0] Shibutani, T., 1955, Reference Groups as Perspectives 投稿者:管理人 投稿日:2012年12月15日(土)12時12分38秒 s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp タモツ・シブタニ「パースペクティブとしての準拠集団」 <外国書研究用の講義メモ>
Originally published in English under the title "Reference Groups as Perspectives" and copyright © 1955 by The University of Chicago Press, Inc. copyright © 2012-2013 by Tsukasa Kuwabara, Ph.D., Professor at Faculty of Law, Economics and Humanities, Kagoshima University[http://researchmap.jp/read0073616/].
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検索記号▼ - 投稿者:管理人
- 投稿日:2014年 6月 5日(木)12時04分43秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
- 編集済
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- 「C」
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Re: 行為や人工物に顕著な慣習的理解 - 投稿者:管理人
- 投稿日:2014年 4月18日(金)10時15分59秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- ゆるキャラ「バリーさん」とその背後に存在する「物語」
http://www.webcitation.org/6OulFxngH
>>51 > http://gyo.tc/XrG2 > 薩摩川内市祁答院麓の「田の神」信仰。 > 民俗学者の宮本常一。 > > > >>50 > > ※旧日本海軍の「大艦巨砲主義」と「戦艦大和」 > > ※「精神>物質」と「零式艦上戦闘機」の「脆弱な装甲」 > > ※「人間の精神は作り出すものに宿る。レオナルド・ダ・ヴィンチの人工翼が西欧ルネサンスの精神を象徴するごとくだ。この艦は我が帝国の作ったものではない。別種の精神から作り出されたものだ」(かわぐち・かいじ、『ジパング』第1巻、講談社、157-8頁における、旧日本海軍少佐「草加拓海」の台詞)
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Re: 行為や人工物に顕著な慣習的理解 - 投稿者:管理人
- 投稿日:2014年 4月13日(日)11時46分1秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- http://gyo.tc/XrG2
薩摩川内市祁答院麓の「田の神」信仰。 民俗学者の宮本常一。
>>50 > ※旧日本海軍の「大艦巨砲主義」と「戦艦大和」 > ※「精神>物質」と「零式艦上戦闘機」の「脆弱な装甲」 > ※「人間の精神は作り出すものに宿る。レオナルド・ダ・ヴィンチの人工翼が西欧ルネサンスの精神を象徴するごとくだ。この艦は我が帝国の作ったものではない。別種の精神から作り出されたものだ」(かわぐち・かいじ、『ジパング』第1巻、講談社、157-8頁における、旧日本海軍少佐「草加拓海」の台詞)
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Re: 行為や人工物に顕著な慣習的理解 - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年12月24日(火)12時42分24秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- ※旧日本海軍の「大艦巨砲主義」と「戦艦大和」
※「精神>物質」と「零式艦上戦闘機」の「脆弱な装甲」 ※「人間の精神は作り出すものに宿る。レオナルド・ダ・ヴィンチの人工翼が西欧ルネサンスの精神を象徴するごとくだ。この艦は我が帝国の作ったものではない。別種の精神から作り出されたものだ」(かわぐち・かいじ、『ジパング』第1巻、講談社、157-8頁における、旧日本海軍少佐「草加拓海」の台詞)
- [45]
シンボリック相互作用論:参考文献 - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年 8月 4日(日)17時53分12秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- ①ブルーマーのシンボリック相互作用論について(英日)
②シブタニ「パースペクティブとしての準拠集団」(英日) ③ブルーマー「集合行動としての社会問題」(英日) http://gyo.tc/RE3k
- [44]
Re: 前提を共有しないと共通の行為が成立しない、という論点について。 - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年 8月 2日(金)14時55分19秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- 最もわかりやすいのは、「ゲーム」である。例えば、G.H.ミードも挙げている「野球」のゲーム。これは、ルールを前提(共有)にしないと全く成立し得ない営みである。オセロやUNO、将棋、囲碁などのゲームも一緒。
企業や職場・工場などの組織にもルールがあるが、注意しなければならないのは、「公式のルール」と「非公式のルール」が存在すること。Cf. ホーソン実験(http://megalodon.jp/2013-0802-1454-50/ichiko.tokaigakuen-u.ac.jp/nucb/Resume2/lec3.pdf)。
>>14 > まず注意しておきたいことは、ここで「共通の行為」とは、皆が同じ行為を行う、ということでは必ずしもないことである。たいていの場合、「同じ行為」よりも、「異なる行為を互いにうまく接合する」営みを意味する場合が多い。 > 例えば「貨幣による売買」。この「共通の行為」が可能になるためには、種々の前提(「売買とは何か」「貨幣とは何か」「売買は貨幣を通じて行う」「1円玉、5円玉、50円玉、100円玉、500円玉、1000円札、10000円札の区別」「10進法による計算」)が前もって共有されていなければならない。 > 例えば、この教室では、「日本語」という言語的前提が共有されていなければ、「授業」(教える・教わる)は成り立たない。その他にも、学生が私語をしない、勝手に退出しない、教員がきちんとしゃべる、暴言を吐かない、などいろいろと挙げればきりがないが・・・
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p. 569 第1段落について - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年 7月 4日(木)10時27分10秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- ・・・・人間は眼前の環境に適応する際に「知覚」をおこなう。人間が知覚することがらは、その人間がおこなっている活動から生まれ、その活動と深く結びつけられている。知覚は個人の活動を組織化する。それは個人がおこなっている活動と環境との相互作用から生まれ、その活動の経過を方向づける機能を持つ。この知覚という営みは、ある一定の「概念」にもとづいておこなわれるが、既存の概念が適応の道具としてうまく活用され得ないときがある。人間の場合、このような状況において既存の概念を再構成するプロセスが立ち現れることになる。ブルーマーのいう「認識」の過程がそれにほかならない。認識の過程はそれまでに見いだされなかった行為の方向づけや、行為の組織化を可能にする。この認識の過程によって既存の概念が適応の道具として不完全なものであることが明らかになれば、今度は、その認識の成果が既存の知覚様式へと還元されていく。すなわち、個人がいだいた認識がその個人の知覚を再形成するのである。認識の過程とは、知覚の単なる埋め合わせなのではなく、“知覚を形成する営み”なのである。このように、認識の過程を通じて、既存の概念は再構成され、再構成された概念は新たな知覚を導く。人間と環境との関係に関するこうした考え方を、ブルーマーは、W・ジェームズらを先駆とし、J・デューイらによってその基礎が確立された機能主義心理学とプラグマティズムの考え方から学んだものであることを認めている。このような「知覚」、「認識」という営みは絶えることなく続く。その意味で、人間が持つ概念とはいつまでも「仮説」としての性格を持ち続けることになる。(http://gyo.tc/PYNa)。
- [36]
2013年4月30日のニュースより - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年 6月28日(金)18時14分20秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- 精神医学会の診断手引改訂でアスペルガー症候群消える
日本でも広く使われている米精神医学会の診断の手引(DSM)が改定され、発達障害の一種である「アスペルガー症候群(AS)」の分類がなくなる見通しとなっている。ASは言語発達の遅れや知的障害はないが、対人関係を築きにくいという特徴がある。改訂されるDSMは重い自閉症からASまでを連続的にとらえる「自閉症スペクトラム障害」に一本化されるため、今後は同じような障害を抱えていても診断で除外される可能性があり、適切な支援が受けられなくなる患者が出てくることが懸念される。
「病気」とは「定義」の問題である。定義は変化すると、その定義にかかわる人びとやその他の「存在」に対する、社会や人びとの働きかけのあり方も変化し、結果として、その人びとや存在の社会における処遇も変化する。
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2013年4月29日のニュースより - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年 6月28日(金)18時09分27秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- 4月28日はサンフランシスコ講和条約により、日本が連合国の占領から脱した日として「主権回復の日」とされている。しかし、同条約以降も沖縄・奄美・小笠原は米国の施政下のままだったため、沖縄では「屈辱の日」、奄美では「痛恨の日」と言われている。今年は安倍政権により記念式典が開かれたが、沖縄ではそれに反発する声が相次ぎ抗議大会が開かれ、安倍政権批判の声が高まった。
役割>立ち位置(本土、沖縄、奄美)によって、同じ「Thing」が、異なった「Object」となっている好例である。
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さまざまな社会的世界において担う役割に応じて・・・ - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年 6月28日(金)11時16分0秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
- 編集済
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- 他者に対して帰属させる期待が異なる。
予期Anticipation→予測+期待
Ex. 私の「役割」 教員→期待① 大人→期待②→息子 父親→期待③
①「自分がやりたい仕事をすればいいよ。最終的には自分で決めなさい。」 ②「自分の能力を生かせるような仕事に就きなさい。国内に拘るな!」 ③「安定した職業について欲しい。危険を伴う仕事には就いて欲しくない。」
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行為や人工物に顕著な慣習的理解 - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年 6月25日(火)14時26分56秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- 行為=鹿児島県の郷土芸能の意味を調べてみよう。
人工物=鹿児島県の有形文化財などの意味を調べてみよう。
Cf. 千年王国運動
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過去の再構成 - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年 6月11日(火)18時46分32秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
- 返信
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- 「ゲーテも主張したように、歴史が絶えず書き変えられるのは、証拠となる新たな文書の発見によるもの、というよりはむしろ、歴史家たちのパースペクティブの変化によって〔既存の〕データから新たな知見の抽出が行われることによるものなのである。」
→cf. G.H.ミード著/魚津郁夫・小柳正弘訳、1994年『西洋近代思想史(下)』講談社、259頁;徳川直人、2006年『G・H・ミードの社会理論』東北大学出版会、7-8頁。 http://www.jstor.org/pss/2771966
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社交儀礼の発達 - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年 6月11日(火)18時45分30秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- 「エリート集団の場合、そこに所属する人々に対してのみ維持される社交儀礼のようなものまでも生まれるかもしれない。他方で、マナーの悪さが予期される可能性のある人々は、幾分人間より劣る存在として排除されることになる〔注〕。このように、社会的世界とは、認識された秩序であり、それは、そこにおいて各々の参与者が〔それぞれの〕人生を切り開き、自らの地位を維持し高めようとする舞台として機能するものである。」
注:例えば、次を参照のこと。H.W.ゾーボー著/吉原直樹ほか訳、1997年『ゴールド・コーストとスラム』ハーベスト社、49-78頁。 http://www.jstor.org/pss/2771966
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「知覚」の選択性 - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年 6月11日(火)18時38分13秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- 種々の判断は〔人間が有する種々の〕パースペクティブに基づいている。だから、異なった見方を持つ人びとは、同一の状況を別様に定義し、環境に対して選択的に反応することになる。だから〔例えば〕、スラム街を歩いている売春婦とソーシャル・ワーカーとでは、それぞれ異なった事柄に注意を向ける(http://www.jstor.org/pss/2771966)。
→この論点を、コミュニケーション論の観点から平易にかつ的確に解説した文献に次のものがある。大橋理枝・根橋玲子、2007年『コミュニケーション論序説』放送大学教育振興会、213-5頁。
- [14]
前提を共有しないと共通の行為が成立しない、という論点について。 - 投稿者:管理人
- 投稿日:2013年 6月 1日(土)17時53分10秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- まず注意しておきたいことは、ここで「共通の行為」とは、皆が同じ行為を行う、ということでは必ずしもないことである。たいていの場合、「同じ行為」よりも、「異なる行為を互いにうまく接合する」営みを意味する場合が多い。
例えば「貨幣による売買」。この「共通の行為」が可能になるためには、種々の前提(「売買とは何か」「貨幣とは何か」「売買は貨幣を通じて行う」「1円玉、5円玉、50円玉、100円玉、500円玉、1000円札、10000円札の区別」「10進法による計算」)が前もって共有されていなければならない。 例えば、この教室では、「日本語」という言語的前提が共有されていなければ、「授業」(教える・教わる)は成り立たない。
- [10]
「社会化」(socialization)について - 投稿者:管理人
- 投稿日:2012年12月15日(土)12時43分0秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- cf. P.L.バーガー著/水野節夫・村山研一訳、1979年『社会学への招待』思索社、137-178頁。
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社会的世界の「構成」、「規模」、「領域的(地域的)分布」について - 投稿者:管理人
- 投稿日:2012年12月15日(土)12時34分2秒
- s-gwip20.kagoshima-u.ac.jp
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- この点については、次の資料を参照されたい。桑原 司・奥田真悟、2009年「T. シブタニの準拠集団論の可能性(2006年度シカゴ社会学研究会報告資料)」Discussion Papers In Economics and Sociology, No.0901[http://hdl.handle.net/10232/8097]、 13頁。
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