世界のラグビーが急速に変化している時代だった。かたくなにアマチュアリズムを守ってきたIRBは95年に選手のプロ契約を解禁。各国のトップ選手は練習量を増やし、体格・技術を進化させていた。当時ほとんどプロ選手がいなかった日本は完全に流れに乗り遅れていた。
インターネットもまだ普及期にあり、海外チームの分析に力を入れていたとはいえ詳細なデータを得るには支障が多かった。指導者や審判ら海外の関係者との人脈も乏しく、得た情報を読み解いてチーム強化に生かすための知識もまだ足りなかったのだろう。W杯本番では対戦国が別人の顔を見せ、日本はピッチの芝に滑る選手が続出。力を出し切れなかった。
「想定外」の原因で敗れた99年W杯のメンバーだった岩渕GMは12年、日本代表のGMに就任した。真っ先に取り組んだのが、過去の日本代表や海外チームの分析だった。その結果、至った結論が「平尾さんのときに日本代表がやったことはすごく進んでいた」。
新しい代表の強化は当時の指針を参考に始まった。全地球測位システム(GPS)やドローンを活用してのデータ収集と活用。格闘家など他競技の専門家の招請。海外出身選手の力を最大限に引き出す起用法……。ジョーンズ・ヘッドコーチ(HC)が取り入れた具体策は、平尾ジャパンと重なるものが多かった。
99年の反省も生かされた。岩渕GMとジョーンズHCは芝やホテル、主審までW杯本番と同じ環境で強化試合を設定。細部の細部まで準備を重ねた。ジョーンズHCを筆頭に、周囲のコーチ陣も各国の指導者や審判らとの情報網を使い、対戦国の分析を進める。W杯のピッチで目を丸くしたのは、日本でなく相手の方だった。
99年からの16年間で日本にもプロ契約は広がり、海外のスーパーラグビーでプレーする選手も増えていた。スタッフ陣の強化策と選手のレベルアップとが結びつき、世界中のニュースとなった日本代表の3勝という結果が生まれた。
■「昨年W杯、平尾ジャパンをさらに近代化」
「私が偉そうに言えることではないが、平尾さんのときにやっていたことをさらに近代化したのが昨年のW杯だった」と岩渕GM。日本代表の活躍は、平尾さんが広い視野のもとで耕した土壌の上に咲いた花でもあった。
ジョーンズHCは昨年のW杯限りで退任。平尾さんは後任を検討する日本ラグビー協会の作業部会の一人として人選を進めた。選んだのは、平尾さんが代表監督時代に選手として指導し、日本のラグビーを強くしたいという情熱を持つジョセフ氏だった。
今年1月、ラグビー協会は理事会でジョセフ氏就任の方針を決めた。会議が終わった午後8時すぎ。秩父宮ラグビー場の敷地を出ようとする平尾さんに選考の理由を聞くと、底冷えのする路上に立ち止まって答えてくれた。「人間的にもプレーも愚直な男。いい選考じゃないかと思いますよ」。痩せた頬の上の瞳は現役時代のような輝きを宿していた。
その秩父宮で11月5日、ジョセフHCは初陣を迎える。日本代表がこれからどんな戦いを見せるのか。自身が顔役を務めるはずだった3年後のW杯日本大会の成否は――。その行方まで見届けぬまま、平尾さんは逝った。
(谷口誠)