Hatena::ブログ(Diary)

質問学 RSSフィード

2016-10-13

「死ぬくらいなら辞めればよかった」は絶対に誤り?

電通新入社員自殺、「死ぬくらいなら辞めればよかった」が絶対に誤りである理由。 (後藤和也 産業カウンセラー/キャリアコンサルタント)

■本件についてはさまざまな議論がなされているが、「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」という意見が多数みられた。一見正論とも捉えられそうなこの意見は妥当なのだろうか。

最初に見解を述べれば、筆者はこの意見には反対であり、明確に否定する。

■「会社を辞めればよかった」は、空しい見解だ。
「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」という意見についての産業カウンセラーとしてのアンサーは、「そりゃあそうかもしれないですが、心を病んでる人にそんな冷静な判断できると思いますか?」ということになる。


この産業カウンセラーさんのような意見がでてくることは、ある程度予想したうえで、ぼくは数日前に記事を書いた(といってもメモ書き程度だけど)

質問学ブログ「今この瞬間、自分にはどんな選択肢があるのか?」

・過労で死ぬくらいなら、辞めればよかった。
・いじめで自殺するぐらいなら、転校すればよかった。
etc.

ぼくはこの考え(の趣旨)を支持します。

「いま、どんな選択肢があるのか」を常に問い続けること。これは社会を生きぬいて行くうえで不可欠な態度だと思う。

この産業カウンセラーが言いたかったのは、「心を病んでる人にそんな冷静な判断できると思いますか?」ということなのだろう。もちろん心の病が進めば、「辞める」「逃げる」という判断ができなくなる。(それが「心が病んでいる」状態なのだから)

意見A:「手遅れになる前に、辞めればよかった」
意見B:「手遅れになったら、辞めることができない」

意見A・Bともに一理ある。

この産業カウンセラーは意見Bの立場から、意見Aを否定しているわけだ。

このとき、意見Aの内容を自分に都合よく解釈して(攻撃しやすい形にして)、全否定しようとすると、議論が噛み合なくなる。
そうではなく、意見Aの趣旨をくみ上げ、寛容に解釈すれば、2つの意見が両立できる。


【追記】

禁煙にたとえれば…

・意見A:ひとりひとりが、タバコ依存にならないための判断力・リテラシーを身につけることが大切

・意見B:社会環境として、タバコを買えなくする、吸えなくする、禁煙教育を普及させることが大切

意見A・Bともに一理ある。お互いにサポートしあう、クルマの両輪のようなものだと私は考えます。

ところが、一方を強調するあまりに他方の意見を全否定すると、ムダな対立をあおったり、議論がすれちがったままになってしまうおそれがあります。

そんな風に思って今回の記事を書いたしだいです。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/13 09:15 意見A:傍観者の意見
意見B:当事者の意見

・過労で死ぬくらいなら、辞めればよかった。
=(辞めないからあなたは過労で死んでしまったのだ、辞めていればあなたは過労で死なずに済んだのだ)


>この産業カウンセラーが言いたかったのは、「心を病んでる人にそんな冷静な判断できると思いますか?」ということなのだろう。

この産業カウンセラーが言いたかったのは↓
―――――――――――――
本稿で言いたいことは、「死ぬ前に辞めればよかった」という意見は、つまるところ問題の責任を当事者個人に押し付けるものであり大変危険だ、ということだ。
―――――――――――――

ワイネフワイネフ 2016/10/13 09:38 >本稿で言いたいことは、「死ぬ前に辞めればよかった」という意見は、つまるところ問題の責任を当事者個人に押し付けるものであり大変危険だ、ということだ。

なるほどです。ただ、これは意見Aが拡大解釈されていると僕は思います。

今日、この記事を教えてくれたお医者さんのコメント欄に僕が書いた意見を転載しておきます。問題の第一義的な責任が会社にあることは、大前提だと僕は考えています。



そうですね。この場合、会社側に第一義的な責任があるのは大前提だと思います。もし「会社側に責任がない」という人がいたら、それこそ厳しく批判されるべきでしょう。

(中略)

つまり「会社側に責任がある」「会社が改善しなければならない」ことは共有事項だとしていいでしょう。

そのうえで、ぼくが気になったのは、対立意見を拡大解釈して全否定する論法ですね。ディベートの活性化にはメリットがある反面、お互いに一理あるのに議論がすれ違ったままでは残念だと思ったしだいです。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/13 15:35 私はこのように言っています↓
-----------------
意見A:傍観者の意見
意見B:当事者の意見
-----------------
死の選択とは社会的価値観としても 傍観者の価値観として見ても 誰もがそれを誤りだと言うであろう。
しかし当事者の価値観から見て「死の選択は誤りである」などと、当事者ではない傍観者の分際で果たして言うことが可能なのだろうか。
傍観者の分際で当事者に責任を問うことが出来るのか。
当事者の責任がどうこう言おうにも、この件に関しては 当事者死亡という結論が既に出てしまっているのだ。


>禁煙にたとえれば…
>・意見A:ひとりひとりが、タバコ依存にならないための判断力・リテラシーを身につけることが大切
>・意見B:社会環境として、タバコを買えなくする、吸えなくする、禁煙教育を普及させることが大切
>意見A・Bともに一理ある。お互いにサポートしあう、クルマの両輪のようなものだと私は考えます。

「禁煙しない」という当事者の価値観はどこへ行ってしまったのか。
当事者の価値観というものは尊重されるべきものではない ということなのか。


「死ぬ前に辞めればよかった」、確かにその通りだ。
しかしその言葉の背後には どれほどの深い思慮があるのか。
因と果、原因と結果。
ヘルメットがあれば怪我をしなかった、勉強していれば受験に落ちなかった などなど、間違いでは無い 正しいとは言え、当事者意識が置いてけぼりにされた傍観者視点のみのその『 正・し・い 』結論に本当に問題はないのか。
得てして傍観者というものは、悪い結果には特に「ああすれば良かった、こうすれば問題なかった」などなど、後から幾らでも好きなように 何でも都合よく言うことができてしまうものだ。

傍観者による当事者への価値観の押し付け。
困ったことにそれは、当事者の為 良かれと思って無自覚に行われる。
産業カウンセラーが言った『大変危険』が指すものとはいったい何なのだろうか。

ワイネフワイネフ 2016/10/14 13:41 -----------------
意見A:傍観者の意見
意見B:当事者の意見
-----------------

意見Aが「傍観者の意見」だと思えたんですね。

ぼくはむしろ意見Aを当事者の選択肢の問題として考えています。

その人自身や、家族・恋人など近い人をイメージしています。
「自殺」という最悪の結末を避けるためには何が必要か?

収入や世間体、周りからどう思われるか…など、全てかなぐり捨てていい。
とにかく生き残る! 
そのためには、選択肢は多ければ多いほどいい。

そう考えたときに、「そこから逃げる」という選択肢は、できるかぎり持っておいた方がいいと思うんですね。
選択肢A:そこから逃げる。とにかく逃げる。
選択肢B:環境を改善する。

選択肢A・Bともに重要だと僕は考えます。
もちろん、うつなどの症状が進めば選択肢Aが実質的に閉ざされます。
そのことは、医学的な知識として共有しておくべきでしょう。

・生き残るために、選択肢Aは重要である。
・病状が進んだ段階では選択肢Aが実質的に閉ざされる。

この2つは、別に二者択一ではありません。
僕はこの2つとも認めているということですね。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/14 14:56 >ぼくはむしろ意見Aを当事者の選択肢の問題として考えています。

そうですね、意見Aは「当事者の選択肢の問題」という【傍観者の意見】です。
その瞬間の当事者に「選択肢の問題」という意見が浮かぶものでしょうか。


>収入や世間体、周りからどう思われるか…など、全てかなぐり捨てていい。
>とにかく生き残る! 
>そのためには、選択肢は多ければ多いほどいい。

それは誰の意見(価値観)ですか?

後藤氏:『「会社を辞めればよかった」は、空しい見解だ』
なぜ後藤氏は「空しい見解」だと言っているのでしょうか。

後藤氏:『「死ぬくらいなら辞めればよい」というのは、結論から見た空しいロジックである』
どうして後藤氏は「空しいロジック」と思われたのでしょう。

いったい何がどう“「空しい」”のでしょうね。
どのように思われますか?


>そう考えたときに、「そこから逃げる」という選択肢は、

それは後藤氏だって百も承知のことだと思います。

ワイネフワイネフ 2016/10/14 15:29 sokonokeさんと僕の意見が一見、食い違っているようにみえるのは、「どの時点の話」かが違ってくるからじゃないかなという気がしますよ。

時点α:「逃げる」という選択肢がある段階
時点β:「逃げる」という選択肢が閉ざされた段階

今回の自殺については

時点α→時点β→自殺

という段階になっていると考えています。
ここまではいかがですか?

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/14 15:46 >sokonokeさんと僕の意見が一見、食い違っているようにみえるのは、「どの時点の話」かが違ってくるからじゃないかなという気がしますよ。

その通り、後藤氏がどの段階の意見を述べており、ワイネフ氏がどの段階の寸評を述べているのかということですね。

後藤氏はいったい何がどう“「空しい」”と言っているのでしょう。
「結論から見た空しいロジック」とはどういう意味でしょう。
どのように思われますか?

ワイネフワイネフ 2016/10/14 16:06 (いま、改めて読み返してはいませんが)
後藤さんの本来の主張は

(「逃げる」という選択肢が閉ざされた)時点βについていえば
「会社を辞めればよかった」は結論から見た空しいロジックだ。

ということだと思いますよ。
で、そこに限定していえば、僕もまったく賛成です。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/14 20:33 ―――――――――――
・過労で死ぬくらいなら、辞めればよかった。
・いじめで自殺するぐらいなら、転校すればよかった。
etc.
ぼくはこの考え(の趣旨)を支持します。
―――――――――――
↑これらは 時点α・時点β どちらの話でしょうか。

―――――――――――
この産業カウンセラーは意見Bの立場から、意見Aを否定しているわけだ。
―――――――――――
私は、この産業カウンセラーは時点βの段階から、意見Aを否定しているのだと思います。

―――――――――――
このとき、意見Aの内容を自分に都合よく解釈して(攻撃しやすい形にして)、全否定しようとすると、議論が噛み合なくなる。
―――――――――――
時点α(「逃げる」という選択肢がある段階)の意見Aは否定されないと思うのですがいかがでしょうか。

・過労で死ぬくらいなら、辞めればよかった。
・いじめで自殺するぐらいなら、転校すればよかった。
↑失礼ではありますが、なんとなくその言葉の語尾に「じゃん」という文字が透けて見えてしまうのですよね。
「辞めればよかったじゃん、転校すればよかったじゃん」
一見正論のようでいて、なにも知らない傍観者の無責任な...

死んでしまった者は戻らない。
その選択は正しくはなくすごく悲しいことではあるが、私は「〜すればよかった」と故人の選択を悔やみ(責め)続けるよりも 最後の決死の選択を尊重し、ただただご冥福をお祈りしたいと思います。

ワイネフワイネフ 2016/10/15 10:21 ・過労で死ぬくらいなら、辞めればよかった。
・いじめで自殺するぐらいなら、転校すればよかった。
↑これらは 時点α・時点β どちらの話でしょうか。

これはもちろん時点α=「逃げる」という選択肢が残されている段階での話です。


>私は、この産業カウンセラーは時点βの段階から、意見Aを否定しているのだと思います。

そうですね。ぼくもそう思います。


>時点α(「逃げる」という選択肢がある段階)の意見Aは否定されないと思うのですがいかがでしょうか。

そうです。「何が何でも生き残る!」という目的を第一に考えるとき、時点αにおける意見Aが否定される理由はないと思います。


>↑失礼ではありますが、なんとなくその言葉の語尾に「じゃん」という文字が透けて見えてしまうのですよね。
>一見正論のようでいて、なにも知らない傍観者の無責任な...

そこは誤解もあると思いますよ。
キーボードで打った文字列だけでニュアンスを判断すると、話がずれることがあります。
たとえばメールのやり取りで、送った側は簡潔に書いただけのつもりなのに、受け取った側からすると、「冷たいメール。怒ってるのかな…」なんて思うことはありませんか。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/15 10:43 >これはもちろん時点α=「逃げる」という選択肢が残されている段階での話です。

しかし「辞めればよかった、転校すればよかった」というのは、事前ではなく事後を表す記述ですよね。
それに記事にある「死ぬくらいなら辞めればよかった」という意見は、事後の時点βの段階である女性新入社員に向けられていますよね。
「時点α」と読むには無理があるように思います。


>そこは誤解もあると思いますよ。

そうですか。
大変失礼いたしました。

ワイネフワイネフ 2016/10/17 09:58 >しかし「辞めればよかった、転校すればよかった」というのは、事前ではなく事後を表す記述ですよね。

このあたりは、言葉から受ける印象の問題もあるかもしれませんけどね。

とにかく、「自殺という結末は最悪だ」という認識はみんな共有しているわけです。みんながそれを痛ましく思っています。

では、どうすれば最悪の結末が避けられたのか?

会社側に大きな責任があることも、ぼくは最初から認めています。
また、多くの人がそれについては Yesと答えるだろうと思います。

そのうえで、これがもし現在進行中のできごとなら、「逃げる」「辞める」という選択肢はもっておくべきだと思います。
事後から考える場合は、「逃げられる可能性があるとき(時点α)には、逃げればよかった。そうすれば自殺という結末が避けられた」という意見もあると考えています。

>それに記事にある「死ぬくらいなら辞めればよかった」という意見は、事後の時点βの段階である女性新入社員に向けられていますよね。「時点α」と読むには無理があるように思います。

その意味でいえば、ここは「時点α」と読んだときのみ、「死ぬくらいなら辞めればよかった」が成り立つということです。

ぼくは最初の記事(産業カウンセラーより前)で、こんな風に書きました。
http://d.hatena.ne.jp/yosikazuf/20161008/p1
「さて、女子社員の痛ましいニュースについて。会社や周囲の責任論、法的、倫理的、医学的…いろんな側面から議論することができるだろう。」

これは、「法的には、全責任は会社にある。彼女自身は責任を問われるいわれはない」「医学的には、症状が進むと実質的に自殺以外の選択肢が失われることがある」ということを念頭において書きました。つまり、産業カウンセラー的な論点は念頭に置いたうえで、選択肢の話をしています。



でもまあ、言い訳をしておけば、ぼくの記事に言葉足らずのところがあるのは事実だと思います。正式に発表する文章なら、誤解を受けないように、配慮を重ね、丁寧に書くところでしょう。
いまのところは文章の心配りよりも、毎日自分の考えをoutputして、自分なりの「書くリズム」を作ることを優先しているので。

だから、僕の本来の意図とは違う風に読めてしまったとしたら、そこは書く側の説明不足も大いにあると思います。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/17 11:38 >正式に発表する文章なら、誤解を受けないように、配慮を重ね、

いいえ、「氏が何故 どうしてここに産業カウンセラーの記事を引用しているのか」という部分に着目しています。
おそらく私は誤解していません。

氏の主張である時点αにおける意見Aはまったくその通りであり 何ら否定されるものでは無く責められるものでもございません。
私自身 そのことはとてもよく理解 且つ同意しており、後藤氏もまたそれは同じだと思います↓
――――――――――――――
「そりゃあそうかもしれないですが、心を病んでる人にそんな冷静な判断できると思いますか?」
――――――――――――――
『そりゃあそうかもしれない』→「時点αにおける意見Aはその通り(=同意)。だが、時点βの段階にある人にそんな冷静な判断ができるのか。」


>このとき、意見Aの内容を自分に都合よく解釈して(攻撃しやすい形にして)、全否定しようとすると、議論が噛み合なくなる。
>そうではなく、意見Aの趣旨をくみ上げ、寛容に解釈すれば、2つの意見が両立できる。

後藤氏は、意見Aの趣旨はきちんとくみ上げた(理解している)うえで、本件(電通の女性新入社員自殺)に於ける「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」という意見に異議を唱えているのではないですかね。


>この産業カウンセラーは意見Bの立場から、意見Aを否定しているわけだ。

↑氏は、産業カウンセラー(後藤氏)が意見Aを否定しているそれを指して「議論が噛み合なくなる」と、“後藤氏”の意見を否定されていたのではないのですか?
氏は、「後藤氏は、意見Aの内容を自分に都合よく解釈して(攻撃しやすい形にして)、全否定しようとしている」と否定されていたのではないのですか?
これは私の誤解なのでしょうか。

誤解なのだとすれば、なぜに、
都合よく解釈したわけではない、全否定しているわけではない、噛み合っていないわけでもない
後藤氏のそのコメントを引用し記事にしているのか。
その意味 意図とはいったいなんだったのか。
『議論が噛み合なくなる』との発言の真意(言わんとしていること)とはいったい何なのでしょうか?


>だから、僕の本来の意図とは違う風に読めてしまったとしたら、

氏の本来の意図が本当に「時点αにおける意見A」という持論の主張 その一点にあるとするならば、何故 どうしてここに産業カウンセラーのその記事が引用されているのか。

ワイネフワイネフ 2016/10/17 18:10 sokonoke2008さん

ご意見ありがとうございます。ざっと読んだところだと、ぼくとあなたの違いは「産業カウンセラー後藤さんの記事をどう解釈するか」にあるように思いました。そのあたりをもう一度確認したいところです。

ぼくの記事の意図を、すごく単純化して再確認してみます。

(1)YFの元々の意見:
意見A「自殺を回避するために、会社を辞めるという選択肢も大切だ」
意見B「症状が進んだ段階では、自殺を回避する選択が実質的に不可能になる」
私(YF)は意見A・Bともに一理あると考えている。

(2)
後藤さんの記事は意見Aを全否定している(ように思える)。
これは不要な軋轢を招きやすい。

(3)
意見Aの全否定ではなく、意見A・Bのいいところを共に認めるべきだ。

以上のようにぼくは考えています。
それに対してsokonoke2008さんは、ちがう見解を持っているということですね。
とくに(2)について、「後藤さんは意見Aを全否定しているわけではない」とお考えですか?

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/17 18:43
>とくに(2)について、「後藤さんは意見Aを全否定しているわけではない」とお考えですか?

はい。
既にお伝えしてある通りです。

ワイネフワイネフ 2016/10/18 09:39 sokonoke2008さん
だとすると、そこは後藤さんの記事についての受けとめ方の違いですかね。
後藤さんの正確な意図については、最終的には本人に確認するしかありません。ただ、記事自体のタイトル、途中の見出しも含めて、「死ぬくらいなら辞めればよかった」という意見Aを完全否定するニュアンスが強いと思ったので、ぼくとしては意見A、意見B双方の良い点を認める記事を書いたつもりです。

>「死ぬくらいなら辞めればよかった」が絶対に誤りである理由。
>「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」は、おかしい。
>「会社を辞めればよかった」は、空しい見解だ。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/18 10:44 ですから私は後藤氏が『そりゃあそうかもしれない』と発言されていることをお知らせしています。
更に、後藤氏はワイネフ氏の時点αに於ける意見Aを否定しているのではなく、本件(電通の女性新入社員自殺)、時点βに於ける「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」という意見Aを否定しているのです。


>だとすると、そこは後藤さんの記事についての受けとめ方の違いですかね。

ですね。
受けとめ方として このとき、後藤氏の意見の内容を自分に都合よく解釈して(攻撃しやすい形にして)、全否定しようとすると、議論が噛み合なくなります。
持論を強調するあまりに他方の意見を「完全否定するニュアンスが強い」と全否定されてしまいますと、ムダな対立をあおったり、議論がすれちがったままになってしまうおそれがあります。
ワイネフ氏は「後藤氏は時点αに於ける意見Aをも否定している」と拡大解釈されているのではないでしょうか。


>ぼくとしては意見A、意見B双方の良い点を認める記事を書いたつもりです。

そうでしょうか↓
―――――――――――――――
この産業カウンセラーは意見Bの立場から、意見Aを否定しているわけだ。
このとき、意見Aの内容を自分に都合よく解釈して(攻撃しやすい形にして)、全否定しようとすると、議論が噛み合なくなる。
そうではなく、意見Aの趣旨をくみ上げ、寛容に解釈すれば、2つの意見が両立できる。

ところが、一方を強調するあまりに他方の意見を全否定すると、ムダな対立をあおったり、議論がすれちがったままになってしまうおそれがあります。
そんな風に思って今回の記事を書いたしだいです。
―――――――――――――――
↑これは「意見Bがどうのこうのは問題ない、ただ 意見Aを否定した後藤氏のそれは間違いだ」という後藤氏否定がメインの記事ということなのではないですか?
「意見A、意見B双方の良い点を認める記事」と言っている部分はありますが、そこはこの記事の本旨(争点)ではないでしょう。
氏が意見Aと意見B双方の良い点を認めていることは知っていますが、私はそこに言及していません。
本当のところ氏はお気づきになられているのだけれども、議論を噛み合わせようとしない すれちがわせるためにそのように言っているのではないのか、と私には思えてしまいます。


>「死ぬくらいなら辞めればよかった」が絶対に誤りである理由。
>「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」は、おかしい。
>「会社を辞めればよかった」は、空しい見解だ。
↑後藤氏は時点αのことを言っているのですか?、それとも時点βのことを言っているのでしょうか。
本件(電通の女性新入社員自殺)は時点αですか?、それとも時点βですか?

ワイネフワイネフ 2016/10/18 19:14 なるほど。sokonoke2008さんと僕の見解のちがいは、ある程度見えてきたように思います。ひとまずそれは置いておいて、あなたと意見が一致している部分も多そうなので、いくつか確認しておきますね。

・女子社員が自殺したのは痛ましい出来事だ。
・できることなら自殺という結末は避けられたらよかったのに…
・彼女が自殺に至ったことの責任は会社側にある。

また、以下のように時点α、βを定義したとき…
時点α:「逃げる」という選択肢がある段階
時点β:「逃げる」という選択肢が閉ざされた段階

・時点αにおいては「辞める」「逃げる」などすればよかった(自殺を回避できた)
・時点βにおいては「辞める」「逃げる」などは不可能だった。

これらの意見については、あなたも私も見解が一致していると思いますが、いかがですか?

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/18 20:18 後藤氏に対する見解ではなく、私個人の意見として一点のみ。
――――――――――――
彼女が自殺に至ったことの責任は会社側にある。
――――――――――――
↑「責任」の定義如何にもよるが、当事者 会社 家族 メディア 社会 そして傍観者、それぞれにそれぞれの責任というものはある。
「責任は会社側」という言葉がどのような趣旨でここに用いられているのか。
その理由次第では 言葉ではなく趣旨に対して否定する可能性はあります。

以上の点を踏まえてくだされば見解が一致しているということで構いません。

ワイネフワイネフ 2016/10/19 09:22 たしかに「責任」の定義しだいで答え方も変わってきますね。

ここで確認したいと思ったのは、「法的責任」「倫理的責任」などを厳密に規定するというよりは、もう少し大きな意味で責任は「会社>>>>本人」だということです。

会社の責任が100%か80%か…というような細部の議論もとりあえずは置いておいて、私もあなたも、自殺した新入社員本人に責任を押し付けようとしているわけではない、という点を確認しておきたいと思いました。



そういえば、昨日はこんな記事も読みました。

電通の新入社員が過労自殺 「行きたくない部署」として評判だった
http://news.livedoor.com/article/detail/12162247/

「そんなにつらい職場なら、やめればよかった」というのはたやすい。だが、筑波大学大学院人間総合科学研究科教授で、職場のメンタルヘルスに詳しい松崎一葉医師はこう言う。

「過労による自殺のほとんどは睡眠不足の状態で起こっている。論理的に見えても脳は疲れ、判断能力が低下して、小さなきっかけでもう死ぬしかないと思ってしまうのです」

 松崎さんは、こう語った。

「学歴の高い人は知らない人に相談しない傾向もある。日頃から社員が産業医と親密に話す環境をつくるなど、機能するメンタルサポート体制が必要です」


この松崎医師の見解に、僕は賛成です。おそらくsokonoke2008さんも同意されるのではないかと思いますが、いかがですか?

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/19 09:39 はい。
「結局自分を守るのは自分自身」という思いはありますが、社会としてそのようなサポートを用意しておくことには賛成いたします。

ワイネフワイネフ 2016/10/19 12:28 そういう意味でいえば、事件そのものについての見方は、僕とあなたで共通している、少なくとも対立点は見つからないと思いました。

ちなみに、彼女とは面識はありませんでしたが、大学・学部の後輩になるので、いくらか自分に近いものは感じますね。時代が違うとはいえ、同じキャンパスで、同じような授業を受けたかもしれないという。(新卒で広告会社に就職したところも、一応の共通点です)

また余談ですが、僕はプライベートと仕事を合わせて、この会社の人には100人以上会っていると思います。1〜3年目の若手社員ががんばっている姿も普通に見ています。記事を読むかぎりでは、僕が直接接する人たちとはかなり印象がちがうので、「いまだにこんな部署も残ってたのか…」という驚きも正直あります。



さて、sokonoke2008さんとの話をもう少し深め、できれば共通点をさがすために、ちょっとお聞きしたいと思います。

仮に彼女があなたのすごく身近で大切な存在だったとして(家族、親しい友達、恋人…)、非人間的な環境の中で疲れ切っていることを(SNSその他で)知ったとしたら、あなたならどうしますか?

もし僕なら、「辞める」ことも含めてどんな方法があるか考えてみると思いますが。まあ、それが「辞めた方がいい」という説得ではなくても、「話を聞いてあげよう」ということだったりするかもしれません。

どんなものでしょう?

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/19 14:18 この件に関しては既に答えが見えてしまっているので、身近な人間(本人の家族 友人等)に相談の上 本人の身柄を確保 軟禁し、電通本社 監督署 弁護士などの行動を起こすかと思います。

ただ悲しい答え(結果)が見えていない わからない段階だとどうでしょう。
私も同じく、先ずは声を掛け「一人ぼっちなんかじゃないよ」ということを教えてあげる(目を向けさせる)ということをするでしょうか。
直接口にはせずとも「ここに逃げ道はある、受けとめてあげる」ということに気付かせる(視野を広げる)話なり態度なりをすると思います。

ワイネフワイネフ 2016/10/19 16:12 たしかにそうですね。

彼女が疲れている、相当大変そうだ…といっても、その時点では何がいちばんの正解かはわかりません。とはいえ、本当の非常事態なら、周りとしてもそれを踏まえた行動をとりたいですし、そこまでわからない段階だとしても、何とか力になってあげたいと思うのが人情でしょう。

その点でも、僕とあなたはかなり共通した意見だと思います。

「死ぬくらいなら会社を辞めればよかった」「逃げればよかった」という意見の人たちも、別に他人ごととして無責任にそう言っているわけではなくて、「何とか助けてあげられればよかったのに」「命あっての人生だから、できることなら教えてあげたかった。力になってあげたかった」と思ってこその意見なんじゃないでしょうかね。

もちろん、具体的な発言をみないと何ともいえないですが、全員が無責任に評論しているわけではなくて、そんな「何とかしてあげたかった」というやるせない気持ち、もどかしい気持ちあってこその発言も多く含まれているはずだと、僕は推測します。

その点いかがですか?

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/19 17:04 >「何とかしてあげたかった」というやるせない気持ち、もどかしい気持ちあってこその発言

はい、その通りだと思いますし否定しません。
そう、それは傍観者の気持ち 発言ですよね。
彼女は「死ぬくらいなら会社を辞めればよかった」「逃げればよかった」というそれらの言葉をどのような気持ちで受け止めるのだろうか。

傍観者による当事者への価値観の押し付け。
困ったことにそれは、当事者の為 良かれと思って無自覚に行われる。
産業カウンセラーが言った『大変危険』が指すものとはいったい何なのだろうか。
後藤氏が感じた『空しさ』とはいったいどのようなものだったのだろうか。
たとえ「辞めればよかった、逃げればよかった、そうですね その通りですね」と彼女自身がそれを理解したのだとしても もう彼女は戻ってくることはできないのだ。

yosikazufyosikazuf 2016/10/22 13:29 ここまでを振り返ると、彼女が(過労を強いられて)自殺に至ったという事件そのものに対する見方は、ぼくとあなたで大きな違いはないことがわかりました。何が違うかといえば、他の人たちの発言についての評価ですかね。

(A)「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」という意見の人たち
(B)産業カウンセラー・後藤和也さん
(C) sokonoke2008さん
(D) 私(yosikazuf)

BはAに対して「絶対に誤りである」と言っています。
それに対して、C(あなた)は、B(後藤さん)に賛同し、D(yosikazuf)は、「BがAを全否定するのは、極論ではないか。Aの意見も一理ある」と言っています。

図式を整理すると、以上のようになるかと思いました。この点どうですか?

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/22 18:57 >D(yosikazuf)は、「BがAを全否定するのは、極論ではないか。Aの意見も一理ある」と言っています。

後藤氏の意見Bは否定しない。
が、後藤氏が意見Aを否定しているそれは否定する、ということですよね。

yosikazufyosikazuf 2016/10/22 23:58 ある意味、そうともいえますね。

でも、ここは「部分否定」か「全否定」かが大切です。
そこを補足して書いてみますね。

D(yoshikazuf)の意見:

AにもBにも一理ある。
もしBがAを全否定するなら、
Dはその点に関してBを部分否定する。


こう考えていただければいいと思います。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/23 11:32 >Dはその点に関してBを部分否定する。

「その点」↓
―――――――――――――
本件【時点β】についてはさまざまな議論がなされているが、「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」という意見が多数みられた。一見正論とも捉えられそうなこの意見は妥当なのだろうか。
最初に見解を述べれば、筆者はこの意見【時点β於ける意見A】には反対であり、明確に否定する。以下、詳細を論じたい。
―――――――――――――

「【時点β於ける意見A】には反対であり、明確に否定する」
↑D(ワイネフ氏)はこの点に関して、B(後藤氏)を部分否定していると私は読んでいるのですが、もし私が誤解しているようでしたらご指摘ください。

yosikazufyosikazuf 2016/10/23 14:20 そこは誤解があるでしょうね。

———————————————————————————
時点α:「逃げる」という選択肢がある段階
時点β:「逃げる」という選択肢が閉ざされた段階

今回の自殺については
時点α→時点β→自殺
という段階になっていると考えています。
―――――――――――――――――――――――――――

時点βにおいて、「逃げる」という選択肢が閉ざされているのは定義上明らかなので、そこはそもそも論点になっていないと考えています。

つまり、「心の病が進んだ段階においては、冷静な判断が難しくなる。『辞める/逃げる』という判断も不可能になる」カウンセラーの見解について、それを否定している人は、今のところどこにもいないということです。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/23 15:30 >時点βにおいて、「逃げる」という選択肢が閉ざされているのは定義上明らかなので、そこはそもそも論点になっていないと考えています。

いいえ、後藤氏は「【本件】についてはさまざまな議論がなされているが、」と きっちり前置きをしています。
【本件】についてなされている議論の枠に於ける意見Aを否定なさっているのです。
さて、“【本件】”とは 時点αですか?、それとも時点βですか?
時点αに於ける意見Aというものは「自殺するくらいなら、その前に会社を“辞めればよい”」であり、決して「辞めればよかった」という意見とはならない筈です。

受けとめ方として このとき、後藤氏の意見の内容を自分に都合よく解釈して(攻撃しやすい形にして)、全否定しようとすると、議論が噛み合なくなります。
持論を強調するあまりに他方の意見を「完全否定するニュアンスが強い」と全否定されてしまいますと、ムダな対立をあおったり、議論がすれちがったままになってしまうおそれがあります。
ワイネフ氏は「後藤氏は時点αに於ける意見Aをも否定している」と拡大解釈されているのではないですか?

>つまり、「心の病が進んだ段階においては、冷静な判断が難しくなる。『辞める/逃げる』という判断も不可能になる」カウンセラーの見解について、それを否定している人は、今のところどこにもいないということです。

はい、そうですね。
そんな話はしていませんよね。
後藤氏は【本件】について 「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」と評されたその意見を否定されているのですよね。
そしてワイネフ氏が、その後藤氏の否定を否定されているのですよね。
私は誤解していますか?

――――――――――
D(yoshikazuf)の意見:
AにもBにも一理ある。
もしBがAを全否定するなら、
Dはその点に関してBを部分否定する。
――――――――――
↑『もし』とは言ってないですよね。
・この産業カウンセラーは意見Bの立場から、意見Aを否定しているわけだ。
・このとき、意見Aの内容を自分に都合よく解釈して(攻撃しやすい形にして)、全否定しようとすると、議論が噛み合なくなる。
↑と言っているのですよね。
ですから私は
「後藤氏は【本件】時点βの意見Aを否定しているのであって、時点αに於ける意見Aを否定しているわけではないのに、ワイネフ氏は 時点αに於ける意見Aをも“全否定”していると拡大解釈されていませんか?」
と言っているんです。

―――――――――
・後藤氏>
本件についてはさまざまな議論がなされているが、「自殺するくらいなら、その前に会社を辞めればよかった」という意見が多数みられた。
―――――――――
上記『本件』とは 時点αですか?、それとも時点βですか?

yosikazufyosikazuf 2016/10/23 18:47 sokonoke2008さん

ここまで確認したように、事件そのものについての見解については、私とあなたは概ね共通していています。

では、どこが違っているかですね。それを確認してみましょう。「誰が正しい/間違っている」という評価は後回しにして、まずは「どこが違っているか」に注目してみませんか?

あなたと私のどこが違っているか?・・・それは「カウンセラー後藤氏の記事に対する解釈」が違っているように思います。

意見A:「手遅れになる前に、辞めればよかった」
意見B:「手遅れになったら、辞めることができない」

時点α:「逃げる」という選択肢がある段階
時点β:「逃げる」という選択肢が閉ざされた段階

sokonoke2008さん:
「後藤氏は時点βにおける意見Aのみを否定している」という解釈

yosikazuf:
「後藤氏は時点α+βにおける意見Aを否定している」という解釈

要するに、この解釈が違っているのだと言えると思いました。

「どちらの解釈が正しいか」はとりあえず置いておいて、この違いについてはいかがでしょうか。
「どこが違っているか」という認識が共有できるだけでも、対話においては一歩前進だと思うのですが。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/23 20:11 >要するに、この解釈が違っているのだと言えると思いました。

そのようにお話しています。
良貨です、続けてください。

<ヒトリゴト>
――――――――――――――
・過労で死ぬくらいなら、辞めればよい。
・いじめで自殺するぐらいなら、転校すればよい。
――――――――――――――
さて、
・過労で死ぬくらいでも、辞めるべきではない。
・いじめで自殺するぐらいでも、転校するべきではない。
↑そんな人がはたしているのだろうか。
過去に、辞めずに死んでしまった 転校せず自殺してしまった当の本人たちですら「辞めればよい、転校すればよい」と考えることだろう。
当の本人たちも 冷静な判断のできる時点αの心境にあるうちは、わざわざ周囲からそのようなアドバイスを頂くまでもなく、自分の頭の中で「死ぬくらいなら 自殺するぐらいなら、辞めればよい 転校すればよい」と考えていた筈である。
だったらなぜ彼らは死ぬ前に会社を辞めなかったのか?、何故転校しなかったのだろうか。
それは その時点αではまだ本気で「死ぬ」とは思っていないから...、違うだろうか。
もし違わないのであれば、言われるまでもなく当の本人たち自らが理解している そして知っているであろう意見Aを 議論の中で今更ながらに主張するその意味 その価値とはいったいなんだろう。
それの答えが後藤氏の『「会社を辞めればよかった」はおかしく空しい見解であり、筆者はこの意見には反対であり明確に否定する』に対する的を射た真っ当な反論となる。

<余談>
―――――――――
・過労で死ぬくらいなら、辞めればよかった。
・いじめで自殺するぐらいなら、転校すればよかった。
―――――――――
⇔会社をクビになるくらいなら、死んでしまえばよかった。
⇔転校させられるくらいなら、自殺してしまえばよかった。
「彼に捨てられるくらいなら死んでしまったほうがマシ」と言い、実際捨てられ死んでしまった人はなんか居そうだな...

yosikazufyosikazuf 2016/10/24 08:52 「後藤さんのブログ記事についての解釈がちがっている」ということまで意見が共有できて良かったです。

すると次に確認しておきたいのは、「どの解釈がふさわしいのかをどんな方法で決めればいいか」ということです。

世の中にはいろんな「決め方」があります。

・社長や学者などの権威者が決める
・多数決で決める
・第三者の意見を聞く
などなど

僕はつぎのようにも考えてみました。

もし、今回の記事についてSNSやブログなどの関係者が会議室で顔を合わせていたらどうだろう?
後藤さんの意図については、後藤さん本人に確認するのがいちばんいいのではないか。
また、意見Aの意図については、意見Aの発言をした人たちに直接確認するのがいいのではないか。

…まあ、それはそれとして、今回、私とあなたがコメント欄で対話を続けるにあたって、解釈の違いを解消するには、どんな方法がいいと思いますか?

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 09:29 >僕はつぎのようにも考えてみました。

その可能性を加味することで何がどうなると言うのか。
ワイネフ氏が後藤氏の記事を読み「後藤氏は意見Aの内容を自分に都合よく解釈し全否定している」と評価(解釈)したその事実には何ら変わりは無いのではなかろうか.

>今回、私とあなたがコメント欄で対話を続けるにあたって、解釈の違いを解消するには、どんな方法がいいと思いますか?

後藤氏の記事からワイネフ氏が「後藤氏は意見Aの内容を自分に都合よく解釈し全否定している」と解釈するに至ったのか、その理由(根拠)を教えてください。
私は「本件、辞めればよかった、そりゃあそうかもしれない、結論から見た空しいロジック」などなど、それら後藤氏の言葉節々 意味合い 文脈より、今の解釈に至っています。
しかしワイネフ氏がどのようにして「後藤氏は意見Aの内容を自分に都合よく解釈し全否定している」と解釈しているのか、いまいちピンときません。
その解釈をするに至った理由(根拠)を教えてください。
それと当方の解釈に疑問を感じる箇所があればお知らせください。
力の限り真摯に対応いたします。

yosikazufyosikazuf 2016/10/24 09:42 そうですねー。ぼくが後藤さんの記事に疑問をもったのは、「意見Aにも一理あるところ」が否定されて、その時点で建設的な議論がストッップしてしまうと思ったからですね。

比較するなら、下の記事の松崎医師のコメントには、そういう違和感は覚えません。後藤さんの場合は、本来の趣旨は松崎さんと変わらないのでしょうけど、「全否定」のニュアンスが強すぎるので、意見Aの持ち主との間に無用な軋轢や断絶を生じると考えています。



http://news.livedoor.com/article/detail/12162247/

「そんなにつらい職場なら、やめればよかった」というのはたやすい。だが、筑波大学大学院人間総合科学研究科教授で、職場のメンタルヘルスに詳しい松崎一葉医師はこう言う。

「過労による自殺のほとんどは睡眠不足の状態で起こっている。論理的に見えても脳は疲れ、判断能力が低下して、小さなきっかけでもう死ぬしかないと思ってしまうのです」

 松崎さんは、こう語った。

「学歴の高い人は知らない人に相談しない傾向もある。日頃から社員が産業医と親密に話す環境をつくるなど、機能するメンタルサポート体制が必要です」

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 09:47 >「全否定」のニュアンスが強すぎるので

感情ですか?
つまり「全否定している」ではなく、「全否定しているんじゃないのかなぁ...」という思い込み(印象・感覚)その見た目で後藤氏をこのような形で否定なさっているのですか?

yosikazufyosikazuf 2016/10/24 10:06 松崎さんと、後藤さんの違いですね。
松崎さんは医師としての見解を述べていますが、意見Aを強い言葉で否定するような言い方はしていません。それに対して後藤さんは強い言葉で否定しています。
具体的には「絶対に誤りである」「明確に否定する」「空しい見解」「空しいロジック」などの言葉ですね。

>電通新入社員自殺、「死ぬくらいなら辞めればよかった」が絶対に誤りである理由。
>最初に見解を述べれば、筆者はこの意見には反対であり、明確に否定する。
>「会社を辞めればよかった」は、空しい見解だ。
>「死ぬくらいなら辞めればよい」というのは、結論から見た空しいロジックである、と言わざるを得ない。

一方、僕は意見AにもBにも一理あるという見解なので、その観点から意見Aのいいところにもフォーカスを当てたいと思ったしだいです。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 10:23 >具体的には「絶対に誤りである」「明確に否定する」「空しい見解」「空しいロジック」などの言葉ですね。

何故「絶対に誤りである」とは言えないのですか?
何故「明確に否定する」とは言えないのですか?
何故「空しい見解」とは言えないのですか?
何故「空しいロジック」とは言えないのですか?
その具体性がまったく見えないので その理由(根拠)を教えてくださいと言っています。
「ただなんとなくそう思う...」というニュアンスが理由(根拠)なのですか。

>一方、僕は意見AにもBにも一理あるという見解なので、その観点から意見Aのいいところにもフォーカスを当てたいと思ったしだいです。

ですね。
そのように「いいや、意見Aにも一理あるのだ」という主張に奔られてしまわれたところにこの問題があるように思います。
ここは「何故後藤氏は否定しているのか?」という箇所に傾聴する必要があったのではないいでしょうか。

yosikazufyosikazuf 2016/10/24 10:35 たしかに具体的に考えることは大切ですね。

リンク先「高橋まつりさんのSNS上の書き込みや友人等とのやり取り」をご覧ください。
高橋さんは昨年12月25日に自らの命を断ちましたが、それより前、10月13日から12月20日までの本人の言葉があります。

この言葉を踏まえて、sokonoke2008さんは、たとえばどの頃に時点αからβに変わると思いますか。いいかえれば、いつ意見Aが「絶対的に誤り」「空しい見解」になると考えますか?
http://mainichi.jp/articles/20161008/k00/00m/040/117000c
高橋まつりさんSNS

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 11:05 >この言葉を踏まえて、sokonoke2008さんは、たとえばどの頃に時点αからβに変わると思いますか。

わかりません。
10/13がそうだと言えばそうですし、12/25がそうだと言えばそうなのだとも言えます。
私は彼女とは面識がありませんので、記事の中から窺い知れる部分はあれど、彼女がどのような性格をしており どの時点でどのように変化をしていったのか 私には分かりかねます。
傍観者としてはっきりわかるのは12/25に命を絶った時点βの事実です。



>いいかえれば、いつ意見Aが「絶対的に誤り」「空しい見解」になると考えますか?

すり替えないでいただきたいのですが、これら意見Aは12/25以降 時点βになされているという事実です。
いつ意見Aが「絶対的に誤り」「空しい見解」になるのかと言えば、個人的にはもっとずっと以前になるかと思います。
いや、彼女に対し傍観者がそれを口にした時点で「絶対的に誤り」「空しい見解」だと言っても良いかも知れません。
結果 何もしてあげられて無いわけですから。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 11:17 何故「絶対に誤りである」とは言えないのですか?
何故「明確に否定する」とは言えないのですか?
何故「空しい見解」とは言えないのですか?
何故「空しいロジック」とは言えないのですか?
その具体性がまったく見えないので その理由(根拠)を教えてくださいと言っています。
教えてくだされば、私の解釈で足りない箇所も自覚できるのではないかと思います。

yosikazufyosikazuf 2016/10/24 11:27 sokonoke2008さんのコメントを拝見すると、僕とあなたでは、そもそもの立脚点が違っているように思えます。

僕は「どうすれば彼女が自ら命を絶たずにすんだだろうか?」という観点から意見を述べています。

それに対してあなたは「彼女はすでに命を絶ってしまった。それに対して傍観者が何を言っても空しい」と言っているようにみえます。

その違いにつういては、いかがですか?

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 11:38 そう言っていますよね↓
2016/10/14 15:46
――――――――
>sokonokeさんと僕の意見が一見、食い違っているようにみえるのは、「どの時点の話」かが違ってくるからじゃないかなという気がしますよ。

その通り、後藤氏がどの段階の意見を述べており、ワイネフ氏がどの段階の寸評を述べているのかということですね。
――――――――

>僕は「どうすれば彼女が自ら命を絶たずにすんだだろうか?」という観点から意見を述べています。

後藤氏は「どうすれば彼女が自ら命を絶たずにすんだだろうか?」という観点からあの記事を書いているのでしょうか。

何故「絶対に誤りである」とは言えないのですか?
何故「明確に否定する」とは言えないのですか?
何故「空しい見解」とは言えないのですか?
何故「空しいロジック」とは言えないのですか?
その具体性がまったく見えないので その理由(根拠)を教えてくださいと言っています。
教えてくだされば、私の解釈で足りない箇所も自覚できるのではないかと思います。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 11:43 >僕は「どうすれば彼女が自ら命を絶たずにすんだだろうか?」という観点から意見を述べています。

つまり↓
「彼女は時点αに於いて“死ぬくらいなら辞めればよい”ということを知らなかったから自ら命を絶ってしまったのだ」
↑と仰っているのですか?

yosikazufyosikazuf 2016/10/24 11:53 >「彼女は時点αに於いて“死ぬくらいなら辞めればよい”ということを知らなかったから自ら命を絶ってしまったのだ」
↑と仰っているのですか?

これは僕が最初の記事でも書いているとおり、原因はつねに複合的だと考えています。
http://d.hatena.ne.jp/yosikazuf/20161008/p1

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 11:59 その複合的に於ける“死ぬくらいなら辞めればよい”との意見が持つその意味、価値とは?
どんな効果が期待できますか。

yosikazufyosikazuf 2016/10/24 12:24 「死ぬくらいなら辞めればよい」という意見が持つ意味・価値は大きく3つあると思います。

【気持ちの共有】
彼女の悲痛な気持ちにできるだけ寄り添い、「自分だったらどんな言葉をかけてあげられるか」「自分なら何ができるか」と考えること。つまり「死んではだめ」「なんとかしたい」という気持ちの現れだといえます。(少なくとも、そういう人が含まれている可能性を考慮すべきだと思います)

【原因分析と選択肢の検証】
「死ぬくらいなら辞めればよい」という「生き残るための選択肢」を考えること「なぜその選択肢が取れなかったのか」「どうすれば死ぬことをさけられたのか」の原因を多角的に検証することができます。(つまり「意見A」「意見B」両方の観点から検証するということ)。

【再発防止への建設的な議論】
今後、同じような悲劇をくり返さないために、「意見A」「意見B」両方の観点から何ができるのか考えることで、有効な防止策を検討することができます。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 14:58
>【気持ちの共有】
誰と共有するのですか?
それは一介の傍観者が言ってはイケナイことのように思いますよ。
それが寄り添った言葉なのですか?
「死ぬくらいなら辞めればよかったね」との言葉を彼女の御霊に手向けるそれが 本当に寄り添うことになるのでしょうか、気持ちの共有なのでしょうか。

>【原因分析と選択肢の検証】
「彼女はなぜその選択肢が取れなかったのか」「彼女はどうすれば死ぬことをさけられたのか」
意見A「死ぬくらいなら辞めればよい(よかった)」の観点から上記の何が検証されるのでしょうか。
わかりません、教えてください。
実際に「死ぬくらいなら辞めればよい(よかった)」の観点から「彼女はなぜその選択肢が取れなかったのか、死ぬことをさけられたのか」の検証をシュミレーションして頂くと助かります。

>【再発防止への建設的な議論】
思考が正常に働く時点αに於いて、「意見A」観点から何ができるのかなどという考察は、言われるまでもなく 誰もが既に認識されていることと思います。

yosikazufyosikazuf 2016/10/24 17:20 なるほど。いまsokonoke2008さんは、「後藤さんは正しい」「自分は後藤さんを正しく理解している」という意識が強いのだと思います。

でもたぶん、今のままでは僕が何を言いたいのかが、さっぱり頭に入ってこないのではないでしょうか。

僕としては、後藤さんの記事の解釈は別として、事件そのものに対する見解があなたと共有できたことで収穫があったと考えています。その意味では、この対話をいつ切り上げてもかまいません。

ただ、もしあなたが私の記事の意図を理解してみたいと考える場合は、「後藤さんは正しい」「自分は後藤さんを正しく理解している」という思いを、いったん脇においてみることをお薦めします。そのうえで、いちど白紙の状態に戻って私と対話すれば、ちがう景色が見えてくるかもしれませんよ。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 20:54 >なるほど。いまsokonoke2008さんは、「後藤さんは正しい」「自分は後藤さんを正しく理解している」という意識が強いのだと思います。
>でもたぶん、今のままでは僕が何を言いたいのかが、さっぱり頭に入ってこないのではないでしょうか。

何の説明もなく中身空っぽにそのように言い放つだけで良いのであれば私にもできてしまいます。
「私が何を言いたいのかが、ワイネフ氏はさっぱり頭に入ってこないのではないでしょうか」
↑こんな台詞は負け惜しみの捨て台詞ほどの価値しかありません。
何かの意味があってそれを言ってるのならともかく、そういうのやめませんか?

>ただ、もしあなたが私の記事の意図を理解してみたいと考える場合は

私は印象(ニュアンス)で「後藤氏の言うことはわかる、強ち間違ったことは言っていない」と評
価しているのとは違うんです。
「いったん脇に置け」と仰るのなら脇に置いても構いません。
私の問いに答えてください。

>【気持ちの共有】
傍観者による「死ぬくらいなら辞めればよかった」という台詞は、亡くなった彼女自身にも ご遺族の方にも、彼女の身近な友人知人に対しても失礼では無いですか?

>【原因分析と選択肢の検証】
逆では無いですか?
「死ぬくらいなら辞めればよかった」から、「彼女はなぜその選択肢が取れなかったのか」「彼女はどうすれば死ぬことをさけられたのか」と原因を多角的に検証することができるのではなく、「彼女はなぜその選択肢が取れなかったのか」「彼女はどうすれば死ぬことをさけられたのか」と原因を多角的に検証した結果から「死ぬくらいなら辞めればよかった」が導き出されるものではないのですか?

>【再発防止への建設的な議論】
思考が正常に働いているうちは誰もが「意見A」を持ち合わせています、わかっています。
その意見Aが思考から薄れ消えていくところに悲劇が待ち受けているのではないでしょうか。
もう一度言います。
――――――――――――
「死ぬ前に辞めればよかった」、確かにその通りだ。
しかしその言葉の背後には どれほどの深い思慮があるのか。
――――――――――――
↑私のこの言葉、私が何を言いたいのか、ワイネフ氏の頭に入ってきてますでしょうか。
「辞めればよい」でやめられるものなのでしょうか。
もちろん「辞めれば良い」の言葉でスパッと辞められる者もいるであろうことは否定しませんよ。

yosikazufyosikazuf 2016/10/24 22:30 sokonoke2008さん

ちょっとちがうかな〜

たとえば、「死ぬくらいなら辞めればよかった」という言葉一つにしても、いろんな意図や状況が考えられます。もちろんこの言葉を傍観者的に無責任な立場でコメントする人もいると思います。そういう人については、僕は最初から擁護してません。

僕が擁護しているのは、そうでない人たちですね。

この違いがわからないと、話は噛み合ないと思いますよ。

yosikazufyosikazuf 2016/10/24 22:44 でもそう考えると、僕とあなたでどこが違っているのか、もうひとつ見えてきたかもしれません。

「死ぬくらいなら辞めればよかった」という言葉について。

yosikazuf:肯定的に捉えている(多くの発言の中には肯定的に捉えるに値する発言が含まれていると考えている)

sokonoke:否定的に捉えている

ここがそもそも違いますね。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 23:06 何故中身が空っぽなのですか?
中身が空っぽで良いのであれば、いくらだってどうにでも言うことはできます。

>この違いがわからないと、話は噛み合ないと思いますよ。

その違いを仰ってください。
中身が空っぽですよ。

yosikazufyosikazuf 2016/10/24 23:43 sokonoke2008さん

このブログ記事は今月13日に書いて、そこから10日以上、私はできるだけ誠実にお答えしているつもりです。

それに対して「中身が空っぽ」「中身が空っぽで良いのであれば」「中身が空っぽですよ」なのですね。

そのスタンスだと残念ながら、どこまで続けても話は噛み合ないと思いますよ。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/24 23:56 >そのスタンスだと残念ながら、どこまで続けても話は噛み合ないと思いますよ。

大変失礼しました。

>たとえば、「死ぬくらいなら辞めればよかった」という言葉一つにしても、いろんな意図や状況が考えられます。もちろんこの言葉を傍観者的に無責任な立場でコメントする人もいると思います。そういう人については、僕は最初から擁護してません。

どんな意図や状況があるのか記載されて無いので理解できません。
どんな意図や状況があるのか教えてください。
お願いします。

>この違いがわからないと、話は噛み合ないと思いますよ。

どんな違いなのかの記載が無いため理解できません。
どんな違いなのかを教えてください。
お願いします。

>yosikazuf:肯定的に捉えている(多くの発言の中には肯定的に捉えるに値する発言が含まれていると考えている)
>sokonoke:否定的に捉えている
>ここがそもそも違いますね。

そこが違うことは既にお伝え済みです。

yosikazufyosikazuf 2016/10/25 10:18 提案なんですが、ここは「急がば回れ」の精神で、一週間ほど間をおいてみてはいかがでしょうか。

現状を確認します。

ここは私のブログのコメント欄です。sokonoke2008さんが私に疑問点をぶつけ、それに対して私は自分なりに誠実にお答えしているつもりです。それが10日ほどつづいていますが、どうも話がかみ合いません。

私が感じるのは「私の記事やコメントの意図が伝わっていない」ということです。まあ、私にもっと的確に伝える能力があればいいんでしょうけど、万能ではありませんので。

ひとつ確実なのは、私の記事やコメントの意図が伝わらないことには、議論はけっして次の段階へと進まないということです。何週間、何ヶ月続けても同じです。

◎「(賛成・反対は別として)ワイネフは…の意味で発言しているのだ」

議論を進めるためには、この理解の共有が不可欠です。

(1)理解の共有

(2)賛成・反対の意思表示

この順番ですね。

せっかくブログ記事の筆者(私)と直接対話しているわけですから、(1)→(2)の順序を踏まえて進めましょう。

…というより、この先議論を進めたいなら、この順序を守ってみてください。

さて、内容に戻ると、私は「死ぬくらいなら辞めればよかった」という発言にも、心情的・論理的に一定の価値を認めている、肯定的に評価しているわけです。

私がどんな意味で肯定的に評価しているのか、ここまでのコメントを読み返して、ご自分なりに把握してみてください。そして、(対話を続ける意志がおありなら)あなたが私の主張をどんな風に理解したのか、あなた自身の言葉で説明してみてください。

数日置いてから、新たな気持ちで読み返してみるのもいいと思いますし、近くにいる方の意見を聞いてみるのもいいと思います。2週間後でも、3週間後でも、このコメント欄は開放していますので。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/25 11:26 >◎「(賛成・反対は別として)ワイネフは…の意味で発言しているのだ」
>↑
>議論を進めるためには、この理解の共有が不可欠です。

いや、お答えが無い箇所も多いので把握しきれているとは言えませんが、ワイネフ氏が「…の意味で発言している」というのはなんとなく理解しています。
そこではなく、この「死ぬくらいなら辞めればよかった」は絶対に誤り?」の記事の主旨は、後藤氏による意見A全否定のあり方の是非にあるわけじゃないですか。
後藤氏があのような形で論述(否定)をされてしまうと、
・議論が噛み合なくなる。
・ムダな対立をあおったり、議論がすれちがったままになってしまうおそれがある。
・お互いに一理あるのに議論がすれ違ったままでは残念だ。
そんな風に思って今回のこの記事を書かれたわけですよね?
この記事の論点はそこですよね?

なぜ議論が次の段階へと進まないのか。
私は ワイネフ氏の真意を知り理解を共有し議論を進めようとの一心で、ワイネフ氏からの指摘もあり気持ちを改め再度誠実に回答をお願いしているわけですが、今回もやはりワイネフ氏はお答えをされて無いわけじゃないですか。
こうまで頑なにされてしまわれますと私の理解は一つに固まってしまいます。
そんな理解をさせるために ワイネフ氏は私の相手をしているわけでは無い筈です。
私にそんな理解をさせぬよう、どうか私に理解の共有をさせてください。
ワイネフ氏が「死ぬくらいなら辞めればよかった」をどんな意図や状況で述べているのか、それを教えてください。
それがわからなければ議論を次の段階へと進ませることはできません。

>せっかくブログ記事の筆者(私)と直接対話しているわけですから、(1)→(2)の順序を踏まえて進めましょう。

踏まえているつもりでしたが、私の能力が至らぬようで大変申し訳ありません。
先ずは「(1)理解の共有」のため、ワイネフ氏が「死ぬくらいなら辞めればよかった」をどんな意図や状況で述べているのか、それを教えてください。

>さて、内容に戻ると、私は「死ぬくらいなら辞めればよかった」という発言にも、心情的・論理的に一定の価値を認めている、肯定的に評価しているわけです。

はい、それは存じております。
その詳細(根拠)が不明瞭です。

>私がどんな意味で肯定的に評価しているのか、ここまでのコメントを読み返して、ご自分なりに把握してみてください。

把握するため、何度か質問をさせてもらいましたが、その答えをいただけていません。
もう何度も読み返してはいるのですが明確な箇所を見つけることができません。
多少踏み込んで述べられていると推察できる部分は10/8の記事ぐらいです。

>そして、(対話を続ける意志がおありなら)あなたが私の主張をどんな風に理解したのか、あなた自身の言葉で説明してみてください。

なぜ私の言葉なのか...
ワイネフ氏の言葉が聞きたいと私は何度も申し上げています。
ワイネフ氏が「死ぬくらいなら辞めればよかった」をどんな意図や状況で述べているのか、それを教えてください。
よろしくお願いいたします。

私の理解です↓
――――――――――――――
原因は複合的であり、会社の体制もさることながら「そこから逃げ出す」という選択肢を放棄した彼女に原因の一端がなかったとは言い切れない。
ゆえに後藤氏の全否定は誤りである。
もちろん追い込まれた状況で正常な思考が働かなくなるそれは理解するが、この悲劇が繰り返されぬためにも個人個人が日頃からそうならぬようメンタルを鍛えておく どのような選択肢があるのかを考え続けることはとても重要なことだ。
――――――――――――――

yosikazufyosikazuf 2016/10/26 10:14 sokonoke2008さん

>私の理解です↓
――――――――――――――
原因は複合的であり、会社の体制もさることながら「そこから逃げ出す」という選択肢を放棄した彼女に原因の一端がなかったとは言い切れない。
ゆえに後藤氏の全否定は誤りである。
もちろん追い込まれた状況で正常な思考が働かなくなるそれは理解するが、この悲劇が繰り返されぬためにも個人個人が日頃からそうならぬようメンタルを鍛えておく どのような選択肢があるのかを考え続けることはとても重要なことだ。
――――――――――――――

なるほど。一文一文は必ずしも間違っているわけではありませんが、あなたは私とは逆方向で理解しようとしているのだと思いますよ。

ここは私のブログなので、私がいまどんな方向で「死ぬくらいなら辞めればよかった」という言葉に肯定的な可能性を見出そうとしているのか、それを私と同じ方向で理解することが、次に進むために大切です。

あなた自身の賛否、またカウンセラー後藤氏の文章の解釈はとりあえず置いておいて、私(yosikazuf)がどう考えていか、ですね。

このコメント欄で対話を望んでいるのは(私ではなく)あなたなので、もし対話を続けたいなら、その理解にぜひ取り組んでみてください。(繰り返しになりますが、「理解」(understand)と「賛成/反対」(agree/disagree)は別です。理解したうえで反対することは十分にありうることです)

ポイントは3点です。

◎私(yosikazuf)は彼女の「責任」論としては考えていない。(亡くなった彼女に何らかの責任を負わせようとは一切考えていない)

◎可能なかぎり、彼女に寄り添う方向で考えている。(家族、友人…そして何より彼女自身に寄り添う方向でのみ、「やめれば良かった」が肯定的な意味をもつ)

◎「どうすれば生きられるのか」「どうすれば死なずにすむのか」という選択肢をできるだけ広げるという観点から、肯定的な意味を見出そうとしている

以上、3点をふまえたうえで、「やめれば良かった」という考え方に私がどんな肯定的な意味を見出そうとしているのか、よかったらゆっくり考えてみてください。

何週間かけてもかまいません。あなたがいま「ワイネフにこんなことを言おう」と思っていることをいったん忘れるまで時間をおくのがいいと思います。また、このコメントを他の方にもみせて意見を聞いてみるのもいいと思います。

そのうえで、私がいまどんな方向でどんなことを言おうとしているのか、もういちど書いていただけると嬉しいです。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/26 12:15 >ここは私のブログなので、私がいまどんな方向で「死ぬくらいなら辞めればよかった」という言葉に肯定的な可能性を見出そうとしているのか、それを私と同じ方向で理解することが、次に進むために大切です。

ワイネフ氏が「死ぬくらいなら辞めればよかった」という言葉に肯定的な可能性を見出そうとしていることはとてもよく理解してます。
はっきりとしたお答えがいただけない中、不完全ながらも、ワイネフ氏の「肯定的」は私なりに把握できています。

なぜ議論が噛み合わなくなるのか。
一般論として、それは互いが互いの意見に傾聴することなく、互いが互いに持論の展開を繰り広げ、相手を納得させること丸め込むことに終始してしまうためである。
これは相手の意見を聞かず自分の思ったことだけを話し続ければ良いのですから、議論は何時まで経っても噛み合うことなく、どちらかが根負けするまで延々と続いてしまうことでしょう。

ワイネフ氏が意見Aに肯定的な可能性を見出そうとしていることはわかりました。
そして私の理解の中にあるその肯定的は、特段否定するところでは無いということは既にお伝えしてある通りです。

さて、出発点に戻ります。
ワイネフ氏は今回のブログ記事をどんな風に思って書いていたのか?
後藤氏が書かれた記事、あのような否定をされると
・本当に議論は噛み合わなくなるのか?
・本当に無駄な対立を煽ってしまうのか?
・本当にすれ違ったままなのか?
それは本当でしょうか?
このコメント欄で私が望んでいるのはその答えです。

ワイネフ氏は意見Aに肯定的な可能性を見出そうとしていること、その持論を主張展開しています。
私は「噛み合わない・無駄な対立・すれ違ったまま」の真偽を問い質しています。
なぜ議論が噛み合わないのでしょうか。

――――――――――――――
(「逃げる」という選択肢が閉ざされた)時点βについていえば
「会社を辞めればよかった」は結論から見た空しいロジックだ。
ということだと思いますよ。
で、そこに限定していえば、僕もまったく賛成です。

これはもちろん時点α=「逃げる」という選択肢が残されている段階での話です。

>私は、この産業カウンセラーは時点βの段階から、意見Aを否定しているのだと思います。
そうですね。ぼくもそう思います。

>時点α(「逃げる」という選択肢がある段階)の意見Aは否定されないと思うのですがいかがでしょうか。
そうです。「何が何でも生き残る!」という目的を第一に考えるとき、時点αにおける意見Aが否定される理由はないと思います。
――――――――――――――
↑ならば、後藤氏と議論が噛み合わないなんてことは無いのでは?、無駄な対立とはならないのでは?、すれ違ったままとはならないのでは?
そう考えているならば何故「噛み合わない・無駄な対立・すれ違ったまま」と言っているのか?
それを問い質すと「ニュアンスが強いと思ったので」との回答を頂いたので、私は「それは無い」と思いました。

>そのうえで、私がいまどんな方向でどんなことを言おうとしているのか、もういちど書いていただけると嬉しいです。

この記事の方向、どんなことを言おうとしているのか?というのはこれですよね↓
―――――――――――
ところが、一方を強調するあまりに他方の意見を全否定すると、ムダな対立をあおったり、議論がすれちがったままになってしまうおそれがあります。
そんな風に思って今回の記事を書いたしだいです。
―――――――――――
私は私なりに、ワイネフ氏の「意見Aに対する肯定的な可能性」を理解していますしそれを共有しているつもりです、否定していません。
理解が足らないと仰るのであれば、「死ぬくらいなら辞めればよかった」という言葉の意図や状況、その違いについてわかるように教えてください。
私は理解の共有に努めています。
ですのでどうかワイネフ氏も「噛み合わない・無駄な対立・すれ違ったまま」の真偽について、私が疑問に思うところを理解しそして共有して頂きたく思います。

yosikazufyosikazuf 2016/10/26 14:02 sokonoke2008さん

あまり堅苦しく考える必要はないんじゃないですかね。
ぼくの主張を簡単に書くと、次のようになります。

意見AにもBにも一理ある。

意見Bを主張することには意義があるが、だからといって、意見Aを全否定してしまうと、議論がかみ合わなくなる。

意見Aの趣旨をくみ上げ、寛容に解釈すれば、2つの意見が両立できる。

…これだけの話ですよね。
だから、仮に僕が後藤さんと話す機会があるとして、後藤さんが意見Aの全否定をしなければ、2つの意見は両立できると思いますよ。僕はもともと意見Bの意義を認めているわけですから。

sokonoke2008sokonoke2008 2016/10/26 15:27 ――――――――――――――
理解が足らないと仰るのであれば、「死ぬくらいなら辞めればよかった」という言葉の意図や状況、その違いについてわかるように教えてください。
――――――――――――――
↑3度の同じ問い。
いま尚その回答が無いということは「sokonokeの理解は足りている」という意味なのだろうか。
それとも...

>だから、仮に僕が後藤さんと話す機会があるとして、後藤さんが意見Aの全否定をしなければ、2つの意見は両立できると思いますよ。僕はもともと意見Bの意義を認めているわけですから。

2つの意見は両立できると仰っていることは存じています。
意見Bの意義を認めていることも存じています。
しかし後藤氏の記事は全否定であったのか否か、そこの確信に触れようとはなさらないのですね...
そのニュアンスからそれ以上は何も引き出せないように感じています。
きっとその態度が私の問いに対する答えの全てとなっているのでしょう。

了解です。
ここまでの経緯をまとめ自分なりに整理し理解に努め、私の中で咀嚼消化するということで、この件は終わりにさせていただきます。
長々とお付き合い誠にありがとうございました。

もし何かございましたら、私はyahoo知恵袋の喫煙カテに“sokonoke2008”のIDで常駐していますので、そちらのほうにお声掛けしていただけると対応できるかと思います。
http://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/sokonoke2008
またワイネフ氏の別の記事でお邪魔することもあるかも知れません。
「しつこくとてもウザい野郎」との印象をお持ちのことかとは思いますが、そのときは何卒よろしくお願いいたします。
では。

yosikazufyosikazuf 2016/10/26 16:20 sokonoke2008さん

>しかし後藤氏の記事は全否定であったのか否か、そこの確信に触れようとはなさらないのですね...

そこも柔軟に考えていいと思いますよ。

後藤さんの記事のタイトルは「電通新入社員自殺、「死ぬくらいなら辞めればよかった」が絶対に誤りである理由。」ですね。「絶対に誤り」という強い否定になっています。

最終的には後藤さん本人に確認すればいいわけですが…

(1)もし後藤さんが意見Aを全否定しているなら
→→意見Bにも一理あることを「質問学」ブログ読者に伝えたい

(2)もし後藤さんが意見Aを全否定しているわけではないにしても
→→意見Bにも一理あることを「質問学」ブログ読者に伝えたい

こんな風に考えていただければいいと思います。

僕の記事からタイトルと太字部分を抜粋すると次のようになります。

「死ぬくらいなら辞めればよかった」は絶対に誤り?
→「いま、どんな選択肢があるのか」を常に問い続けること。
→意見A・Bともに一理ある。
→意見Aの趣旨をくみ上げ、寛容に解釈すれば、2つの意見が両立できる。

これで分かるように、僕の意図は「意見A・Bともに一理ある」ということです。それが伝われば、記事を書いた甲斐があると考えています。



>長々とお付き合い誠にありがとうございました。

こちらこそありがとうございました。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/yosikazuf/20161013/p1