に拉致られたり ワルだった おやじだったから バイクや車などに詳しくて。

乗り回していた 原チャリや その部品 改造などについて おやじにこちらから何か質問したのが おやじと久々に話したキッカケだった。

それが 17歳 か18歳 ごろ。

何度か警察の世話になったこともあるけど 家裁送致の件 以来 こういったこととは自分は無縁だ。

今は おやじとは 仲悪いってわけではないけど 仲良いってわけでもない。

長い間 こういった関係にあったため 今もなお どこか ぎこちなく 互いに変に気遣いあい そして 俺がどこか おやじを 避けてしまっている。

正直 おやじとは あまり コミュニケート とっていない。

いまだ自分のなかで何かが氷解できていない。

傷は深すぎた...。

実家に関しては 自分が 22歳 になってからできることになる。

あとは行間を読んでいただけると助かる。

K DUB SHINE さん の曲 ラップが 暴発に対するブレーキになったような部分は かなりあったように思う。

K DUB SHINE さん の曲を聴くと どこか冷静と 自分を保てた。

曲のリアルさから ご自分も たくさんのつらい経験を乗り越えられてきたのだと想像した。

「 うちの貧乏特別だった 」

「 少しギャングスタ 少しまじめ 」

とても共感と ファンになった。

俺は K DUB SHINE さん の 「 生きる 」 ってアルバムが忘れられないよ。

個人経営の小さなお店で予約して買った。

このアルバムを いつも宝物のように聴いた。

心強い 「 兄貴 」 のような存在だった。

「 俺にできんなら お前にもできる 人生自分なりに工夫して生きる 」

アルバム 「 生きる 」 そして K DUB SHINE さん のメッセージには 心底救われたおもいがした。

「 誰もが自分のドラマの主役 」

傷は消えなくても 「 生きてみよう 」 と思えた。

それこそ 俺の 「 命の恩人 照れくせぇけど それ本心 」

K DUB SHINE さん に救われた人は多いよ。

自分の親友のかつもそうだ。

あいつも俺に負けないぐらい K DUB SHINE さん のファンだ。

「 そのころよく聴いていた K DUB SHINE 話題も弾み またツルみだし 」

と ライムしてたな あいつ。

俺 「 K DUB SHINE 」 と名の入った作品はなんでも買ったね。

K DUB SHINE ベスト3 を挙げさせていただくとするなら 自分は 「 パラレル・ワールド 」 「 トワイライトゾーン 」 「 今なら 」 この3曲を挙げたい。

K DUB SHINE さん には 多くのものを教わった。

日本の Rakim そんな感じがする。

「 オレはオレ 」 であることのカッコよさ。

この伝説のラッパーについて これ以上は 「 説明不要 」 だろう。

もし生まれ変わりがあるとするなら どこをどう辿っても 自分は また アルバム 「 生きる 」 そして K DUB SHINE さん に出会いたいと願うだろう。

長い文章のところ どうもありがとう。

Meubish
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