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荒神谷6号銅鐸との同笵関係が判明した松帆5号銅鐸(奈良文化財研究所提供)
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荒神谷6号銅鐸との同笵関係が判明した松帆5号銅鐸(奈良文化財研究所提供)
松帆5号銅鐸との同笵関係が判明した荒神谷6号銅鐸(島根県教育庁提供)
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松帆5号銅鐸との同笵関係が判明した荒神谷6号銅鐸(島根県教育庁提供)

 昨年4月に南あわじ市で出土した「松帆銅鐸」7個(弥生時代前期末~中期前半)のうち4個に、それぞれ同じ石製の鋳型(同笵)で作られた兄弟銅鐸(同笵銅鐸)があることが分かり、南あわじ市教育委員会などが26日発表した。4個のうち松帆5号と呼ばれる銅鐸は、島根県出雲市の「荒神谷遺跡出土銅鐸」(6個、国宝)6号(高さ23・7センチ)との兄弟関係を新たに確認。同じ古代神話の地である淡路と出雲地域の関係などにも注目が集まる。

 他の兄弟銅鐸は、松帆3号と島根県雲南市の「加茂岩倉遺跡出土銅鐸」(39個、国宝)27号(高さ31・4センチ)▽松帆2、4号と南あわじ市の「中の御堂銅鐸」(高さ22・5センチ、国重要文化財)-で計3組。いずれも、3番目に古い型式で両脇にひれの付いた「外縁付鈕1式」、文様は縦横の帯で四つに区切られた袈裟のような「4区袈裟襷文」。表面の笵傷(鋳型の傷)のほか、松帆3号は「王」字状の図像、松帆4号ではシカの絵などの特徴が手掛かりとなった。

 笵傷の付き具合から鋳造の順番は、松帆5号は荒神谷6号より先と推定。松帆3号と加茂岩倉27号は未確定。松帆2、4号と中の御堂銅鐸では、松帆2号が最も後とみられる。

 兄弟関係を確認した難波洋三・奈良文化財研究所共同研究員は「当時のハイテクで作られた銅鐸が、遠距離まで流通していたことが分かる。今後の研究で原料の交易や生産状況、弥生社会の姿などが分かってくるだろう」と期待する。

 残る松帆銅鐸3個のうち、松帆7号は辰馬考古資料館(西宮市)所蔵の銅鐸(伊丹市中村出土、兵庫県指定文化財)と兄弟の可能性を指摘。松帆1号は現存の同型式の銅鐸8個に兄弟はなく、松帆6号も加茂岩倉銅鐸を中心に調査を進める。(田中真治)

■浮かび上がる弥生時代の広域交流

【松帆銅鐸調査研究委員会委員の福永伸哉・大阪大大学院教授の話】淡路と出雲の銅鐸の同笵事例が増え、東部瀬戸内と日本海側との「銅鐸ネットワーク」が一層明瞭になり、弥生時代の広域交流の様子が浮かび上がった。同笵関係にありながら松帆銅鐸のみに「舌」が伴っていたのは、埋納時の取り扱いの差なのか興味深い相違だ。

【松帆銅鐸】昨年4月、南あわじ市松帆地区から採取したとみられる砂を加工工場で処理中に発見。計7個の出土数は全国で4番目の多さで、最古段階を含む。7個全てに音を鳴らすための青銅製の振り子「舌(ぜつ)」を伴う異例の出土例で、舌をつるしていたとみられるひもの一部が残存。つり手に、ひもを巻き付けたことを示す繊維片も確認され、銅鐸を木などにつるして使ったことを初めて裏付けた。

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