こんな仕事やってられるかよ、何でローマ帝国の軍人だけいい思いをして、俺たちブリトン人が一生懸命に働かなきゃならないんだよ。
そんな不満ばかり言うなよ。誰のおかげで安全と生活が成り立っていると思うんだ?ローマ軍のおかげだろう?ローマ軍の支配があってこそ、僕らブリタニアは敵から守られているんだ。
ローマ帝国に逆らうのが怖いから、真面目に働いているフリをしているんだろう。腰抜けな奴だ!
言いたい奴には言わせておけ!僕は家族や仲間、そして将来の国を支えていかなければならないんだ。僕は僕の信念で一生懸命に生きるだけだ。
[:contents]
<登場人物>
シンロウプ:ブリタニア北部の戦士、ローマ反乱に加わる
コエル:ブリタニア北部の首長
※この物語は歴史上の人物が登場していますがフィクションです。
あるブリタニア騎士の苦悩と秘宝を持つまでの物語 の記事を書き直しました
ブリタニアの歴史的背景
それは4世紀のブリタニア北部のマナウ国、現在のスコットランドのことでした。パダンと呼ばれる戦士が信念のもとに格闘していました。パダンはローマ帝国の命令に従って、寒い厳しい環境の中を任務についていました。
ブリタニアはローマ帝国の属国であった時代なのです。その任務はブリタニアの領土を狙う敵の襲来に備えて、国境付近のアントニヌスの城壁やハドリアヌスの城壁を警備することでした。
※ブリタニア:現在のウェールズ、イングランド、スコットランドの一部
ブリタニアに住む人々の事をブリトン人と呼ぶ
※パダンの住むマナウは図中のGoutodinと書かれている付近
http://www.historyfiles.co.uk/より
よし、今日も一日頑張ろう!
ローマに従う決断と決別
ある時、ブリタニアの北部で大規模な反乱が起きました。多くのブリトン人たちは反乱側に見方をしローマ帝国に立ち向かおうとしました。そんな時もパダン青年は黙々とローマ帝国軍に従い、任務を続けました。
※大反逆と呼ばれた368年ごろに起きた反乱。前々回の物語です。
今こそ我らブリトン人の力を示してローマ帝国に対抗するべきだ。ローマ帝国軍をブリタニアから追い出すんだ。いまが絶好のチャンスだ!なのに、なんでアイツは俺たちブリタニア軍に加わらず、ローマ帝国軍の手下になっているんだ?ローマ帝国に魂を売った裏切り者だ!
シンロウプよ、ブリタニアはローマ帝国と戦っちゃだめだ。ブリタニアは弱すぎる。ローマ帝国に従って平穏を得て実力をためて行かないと駄目だよ。それがご先祖様から引き継いできた方針じゃないか?
パダンは同じブリタニア戦士と戦わざるを得ない状況に心を痛めましたが、グッとこらえローマ帝国軍に従いました。
やがて反乱はローマ帝国軍によって鎮圧され、反乱軍に加わった者は次々と立場を失っていきました。反乱軍に加わったブリトン人達が罰せられるのを横目に、パダンは涙を流しながら心の中でつぶやきました。
シンロウプは残念だったけど、きっと僕らの時代はくるさ。ブリトン人の心を胸に、みんなの分まで頑張ろう。
ローマ帝国に認められる日々
アイツは大した奴だ。他のブリタニアの奴らと違って、ずっと俺たちローマ軍に文句も言わず変わらず従っている。奴の誠実さの魂はきっと高貴な家柄なんだろう
パダンはその真面目さと誠実さで徐々にローマ軍に一目を置かれるようになってきました。
アイツ、結構えらい奴だなあ。俺たちはブリタニアの為を思って争うことばかり考えていたけど、争ってもまた次の争いを呼び、いつになっても争いは収まらない。ローマ帝国に従ってブリタニアのみんなと協力し合う方が、得策かもしれないなあ。
パダンの姿を見て、ブリトン人たちも次第にパダンに信頼を寄せるようになってきました。
☆パダンが住んでいたマナウ国だけではなく、アルトクラット国、ノーザーンブリテン国、などのブリタニアの国々も誠実にローマ帝国に従い協力するようになりました。
パダン、僕も君と同じ考えだ。これからも協力して共に頑張っていこう。
もちろんさコエル。コエルがいると心強いよ。一緒にブリタニアを盛り立てていこう。
「ほお~、パダンとやら、目立たぬ存在だがなかなか見どころのある男のようだ。一度会ってみたいものだ。」
はっ、ローマ皇帝ウァレンティニアヌス閣下、お目にかかれて光栄に存じます。
ご苦労、ご苦労。君の功績はよく聞いている。褒美にローマの市民権を与え、ローマ高官しか着ることができないこの紫のマントを授けよう!
有難き幸せ!ローマ皇帝閣下のご指導の下、ますますブリタニアの発展に尽くします。
パダンがローマ皇帝から受け取ったこの紫のマントは、パダンのシンボルとなり、パダン・レッドローブと呼ばれるようになり、ブリタニアでも人気者となりました。
パダン伝説の始まり
パダンが身につけたレッドローブはその後、ブリタニア13の宝物の一つとなり伝説として語り継がれました。
<善き家柄で誠実な者にはピッタリのサイズとなる
無作法者が着ようとしても落ちてしまい、決して着ることができない>
その後パダンやコエルなど各国の長たちは、自分たちの住む小国を自治することをローマ帝国から任されるようになりました。もちろん紫のマントを着たパダンもマナウ国の領主となりました。
「相手を倒して自分の領土を広げていくのではなく、争わずに均衡を保ちながら実力をつけ、基盤をしっかりしていくことが長年の繁栄につながる」というパダン達の精神はブリタニアの国々に浸透して行ったのではないかと思います。
※このストーリーは歴史上の人物が登場していますがフィクションです。
※パダン青年は4世紀中頃にブリタニア北部のマナウ・ゴドッディン国(現在のスコットランド)の首長をしていたパダン・ベイスルッズをモデルとしています。パダンの孫であるキネダがウェールズに移り住みウェールズ王室を始めたとされています。