みなさんお寿司好きですか?
回転ずしは行きますか?
今日は高校生の頃、回転ずし店でバイトをしていた時のお話。
アルバイトをし始めたのが、高校1年生・・にもまだなっていない中学校を卒業した3月のうちから。
友人と「高校に行ったらバイトしようぜ」と言っていたのですが、もう既に入学式前から暇で暇でお金もないし。と、いう事でその友人の兄貴がバイトしている回転すしのお店で使ってもらう事になりました。
うーん、かれこれ30年前か。
ちなみに時給は驚きの400円!その当時の最低賃金っていったいいくらだったんでしょうね。その当時は「最低賃金」なんて言葉も知らない純粋(無知)な子供だったので考えてもいませんでしたが、どこも似た様な時給だった様に思います。
バイトは平日は午後5時くらいから夜9時まで、日曜祭日は朝9時から午後3時と午後3時から夜9時までの2班と午前9時から夜9時までの「通し」と呼ばれる勤務に分かれていました。
慣れない、仕事のできないバイトは休みの日でも午前か午後の6時間勤務しかさせてもらえず、仕事ができる様になって本人が希望すれば、休憩はあるものの12時間働かさせてもらえるという今で言う社畜万歳な感じでした。
バイトの先輩にも「おい、ちゃんと仕事覚えないと”通し”やらせてもらえないぞ」なんてハッパをかけられたり、自分でも一人前になって早く「通し」やらせてもらいたいなぁなんて考えていました。アホですね。
仕事の内容。
ホールは、
- 会計で皿の数を数えて、レジに向かって大声で皿の数を伝える。
- テーブルの上を清掃
- 特注の味噌汁、刺身、ビール、茶碗蒸しなどを運ぶ
- レーンの上の回っているネタの様子を見て厨房に追加の要請する
4つ目のネタの様子を見てとは、具体的に言うと、定番のハマチ、甘エビ、巻物、いなり寿司、ウニ、いくらの数をお客の入り数と時間帯を勘案して、奥の厨房にどれが少ないか伝える仕事。
これが慣れるまで難しく、頼む量が多すぎるとお客がひけたあとに残るのでプレッシャーもかかる。
奥の厨房は
- 湯のみ、ネタの入っていたトレーの洗浄。(皿は自動の機械があった)
- シャリ炊き、巻物、茶碗蒸しの調理
- 先ほど出てきた定番品の調理
調理と言っても、握りは開店前からひたすら握りのロボットで大量に作っておいてあるのでそれを皿に並べ、ネタは載せていくだけ。
ちなみにわさびのつくものは、一列20個ほどを指先にわさびを大量にのせてびーーーーーっと伸ばしていくんです。かなりムラがあったと思います。
シャリ炊きと酢を合わせるシャリ切り(うわぁ懐かしい響きだ)も高校生バイトがやっていました。ボクもやってましたが、何百回やったことか。
あとから途中入社してきた板前に「へえ、すごくうまいね。」ってびっくりされてましたし。
巻物も茶碗蒸しも高校生のバイトが(時給400円から450円)がやってましたね。
会社としたらウハウハだったでしょうね。
板前さんもちゃんといました。休みの日だと4人。忙しいと2人がホールの寿司の回っているレーンの真ん中に入って、注文された寿司を握ってました。(今は代わりに新幹線が走ってますね)
その他に奥の厨房の板前さん2人はネタの魚をおろしたり、サイドメニューを作ったりしてました。
盆暮れ正月、ゴールデンウィークはとんでもない混み様で、4日連続で12時間勤務。しかも休憩はご飯食べる時間のみ。なんて日が平気でありました。
最終日の仕事が終わる頃にはぼろぼろでしたけど、閉店後は嵐の様な忙しさを乗り切ったっていう充実感と連帯感もあったりして、それなりに楽しかったような気もします。
板前さんは気さくで気持ちが若い人ばかりで、仕事終わりや暇な日にはパチンコや居酒屋に連れて行ってもらったりして(!)、ちょっと背伸びしたい年頃の高校生には気兼ねなく話せる大人の友達ができた様にも感じ、そういう和気あいあいとした雰囲気もあったのであんな極悪な勤務も乗り切れたんだろうなと今にして思います。
うちの長男は高校3年。校則で禁止されていたとはいえ、ほとんどバイトもしないまま高校生活を終わろうとしています。
良くも悪くもこんな強烈なバイトの経験をしておいても良かったんじゃないかななんて思いますが、ちょっとかわいそうか。
この話はまた書きます。
でわ。