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筋トレをしろ。うつが治るから。

さあ、今がその時だ。さっさとやるんだ。

母が自殺しなかった人生を生きることはできないので

たのしい生活 雑記 自殺遺族 斎藤一人さん

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Photo by Pascal Vossen

 

私の母は、2005年の9月6日に、

埼玉県の大宮駅そばにある

大宮日赤病院の屋上(19,8メートル)から、

飛び降りて自殺したんです。

61歳でした。で、私は27歳でした。

 

で、その日の朝、8時頃かな。台風がいったあとで、

風だけやたら強くて。

空気が朝日にきらめいて、

キラキラした強い風が、自分の身体の中まで吹き抜けて、

なにか清浄な気持ちになるような、そんな朝に

私は、ずーっと居候して暮らしてたんだけど

念願の一人暮らしを始めたばかりの

千代田区から、病院までタクシーで行きました。

 

母が自殺した半年後、

母が生前あったことがない人と結婚しました。

母の死後、私は生理が止まってしまった。

2年ぐらいかな。

で、病院に行くのも嫌だったんですよ。

だってストレスでこうなってるのもわかってたから、

病院に行って治療を受けて生理がもどってきたら、

私のストレスはどこに逃したらいいのか、見当がつかないなって思って。

で、結婚したばっかだけど、

これじゃ子供できないなって思って。

でも、夫は何も言わないでいてくれたのを感謝してます。

 

その後、いろいろあって夫とは別れ、いろんな人と

出会ったり、そして、

出会った人と二度と会えないような事になったりして、

今に至るんだけど。

 

母が自殺したことって、自分にとって何なんだ? っていうのは

よくわからないままなんですよ。

 

でもさ。

なんか、自殺した人の遺族は、

こういうケアを受けないと、とかいう、

メンタルヘルス医療のあり方もなんか、あんまり興味なかったし、

遺族の皆さんとつるみたいとも思わなかったんだよね。

なんか、時間をとめてしまう気がして。

生理も止まってるのに、親が死んだ時点で自分の時間を

止めておくのって相当、、、辛いっていうか。

 

かと言って、親戚とかに

「自殺っていうことは実家近辺のご近所さんには伏せておこうね」

っていう、死んだ人の選択を冒涜するような

日本のレガシーな(土着の)考え方も、

あんまり自分は合わないなと思ってて。

 

私は母が自殺で死んだことを全然隠してないですし、

むしろ、いろんなことを考える切っ掛けになったと思ってるから、

母は、こんな形ででも、

私たちに影響を与えたかったんだなって

そう理解してるんです。

 

人ってなんのために生きているかって言ったら、

自分が生きている意味を確認するためだと思う。

生きてる意味って何かって言ったら、

存在を認めてもらう、感謝されるってことじゃないかな。

 

つまり、他者なくしては自分の存在って、

ありえないものなんだよね。

それはみんな、どこかで理解してるんだと思う。

だから、認められたくて必死で生きている。

例えば、事業を起こして何万人も食べさせるような

アントレプレナーとして身体張って、いろんな人に

功績を認められ感謝されていく方向でやっていく人もいれば、

病弱さや生い立ちの不幸さを喧伝しながら

同情を引いて人の関心を引き止める人もいる。

 

人の関心の引き方はいろんなアプローチがあるからね。

そういうことを考えていて。

お母さん、どっちだったんだろうなって。

 

母は、満州で生まれて、1歳で引き上げてきて、

そこからは貧困の中を生きた。

生活者として社会のフロンティアに立って戦う人間でもあり、

でも、そんな自分の心の柔らかい部分を

理解されたい人間でもあった。

 

おそらく、理解に飢えていた。

解ってもらいたくてほめられたくて、

心が渇いて渇いてしかたがなかったんだろうな。

でも、そんな自分を、うまくプレゼンなんてできない。

不器用だし、昔の人間て自分をひけらかすことを

あまりしなかったみたいだからね。だから、

どうしたらほめてもらえるのか、それがわからなかったから、

だから、自分の「負」の部分……貧困や病気を、

世間の同情を得ることの対価として、取引したのかもしれない。

 

母は、死ぬ前に「いのちの電話」の相談員をやってたんだよね。

それはさ、自分に響くところがあるからやってたんだと思う。

 

でさ、じゃあ、そんなことを母に対して思ってる、

私はなんなんだってなるじゃないですか。

 

いろんなことを考えたけど、

私はお母さんに教えてもらったことを

身につけて生きていくしかないなって。

それはやっぱ、もう、沼に落っこちても立ち上がって前向いて

行くしかないんだよね。それが一番自分もいいし、

他人にとっても気楽に付き合える人になれるんじゃないかなって。

 

負の部分で人と渡り合うということを、

するのはいけないってことだなって

今は、思ってて。

不幸でいるひとによってくる人は

心が優しくて自分も苦しんでる人。

そういう人を苦しめたくないから、

幸せになるしかないんだなって最近は思ってます。

 

自分はこんなに大変なんだ。

自分はこれだけ苦労してて、不幸なんだ。

って、そんな自分の沼に降りてきてくれる

優しくて悲しい天使を待ってはいけないと思った。

 

それを私の母は教えてくれたなと思ってて、

私はすごく感謝してます。

なんか、まとまらないけど、そんな感じ。

 

母が死んで10年以上経って。

その時間を悲しく生きるのか、楽しく生きるのか。

80年しか生きない人生のうちの10年という

大きな割合をしめてしまった時間を、

どうとらえるのか。

 

この世にもはやいない母の死という事態に

支配され辛く生きるのか。

いや、

死んだ母も自分も幸せになれるほどの価値観の転換を

起こすことだって自分にはできるはずなんだ。

 

そう。斎藤一人さんが教えてくれた塩原多助の話が

書きたかったんだけど、なんか話がずれた。

まあいいや。

また今度書きます。すごくいい話だから。

 

それでは、おやすみなさい。

 

 

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