2016-10-27

人間共感というものは信じないほうがよい

NHK世界的な経済格差というものが取り上げられていた。

格差解決する鍵として、人間の「共感」というもの大事なのかもしれないということで番組を締めくくったようだった。

しかし、「共感」というものは誰に対しても等しく向けられるものではない。

広告代理店に勤めて、自殺した東大卒の見てくれがマトモな女への共感というものは凄まじいものであった。

しかし、彼女共産趣味で言うと小ブルジョアに成り上がろうとして失敗したようなものである

死ぬまでも大量の人間入試やらで蹴落としただろうし、もしかしたら自分のような偏差値の低い大学容姿が醜い人間などバカにしていたかもしれない。

まぁ、そんな人間でも多くの人間が憧れる企業に勤める東大卒の見てくれがマトモな女であったか共感を得られるのだ。

死んでいるから、そんなに嬉しくないだろうけど。

そして、自分はこんな女に共感しない。

頭が悪くて、容姿が醜く心底酷い目に遭った自分にとってみたら単なる勝ち組だ。

自分よりも偏差値セックスの回数は遥かに上だろう。

何が言いたいかというと、結局「共感」というものはアテに出来ない。

酷く深いニキビ跡やらが顔中にへばり付いて、全体的に汚い容姿自分は「共感」されそうにない。

ただ、少しでも「共感」されたいし楽しく生きたいから整形代を貯めている。

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