格差を解決する鍵として、人間の「共感」というものが大事なのかもしれないということで番組を締めくくったようだった。
しかし、「共感」というものは誰に対しても等しく向けられるものではない。
某広告代理店に勤めて、自殺した東大卒の見てくれがマトモな女への共感というものは凄まじいものであった。
しかし、彼女は共産趣味で言うと小ブルジョアに成り上がろうとして失敗したようなものである。
死ぬまでも大量の人間を入試やらで蹴落としただろうし、もしかしたら自分のような偏差値の低い大学の容姿が醜い人間などバカにしていたかもしれない。
まぁ、そんな人間でも多くの人間が憧れる企業に勤める東大卒の見てくれがマトモな女であったから共感を得られるのだ。
死んでいるから、そんなに嬉しくないだろうけど。
頭が悪くて、容姿が醜く心底酷い目に遭った自分にとってみたら単なる勝ち組だ。
何が言いたいかというと、結局「共感」というものはアテに出来ない。