日本的権威の構造 - 丸山眞男の「天皇論」を問い直す
日本における「天皇」を中心とする政治権力の構造を、それを根本において支える「政治思想」の次元で理論的に解明しようとした日本人の先駆者は私の知る限り丸山眞男である。
「15年戦争」の時代を生きた丸山の研究の主眼は「天皇」という権威そのものに集中していた。無論丸山にとっての「天皇」とは昭和天皇である。つまり翼賛体制下で絶対的権威として崇敬され、新憲法下では国民の象徴とされた「天皇」だ。「現人神」という言葉が想起させる「天皇」(すめらみのみこと)と「象徴天皇」と呼ばれる「天皇」(てんのう)は特に戦後生まれの人間には全く違う人物に感じられると思うが、例え二つの異なる言葉で表現されていても、指示される対象が結局同じ(=昭和天皇)なのであれば、「天皇」という存在そのものが丸山においては特別の「権威」でありつづけたとしても何の不思議もない。法的位置付けが変わったくらいで、そう簡単に見方を変えられるものでもないだろう。
だが、「戦後」しか知らない、つまり「象徴天皇制」の世界しか知らず、それも冷戦終結後に生まれた私のような「ゆとり世代」以降の者にとって、「天皇制」という言葉はそれ自体があまりに古く、かつ現実的実感がわかない。そもそも「現代日本の政治」が抱える様々な問題と「天皇」の間に何らかの関連性があると考えることさえ、ゆとりはおろかバブル世代にとっても難しいだろう。公式には「天皇」は日本政治の意思決定に関わらないことになっている以上、戦後生まれの「我々」がそう考えるのも無理はない。
そこで、ここでは私は「天皇」あるいは「象徴天皇制」そのものではなく、天皇制的「構造」に着眼して丸山の「日本政治思想論」の分析の視点で現代日本を見たいと思うのだが、その前にまず丸山の日本政治思想論を簡単に考察し検討を加えたい。(念の為断っておくが、これはあくまで私の思弁に過ぎない。つまり丸山流に言えば「夜店」であり、学問的営為とは一線を画すものであることを予めご理解願いたい。)
丸山の描く「天皇制」の構造においては、天皇をはじめとする最高意思決定機関は「神輿」として扱われ、事実上「軍部」の強硬派や、右翼団体などの「体制外圧力」に屈する形で、自ら熟考し大局的判断をするよりも、軍部の青年将校らの血の気の多い意見に半ば脅迫されつつ渋々「お墨付き」を与える、まさに「民意」の傀儡に過ぎない存在である。丸山はこのように上部機関が自己の意思を貫かず、「下」の動向に合わせてしまい、かつそれを理由としていざ問題が生じれば責任を下へ下へと押し付けてゆくような構造を「無責任の体系」と呼んだ。
確かにこの体制は軍事力を統括する「公儀」(=幕府)が「禁裏」(=天皇)から分離され、事実上の政治権力が公儀に独占されるに至った鎌倉時代以来続く「伝統」である。
明治維新とは公儀の権力を解体し、禁裏に権力を集中させるという名目であったが、実際に生じたのは公儀が統括する「武士」の集団が形成する「軍事力」が西欧由来の武器で武装した「新政府軍」に解体されるという政治過程である。
つまり「天皇」の権威がそれ自体の力のみによって公儀を圧倒したのではなく、あくまで「西欧の武器」の持つ軍事力の方が旧来の武士集団の持つ軍事力に勝ることが証明されたという出来事だ。従って「新政府」の「権力」を掌握していたのは近代軍の軍事力を統括した者であり、「天皇」ではない。確かに名目上は天皇が統帥権を持つ最高責任者ではあったが、軍部が既に内部で決した軍事行動に関する重要決定を覆すことは天皇にとってさえ容易でなかったという事実が示す通り、天皇はあくまで近代軍の統括者(=軍部の総意)という新しい「公儀」にその権限を与える「禁裏」であり続けたのだ。
また敗戦後の象徴天皇制下においては、日本は公式上「軍」を持たないことになっているが、自衛隊を軍であると考えるなら自衛隊及び米軍が、考えないなら米軍のみが現代の「公儀」であり、従って現代の日本人にとっての「将軍」とは「米軍」(及びそれに「協力」させられる自衛隊)を事実上統括する最高責任者である米国大統領であるということになる。
そう考えれば現代でも天皇は、理論上「公儀」の「上位」に君臨し「権限」を付与する「禁裏」でありつづけている。(徳川幕府が禁裏に与えた権限の小ささを考えれば、米国は比較的気前がいいとさえ言えるだろう。)
だが、そもそもこのように権力から距離を置いた「禁裏」に君臨する「天皇」を「政治的権威」と看做すのは正しいのだろうか?「天皇」は果たして西欧の「君主」や回教圏の「カリフ」に等しい地位にあると捉えるべきなのだろうか?
私の見解では、答えは否である。「天皇」は鎌倉幕府成立以降「政治権力」を失っている。後醍醐天皇など「政治権力」を取り戻そうとする天皇も過去には存在したが、その試みも虚しく「政治権力」は「公儀」にずっと簒奪されたままであり、その「公儀」は「御一新」によって「大日本帝国軍」に権力を簒奪され、さらに帝国軍はその権力を敗戦によって米軍に簒奪されたに過ぎない。頼朝が天皇から簒奪した日本国を統治する実効力という意味での「権力」は、それ以来様々な軍人によって簒奪されつづけ今日では遂に外国人の手に渡ってしまったということだ。
従って、「軍部」の決定を天皇が丸呑みしていたとしてもそれは「無責任の体系」と呼ばれるべき「政治体制」ではなく、単純に権力は軍部が掌握していたけれども、軍部も形式上天皇に敬意を払う程度には礼儀を弁えていたというだけのことである。
丸山をはじめとした東大出身の「奏任官」達や「貴族院」の政治家達が自分達に権力があったと思いたいが為に東条英機「首相」に責任の一端があるなどと考えたとしても、「議会」そのものが天皇同様に「神輿」に過ぎず、「実力」の核心は軍部が握っていたとすれば、丸山が描く「無責任体系」の中で実質的に意思決定に影響を与えるのが軍部あるいは軍部に影響力を持つ「右翼ゴロ」だとしても何の不思議もない。(またこれを現代に当てはめれば、自軍を持たない日本政府の意思決定など米国の判断次第でいつでも覆され得る空疎なものに過ぎないということだ。)
むしろ、この「無責任体系」は本当は何の実力も持たない「知的エリート」達が本来「政治権力」がどこから発生するかを考えもせず、「伝統」や「西欧」の権威に肖っているだけの自分達にも「権威」があると妄想したことによって生じてしまった「虚像」なのではないだろうか。
「憲法9条体制」、日本的「学歴主義」、実際には使いもしない「英語」が出来ることが重視される「英語エリート主義」等々、空疎で中身のない「権威」を勝手に作り上げてこれを崇め「奉り申し上げる」文化は今日の日本でも至る所で蔓延している。
これはつまり、「政治」そのものに限らず、あらゆる場面において日本人は「実力」よりも「神輿」に権威を感じてしまうという逆説を示していると私は考える。
「力」(pouvoir)よりも「正統性」(légitimité) を重く見るという日本的な「理想主義」は、「財産」よりも「肩書き」を、「知性」よりも「学歴」を、「実力」よりも「資格」を、「中身」よりも「外観」を、「味」よりも「見た目」を、「本音」よりも「建前」を重視する倒錯を今日でも生み出し続けている。
この日本的な「空虚」さが、ある意味Hobbes的な「万人の万人に対する闘争」を未然に防ぎ、歪ほど徹底した「平和」を生み出してきた。だがら日本人は正統性を欠いているのに実力を鼻にかけて「和を乱す」ような人物を嫌う(=「出る杭は打たれる」現象)し、逆に外国でどうして「戦争」が生じるのかを理解できない。大日本帝国時代でさえ、右翼イデオローグは日本が統治するすることで世界に「平和」をもたらすことができると信じていたし、その信条に偽りはなかっただろう。
実際、世界中の人々が「日本人」になれば、「力」よりも「正統性」を重視する空虚さを受け入れられるようになれば、戦争は確かに起こりえないだろう。
だが、それが逆説的に意味しているのは、日本的理想主義は根本的に「自然」に反しており、従って自然によっていずれ駆逐されるべき思想であり、また「平和主義」とはそれを奉ずる集団から「力」を奪い、他の集団に対して劣勢な立場に追い詰める、いわば政治的自殺を促すイデオロギーであるということだ。
古代の日本文化を愛した和辻哲郎がとある「歌舞伎」の演目における「理不尽さ」に「醜さ」を感じたのは、この理想主義のバカバカしさに対して何の抵抗もしようとしない人々の「弱さ」に共感することに対する違和感の表明であるように私には思われる。
尤も、この理想主義に良いところが全くないわけでは勿論ない。「弱さ」を否定せず「弱い」ままでいさせてくれる日本的な「優しさ」のおかげで辛うじて維持できる「美しさ」というのもあるだろう。日本流の「イケメン」の美しさは、まさにそういう美しさだと思うし、「たをやめぶり」を強調する日本的美学には野蛮な男性性を過度に強調する西欧的美学には無い良さがある。
だが、この美しさを「政治」に持ち込むべきではない。日本文化に対して曲がりなりにも「寛容」な米国が、いつまでも「公儀」であり続けるとは限らない。次の「公儀」が中国や回教政府である可能性が少しでもあるのなら、日本人はもう一度自らの手で「公儀」を作り直さなければならない。
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