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空き家事務長

 投稿者:tesuto  投稿日:2016年10月26日(水)01時57分17秒
  常任理事みたいです 憶測ですが 数年後は 理事長? 先生の予測どうり 大学乗っ取りです  

警鐘さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月26日(水)01時32分16秒
  ありがとうございます。
元気が出ます。
 

感性さま

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月26日(水)01時30分2秒
  めげずにがんばっていこうと思います。
感性さまの視点は必要だと思います。

 

寝たきりおじさん様

 投稿者:警鐘  投稿日:2016年10月26日(水)01時21分59秒
  素晴らしい体験
ありがとうございます

この体験を読んだら
必ず創価学会を先生直結の団体にして見せる!
との決意と確信が湧き上がって来ました
 

権威主義者と偽善者が共存する特異人格者が上にいると、

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月26日(水)01時18分6秒
  もう、迷惑でしかない。


困った人間である。

自分が権威主義者で偽善者でもあると、思っていないフシがある。


まあ、自覚があるようなら、そこにはいないだろうが。

立正安国論さながらの状況ゆえに、全国の会員がささやいているのも当然聞こえないだろう。



こういう有害廃棄物もどきは、「始末におえない」または「さっさと排出するに限る」





 

お二方へ

 投稿者:感性  投稿日:2016年10月26日(水)01時00分33秒
  >先生が会長辞任後の反転攻勢の時期でした。   投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2016年10月26日(水)00時44分51秒

私は今もそうですが、ひねくれたところがあり素直に感動したのではなくどことなく斜に構えた
感覚でテープを聞いていただけに、ほどなくして禁止通達がきた時もなるほどと
思いました。
後年、例の一時的に全国を沸かせすぐに作者の資質やストーリーの不整合等々を叩かれた
「一杯の掛けそば」を聞いたときこの中等部長の朗読を連想してしまいましたね。
語り口が似ていたと感じました。

>ありがとうございます。   投稿者:寝たきりオジサン   投稿日:2016年10月26日(水)00時48分38秒

どういたしまして。これからも御投稿を続けてくださいませ。
 

信濃町の人びと 様

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月26日(水)00時54分25秒
  フォローありがとうございます。
気をつけます。
 

ありがとうございます。

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月26日(水)00時48分38秒
  >十円玉さま

>京都のおんな様

>猿ヶ島さま

>感性さま

レスありがとうございます。
励みになります。

この話は30年前ぐらいに
テープを通してすごく全国に流布
した物で有名な指導です。

中等部時代に聞いた事がある方も
結構いらっしゃると思います。

少しでも皆様の励みになれば幸いです。

 

大評判渦中での急な禁止通達

 投稿者:感性  投稿日:2016年10月26日(水)00時47分52秒
  >所沢の中等部員会ですね。   投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2016年10月26日(水)00時35分25秒

その事案ならまずテープが流布されたのは84年頃ではなかったでしょうか。中等部員会での
当時の中等部長による朗読は四者でも大評判となりました。

>数年後に、理由はよくわかりませんが、この録音は使用しないようにと伝達がありました。
> 確か、ご遺族から申し出があったようなことを聞きましたが。

数年後ではなく、大評判になっていた渦中での急な使用禁止の伝達ではなかったでしょうか。
社内役職等に誤認識があったと聞いています。
 

先生が会長辞任後の反転攻勢の時期でした。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月26日(水)00時44分51秒
  その体験談を含む指導テープは先生の会長辞任後、当時の鎮む学会組織にあって、生きた体験談と指導内容がいかに必要なのか。また、勤行と唱題の素晴らしさを実感させる内容が必要だった。ということではないでしょうか。

もしかしたら、最初は打ち出し的なものがあったかもしれませんが、私が知る限り、ほとんどが個人的繋がりでテープをダビングしての伝搬だった記憶があります。

心打つ内容でなければ、全国的に拡がらなかったのではないでしょうか?そうした意味からの資料価値があると思いました。
 

所沢の中等部員会ですね。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月26日(水)00時35分25秒
  昭和50年代後半頃、所沢の中等部員会の内容の録音が
全国的に流布されたのではないでしょうか。
主に、未来部の担当者を中心として、すごい体験だという事で。組織的な打ち出しだったのでしょうか?
私の当時の記憶は自然発生的に、善意で未来部担当者の間で流布されたものだと思っていましたが。

数年後に、理由はよくわかりませんが、この録音は使用しないようにと伝達がありました。
確か、ご遺族から申し出があったようなことを聞きましたが。

昭和の創価学会史を語る資料の一つとして価値はあるのではないでしょうか。一部の方のお名前は配慮が必要かもしれませんが。
 

対話を続けて分かった事

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月26日(水)00時34分22秒
  対話を続けている。

対話も、直截にやってみるものだ。

最近の組織に危機感を持っている人は、多い。

そして、そのことについて対話を欲している人が多いのである。

しかし、それは幹部との対話ではないようだ。

幹部がちゃんと答えるとは思っていない、というより、諦めている。

こんな風に言うのだ。

「池田先生がおられるのに、この有様だ。
おられなかったら、どうなってしまうのかと思うと、ぞっとする」

心ある同志の本音である。(幹部にはうっかり言えたものではないと感じている)



いろんな事が分かってきたが、その中でも、最も驚くべき事は、

今まで対話した100%の人が「教義が変わったのを知らない」事だった。


これって、今の組織と幹部の怠慢&姑息な実態だと思うのだが、どうだろう。


しかしさ、聖教珍聞に、はらだーが座談会に出席とかいう写真があったが、

宮田某の例の集まりにも、「はらだー」及び「たにがー」が出席でしょ?

何が座談会出席だよ。偽善だ、偽善。

平気でこういうことをする「偽善者」が上にいるような組織は、相当腐っている。



査問・処分・除名を平気でやらすような彼等に贈りたい。

「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」


 

サンシャイン60

 投稿者:tesuto  投稿日:2016年10月26日(水)00時27分16秒
  巣鴨プリズンの跡地に建設されたものです 牧口先生・戸田先生を初め 東京裁判を想起します  

敢えて一般論で

 投稿者:感性  投稿日:2016年10月26日(水)00時16分27秒
編集済
  いったん全国に打ち出した情報は後で脚色や誤認識に基づくものだということが分かり
組織内でのテープ聞かせや口コミ流布が禁じられた事案は、相当時を経た現在でも特にWEB
上では悪意なしにそのまま間違ったまま伝わってしまうことを思えば、当時の発信幹部や
その決済上司の責任は重大なものがあります。

たとえ内容がすごい体験であっても脚色流布はすごさを相殺してしまいます。それだけ
ならまだしも後で事実や後処理を知った後にせっかくの信心高揚に逆効果をもたらす場合も
ありえます。
そのような組織内流布が今後はくれぐれもないよう現在の幹部連は気をつけなければなりません。
 

おサルの独り言 6:サンシャイン60での不思議な体験

 投稿者:猿ヶ島  投稿日:2016年10月26日(水)00時04分20秒
編集済
  寝たきりオジサン様

初めまして。下記投稿ありがとうございます。
私はその「サンシャイン60」ビルで不思議な体験をした一人です。

『藤堂全国中等部書記長指導3/3  投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月25日(火)20時39分21秒』
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58738

>「・・・あのビルは、あの日本一高いビルは、勤行を30年間一回も欠かさな
かった人が建てたんだ。勤行をしたくなくなったら、題目をあげたくなくなったら、山手線に乗って池袋近くからサンシャイン60を見よう。
あれは30年間勤行を一回もを欠かさなかった人が建てたんだ。鹿島建設副社長三苫仕(みとま・つこう)さん、創価学会全国副指導長、サンシャイン60の創始者です。67歳・・・」


サンシャイン60が完成・開業して数年後になりますか、当時二十歳すぎの再折伏されて再び学会員になって間もない男子部の自分は何よりも朝が弱かった。練馬住まいの出社時間にいつもギリギリだった自分はほとんど勤行もできず、やっても長行を抜かしての3分間カップメン勤行(今じゃこれが正式勤行 大笑)での西武池袋線通勤でした。

ガタゴト♪と椎名町駅を越え、池袋駅を目前にゆるいカーブに差し掛かるとその当時たった一本そびえたつサンシャイン60が見えてきます。

眠い頭で出社に焦るばかりの自分が、満員電車の人込みの中で、乗客の頭の間からそのビルは見えてきます。いつも脳裏にあるのは「今日も勤行できなかった・・・」と後悔ばかりの自分。ところがある時、通勤車内からいつものサンシャイン60ビルを眺めていると、ふと御本尊の板曼荼羅に見えた時がありました。
「形といいバランスといい御本尊にそっくりだな」
と思った自分は、おもわずそのサンシャイン60に向かって「南無妙法蓮華経」と唱えていました。

以後、自分は毎朝、通勤電車の中からサンシャインにむかって題目をあげるのが行事になってしまいました。
それから数年後です、私が寝たきりオジサンさんが話されたこの鹿島建設幹部の実話を知ったのは・・・。


本当に不思議な体験でした。
やはり「成功させるぞ」という執念とその題目が、このビルを生かし続けているのかも知れません。

以来、時々サンシャインビルを見る度に、若かった頃のこの不思議な体験を思い出します。
ただ、この「三苫仕(みとま・つこう)」さんのお名前だけは、今回初めて知りました。
ありがとうございました。

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年10月25日(火)23時46分16秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生が100歳を超える長寿でありますように
おやすみなさい
 

紅の歌

 投稿者:蘭夢  投稿日:2016年10月25日(火)23時36分0秒
  紅の歌の歌詞が変わった。
大百蓮華11月号、82頁より、「紅の歌」誕生の秘話が綴られている。
そこには、「紅の歌」が、ただの歌ではなく
先生の想いが込められたものであることがわかる。

歌詞を読んだ香峯子夫人。
「あなたの言いたいことが全部、この歌に入っていますね」

そう、一字一句、先生の想いが込められている。

今回、変わった個所は

「父の滸集いし 吾らあり」

「師の滸集いし 吾らあり」
と変わった。

変更理由は、「永遠に師匠と共に」ということらしい。

先生は、「同じ意義だから」とその変更を了承したという。

ここからは、僕の個人の想いとなる。

師弟ということを常々、指導されている先生が、なぜ、一字一句、想いを込められた
「紅の歌」の中で、「師」を使わず「父」を歌詞とされたのか

ある父親がいない未来部が先生と会った時、先生は、私を親父と呼んでいいよ。
これからは、私が君の親父だ。
何でも、相談するんだよ。
そう語りかけたという。
この歌詞には、そんな先生の会員を想う、慈愛の心が込められていたとのではないか
僕は、そのように感じながら、この「紅の歌」を歌っていた。

今回の変更、先生は本当は、どう感じられていたのだろうか。

僕ならば、絶対に、このように歌詞は変えないだろう。

先生の想いが一字一句込められたものである。
そして、35年、この歌に励まされ、闘ってきた想い、多くの方の想いがあるだろう。

先生との絆の歌である。

そんなに簡単に変えられるものではない。

少なくとも、僕は、正直。寂しさを感じる。

先生のお心を想うと「同じ意義だから」との言葉は、
同じであるが「父」とした先生の深い想いを
弟子がくみ取れていないそんな気がしてならない。
 

同盟題目23時より開始、よろしくお願い致します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月25日(火)22時51分43秒
  23時から23時30迄です。参加は任意、自由です。
途中から、途中まで。また、時間をずらしてでもOKです。
例えば、20分後の23時20から23時35分までの15分間でも構いません。

池田先生と奥様のご健康を祈ります。
 

寝たきりオジサン様

 投稿者:京都のおんな  投稿日:2016年10月25日(火)21時39分56秒
  感動しました、ありがとうございました。  

寝たきりオジサンさん

 投稿者:十円玉  投稿日:2016年10月25日(火)21時06分56秒
   寝たきりオジサンさん

 抜群! これからもよろしくお願いします。



 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月25日(火)20時56分38秒
  全集未収録の特別文化講座『創立者 ダンテを語る』を掲示します。

2008-4-23 創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る③

フィレンツェを追放されたダンテ
わが故郷は世界! 善の勝利へ!「神曲」執筆に挑む

 ● 越えられない試練はない!
 一、30年前の夏、学園生の皆が、創大生とともに、「負けじ魂ここにあり」というテーマを掲げて、私を迎えてくれたことがありました。
 〈1978年(昭和53年)7月14日の第11回栄光祭〉
 「『負けじ魂ここにあり』──何と素晴らしいテーマか」
 私は感動しました。
 その後、「負けじ魂」の精神を歌い上げる愛唱歌をつくろうと、学園生は話し合いを重ねたようです。
 その年の秋、皆でつくった歌詞を、私のもとに届けてくれました。
 ちょうど私は、錦秋の関西創価学園にいました。
 ここで歌詞を推敲し、1番から3番までが完成したのです。
?

 桜の舞いゆく 春の陽に 友とかけゆく
 この天地、 世紀を語る
 笑顔には 負けじ魂 かがやけり

 燃ゆる陽ざしに 汗光り 進め 我が君
 この道を 胸うつ響き
 紅顔に 負けじ魂 ここにあり

 烈風りりしく 身にうけて 未来の鼓動は
 この生命(いのち) 喜び踊れ
 丈夫(ますらお)は 負けじ魂 我が胸に

 大いなる期待を込めて、4番の歌詞は、私がつくって贈りました。

 母よ我が師よ 忘れまじ 苦難とロマンを
 この我は いつか登らん
 王者の山を 負けじ魂 いつまでも

 皆さんは、前途に何が起ころうとも、決して焦る必要もなければ、恐れる必要もない。
 「負けじ魂の人」には、乗り越えられない試練など絶対にないのです。
 いつか登らん、王者の山を!──そう歯を食いしばって、今は、耐えに耐えて頑張るのです。
 人生の最後に勝つ人が本当の勝利者です。
 私は、学園生とともに、あらゆる難を勝ち越えて、一点の悔いもない完勝の証しを、全世界に示し切ってきました。そのことは、皆さん方のお父さん、お母さんが、よくご存じの通りです。

 一、苦難と戦うダンテには、先達というべき存在がいました。
 古代ローマの政治指導者であった哲学者ボエティウスです。
 彼は、正義のために断固として戦った。ゆえに俗悪な政治家たちから妬まれ、憎まれた。そして、不当にも投獄され、処刑された。
 この哲人が獄中で書き残した『哲学の慰め』を、ダンテは、若き日から愛読していました。
 そこには、毅然たる正義の魂の叫びが刻まれ、留められていました。
 「悪人どもがどんなにあばれても、賢者の額を飾る月桂冠は、落ちることもしおれることもないでしょう」(渡辺義雄訳「哲学の慰め」、『世界古典文学全集26』所収、筑摩書房)
 知性の勝利の象徴である「月桂冠」は、いかなる悪口罵署にも、汚されることはない。
 否、非難されればされるほど、いやまして光り輝くのです。

 ● 悪に反撃する強さを持て!
 一、祖国を追われたダンテは、多くのものを失いました。社会的地位。名声。財産。故郷……。
 しかし、すべてを奪われたのではなかった。
 どんな権力も、彼から奪えないものがあった。
 追放されたダンテは、「一番大切なもの」を握りしめでいた。
 それは、「正義は我にあり!」という燃えるような「信」です。
 そして、「正義がないというのなら、私が正義を明らかにするのだ!」という執念であったのではないだろうか。
 そのダンテが、全身全霊を捧げて取り組んだ作品が『神曲』だったのです。
 『神曲』をはじめ、ダンテの名著の多くは、20年間の亡命の時期に書かれたものです。そこには、力強い考察と言葉が、ほとばしっています。
 ダンテは「善き事に対して悪しき証言を為すものは、誉れでなくて汚辱を受くべきであろう」(中山訳『ダンテ全集第6巻』同。現代表記に改めた)と綴っています。
 彼は『神曲』の執筆によって、だれが見ても分かるように「正義の基準」を明確に打ち立て、悪い行いを次々と罰していきました。
 そして、自らを不当に陥れた卑怯者たちに、自身の真価を見せつけていったのです。
 正義なればこそ、悪に反撃する強さを持たねばならない。
 ダンテの有名な詩には、こうあります。
 「沈黙することは/その敵にわが身を結びつけるほどの卑しい/下劣さである」(中山訳『ダンテ全集第4巻』同)
 このダンテの炎のペンは、乱世の中で人々が迷うことがないように、歩むべき正しい道を照らしていきました。
 「善人が下賎な侮蔑に置かれ、悪人が崇(あが)められ、高められた」「わたしは、悪しき路を辿(たど)りゆく人々にむかい、正しき径(みち)に向けられ得るよう、叫ぼうと企てた」 (中山訳『ダンテ全集第6巻』同。現代表記に改めた)と。

 ● 傲慢と戦い抜け
 一、「亡命の間、ダンテのもとには、故郷フィレンツェから、「金銭を払う」などの屈辱的な条件に従えば、帰国を許すとの提案がなされました。
 しかしダンテは断固、2度にわたって拒絶したという。
 「汚名を被らされながら、汚名を被らしたものらに対して、おのが(=自分の)金銭を払うこと」は、「正義の宣伝者の思いもよらぬところ」(中山訳『ダンテ全集第8巻』同)であると。
 正義の人ダンテには、自らを迫害した者たちの誘惑に負け、屈服するような卑しい弱さは、微塵もなかった。
 ダンテは語った。
 「太陽や星の光を仰ぐことは私にはどこにいてもできるではないか。
 名誉を奪われた、屈辱的な恰好で、故国の前に、フィレンツェ市民の前に姿を現わさずとも、天下いたるところで甘美な真理について冥想(めいそう)することは私にはできるではないか」(平川祐弘訳『神曲』河出書房新社の訳注から)
 彼はもはや、故郷に戻る、戻らないといった次元を超越していました。
 この大宇宙のいずこにあろうとも、正義を貫く自分自身に変わりはない。
 「故郷」を追放されたダンテは、「世界」をわが故郷としました。

一流の人格の指導者は へこたれない 妬まない

 不当に迫害されたダンテは、大きく境涯を広げ、自由自在の世界市民として飛翔していったのです。
 ダンテが青春時代から深く学んでいた、大詩人ウェルギリウスの詩が思い出されます。
 「傲慢な者とは最後まで戦い抜くことだ」(岡道男・高橋宏幸訳『アエネーイス』京都大学学術出版会)

 苦しくも 勝利の春は  君待たむ

 ● 正邪を明らかに
 一、私が友情を結んできた多くの世界の一流の方々も、過酷な迫害に遭いながら、強い正義の信念で打ち勝ってこられました。
 "人類の頭脳"といわれるローマクラブの創立者、イタリアのペッチェイ博士は、凶悪なファシズムに囚われ、拷問されても、断じて同志を裏切らなかった。
 南アフリカのマンデラ前大統領は、悪名高きアパルトヘイト(人種隔離政策)と戦い、実に27年半──1万日におよぶ獄中闘争に勝利された。
 アメリカの人権の母パークスさんは、不当な逮捕にも屈せず、人種差別の撤廃のために戦い続けた。
 ロシアの児童劇場の母サーツさんは、独裁者の粛清によって最愛の夫を殺され、自らもシベリアの収容所に囚われた。その極寒の牢獄の中で、子どもたちのための劇場の建設を決意されました。
 さらに、軍事政権と戦い、外国への亡命生活の中でも正義のペンの闘争を貫いた、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁。
 多くの民衆の命を奪った軍事政権と戦い、残酷な仕打ちに耐え抜いた、アルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士。
 中国の文豪・巴金(ぱきん)先生は、文化大革命の渦中、「牛小屋」と呼ばれる監獄に入れられ、責め抜かれた。しかし、その獄中で、ダンテの『神曲』を筆写しながら、歯を食いしばって、一切を耐え忍ばれたのです。
 巴金先生の胸奥には、ダンテのごとく、いつの日か正邪を必ず明らかにしてみせるとの闘魂が燃え上がっていた。そのことを、私は血涙を流す思いで、うかがったことがあります。

 一、皆、「自分との闘い」に勝った人です。たとえ悪口され、圧迫されても、何度でも立ち上がって、一生涯、挑戦し続けた人です。
 一流の人格の指導者は、決して「へこたれない」。また、「人を妬まない」。
 前へ進む人、成長し続ける人には、他人を妬んでいる暇などありません。人を嫉妬するのは、自分が前に進んでいない証拠です。成長していない証拠なのです。
 ダンテは、苦難をバネにして、「汝自身」を大きく育てていきました。「わが道」を前へ前へ進んでいきました。
 きっとダンテは、「あの嫉妬深い悪人どものおかげで、わが使命の執筆ができるのだ!」と、敵を悠然と見おろしながら、「大きな心」で前進していったに違いありません。

 一、大難に遭い、大難に勝つ正義の人生は、不滅の歴史を刻み、人類から永遠の喝采を受ける。一方、正義の人を迫害した悪人どもは、永久に消えない汚名を残すのである。
 わが学園生には、正義の「勝利の旗」を未来永遠に打ち立てゆく、「栄光の使命」があると申し上げたい。

私は叫ぶ!人々の幸福のため
神曲は教える 名声や財産は はかない風の一吹き
友に尽くす行動は永遠に朽ちない

 一、天空を真っ赤に染め上げていく夕日。
 「君よ、あなたよ、わが命を燃やし、一日一日を悔いなく学び、生きよ!」と語りかけているようです。
 1991年(平成3年)の10月18日。
 私は、関西創価学園での友好交歓会に出席しました。
 夕方には、通学生・寮生・下宿生の代表と懇親会を行いました。
 この時です。
 それはそれは素晴らしい夕日が会場の外を照らしました。私は窓際に立って、その光彩をカメラに収めました。
 荘厳な夕日は、明日の晴天を約束するとも言われる。関西の交野(かたの)も枚方(ひらかた)も、東京の武蔵野も八王子も、本当に夕焼けが美しい。
 仏典には「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」とあります。わが学園生、創大生、短大生の現在の努力が、未来の栄光を開くのです。

 ● 民衆の言葉で!
 一、私にとって、『神曲』は、青春の座右の一書でした。

 若き日に 最初に読みし  ダンテかな  おお 神曲の 正義の戦よ

 ダンテは自ら『神曲』について語りました。
 「作品の目的は、人びとを今陥っている悲惨な状況から遠ざけ、幸福な状態へと導くことにあるのです」(マリーナ・マリエッティ著、藤谷道夫訳『ダンテ』白水社)と。
 目的は明快です。
 「人間の幸福」です。
 だからこそ一人でも多くの人に伝えたい──。
 ゆえにダンテは、当時のエリートの言葉である「ラテン語」ではなく、民衆の日常の話し言葉である「イタリア語(トスカナ語)」で、『神曲』を書きました。
 すべては「人間の幸福」のためにある。
 このことを、狂った軍国主義の時代に勇敢に叫び切った師子王が、牧口先生であり、戸田先生でした。
 ここに創価教育の原点があります。

 一、人々の幸福を願って書かれた『神曲』は、一体、どのようにして物語が進んでいくのか。
 実は、『神曲』は、その多くが「師弟の旅」として描かれています。
 師とは、古代ローマの大詩人ウェルギリウス。
 弟子とは、イタリアの青年詩人ダンテ。
 時を超えて結ばれた、この師弟が、まず地中にある「地獄」の世界を下へ下へと降りていきます。
 次に、地上に出て、そびえ立つ「煉獄」という世界を見聞します。
 さらにダンテは、天上の「天国」の世界にも飛翔して、旅を続けるという構成になっています。
 大宇宙の高みに至ったダンテは、地上の一切の権力を悠然と見おろしていました。
 彼にとっては、この世の名聞名利など、はかない「風の一吹き」(平川祐弘訳『神曲』河出書房新社)に過ぎなかった。
 だから逆風も恐れませんでした。

 君と僕 富士を仰ぎて 堂々と 正義の大道 愉快に歩めや

 ● いかに生きたか何を為したのか
 一、『神曲』に描かれた世界は、いずれも、亡くなった人々が行く「死後の世界」です。
 そこでは、生前のいかなる権力も、財産も、名声も、まったく関係ない。
 身を飾る「虚飾」は、ことごとく剥がされて、人間としての「真実」「本質」が明らかにされていく。
 「いかに生きてきたのか」「何を為してきたのか」──ただそれだけが、ダンテの考える「正義」に則って、厳格に裁かれます。そして、次の三つの場所にふるい分けられるのです。
 地獄界は、永劫に罪悪を罰せられる世界です。
 煉獄界(=浄罪界)は、過酷な責め苦を経て、罪を浄化する世界です。
 天国界(=天堂界)は、光と音楽に満ちた、正義と慈悲の世界です。
 ダンテは、この三つの世界の旅を終えて、生の世界に戻り、死後の世界の実像を人類に伝えるために『神曲』を言いた。そういう設定になっているのです。

ダンテの火の筆は描く
生命の因果律は峻厳 「中傷」「暴力」「偽善」「忘恩」を断罪

 一、ダンテが描き出した「地獄」の様相が、どれほど凄まじいか。
 日本の歌人として有名な与謝野晶子は、こんな一首を残しました。
 「一人居て ほと息つきぬ 神曲の 地獄の巻に われを見出でず」(『輿謝野晶子全集第3巻』文泉堂出版)
 少し難しい表現かもしれませんが、歌の意味は、こうです。
 『神曲』の地獄篇を読み通して、その地獄の中に"自分がいなかった"ことに、ほっと安堵の息をついたというのです。
 いわんや、仏典には、「もし仏が、無間地獄の苦しみを詳しく説いたならば、人はこれを聞いて、血を吐いて死んでしまうだろう」とあります。
 それほど生命を貫く因果は厳しいのです。

 一、『神曲』では、さまざまな罪悪が罰せられています。
 例えば、「傍観」の罪があります。
 「地獄の門」を入ると、絶え間なく虻などに刺されて、泣きながら走り回る者たちがいます。
 それは、生きている間、中途半端で生ぬるい生き方をしたため、死後、絶え間なく苦痛の刺激を受け、動き続けなければいけないという象徴なのです。
 彼らには、あえて厳しい断罪の言葉が投げつけられる。
 「これこそ、恥もなく、誉もなく、凡凡と世に生きた者たちの、なさけない魂のみじめな姿」(寿岳文章訳『神曲』集英社文庫)
 「本当に人生を生きたことのない馬鹿者ども」(前掲平川訳)
 「慈悲も正義も奴らを馬鹿にする」(同)と。

 「冷酷さ」を「氷」で表現
 「さらに、「貪欲」の罪、「暴力」の罪、「偽善」の罪、「中傷分裂」の罪などが罰せられている。
 では、ダンテが描いた地獄の最も底で、厳しく罰せられている罪悪は何か。
 それは「裏切り」です。なかでも、「恩人に対する裏切り」は最も罪が重い。
 地獄の底──「わずかの熱」も「救いの光」もない暗黒の絶望の世界で、「氷漬け」にされている。
 ダンテは、恩人を裏切る卑劣な「冷酷さ」を何よりも憎み、「氷」の冷たさで表現したのです。
 そして、悪魔の大王に、裏切り者が全身を噛み砕かれている姿を描いています。
 ダンテは綴ります。
 「裏切者はみな未来永劫にわたり/呵責にさいなまれている」(同)
 忘恩の裏切りは、人間として最悪の罪の一つである。これは、古今東西を問わず、一致する結論であることを、聡明な皆さんは心に留めておいてください。

 一、『神曲』の世界では、さまざまな登場人物が、自分自身の振る舞いに応じて、居場所を定められています。
 卑劣な悪行があれば、それに見合った罰が下っている。ダンテは、峻厳な「因果の法則」を見つめていたのです。
 自分が行ったこと(=原因)は、良きにつけ、悪しきにつけ、必ず自分自身に返る(=結果)。
 「悪人は必ず厳しく裁かれる」

『ダンテ』
最も愚かなことはこのせの後に他の世がないと信ずることです

 「善人は絶対に正しく報われる」
 生死を貫く、そうした「因果の法則」から、いかなる人も逃れることはできない。
 これが、ダンテの達観でした。
 その因果の実像を、文学の世界で表現したのが、『神曲』なのです。

 一、『神曲』では、有名か無名かにかかわらず、善い行いをした人間は、高い位に位置付けています。
 一方、地位の高い政治家や坊主で、その立場を乱用して、悪事をなした者は、容赦なく裁かれています。
 「上に立つ人の行ないの悪さこそが/世界が陰険邪悪となったことの原因なのだ」(同)と。
 ゆえに『神曲』は、邪悪な権力者を厳しく責めている。
 例えば、天国界で記されている「罪科帳」には、「王たちの悪業の数々がすべて― 記入されてある」(同)という。
 また、腐敗の坊主の悪行に対しては、「いま一度怒りを心頭に発していただきたいのだ」(同)と、広大な天国界が、真っ赤に染まるほど、激烈な怒りに燃える。
 『神曲』の「天国」も、俗にいう「楽園」ではない。それは凄まじい「正義の怒り」のみなぎる世界なのです。

 ● ケネディも愛読
 一、アメリカの若き指導者ケネディ第35代大統領も、ダンテの文学を好んでいました。
 大統領は、ダンテの信条を通して、こう語っています。
 「地獄で最も熱いところは、道徳にとって大変な危機の時代に臨んで優柔不断な姿勢をとる人間のためにあけてある」(宮本喜一訳『勇気ある人々』英治出版)と。
 であるならば、正義が貶められている時に、戦いもせずに傍観している者は、地獄の最も熱いところに行くということです。正義の戦いは、絶対に中途半端であってはならない。
 ダンテの正義のペンは「火の筆」といわれるほど、徹底したものでした。
 『神曲』では、先人がダンテを、こう戒めています。
 「おまえの叫びは、さながら疾風のごとく鋭く、― 梢が高ければ高いほど激しく撃つがよい」(前掲平川訳)
 邪悪を諌め、正すためには、相手の位(=梢)が高ければ高いほど、強く鋭く撃て!

 ● これが『神曲』に込められた正義の魂なのです。
 一、実は、私は、ケネディ大統領からの要請もいただき、お会いする予定がありました。
 しかし、日本の政治家から邪魔が入って、会見は中止になった。その後、大統領が亡くなってしまったのです。
 もしも会見が実現していれば、ダンテの文学についても語り合えたかもしれません。
 後に、弟であるエドワード・ケネディ上院議員が、お兄さんに代わって、わざわざ東京まで会いに来てくれました。
 また、私が対談集を発刊した、世界的な経済学者のガルブレイス博士も、ケネディ大統領を支えた一人でした。
 共に敬愛する大統領の信念を偲び、対談にも収めました。
 ガルブレイス博士は、私がハーバード大学で2度目の講演を行った時にも、深い共鳴の講評を寄せてくださった方です。

 一、私は、このハーバード大学の講演で、人間の「生」と「死」を一つのテーマに据えました。
 それは、なぜか。
 「生」と「死」を正しく見つめることを忘れ、「生命の尊厳」を見失ってしまえば、社会は混乱するからです。
 正しい生命観の上にこそ、平和も築かれる。「死」を見つめてこそ「生」もまた輝く──そのことを私は、現代文明の最先端のハーバード大学で訴えたのです。
 幸い講演には、大学関係者や研究者の方々から予想を超えた反響をいただきました。

 ● 悔いなき青春を
 一、ダンテもまた、自らの哲学書『饗宴』の中でこう述べています。
 「すべての非道のうち、最も愚かにして、最も賎しむべく、また最も有害なものは、この世の後に他の世がないと信ずるものである」(中山昌樹訳『ダンテ全集第5巻』日本図書センター)と。
 つまり、死ねばすべて終わりで、何も無くなると信じることはど、愚かで、賎しく、有害なものはないというのです。
 これが、さまざまな書物をひもとき、思索し、探究したダンテの一つの結論でした。
 ダンテは、何よりも、「この現実の世界で、よりよく生き抜くため」に、生死を見つめ、『神曲』を書いたのです。

 一、『神曲』の中で、師匠のウェルギリウスがダンテに繰り返し教えたことは何であったか。
 それは「時を惜しめ」ということでした。
 「いいか、今日という日はもう二度とないのだぞ!」(前掲平川訳)と。
 この師弟の心が、私にはよく分かります。
 終戦後、私は、戸田先生のもとで学び、働き始めました。
 肺病で、いっ死ぬかも分からない体でした。
 30歳までは生きられないと医者から言われたこともあります。
 だからこそ一日一日を、一瞬一瞬を、悔いなく懸命に生きました。
 たとえ今日倒れても、もしも明日死んでも、かまわない──その決心で、戸田先生のため、人々のため、社会のために、死にものぐるいで働きました。
 限りある人生の時間の中で、友に尽くし、わが命を磨きに磨き、死によっても壊されない「永遠に価値あるもの」を求め抜いていきました。
 こうして、戸田先生に薫陶いただいた青春の10年間は、私の人生のすべての土台となる「黄金の10年」となったのです。
 皆さんも、わが学園で断じて学び抜き、体も心も鍛え抜いて、悔いなき黄金の一日一日を勝ち取っていただきたいのです。

 青春を  我も勝ちたり  君も勝て

学園生は一生涯私の胸に
若き創価の英雄の誓い
「先生!私は絶対に勝利します」

 一、完全燃焼の「生」──わが学園生の中には、荘厳な生死のドラマを刻んで、「生きる」とは「戦う」ことであると、鮮やかに教え残してくれた若き英雄たちがいます。
 それは1989年(平成元年)の10月のことでした。
 私もよく知る東京校の一人の学園生が、「骨肉腫(こつにくしゅ)」と宣告されました。当時、高校1年生でした。
 骨肉腫とは、骨の悪性腫瘍です。
 「骨肉腫」との診断から5カ月後でした。彼は、右足を太ももから切断しました。
 それでも、弱音なんか吐かなかった。松葉杖で通学も再開しました。
 夢は文学者になることでした。世界一の文学者に。そのために真剣に読書し、学びました。
 肺に「転移」した後は、左肺を3度も切除手術。まさに死闘でした。
 彼は、未来を見つめて頑張った。
 ──偉大な人は皆、大きな難に遭っていると、池田先生がおっしゃっている。僕は世界一の文学者になるのだから、今までの苦労なんて、先のことを考えたら、どうってことない──と。
 私は闘病中の彼に、何度も励ましを伝え、次の揮宅を贈りました。

 生涯 希望
 生涯 勇気
 生涯 文学

 ● 希望とは未来の栄光に生きる心
 一、卒業を4カ月後に控えた1991年(平成3年)の11月。
 創価女子短期大学の白鳥(はくちょう)体育館で、卒業記念の撮影会が行われました。
 「絶対に一緒に参加したい」という同期の二十二期生たちの祈りに包まれて、彼は、勇んで入院先の病院から会場に駆けつけてくれた。
 私は撮影会場で彼の姿を見つけると、まっすぐに、車椅子の彼のもとへ向かいました。
 「よく来たね」
 「はい、どうもありがとうございます」
 がっちりと握手を交わしました。
 彼の両目から、大粒の涙があふれました。
 きりっと胸を張った、学園生らしい立派な姿でした。
 病魔から一歩も逃げないで戦い抜いた、美しい「勝利の涙」でした。
 それから2週間後の十一月二十五日、彼は、安らかに息を引き取りました。
 約2年間の闘病を越えて、霊山浄土へ旅立っていったのです。

 一、希望とは何か?
 ダンテは答えます。
 「希望は未来の栄光を/疑念をさしはさまずに待つこと」(前掲平川訳)と。
 未来永遠の栄光に生きる者にとって、「絶望」の二字はありません。
 わが友は、断じて負けなかった。
 周囲に無限の「勇気」と「希望」と「決意」の炎を灯してくれた。不屈の青春の大叙事詩を綴ってくれたのです。
 彼とともに学園生活を過ごしたクラスメートは、彼の姿を大切に胸に収めて、それぞれの立場で、立派な結果を示し始めています。
 私の胸には、今も、「先生! 僕、絶対に勝利します!」という彼の生命の叫びが、生き生きと、こだましています。

 一、これまで人生の途上で逝かれた、東西の学園生、創大生、短大生の皆さん方は、一人ももれなく私の胸の中に生きています。何があっても絶対に忘れません。
 それが、創立者の心であることを皆さんに語っておきます。

 ● 健康第一で!
 一、大切な大切な創価の友の健康を、無事故を、私は妻とともに、いつも真剣に祈っています。
 今は病気の人も、決して弱気になってはいけない。何があっても強気で! すべてに意味があるのです。
 どんなことがあっても、微動だにしてはいけない。悠然と進むのだ。生命は永遠なんだから!
 私とともに、断じて生き抜いて、勝ち抜いていただきたい。
 だれ人にも、自分にしかない、大きい使命があるのです。また元気になって、一緒に戦おう!
 皆さんと私は、永遠の絆で結ばれた三世の同志なのです。

④に続く
 

藤堂全国中等部書記長指導3/3

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月25日(火)20時39分21秒
  自分の弱い生命を叩き斬ってね、挑む生命をね
生み出すような題目でなくちゃ駄目だ。そういう
題目をあげたら、素晴らしい人間になると思います。
これだけを言っておきたいと思います。
東京の中等部もこういうふうに言ってます。

山手線に乗って新宿から池袋近くにさしかかったら
東の空を見るといい。そこには日本一高いサンシャイン
60という大きなビルが立っている。あのビルは、
あの日本一高いビルは、勤行を30年間一回も欠かさな
かった人が建てたんだ。勤行をしたくなくなったら、
題目をあげたくなくなったら、山手線に乗って池袋近く
からサンシャイン60を見よう。

あれは30年間勤行を一回もを欠かさなかった人が
建てたんだ。鹿島建設副社長三苫仕
(みとま・つこう)さん、創価学会全国副指導長、
サンシャイン60の創始者です。67歳。

「池田先生、ありがとうございました!」という言葉を
残して死んでいきました。2年前。30年前、自分が
おでん屋の屋台をこぎながら、おでん屋も儲からなくて
栄養失調の子供を抱え、盲目の女房を抱えた、その三苫
さんという青年が死のうと思った。踏み切りに飛び込んで
死のうと思った。死ぬ前に、

一杯だけ、一杯だけでいい、旨い、おでんを食って死に
たいと思った。向こうの方におでん屋の赤提灯が見えた。
「あっ!おでん屋だ!」と思って、死ぬ前の一杯だと
思って、見ないで飛び込んだら、それが創価学会の
座談会場だった。

昔、創価学会はね、座談会場ってね、提灯を点けてたの。
わかんないからね。少なかったから。そこに、目の前に、
度の強い眼鏡をかけた人がいた。

しわがれ声で立正安国論の講義していた。聞くと、なんか
戸田先生という人だった。あんまり南無妙法蓮華経がすごい
っていうから、その三苫さんはこう言った。「戸田さんと
やら、そのあんたが言う南無妙法蓮華経と題目をあげたら、
私の仕事は上手くいくようになるんでしょうか?

この栄養失調の子供は健康になって、立派な人間なるんで
しょうか?盲目の女房の目が開くんでしょうか?」こういう
質問をした時に、戸田先生は、ものすごく怒って水差しの
コップの水をバーッ!!!と叩きつけた、その人に。
「ふざけんじゃない。題目あげて仕事が上手くいった。
題目あげて女房の目が開いた。題目をあげて子供の病気が
治った。そんなちっぽけな題目だったら俺はやって
ない。いいか、今から30年間、一回も欠かさずに勤行を

してみろ。そしたらあんたはね、世界中どこへでも行ける
ような、ものすごい大金持になるよ。そして、何千人も
何万人にもいるような大会社の重役になるぞ。
そして最後にひとつ、あなたは皇居を見下ろすような大きな
ビルを建てるだろう」。30年前。その人は嘘とは思わ
なかった。その通り30年間、何があってもその人は、

一日一時間半の題目と勤行を一回も欠かさなかった。
30年間。ふと気がついたらどうなっていたか?
資本金380億(2016年現在814億円余。)世界に誇る
超高層の鹿島。従業員総数下請けまで入れれば4万3千人
(2016年3月末現在本社だけで7,527名)の大会社の副社長に
なっていた。

そして自分の年間所得は、3500万円。その他、旅費並びに
接待費を加えれば自分が好きに使える一年間のお金が一億一千万円。
大金持だよ。そして、もう一つ「皇居を見下ろすような大きな
ビルを建てるだろう」。

池袋に話が持ち上がる。新宿をしのぐ霞ヶ関をしのぐ大きなビルを
建てるという計画が、ある業者から持ち上がる。鹿島だけじゃない
大成も、竹中も皆参加したけれども、その陣頭指揮をとったのが
三苫さんだった。

建ったよ、サンシャイン60(1978年、地上高239.7メートルで
完成当時はアジアで最も高いビル)が。その完成式の日に三苫さんは、
おいおい、おいおい泣いていた。65才。女子社員が側に寄って何で

泣いてるか?訳のわかんない事とをぶつぶつ言いながら泣いてた。
何て泣いてたか?「皇居が見えた。本当に皇居が見えた。」この
言葉の意味を知っている人は死んだ戸田先生しかいない。

すごいよ題目っていうのは。思い出してくれよ。山手線に乗ったら。
西武線に乗って池袋で降りたら、思い出してくれ。見てくれよ。
「30年間勤行をサボらない」凄いって言う事だ。
題目の力は。いかに凄いかってことだね。それをね。これだけを
憶えておいて欲しいと思います。池田先生という素晴らしい師匠を
もちました。「先生。先生。」て、よく言うと思います。

網走に行きました。網走に行った時にオホーツクの海を見ながら
中等部がこう言いました。「藤堂さんあれがソ連です。あの島が
ソ連なんです。戦争が起きたら最初に殺されるのは僕たちです。
でも、池田先生がいますから、池田先生についていけば僕らは
殺されずに済みます。」

言葉がドギツイだろ?ソ連を見てるからね。北方領土を。

沖縄に行きました。嘉手納の大きな米軍基地を見ながら中等部は
言いました。「藤堂さん、あれがアメリカです。軍用機がぐんぐん
飛んでます」旅客機がね、沖縄空港に行くとね、軍用機が、ずっと
低空飛行をするの。ブルーの素晴らしい海の上をね。軍用機が
飛んでるから旅客機が飛べない訳、上、大韓航空機みたいに
なっちゃうから。

「藤堂さんあれがアメリカです。そして、あの山の上に大きな
ミサイル基地がありました。そのミサイル基地が北京に向かって、
上海に向かってピストルを突き付けるようにきちっとミサイル
基地がセットされておりました」そのミサイル基地が、いつの日
かなくなって、「藤堂さん、そのミサイル基地に池田先生が
沖縄研修道場を建ててくれたんですよ」ミサイル基地には、
今、北京と上海に向かって平和の像が建ってます。
池田先生は凄いですね!僕は池田先生についていきます。」

東京や埼玉の人には戦争と平和と言うことが良くわからない
でしょう。しかし沖縄と網走の中学生にはソ連とアメリカと
いうものが目の前にいるからね、よくわかるんだよね。

「僕はちっぽけな中学生ですけどもあまりにも素晴らしい先生を
持ちました。もう大丈夫です、もう頑張れます。」

************************************************************

2016年10月23日デジタル音声データより「寝たきりオジサン」
が文字起こしをしました。


※参照

原田知世
歌手、女優。1983年デビュー。角川三人娘の
ひとりとして人気をはくす。代表作「時をかける少女」など


小野和義
創価高校出身。
1983年度ドラフト会議にて3球団競合の末に近鉄バファローズ
から1巡目指名を受けて入団。1997年引退。
2012年、西部ライオンズでフロント入りし編成部プロ担当となる。


琴風豪規
関脇昇進後、左膝じん帯を傷める怪我で幕下まで番付を落とした
が、後に不屈の闘志で精進し、大関に昇進した。
優勝回数2回、最高位は東大関
(本名中山浩一、現・尾車浩一親方2016年10月現在)


三苫仕(みとまつこう)
鹿島建設副社長。
1982.3.27 67歳逝去


 

藤堂全国中等部書記長指導2/3

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月25日(火)20時37分43秒
  挑むって言ったけどね、何だって乗り越えていけるの
だから題目をあげれば。もの凄い力が出るんだから。
その話をします。

ある所で一人の中等部が死にました。もうおりません。
どういう死に方をしたか。その死に方をお話したいと
思います。創価学会の中等部は出来てから20年になります。

しかし一回だけ、20年の中で一回だけ中学生だけで
お葬式をやった。創価学会中等部葬というのがありました。
中学生だけでお葬式をやった。
一体どんな死に方をその中学生がしたか?

今から6年前、雪の降るある地方です。12月の5日、その
中学生の足は既に両足を切断をされておりました。そして
芋虫のような身体で両足のない身体で寝ておりました。
骨肉腫という病気です。

両足を切り取ったのだけれども、ガン細胞は既に上半身に
まわっていて医者は「12月の20日前後に死ぬだろう」と
言っておりました。その中学生は信心はしておりません。
お母さんが細々と信心をしてましたけども、おじいちゃんも
おばあちゃんも念仏の強信者。

お父さんは勤行なんてお母さんがしたら、後から蹴っ飛ばす
というような大反対。したがって、お母さんは座談会にも
行けない。だから、そこの子ですから当然勤行なんかを
してる訳がない。

静かに死ぬのを待っていた。その時に、前にいるような横にいる
ような男子部の人が先ほど卒業した方がいらっしゃったけれど、
ああいう方がね、面会謝絶の病院に、内側から鍵を開けさせて
看護婦さんに、忍び込んで、その子をおぶって夜中の一時に

お寺に行ってお寺のシャッターが閉まっているのに叩いて
御住職を起こして「頼むからこの子に御授戒を受けさせて
やってくれ」といって、その子に御授戒を受けさせた。
夜中の一時。

その中学生は、その男子部の人にこう聞きます。「おじさん、
題目をあげたら、僕は死なないんですか?」おじさんはこう
言います。「絶対に死なない」「題目をあげたら両足ない、
僕の足は二本生えてくるんですか?」その男子部の人は言い
ました。「生えてくるに決まってるだろう!何だと思って
いるんだ!題目を!生えてくるに決まってるだろう!」
言いました。あまりのその確信にうたれた中学生は、

それから、その時から病院中に聞えるような声で題目をあげ始める。
看護婦が止める。医者が止める。「止めてくれ!病院でそんな
大きい声出すのは」痛いから、死ぬのが恐いからその子は題目を
一生懸命あげる。5時間。6時間。親が止めようが関係ない。
12月の20日、その子は死にませんでした。お正月になりました。

その子は死にませんでした。1月中旬、死にません。2月死に
ませんその子は。医者が驚き始めた。そして2月の3日その子は
医者に言います。「先生、痛くなくなったよ。辛くなくなったよ。
凄いね、題目っていうのは。どんな薬よりも効果があるよ!」

2月の6日、その男子部の人を枕元に呼んで、その中学生はこう
言います。「おじさんは題目をあげたら死なないって言ったね?
題目あげたら両足生えてくるって言ったね?僕は一日10時間の
題目を二ヶ月間あげ続けて、やっとその意味がわかったよ。
死なないと言う事は、死ぬのが恐くなるということなんだね。
両足が生えてくるって事は一回死んでキレイな身体に生まれ
変って来るていうことなんだね。

おじさんすごいね言った通りだったよ。」2月の6日そう言います。
2月の9日、家族を呼びます。こう言います。「僕はこれで死ん
じゃうけれど、ひとつだけ、お父さんやおじいちゃんやおばあ
ちゃんにしてあげられる事が出来た。それは、南無妙法蓮華経って
言うのはスゴイよ。だって僕は死ぬのが恐くなくなったもん。
いや死ぬのが恐くなくなったどころか僕は自分の事よりやおじい
ちゃん、おばあちゃん、お父さんの事が心配なんだ。

どうしてこうなんだろう。すごいよ題目って。ものすごいよ。」
言います。2月の9日。「だから、やって下さい。」と。
その場でおじいちゃんと、おばあちゃんと、お父さんは入会を
決意いたします。

2月の10日、皆を集めて、死ぬ前の日こう言います。「ただ
一つだけ残念な事がある。それは一度でいいから、僕と同じように
南無妙法蓮華経と題目をあげている、中等部の会合に出たかった
一度でいいから出たかった。」

男子部の人が言います。「安心しろ。県内の中学生、全部集めて
会合をやってやる。」それがお葬式でした。2月の11日、
その子は骨肉腫とは思えない顔で安生と息を引き取って
行きました。2月の12日、集まった中学生380名、皆で
「正義の人に」を歌いました。お葬式なのに近所に聞えてくるのは
「正義の人に」だ。

霊柩車が来たのに誰も棺桶を離そうとはしなかった。ある中学生が
言いました。「今日は、喉から血が出るまで歌ってやる。」
28回歌いました「正義の人に」を。何度も何度も歌いました。

その棺桶に向かって体験発表をやりました。その棺桶に向かって
「大いなる希望」の暗誦もやりました。棺桶に向かって指揮を
とりました皆で。「一度でいいから中等部の会合に出たかった。」

最後に、その男子部の人は素晴らしい男子部だね、大B長(地区
リーダー)ですよ、その人は36歳。棺桶を開けてこう言いました。
「いいかお前ら。題目をあげぬいて死んでいった人間がどんなに素晴らしい
顔で死んでいくか見ておけ」3百何十人が、皆、棺桶の中のその子の顔を
見ました。見事な死相だ。

もう生まれ変わってきてるよ。池田先生はメッセージを送りました。
弔辞ではなくてメッセージを送りました。その子に。
「21世紀の舞台で闘おう。一緒に闘おうな!」先生のメッセージです。
僕はね、題目というのは、死ぬのが恐くなくなるどころか、
自分の事より自分の周りの人の事が気になってしょうがなくなる
くらい境涯がでかくなるんだよ。自分が死ぬんだよ。何で病気を
治さして下さいって祈らないんだその子は。

その子が祈ったのは「どうやって家族を幸せにするか?」だよ。
自分が死ぬのに。ものすごいぞ題目は。人間は死ぬほど恐い事は
ない。しかし、題目をあげたら死ぬのが恐くなくなるんだよ。
それだけ素晴らしい御本尊様が自分の家にはあるんだよ。

勉強なんか出来るのに決まってるじゃないか。
すごいぞ。これはものすごいと思います。
挑む命なんでガンガン出てくるよ。死魔を打ち切り病魔を打ち
切って来たんだ、題目っていうのは。ホントあげてごらん。
題目をあげててもいい加減な題目をあげてる人いるけどね。
駄目です。百回あげても二百回あげても駄目です。きちっと
題目をあげなくちゃ。人を呼ぶ時にね、
(小さな声で)「中村」。(ここに)中村って人がいるか
どうかわからないけど、(小さな声で)「鈴木、山田」て
言っても全然振向かない。

(大きな声で)「山田!」て言ったら振向くだろう。
「中村!」って言ったら。題目もそうあげなきゃ。
しっかりと「南無妙法蓮華経」って、あげなければ御本尊様は
振向いてくれないよ。いい加減な題目では。バーンと
ぶつかっていくような題目じゃなきゃ御本尊様に。

 

藤堂全国中等部書記長指導1/3

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月25日(火)20時36分30秒
  1965年(同40年)1月15日に「中等部」が誕生。
小説『人間革命』の連載開始と時を同じくしての結成と
なりました。


東所沢本部中等部員会

藤堂全国中等部書記長の指導から抜粋
昭和60年(1985年)


「勉強をしろ」とよく言う。親も言う。学校の先生も言う。
創価学会の担当者の人も言う。出来る出来ないが、
問題じゃない。どんな高校に入ろうが。いいと思います。
ただね、一番大事なところがね自分が何かから逃げてるか?
何かに挑んでるか?これだけの差です。

「挑む」という字と「逃げる」という字は、「しんにょう」
と「てへん」で偉い違いだ。数学が苦手だ。英語が苦手だ。
だからやらない。これこのまんま行くとそれは大人になって
大変な卑怯者になる。自分の弱さを自分で平気に妥協を
してしまう。いやらしい人間になる。

今、苦手な科目があって苦手ないろいろな授業があって、
それから逃げてる。出来ないからやらない。
やる気が起きないからやらない。先生の教え方が下手
だからついていけない。という論理で勉強から逃げている
人は、それがそのまんま、その性格が大人になった時に
社会で大変に大きな失敗をして、大変に馬鹿にされてしまう。

題目をあげて勉強が出来るようにと祈る必要はない。
しかし、題目をあげて、こう祈って欲しい御本尊様に。
自分の中から逃げるという命を叩き斬って下さい。
自分の中にある何かから、すぐに逃げてしまうという、
この卑怯な生命を御本尊様、どうか叩き潰してください。
何でも挑める勇気を下さい。何にでもぶつかっていける
勇気を下さい。こう祈ってもらいたいと思います。

原田知世は、僕の町から出たスターですから、原田知世と
いうのを良く知っているんですけども、日本武道館で
教育部の総会があるという事で、僕は創価班をやって
おりますので、その打ち合わせでその一か月前に
日本武道館へ行った。

丁度、愛情物語とメインテーマの上映の前の日の金曜日で、
薬師丸ひろこと原田知世が、その日本武道館に来て前夜祭を
やるという事で、まぁ朝の10時からもう高校生と中学生が

日本武道館の周りをずらっとかこんでた。僕は下見をさせて
下さいという事で角川春樹事務所と話がついて僕たちは
日本武道館に入る事が出来た。下見というのは表面的な
事でして、僕は非常に原田知世が好きだったから原田知世に
会いたかったから中に入っちゃって楽屋のそばばっかりを
ウロウロしてたんだけど、非常に驚いた事が一つだけあります。

それを聞いて、ますます原田知世が好きになったんだけれど。
原田知世と薬師丸ひろこのステージは六時半から。スターが
六時半にステージにあがるためにはホリプロでもナベプロでも
そうだけど、少なくとも七時間前にスターは入ってなきゃ
ならない。ところが、何時になっても薬師丸ひろ子は来ました、
二時に。

それでも遅い位。でも、原田知世は何時になっても来ない。
当然スターが来ないから、角川春樹事務所のマネージャー
なんかは心配するかと思ったら、平然と仕事をしてる。
一時になっても二時になっても三時になっても四時になっても
原田知世は来ない。五時になっても来ない。

もうステージ一時間半前。メーキャップに一時間かかるからね、
どうしても。原田知世が「おはようございます。」と入って
来たのは五時四十五分。ステージに上がる四十五分前。

皆「おはよう」と言って原田知世は、すぐメークに入った。
言ってました。「原田知世は、いつもこんなに遅いんですか?」
言ってました。「あの子はね。絶対に学校を休まないんですよ。
いや、学校を休まないどころか、きちっとクラブ活動もやって
彼女は来るんですよ。どんなに強硬に、我々が押しても、
あの子は土曜日と日曜日の撮影しか応じません。

『笑っていいとも』に出たけれども、あれも昼休みの時間に
行かせたんです。学校に戻らせたんです。あの子は絶対に
学校を休まない。きちっと宿題もやるんです。きちっと
クラブも出るんです」。

で原田知世に聞いたんだ、その人が言うにはね。「何で
そんなに真剣にやるんだ?」と言ったらば、「勉強が出来ない
スターは、将来馬鹿にされる。そして勉強に取り組んで
いなければ、本当の人の心を動かすような演技は出来ない。
どんなに苦しくても私はやるんだ」と言うことで彼女は
やってるそうです。

まあ非常にその彼女の姿勢に角川春樹事務所も感動して、
それから角川は、原田知世の姿を見て角川事務所のスターは
全部学校にきちっと行かせる。きちっとクラブもやらせる。
どんなに撮影がロングランになったとしても土曜、日曜の
撮影にしか参加させない。という決定をしたそうです。

角川にそういう決定をさせたのは原田知世だったという話
ですね。挑戦をしているわけです。彼女は彼女なりに懸命に
挑んでる訳ですね。

ナベプロにしてもホリプロにしても松田聖子も学校に行って
なかったみたいですね。河合奈保子もそうだったという話です。
そうじゃなくて「行くという事」彼女は挑んでるんでるわけね。

彼女は信心していないけれど、僕は素晴らしい、いい女優に
なるんじゃないかなと思いました。

題目をあげてるとね、南海の門田が浮かんでくる。南海の門田が
左バッターボックスに立って球を待っている。どこへ投げても
レフトスタンド、ライトスタンドにはじき返される。題目を
止めて鐘を打とうとすると門田の顔が、門田の構えが仏壇の
向こうに浮かんで来て、題目を止める事が出来ない。
近鉄に行った小野選手の話です。

初めてマウンドに立って、あの南海の門田の構えを見た時に、
どれだけマウンドで題目をあげても足がガタガタ震えて
どうしようもなかった。「俺はもうダメだ。プロじゃ通用しない。
あぁー学園からまっすぐ創価大学へ行って平凡な学生になって
いれば良かった。近鉄に来なければ良かった。」その時、
初めて門田の顔を見た時わかった。

題目をあげた。題目を一時間で止めようとすると、門田の構えが
浮かんでくる。題目をあげた。「御本尊様、どうか挑ませてくれ!
あの門田に勝たせてくれ!門田にストレートを真ん中に、
投げるだけの勇気を下さい。」彼はそれができるようになった。
挑んでます。

先日、琴風(現尾車親方)が墨田区の中等部員会にきました。
こう言ってました。「僕は横綱にして下さいと題目をあげた事は
一回もない。しかし、僕のひざは二回もやられて二度も十両や
幕下に落ちてる。大関なんて言ったって明日土俵でうっちゃり
投げられて、もし、左のひざがもう一回挫折したら、僕は
生涯もう立ちあがれない相撲取りになる。

僕はいつも時間一杯の仕切りの時に塩を握って南妙法蓮華経と
題目をあげる。どう題目をあげるか?勝たせて下さい。
とあげた事は一度もない。「御本尊様、今日また相撲を一番
取りますけれど、ひょっとすると、この相撲で僕の力士と
しての生命は終わるかもしれません。惨めになって、関脇に
落ちて幕内に落ちて十両に落ちて、相手にされないような人間に、
この一番でなるかもしれません。しかし、どんなふうになっ
たとしても、どんなに自分が惨めな相撲取りになったとしても、

いつもいつも前向きで、いつもいつも挑戦が出来る。
いつもいつも前へ向かって走るだけのエネルギーを下さい。」と
こういうふうに祈っている。「中等部の皆さん、僕はこれから
横綱になるかもしれないし、惨めな関脇、幕内になるかもしれ
ないけども、琴風がどんなふうになったとしても、どんな状況に
なったとしても、常に前向きだという姿を見ていて下さい。」
こういうふうに言っておりました。

琴風をそういうふうに見てあげて下さい。彼は勝たせて下さいと
祈らなかったけど、負けない人間にして下さいと祈り続けてきた
わけです。凄いなと僕は思いました。

最後に、中等部の事をね。今スターばっかり言ったから、原田
知世と、小野と琴風のことしか言ったからね、中等部の事を
言います。
題目がいかに凄いかという話をしたいと思います。今ね、
どんなに勉強が出来ない人もいろんな問題がある人も、今これ
からの僕の話を聞いたらね、題目の凄さがわかるよ。
 

原だカイチョ~。中心にて、

 投稿者:大阪の地区ブチョ?、メール  投稿日:2016年10月25日(火)20時11分11秒
  違和感感じる最近の記事の表現。奥さんとか、他の人は、なんとも感じないのだろうな。孤独の戦い。地味ですが、なんとかがんばろ~。
 

暗黒時代にさせてはならない!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年10月25日(火)19時57分37秒
  原田会長は、もちろん!特別扱いをしないと怒る人!でしょうねー。
それにしても、特別扱いをしないと怒る人って・・・まるで日顕宗の坊主みたい!!
日顕宗は法主のことを、御法主上人猊下様と呼べ!と命令して、伏せ拝を強要していたけど、そのうち学会でも、原田会長のことは直弟子第一弟子 原田稔 会長大先生様と呼びなさい、そして原田会長大先生が近くにいるときは伏せ拝をしないといけない!ってなるかも~~。

今のままでいけば、本当にそんな暗黒時代になってしまう。
だから!極悪は倒さなければならない!
 

会長はぁ~~~偉いんです!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月25日(火)19時36分28秒
  だから、周りが気を遣わないと不機嫌ですね。

臆病者、嫉妬深く、友達が居ない最低野郎(-_-)

今更、折伏・弘教なんて出来ません。何故か?
若き日から遊興三昧で、傲慢だったから丸裸で付き合った者は好みの異性ばかり(-_-)

後期高齢者の仲間入りしても、利害関係抜きの友人は居ないでしょう!!
 

創価学会公明党の研究

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年10月25日(火)19時31分27秒
  本日発売。岩波書店。2,000円くらいでしょうか?雑誌世界に連載してきたジャーナリスト中野潤氏の作品。雑誌世界掲載稿を取り纏めたモノか新規に書かれた稿はあるのか、是非に読んでみたい。  

昨日の聖教

 投稿者:警鐘  投稿日:2016年10月25日(火)19時27分6秒
編集済
  「汗だくの先生のお体を心配した運営スタッフが、少しでも涼んでもらおうと、パラソルをかざしに向かいました
しかし、先生は感謝されながらも、それを受け入れなかったのです
特別扱いを許さない真剣な姿に、感動が込み上げました」

特別扱いを許さない先生
素晴らしい!
特別扱いしないと不機嫌になるのが、世の権力者の常
我らの師匠は偉大である

で、原田会長は?
特別扱いを許さない人?
特別扱いしないと不機嫌になる人?
どっち?

南開大学図書館前の記念撮影に秋谷芳英氏、そっくり人が最前列に写っている
聖教に名前の記載がないから、そっくりさんか?

それにしても、一介の事務長がなんで、理事になれたのだろう?

所で、元職員三名
一審の判決が出るハズが口頭弁論とは?
宗教の世界なので、裁判所も判決に迷っているのかもしれない
意見を存分に述べるいい機会である

 

(再、これどうなった?)【東京N区の除名事件とハタチ(波田地、はたち)問題】について

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年10月25日(火)18時55分20秒
編集済
  サンプラー座さん、ハタチ(波田地)さん絡みの除名ってことね~
で、なんで筋が通ってないと言うと除名になるのかね~
これって恐怖政治だよ

なんか嘆願書みたいなの出てるよねー
サンプラー座さんの書類は嘆願書だよねー
地元の区幹部は無視してるのかな?

【元投稿、松山副会長のご尊顔はこちら ↓ 松山副会長は師弟の精神溢れる方】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/46062

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【清水の舞台から跳ぶ思いで 】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/39302

【反響広がるN区の現場の声から 】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/39713

【東京N区の除名事件とハタチ(波田地、はたち)問題】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/45808
 

今日の新聞

 投稿者:南米訪問団  投稿日:2016年10月25日(火)18時50分17秒
編集済
  各部代表者会議のメッセージ
全掲載しよう!
先生が出席されていた時は、御指導全文掲載していました

本社編集局の西賢一主任が挨拶とありますが、
あの「南米訪問団」の同行記者でしょうか?
主任ですかー
結構、下の方なんですね
その人が独占同行取材し、各部代表者会で挨拶しているのですか?
随分、破格の扱いに感じるのですが、どうでしょうか?

西記者の挨拶も是非、聖教に掲載してください
会員の財務で行った「南米訪問団」です
是非、記者の報告を聞かせてください

そもそも「南米訪問団」の話は9月の本幹で原田会長が少し触れただけ
全く現場に流れてこない
エピソードも何も聞かない
原田会長に会ったら、是非質問しましょう
財務で行った以上は会員に報告するべきです

原田会長、笠貫女史が南米訪問している間、参議院選挙を終え、息つく暇なく、都議選
自分は小池支持しましたが、皆、青息吐息で増田支持させられました
その上、負けて、今度の補欠選挙では、若狭氏支援
あまりのご都合主義にうんざり
政治とは所詮そんなもの
そんなものに宗教の「絶対」を持ち込んで会員を右往左往させその上、負けた
会員に申し訳ないとか、可哀想な事をしたという声が全く聞こえて来ない
原田執行部には、会員に対する慈愛はあるのですか?

会員を動員することは、もっと慎重に決めるべきではないか?
密室で決め過ぎ
情報公開しよう



 

西くん

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年10月25日(火)18時47分18秒
  中野区の青年部長だね~
南米訪問団の西くん

奥さんは全国ヤングミセス委員長
熊沢元全国女子部長

池田先生の弟子として恥じないよう振舞ってちょーだいw

ところで、中野区の除名問題
まさか、西くんも関係してないよね~?
除名の功労?
口封じの南米訪問団かなww

↓↓↓↓↓

西記者って中野の区青だよね~ww【中野区事件を再掲】  投稿
松山副会長さん、どうなってるの??

これ問題だろう!【続々・中野の現状レポート1 投稿者:ギまんだらけ】  投稿者:八尋みのる
投稿日:2016年 6月 6日(月)17時49分38秒   通報
【一般会員処分はデタラメについて】

http://6027.teacup.com/situation/bbs/48425

>皆さんおはようございます。海外の皆さま、こんにちは、こんばんは。
ご無沙汰しております。
先日、中野の現状レポートをお送りしましたが、私の情報源から新たな情報が届きました。中野の現状を憂うメンバーが中野の幹部に質問状を送ったけれども音信がないとのこと。<

中野区創価学会の松山副会長、石橋総区長

なにやってますか?

ちゃんとしてくださいね~

あと、西区青年部長
奥様は熊沢元全国女子部長でしたよね~

今、ヤングミセス全国委員長ですよね~

全国の婦人部に
未来部に恥ずかしくない行動をお願いしますね~
 

(無題)

 投稿者:南米訪問団  投稿日:2016年10月25日(火)18時40分13秒
編集済
   

太ちゃん様

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月25日(火)17時29分55秒
  河合師範の指導アップお疲れさまでした。
久々に読み返しました。

グッジョブ!
 

小作人さま

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月25日(火)16時56分22秒
  笑・笑( ´∀` ) その通りですね~(笑)

日本語ってムズカシイ・・・
 

池田先生のスピーチから【御書は広布に向かう信心がない者にとっては、価値を生まない。】

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月25日(火)16時12分45秒
  総じて、御書といっても広宣流布に向かいゆく信心がない者にとっては、現実には価値を生まない。御書は末法広宣流布のために遺された「御本仏の経典」だからである。

香港SGI最高会議 (1992年1月29日)
 

板のスパイス、本仏論

 投稿者:一言児  投稿日:2016年10月25日(火)15時02分3秒
編集済
  「日蓮本仏」って救世主の響きー。釈迦多宝を脇士となしで曼荼羅本尊、大聖人の仏法は独立歴然。「本仏」はもはや「釈迦」や身延の「大菩薩」ではない言葉は解るけど、何かと相対する表現でイカン。かって「国立戒壇」が語られていた時代に戻りそう、歴史用語で残す位にしておけば。ところで、その昔「ボランティア」は「奉仕」と訳して「ただ働き」の響きだったが、どなたかの「心意気」「好きでやってる」訳に共感したことがあります。今の学会「聖教人革第三文明」など、もひとつ古めかしく難しい、新訳を期待してますー。  

カンピースさん

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月25日(火)14時29分33秒
  「汚名挽回」じゃ、ちとおかしくないですか?

名誉挽回ないしは汚名返上では?
これ以上、自称「妙(な)法(匪)(に飼われた)のジャーナリスト」が汚名を被ってどうしませう。。
 

SGI副会長

 投稿者:とやま  投稿日:2016年10月25日(火)14時12分24秒
  長谷川さんもSGI副会長なんだね。

http://www.twsgi.org.tw/index-news-detail.php?n_id=4403
 

素晴らしい!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月25日(火)13時06分30秒
  便所虫は、この板は、『便所の落書き』だと認定しています。

この便所虫を飼っている便1は、毎日、便所虫から創価村貴族職員を通して、報告事項を受け取り、興奮しています。本部別館で毎日、マスさんと興奮してマスをかいている琴でしょうね。

そして、本日も

↓↓↓

素晴らしい  投稿者:退転者
投稿日:2016年10月25日(火)09時34分25秒
ここに集う方は自ら退転者を演じている

いな反逆者をだ

組織撹乱の罪は大きい

自らを犠牲にしてまで演じている

我見なんだろうが

そこまでして我々に信心を教えてくださる感謝

↑↑↑

感謝は勝手にどうぞ、余計な投稿はお断りしマス。何か、本でも読み直して投稿頂けませんか?団鬼六とかはダメですよ、ナルシズムやセンチもお断り、先生が推薦されていた冷徹な書物を読んで、先生の思考と重ね合わせて展開頂けませんか?

先々月辺りに、人物索引を当板に貼ったと思いマス。選り取りでダンテでもユゴーでもGO!ですよ。
 

柳チャ~ン、切れ味悪いよ~もっと頑張って~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月25日(火)11時37分18秒
  更新されたかと思ったら、柳チャン、切れ味悪~い(笑)

元3人の口頭弁論の4回目が11月15日に行われるっていう情報だけじゃな~い(笑)

元3人は11月12日に集会開くそうだよ~、ゼヒ柳チャン、取材にいかないと~(笑)

小生も行ってみようかな~(笑)是非とも柳チャンに会ってみた~い(笑)楽しみにしてるよ~、

だってね柳チャン、先般の東京高裁の判決で、なんと言われていたか忘れちゃったのかな~(笑)

「公共性や公共目的がなく、さらに真実性や相当性においても値しない」として断罪されていたよね~

柳チャン、汚名挽回の大チャンス!

是非とも元3人の集会に参加して、取材しようよ~(笑)
 

師弟不二アーカイブより 会則珍問答④

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月25日(火)10時22分28秒
  投稿者:ヨッシー 投稿日:2015年 2月26日(木)09時17分55秒   通報


B: 師匠、今日もよろしくおねがいします。

A: うむ。「如来秘密 認定之力」 の件じゃな。

B: はい。実は今一つ気がかりな事が、、、

A: なんじゃ。

B: 戒壇本尊をも認定からはずすことは、当然大師匠もご存じなんですよね。

A:大師匠? 誰のことじゃ。

B;ええー?、もちろんI田先生のことですよ。

A:ああ、あのご老体のことか。

お前も察しの悪い男じゃのう。「三代未弘の法門」だと何度もいうておるであろう。
まあ、時流には逆らえんということじゃ。
御書も、認定読みをすれば、

「さればH田が法華経の智解は二代・三代には千万が一分も及ぶ事なけれども、会則を変え、認定力のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし」とある通りじゃ。

B:「認定秘沈の法門」はまさに恐るべしですねえ。

(つづく)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=232
 

師弟不二アーカイブより 会則珍問答③

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月25日(火)10時20分57秒
  投稿者:ヨッシー 投稿日:2015年 2月25日(水)16時34分42秒   通報


B: 師匠~、ちょっと待ってくださいよ。

A: お前もしつこい男じゃのう。ワシ、今日も忙しいんじゃ。

B: そんなこといわず、もひとつだけ。

A; いったいなんじゃ。

B: 一番大事なことを聞き忘れていました。

A: だからなんじゃ。

B: 現在のご観念文では今だに認定から外されたはずの「一閻浮提総与の大御本尊に南無し」となっていますが皆さん朝晩どうしてるんでしょうか?

A: バカ、それも禁句じゃ。お前は「認定秘沈」の法門がちっともわかっとらんようじゃのー。

B: でも師匠、それじゃぁ会員は迷ってしまうんじゃないですか?

A: それも想定内な所がこの認定法門のスゴイところなのじゃ。一割位の退転者は想定済みの快挙なんじゃ。

B: わかりました。で、今後その観念文はどう変わるんでしょうか?

A: 「会長認定の御本尊に南無し奉り、、、」となるはずじゃ。

B: なんかカッコ悪いっすねぇー。

A: 「南無」するのだからそこをハッキリせんといかんだろー。認定以外の御本尊に南無するわけにはいかんのじゃ。

B:ごもっともです。
(つづく)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=230
 

この人かわいそう(-.-;)y-~~~

 投稿者:通る人  投稿日:2016年10月25日(火)09時53分25秒
   

素晴らしい

 投稿者:退転者  投稿日:2016年10月25日(火)09時34分25秒
  ここに集う方は自ら退転者を演じている

いな反逆者をだ

組織撹乱の罪は大きい

自らを犠牲にしてまで演じている

我見なんだろうが

そこまでして我々に信心を教えてくださる感謝

 

熊八問答

 投稿者:源蔵  投稿日:2016年10月25日(火)08時01分32秒
  八五郎
  最近また、この掲示板でも「日蓮自身に日蓮本仏論はなかった」と主張する投稿が出てきたね。これは創価大学の宮田氏の主張と同じだね。
熊五郎
 「一会員」というネームの投稿だ。宮田氏などに限らず、身延派に感化されて、知ったかぶりで「日蓮に日蓮本仏論はなかった」と言う人は珍しくないよ。でもそれは、日蓮仏法の上っ面しかみていない浅はかな説だね。
 日蓮本仏論については例の須田論文が、真筆のある御書や曼荼羅本尊の相貌などのさまざまな視点から、日蓮大聖人自身に日蓮本仏論があったことを論証している。日蓮本仏論と題した投稿ならば須田論文に触れているのかと思ったら、全くない。須田論文に何も反論できないからだろうね。一会員氏が自論を展開するのであれば、その前に須田論文を客観的・合理的な根拠を提示してきちんと批判してからにしてもらいたい。それも、匿名ではなく、実名で。須田氏も実名を明示して、責任ある態度でやっているわけだから。
八五郎
 一会員氏は「日興にも日蓮本仏論はなかった」と言っているが。
熊五郎
 それもまた、きちんとした議論のないお粗末な話だ。須田論文では、日蓮本仏論は日蓮・日興という日蓮仏法の源流から存在しているとしているよ。一会員氏は、日興上人が「久成の釈迦仏」と言っていることをその根拠にしているが、そういうことならば日蓮大聖人は「教主釈尊」と何百回も言われている。それは当時の衆生を導くための方便だから釈迦本仏論の根拠になるわけがない。要するに、大聖人や日興上人が衆生を化導するための方便で言われていることと内奥の真意の区別ができていない。だから浅はかだと言うんだよ。
八五郎
 一会員氏は「原殿御返事」を引いて四菩薩を伴った釈迦仏像造立が日興上人の真意であったように述べているが、これはどうなんだい。
熊五郎
 とんでもない誤読だね。日興上人は、波木井実長が一体仏の釈迦像を造立しようとするのを制止するために、「子孫の中で四菩薩を造れる人が出るまでは一体仏の造立を止めて、文字曼荼羅を安置しなさい」と言われたんだ。四菩薩造立というハードルを設定することでその時点での仏像造立を制止し、曼荼羅本尊を礼拝するように教導されたと理解しなければいけない。
八五郎
 須田氏が述べているように、日興上人は門下の寺院に釈迦仏像を安置することを、生涯、絶対に許さなかった。この事実を見ても、日興上人が曼荼羅本尊正意の立場に立っておられたことは明らかだね。
 ところで一会員氏は、「自受用報身如来」の言葉は大聖人にも日興上人にもなく、中古天台の文献にあるものだから、日寛教学は中古天台の盗用であり、「日蓮本来の思想ではない」と言っているが、この点はどうかな。
熊五郎
 日寛上人は細草檀林で天台学を深く学んでおり、また当時は中古天台の知識が日本仏教界全体に深く浸透していたのだから、日寛上人が自身の教学体系を構築する上で当時の常識である中古天台の用語を用いるのはむしろ当然であり、何の問題もない。
八五郎
 仏教の教義は、それぞれの時代の言葉で表現されるものだからね。竜樹の中道論や天台大師の一念三千論にしても、それまで誰人も言わなかった教義だが、大乗仏教の本流の思想をその時代の言葉で表現したものであり、仏教の基本から逸脱した恣意的な創作ではない。それと同様に、日寛教学は日寛上人の勝手な創作などではなく、日蓮大聖人、日興上人を源流とし、日興門流に伝承されてきた教義をその時代に適合する形で体系化したものだ。
 そもそも牧口先生、戸田先生が日蓮正宗の信徒団体として創価学会を創立されたのも、日寛教学を基本としている日蓮正宗に日蓮仏法の正統教義が継承されていると確信したからだ。日寛教学が日蓮大聖人の法門でないとしたならば、日蓮正宗が既に大聖人に違背する邪宗だったことになり(むしろ身延派が正しい!)、創価学会も初めから誤っていたことになる。
 これまで何百万人もの人々が創価学会の信心によって蘇生し、救われてきた。そのことは学会員が各自の人生を通して強く実感していることだ。創価学会が初めから間違っていたならばこのような実証が現れるはずがないじゃないか。もちろん日寛上人にも宗門人として教団を護持しなければならないという意味での制約はあったが、日寛教学に大聖人に違背する重大な逸脱はない。「教学は日寛上人の時代に帰れ」と言われた戸田先生の言葉の重みを深く噛みしめるべきだ。
熊五郎
 それにしても、宮田氏は実名を出していたためかまだ遠慮があったが、一会員氏は匿名だから、もっと露骨に身延派に与同する姿勢を出しているね。身延の坊主が書いた論文に完全に寄りかかっている。
八五郎
 日蓮正宗を飛び越えて身延派になっているんだから驚くね。話にならない。どうして、こんなのが出てくるのかな。
熊五郎
 戸田先生が、広宣流布が進んでくると外道が次第に仏教の内部に現れてくるという趣旨の指導をされたが、まさにその通りの姿だろうね。宗門事件を通して日蓮正宗が完全に魔に喰われて邪教化したことは明らかになったが、今度はいよいよ魔が学会の内部に入り込んできているということだな。
八五郎
 根本教義のことだから、学会員全員に関わる話だ。まさに重大な問題だね。
 

柳チャ~ン、残念だったね~(笑)裁判に負けちゃって~。

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月25日(火)07時54分34秒
  おはよう柳チャン、小生ね~〇〇新聞を読んだんだ。そしたらね、柳チャンのコトが書いてあるじゃない(笑)

>東京高裁が厳しい司法の鉄槌!< だって(笑)

そういえば、昨日のコラム日記で柳チャン、
>妙観講の大草一男から名誉棄損で民事提訴された裁判の控訴審判決が出たのが8月4日、結果として当方の実力不足により真実性を立証することはできなかった<

なにか、淡々と結果報告してるけどさ~、柳チャン、裁判所から、30万円の罰金とインターネット上の記述の削除を命じられているんだよね~

柳チャン、>当方からすると”狂言訴訟”の一種にはかならかったが< なんて負け惜しみ言ってるけど、早く削除しないと~(笑)

罰金も大変だね~、払えるの? それともどこかの大弁護士先生に泣きつくのかな~(笑)

まあ今日のコラム日記楽しみにしてるよ~、ファイト!柳チャン、
 

もっと語り合いたかった貴方へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月25日(火)07時54分32秒
  会った瞬間に表情から痛みが伝わってきた。

フェアな戦いなど、天魔がするはずがない。
自分自身の手は汚さず、あらゆる権力で人をモノのように使い、法華経の行者を迫害する。
ズルく、醜く、酷い、理不尽な忘恩の輩。
それが化他自在天に信心を食い破られた者の姿。

黄金の三年の指導を知った2014年1月6日。
その日から、いよいよ三年になろうとしている。
この三年で、自分の人生は大きく変わった。
日本から世界に扉が開き、不可能と言われた事が奇跡的に叶う実証がいくつも出た。

それは、自分に悩みを相談してきた会員も同様だ。
自分は特別な話はしない。
池田先生のおっしゃる通りに信心しているか否かだけ。

池田先生に真直ぐな信心をすれば、奇跡的な実証が生まれ悩みが必ず解決する。
助からない命が奇跡的に助かる蘇生のドラマが生まれた。
解決できない人間関係が、奇跡的なドラマチックな展開で解決する。
多くの不可能が可能となるこの実感こそが、正しい人生を歩めている確信。

自分は寿命を告げられた人生ゆえに「首の座」を望んできた部分があった。
創価学会がこれだけ大きくなり、権力者からの迫害などあり得ないと思ってきた。
しかし、まさか創価権力から迫害されるとは、夢にも思っていなかった。

始めのうちは理不尽な迫害に、「地獄に落ちろ!」と慈悲なき怒りの炎を燃やした。
どれだけ悔しい思いを重ねたのか。
友が池田先生を忘れ行く姿に、涙を流す夜もあった。

しかし最近は、迫害者に対し深い感謝が湧いてくるのを実感できるようになってきた。
お蔭で自分は今、奇跡的な弟子の道を歩めていると。
そして池田先生が「一人ももれなく」とおっしゃる言葉を、心から祈れる自分に変わった。
気が付けば、医師から告げられてきた寿命の鉄鎖が解けていました。

池田先生を信じ抜ける。
それはあらゆる苦難に必ず勝てる、強い自分を確信することに繋がる!

悪に対して遠慮する必要はない。
毒に狂った者は、厳しく諫めるのが慈悲に通じる。
黄金の三年で自分自身が変わった実感があるなら、必ず創価学会の発迹顕本はできる。

『深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む』

今も池田先生は戦われている。
「一人ももれなく」民衆を幸福にするために。
だからこそ師と同意の弟子でありたい。
共に、池田先生と同じ一念で歩める、かけがえのない時を大切にしたい。



 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、11・18にむけてナニ企んでいるのですか~?

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月25日(火)07時11分2秒
  おはようございます。原田怪鳥様、各部代表者会議へのご出席誠にご苦労様でした~。(笑)

ところで、博正サンはご出席されていたのでしょうか? あいさつされた面々の中にお名前がありませ~ん。どうしてでしょう?

南米ボリビアべタントス市教育委員会から名誉会長夫妻に顕彰状とのこと、誠におめでとうございま~す。

でもね~、これっていつの事ですか? 授与式は9日だそうですが(報道遅いな~今日は25日ですよ~)

新聞には「いつ贈られた」の記載がありませ~ん。だから珍聞などと評されるのデス。(笑)

博正さんもどうして行かれなかったのでしょう? 師匠のメッセージを添えて出席され、メンバーを激励されるのが当然と思いマスが・・・

それとも、SGI副会長でもある原田怪鳥様、御自身で行かれてもよかったのでは・・・・某女史と一緒に(笑)

行かれなかったのは、観光名所の問題ですか~? それとも治安の問題でしょうか?

いずれにしても、師匠のメッセージもない、博正さんも怪鳥様も行ってない、現地メンバーに大変失礼デス、お詫びをするべきでしょう。(笑)


それとも原田怪鳥様、11・18へのたくらみゴトでアタマがいっぱいで、他の事には気が回らなかったのがホントの処でしょうか?(笑)
 

わが友に贈る 2016年10月25日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年10月25日(火)06時40分22秒
  会合の成功を決めるのは
「中心者の深き祈り」
「事前の入念な準備」
「参加者への感謝」だ。
前進の勢いをさらに!
 

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