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柳チャ~ン、切れ味悪いよ~もっと頑張って~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月25日(火)11時37分18秒
  更新されたかと思ったら、柳チャン、切れ味悪~い(笑)

元3人の口頭弁論の4回目が11月15日に行われるっていう情報だけじゃな~い(笑)

元3人は11月12日に集会開くそうだよ~、ゼヒ柳チャン、取材にいかないと~(笑)

小生も行ってみようかな~(笑)是非とも柳チャンに会ってみた~い(笑)楽しみにしてるよ~、

だってね柳チャン、先般の東京高裁の判決で、なんと言われていたか忘れちゃったのかな~(笑)

「公共性や公共目的がなく、さらに真実性や相当性においても値しない」として断罪されていたよね~

柳チャン、汚名挽回の大チャンス!

是非とも元3人の集会に参加して、取材しようよ~(笑)
 

師弟不二アーカイブより 会則珍問答④

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月25日(火)10時22分28秒
  投稿者:ヨッシー 投稿日:2015年 2月26日(木)09時17分55秒   通報


B: 師匠、今日もよろしくおねがいします。

A: うむ。「如来秘密 認定之力」 の件じゃな。

B: はい。実は今一つ気がかりな事が、、、

A: なんじゃ。

B: 戒壇本尊をも認定からはずすことは、当然大師匠もご存じなんですよね。

A:大師匠? 誰のことじゃ。

B;ええー?、もちろんI田先生のことですよ。

A:ああ、あのご老体のことか。

お前も察しの悪い男じゃのう。「三代未弘の法門」だと何度もいうておるであろう。
まあ、時流には逆らえんということじゃ。
御書も、認定読みをすれば、

「さればH田が法華経の智解は二代・三代には千万が一分も及ぶ事なけれども、会則を変え、認定力のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし」とある通りじゃ。

B:「認定秘沈の法門」はまさに恐るべしですねえ。

(つづく)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=232
 

師弟不二アーカイブより 会則珍問答③

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月25日(火)10時20分57秒
  投稿者:ヨッシー 投稿日:2015年 2月25日(水)16時34分42秒   通報


B: 師匠~、ちょっと待ってくださいよ。

A: お前もしつこい男じゃのう。ワシ、今日も忙しいんじゃ。

B: そんなこといわず、もひとつだけ。

A; いったいなんじゃ。

B: 一番大事なことを聞き忘れていました。

A: だからなんじゃ。

B: 現在のご観念文では今だに認定から外されたはずの「一閻浮提総与の大御本尊に南無し」となっていますが皆さん朝晩どうしてるんでしょうか?

A: バカ、それも禁句じゃ。お前は「認定秘沈」の法門がちっともわかっとらんようじゃのー。

B: でも師匠、それじゃぁ会員は迷ってしまうんじゃないですか?

A: それも想定内な所がこの認定法門のスゴイところなのじゃ。一割位の退転者は想定済みの快挙なんじゃ。

B: わかりました。で、今後その観念文はどう変わるんでしょうか?

A: 「会長認定の御本尊に南無し奉り、、、」となるはずじゃ。

B: なんかカッコ悪いっすねぇー。

A: 「南無」するのだからそこをハッキリせんといかんだろー。認定以外の御本尊に南無するわけにはいかんのじゃ。

B:ごもっともです。
(つづく)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=230
 

この人かわいそう(-.-;)y-~~~

 投稿者:通る人  投稿日:2016年10月25日(火)09時53分25秒
   

素晴らしい

 投稿者:退転者  投稿日:2016年10月25日(火)09時34分25秒
  ここに集う方は自ら退転者を演じている

いな反逆者をだ

組織撹乱の罪は大きい

自らを犠牲にしてまで演じている

我見なんだろうが

そこまでして我々に信心を教えてくださる感謝

 

熊八問答

 投稿者:源蔵  投稿日:2016年10月25日(火)08時01分32秒
  八五郎
  最近また、この掲示板でも「日蓮自身に日蓮本仏論はなかった」と主張する投稿が出てきたね。これは創価大学の宮田氏の主張と同じだね。
熊五郎
 「一会員」というネームの投稿だ。宮田氏などに限らず、身延派に感化されて、知ったかぶりで「日蓮に日蓮本仏論はなかった」と言う人は珍しくないよ。でもそれは、日蓮仏法の上っ面しかみていない浅はかな説だね。
 日蓮本仏論については例の須田論文が、真筆のある御書や曼荼羅本尊の相貌などのさまざまな視点から、日蓮大聖人自身に日蓮本仏論があったことを論証している。日蓮本仏論と題した投稿ならば須田論文に触れているのかと思ったら、全くない。須田論文に何も反論できないからだろうね。一会員氏が自論を展開するのであれば、その前に須田論文を客観的・合理的な根拠を提示してきちんと批判してからにしてもらいたい。それも、匿名ではなく、実名で。須田氏も実名を明示して、責任ある態度でやっているわけだから。
八五郎
 一会員氏は「日興にも日蓮本仏論はなかった」と言っているが。
熊五郎
 それもまた、きちんとした議論のないお粗末な話だ。須田論文では、日蓮本仏論は日蓮・日興という日蓮仏法の源流から存在しているとしているよ。一会員氏は、日興上人が「久成の釈迦仏」と言っていることをその根拠にしているが、そういうことならば日蓮大聖人は「教主釈尊」と何百回も言われている。それは当時の衆生を導くための方便だから釈迦本仏論の根拠になるわけがない。要するに、大聖人や日興上人が衆生を化導するための方便で言われていることと内奥の真意の区別ができていない。だから浅はかだと言うんだよ。
八五郎
 一会員氏は「原殿御返事」を引いて四菩薩を伴った釈迦仏像造立が日興上人の真意であったように述べているが、これはどうなんだい。
熊五郎
 とんでもない誤読だね。日興上人は、波木井実長が一体仏の釈迦像を造立しようとするのを制止するために、「子孫の中で四菩薩を造れる人が出るまでは一体仏の造立を止めて、文字曼荼羅を安置しなさい」と言われたんだ。四菩薩造立というハードルを設定することでその時点での仏像造立を制止し、曼荼羅本尊を礼拝するように教導されたと理解しなければいけない。
八五郎
 須田氏が述べているように、日興上人は門下の寺院に釈迦仏像を安置することを、生涯、絶対に許さなかった。この事実を見ても、日興上人が曼荼羅本尊正意の立場に立っておられたことは明らかだね。
 ところで一会員氏は、「自受用報身如来」の言葉は大聖人にも日興上人にもなく、中古天台の文献にあるものだから、日寛教学は中古天台の盗用であり、「日蓮本来の思想ではない」と言っているが、この点はどうかな。
熊五郎
 日寛上人は細草檀林で天台学を深く学んでおり、また当時は中古天台の知識が日本仏教界全体に深く浸透していたのだから、日寛上人が自身の教学体系を構築する上で当時の常識である中古天台の用語を用いるのはむしろ当然であり、何の問題もない。
八五郎
 仏教の教義は、それぞれの時代の言葉で表現されるものだからね。竜樹の中道論や天台大師の一念三千論にしても、それまで誰人も言わなかった教義だが、大乗仏教の本流の思想をその時代の言葉で表現したものであり、仏教の基本から逸脱した恣意的な創作ではない。それと同様に、日寛教学は日寛上人の勝手な創作などではなく、日蓮大聖人、日興上人を源流とし、日興門流に伝承されてきた教義をその時代に適合する形で体系化したものだ。
 そもそも牧口先生、戸田先生が日蓮正宗の信徒団体として創価学会を創立されたのも、日寛教学を基本としている日蓮正宗に日蓮仏法の正統教義が継承されていると確信したからだ。日寛教学が日蓮大聖人の法門でないとしたならば、日蓮正宗が既に大聖人に違背する邪宗だったことになり(むしろ身延派が正しい!)、創価学会も初めから誤っていたことになる。
 これまで何百万人もの人々が創価学会の信心によって蘇生し、救われてきた。そのことは学会員が各自の人生を通して強く実感していることだ。創価学会が初めから間違っていたならばこのような実証が現れるはずがないじゃないか。もちろん日寛上人にも宗門人として教団を護持しなければならないという意味での制約はあったが、日寛教学に大聖人に違背する重大な逸脱はない。「教学は日寛上人の時代に帰れ」と言われた戸田先生の言葉の重みを深く噛みしめるべきだ。
熊五郎
 それにしても、宮田氏は実名を出していたためかまだ遠慮があったが、一会員氏は匿名だから、もっと露骨に身延派に与同する姿勢を出しているね。身延の坊主が書いた論文に完全に寄りかかっている。
八五郎
 日蓮正宗を飛び越えて身延派になっているんだから驚くね。話にならない。どうして、こんなのが出てくるのかな。
熊五郎
 戸田先生が、広宣流布が進んでくると外道が次第に仏教の内部に現れてくるという趣旨の指導をされたが、まさにその通りの姿だろうね。宗門事件を通して日蓮正宗が完全に魔に喰われて邪教化したことは明らかになったが、今度はいよいよ魔が学会の内部に入り込んできているということだな。
八五郎
 根本教義のことだから、学会員全員に関わる話だ。まさに重大な問題だね。
 

柳チャ~ン、残念だったね~(笑)裁判に負けちゃって~。

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月25日(火)07時54分34秒
  おはよう柳チャン、小生ね~〇〇新聞を読んだんだ。そしたらね、柳チャンのコトが書いてあるじゃない(笑)

>東京高裁が厳しい司法の鉄槌!< だって(笑)

そういえば、昨日のコラム日記で柳チャン、
>妙観講の大草一男から名誉棄損で民事提訴された裁判の控訴審判決が出たのが8月4日、結果として当方の実力不足により真実性を立証することはできなかった<

なにか、淡々と結果報告してるけどさ~、柳チャン、裁判所から、30万円の罰金とインターネット上の記述の削除を命じられているんだよね~

柳チャン、>当方からすると”狂言訴訟”の一種にはかならかったが< なんて負け惜しみ言ってるけど、早く削除しないと~(笑)

罰金も大変だね~、払えるの? それともどこかの大弁護士先生に泣きつくのかな~(笑)

まあ今日のコラム日記楽しみにしてるよ~、ファイト!柳チャン、
 

もっと語り合いたかった貴方へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月25日(火)07時54分32秒
  会った瞬間に表情から痛みが伝わってきた。

フェアな戦いなど、天魔がするはずがない。
自分自身の手は汚さず、あらゆる権力で人をモノのように使い、法華経の行者を迫害する。
ズルく、醜く、酷い、理不尽な忘恩の輩。
それが化他自在天に信心を食い破られた者の姿。

黄金の三年の指導を知った2014年1月6日。
その日から、いよいよ三年になろうとしている。
この三年で、自分の人生は大きく変わった。
日本から世界に扉が開き、不可能と言われた事が奇跡的に叶う実証がいくつも出た。

それは、自分に悩みを相談してきた会員も同様だ。
自分は特別な話はしない。
池田先生のおっしゃる通りに信心しているか否かだけ。

池田先生に真直ぐな信心をすれば、奇跡的な実証が生まれ悩みが必ず解決する。
助からない命が奇跡的に助かる蘇生のドラマが生まれた。
解決できない人間関係が、奇跡的なドラマチックな展開で解決する。
多くの不可能が可能となるこの実感こそが、正しい人生を歩めている確信。

自分は寿命を告げられた人生ゆえに「首の座」を望んできた部分があった。
創価学会がこれだけ大きくなり、権力者からの迫害などあり得ないと思ってきた。
しかし、まさか創価権力から迫害されるとは、夢にも思っていなかった。

始めのうちは理不尽な迫害に、「地獄に落ちろ!」と慈悲なき怒りの炎を燃やした。
どれだけ悔しい思いを重ねたのか。
友が池田先生を忘れ行く姿に、涙を流す夜もあった。

しかし最近は、迫害者に対し深い感謝が湧いてくるのを実感できるようになってきた。
お蔭で自分は今、奇跡的な弟子の道を歩めていると。
そして池田先生が「一人ももれなく」とおっしゃる言葉を、心から祈れる自分に変わった。
気が付けば、医師から告げられてきた寿命の鉄鎖が解けていました。

池田先生を信じ抜ける。
それはあらゆる苦難に必ず勝てる、強い自分を確信することに繋がる!

悪に対して遠慮する必要はない。
毒に狂った者は、厳しく諫めるのが慈悲に通じる。
黄金の三年で自分自身が変わった実感があるなら、必ず創価学会の発迹顕本はできる。

『深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む』

今も池田先生は戦われている。
「一人ももれなく」民衆を幸福にするために。
だからこそ師と同意の弟子でありたい。
共に、池田先生と同じ一念で歩める、かけがえのない時を大切にしたい。



 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、11・18にむけてナニ企んでいるのですか~?

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月25日(火)07時11分2秒
  おはようございます。原田怪鳥様、各部代表者会議へのご出席誠にご苦労様でした~。(笑)

ところで、博正サンはご出席されていたのでしょうか? あいさつされた面々の中にお名前がありませ~ん。どうしてでしょう?

南米ボリビアべタントス市教育委員会から名誉会長夫妻に顕彰状とのこと、誠におめでとうございま~す。

でもね~、これっていつの事ですか? 授与式は9日だそうですが(報道遅いな~今日は25日ですよ~)

新聞には「いつ贈られた」の記載がありませ~ん。だから珍聞などと評されるのデス。(笑)

博正さんもどうして行かれなかったのでしょう? 師匠のメッセージを添えて出席され、メンバーを激励されるのが当然と思いマスが・・・

それとも、SGI副会長でもある原田怪鳥様、御自身で行かれてもよかったのでは・・・・某女史と一緒に(笑)

行かれなかったのは、観光名所の問題ですか~? それとも治安の問題でしょうか?

いずれにしても、師匠のメッセージもない、博正さんも怪鳥様も行ってない、現地メンバーに大変失礼デス、お詫びをするべきでしょう。(笑)


それとも原田怪鳥様、11・18へのたくらみゴトでアタマがいっぱいで、他の事には気が回らなかったのがホントの処でしょうか?(笑)
 

わが友に贈る 2016年10月25日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年10月25日(火)06時40分22秒
  会合の成功を決めるのは
「中心者の深き祈り」
「事前の入念な準備」
「参加者への感謝」だ。
前進の勢いをさらに!
 

実感のある指標!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年10月25日(火)06時01分12秒
   おはようございます。
 池田先生とアーノルド・トインビーの対談「21世紀への対話」の続きです。テーマは「権力」です。「権力」は、誰しもが持つ「他化自在天」の“第六天の魔王”の働きと言っていいでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 池田 「=略=
 社会は秩序を要求し、秩序の維持は権力を要求します。権力は人々を支配し、人々の行動を強制したり抑制したりする“力”としてあらわれます。そのために、権力はしばしば人々の自由を妨げ、人権を侵害する“悪”となるものです。本来、権力はより多くの人々を守るために、そして善なる目的のために行使されるべきものですが、権力者の心理的動機や目的観によっては、悪に走ることも少なくはないでしょう。

 いわゆる“権力悪”という言葉は、元来、権力者の心に思い上がりや利己心、名誉欲などを強めさせ、堕落させる本質を持っているということと、権力の行使が人々の人格を侵害し、ときには生存をも奪う危険性を秘めていることの、両面のニュアンスを含めて使われます。もしも権力が、人々の幸せと正義の擁護のために純粋な精神で、しかも、その力がなるべく害を及ばさないという配慮のもとに行使される場合は、権力は正しく用いられているといえましょう。人人が権力に託す期待、希望もまた、そのようなものであるに違いありません。
 ところが残念なことに、人間の本性は必ずしも善ではありませんし、おかれた状況によっては精神の純粋さも失われることが多いものです。その結果、権力者自身も含めた少数者の幸福と利益を実現するために、多くの人々を犠牲にする方向に、権力が行使されることになります。こうしてみますと、権力悪という問題は、権力者だけの問題であるかのようにみえて、じつは権力行使の対象である民衆の側の問題も、重要な因子としてこれに加わってくるといえましょう」

 トインビー「一人ないしはそれ以上の数の人間によって握られ、他に向けて行使される権力というものは、人間生活において不可避のものです。それは、人間が社会的動物であり、権力はその社会関係から自動的に生じるものだからです。もちろん、権力が悪のためでなく、善の方向に行使されるということはありえます。しかし、あらゆる生物は、本来、自己中心的であり、貪欲ですから、権力を握った人間は、その掌中にある人々の利益を犠牲にしても、なおその権力を己の利益のために乱用したいという、強い誘惑にとらわれるものです。

 ところが、人間は社会的動物ですから、社会が、その成員の存続を不可能にするような無秩序な状態へと崩壊するのを防ぐことが、社会における第一の優先事項になります。このため、権力の不当行使のほうが、社会の崩壊に比べればまだしも小さな悪であるという状況を生じ、ここに権力の犠牲にされる人々が、ときとして不当な権力行使を黙認する理由もあるわけです。
 いいかえれば、社会の成員としては、権力者の思うがままにさせるという代価を払っても、なお社会が崩壊を免れることを望むのです。もちろん、彼らもしばしば誤算をすることがあります。たとえば、1933年、ドイツ国民はヒトラーに救世主としての望みをかけ、すべてを彼に託しました。ところが、ヒトラーは意図的に彼らを第二次大戦へと巻き込み、結局は、1929年世界恐慌で被ったよりも、さらには第一次大戦の敗北よりも、はるかに大きな災禍をドイツにもたらしたのです」

 池田 「自己の基盤である体制の存続を願う民衆の心が、権力悪を支えているということですね。そうした権力の暴虐に拍車をかけるものは、一つには強いものに屈服し、あるいは進んで取り入って、できれば自分もその余禄にあずかりたいという、人間の醜い心であるといえましょう。
 強い悪は弱い悪を引き出して掌中に収め、ますます強大な悪へと膨れあがります。私は、これが権力悪の実態であり、最も恐るべき悪の自己増殖作用であると考えます」

 トインビー 「その通りですね。そしてその自己増殖作用は、社会の規模が大きければ大きいほど、それだけ広範囲にわたるものです。たとえば、今日ではあらゆる諸民族が世界的規模の一社会へと合体しつつあります。ところが、この社会は、すでにいくつかの理由から、崩壊の危機に瀕しています。
 まず第一の理由は、きわめて非協調的な百四十の地方主権国家の存在が、全面的な政治的無秩序を生み出そうとしていることです。第二には、人口爆発が、非常に多くの問題を惹起しています。第三には、最近の驚異的な技術進歩が、人類の少数者に新たな力をもたらし、それを彼らが私物化していることです。この新たな力をもつグループは、世界の諸民族のうちの富裕少数者と呼ぶことができるでしょう。さらに、彼らは、自らの欲望を満たすためにその力を使って、地球資源のうちのきわめて不当な取り分を消費しています。そうした資源の多くは、再生のきかない、かけがえのないものなのです」

 池田 「たしかに御指摘の通りです。中国の古い言葉に『苛政(※筆者註 かせい=苛酷な政治。虐政)は虎よりも猛し』というのがありますが、現代において人間の生存を脅かす最大の敵は人間自身である様相が、ますます顕著になっています。人間は、人間自身をいかに治めるかを学ばなければ、破滅の淵に落ちることでしょう」(21世紀への対話<下>127~130㌻)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 最後の「人間は、人間自身をいかに治めるかを学ばなければ、破滅の淵に落ちることでしょう」が、「中外名人名言集」でも取り上げられた箇所でしょう。
 人間の持つ「自らの欲望を満たすため」の「自己増殖作用」は、それ自体は「生きる活力」そのものなのですが、扱いを間違えば自身ばかりか他者をも「破滅の淵に」おとしめることになりかねません。「人間」は、「生命」は、この「自己増殖」の機能があるから、この世に生まれて来られたとさえいえます。だからこそ、「人間の生存を脅かす最大の敵は人間自身である」との深い“認識”が不可欠なのでしょう。

 それは、すべての人間が陥りかねない上慢、我慢、不信の「三失心」とも見方を同じにするものです。だからこそ、自らの生きる実感のある“指標”として「師弟の法門」が欠かせないと言えるのでしょう。

 

レ・ミゼラブルを読み直す(8)補足

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月25日(火)03時45分13秒
  この項以降は、フォンテーヌの事柄に入ります。先般案内した通り、一昨年暮れにlogicさまがまとめて投稿されていますのでご参照下さい。

フォーシェルバンは、映画ではコゼットを救出したジャン・バルジャンがジヤベールに追われる最中、逃げ込んだ修道院の庭番として登場してきます。小説では、かなり長い紆余曲折があって修道院の中に入るのですが、それは割愛して、次からは、修道院から出てくるところからスタートしましょう。
 

レ・ミゼラブルを読み直す(8)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月25日(火)02時39分21秒
編集済
  p.312

七    パリーにてフォーシェルバン庭番となる

フォーシェルバンは荷馬車から落ちる時に膝蓋骨をはずしたのだった。マドレーヌさんは彼を病院に運ばせた。その病院は工場と同じ建物のうちに労働者らのために彼が設けたもので、慈恵院看護婦の二人の修道女がいっさいの用をしていた。翌朝老人は寝台わきの小卓の上に千フランの手形を見出した。手形とともに、「小生は貴下の荷車と馬とを買い受け候」というマドレーヌさんの書いた紙片があった。荷馬車は壊れ馬は死んでいたのである。フォーシェルバンは全快した、しかし膝の関節は不随になったままだった。マドレーヌ氏は修道女たちと司祭との推薦を得て、パリーのサン・タントアーヌ街区の女修道院の庭番にその老人を世話してやった。

その後しばらくしてマドレーヌ氏は市長に任ぜられたのである。全市に対して全権を有せしむる市長の飾り帯をマドレーヌ氏が付けているところを初めて見た時、ジヤベールは主人の衣の下に狼のにおいをかいだ犬のような一種の戦慄を感じた。

その時以来、彼はできるだけマドレーヌを避けた。ただ職務上止むを得ず他に方法がなくて市長と顔を合わせなければならないような時には、深い敬意を表しながら口をきいていた。
(以下略)

七   終了
 

なぜ、大御本尊なのか

 投稿者:蘭夢  投稿日:2016年10月25日(火)00時44分57秒
  戸田先生も、池田先生も「大御本尊」とおっしゃっている。

大御本尊が後世のものではないか、そんな話がある。
その話に右往左往して、本尊に迷う人達がいる。
さらに酷い者になると、日寛教学が云々、問題ありなどと言う者まで出てきている。

さて、大御本尊が後世とか、そんな話。最近でてきたものではない。
昔からある。

その昔、草創期。巷の噂があり、戸田先生が、畑の猊下を訪ねて、御宝蔵に入り確認している。

つまり、戸田先生は、少なくとも、全て真実を御存じと、僕は思う。

その上で、戸田先生は「大御本尊」とおっしゃり。
そして、草創期、日蓮宗等、他の本尊を功徳なしとして、「大御本尊」を宣揚している。

ここに、弟子ならば、どういう意味があるのか、深く深く、思索すべきだ。

師敵対の忘恩の輩は、師匠を侮り、枝葉の事実のみで軽んじて、師匠の深い想いを知ろうともしない。

その挙句、師匠の言葉を好き勝手に捻じ曲げている。

なぜ、大御本尊と言われたのか。深い深い、意味がある。

その意味を知らねば、全ては瓦解した暗黒世界、終末の未来しか見えないだろう。

大御本尊といわれたその意味するところ、それは、全ては法華経の通りであるということだ。

今、法華経に書かれてあることが現在進行形であることを理解するならば、全ては仏の慈悲。

全民衆救済、人類の大きな変革であることがわかるだろう。

仏の願いは、我々が考えるような小さな幸福を衆生に得させることではない。全ての民衆を成仏の境涯へと導くことにある。

どうすれば、仏の境涯を開くことができるのか。

明白である。

「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。」

この御書をよくよく見ていただきたい。「必ず仏になるべし」とあるではないか。

仏の願うところの全衆生の成仏。その為には、何が必要なのか。

三類の強敵が、必要なのだ。その三類の強敵と不惜身命で師弟不二の一念で闘う時、仏の境涯を開くことができる。

今、創価に起きている現象とは、仏の慈悲に他ならない。今こそ、胸中に御本尊があることを覚知する功徳を得て欲しい。

さて、三類の強敵とあるが、我らは、法華経の行者たりえるのか。

大聖人は、法華経を身読することで証明された。

我々、創価は、どうなのか。

ここで、初めて、「大御本尊」が意味をもってくるのである。

「大御本尊」が定まることにより、日顕宗に破門された我々は「数数見擯出 遠離於塔寺」という法華経の難を受けることとなった。
つまり、法華経の行者としての証明を果たしたことになる。

日顕宗に破門されることで、今、正に法華経のドラマが顕現され、地涌の菩薩、即ち、人類が人間革命する時が到来したと言えよう。
日顕宗による破門は、先生陣頭指揮の元での三類の強敵との闘いの予行演習みたいなもの。

本番は、今。主役は一人一人、さぁ、御書の通り、闘おう。そして「必ず仏になるべし」の通り、皆、仏の境涯を得るのだ。

そして、三類の強敵とは、何奴か、板の閲覧者なら御存じだろう。

さて、大聖人が「大御本尊」をどう思われていたか。
推測するしかないが、弟子への御遺命として、最勝の地に本堂を構えてと、本門の戒壇ということを弟子に残されている。
この事を考えた時、本来、自身の胸中に御本尊があることを覚知させるのが大切なことを考えれば、おかしな話である。
本堂とか、中心地みたいな場所は、本来必要ない。我が生命にこそ、大御本尊はあり、その生命の深奥こそ戒壇であるからだ。

ならば、答えは、弟子達の成仏のために本堂といい、本門の戒壇というものが必要だったということだ。
そのことを考えれば、史実が残っていなかったとしても、大聖人が「大御本尊」を考えられたことは間違いないと推測される。

成仏の為には、三類の強敵が必須。そうなのだ、全ては弟子の成仏の為に、「三類の強敵」を呼び起こす必要があったのだ。

そして、創価の誕生と共に、戸田先生は、「大御本尊」を宣揚した。
草創期の大先輩達の功徳。「大御本尊」が「大御本尊」として力用を発揮した。ここに意味がある。
日寛上人も、戸田先生も、大聖人の意図すること、仏の意図することを理解した、だから「大御本尊」と宣揚したのだと推測される。
戸田先生は牧口先生から、発迹顕本しなさいと、まるで悪いことしているように責められたと言われている。
そして、戸田先生は、三類の強敵が顕れるのをずっと願っていた。
また、池田先生も、我々、会員に目の醒めるような発迹顕本を、と言われている。

大聖人の発迹顕本とは何だったのか。

牧口先生は言われた。我々は法華経の信者ではない。法華経の行者だと。

全ては、今、この時のため。さぁ、闘おうではないか、素晴らしい黄金の時だ。信心の総仕上げだ。法華経の通り、目覚めよ民衆よ。
そして、この世界を人間革命の波で覆いつくし、人類の今までの不幸な歴史にピリオドを打とう。
 

ありがとうございました。

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月24日(月)23時51分3秒
  今日も同盟題目に参加させていただきました。
ありがとうございます。


ひかり(正義の師子同盟)様


くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲さま


レスをありがとうございます。
とても嬉しかったです。
 

同盟題目23時開始

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月24日(月)22時59分8秒
編集済
  よろしくお願い致します。

22日、池田先生は中央区に視察に行かれたようです。
訪問先は、築地、豊洲の間にある中央文化会館だったそうてす。

池田先生のご健康を祈ります。

鳥取県にもお題目を送ります。
 

人間の深淵!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年10月24日(月)22時17分21秒
   ロマンさん、素晴らしい。「法華経の智慧」と同じ視点ですね。

 さて、人間の深淵を探るという点で、どうしても手放せないのは、先に挙げさせて頂いた「信じる心」とともに、その対極にある「不信」です。「元品の無明」という表現もあります。「疑惑」です。
 次の仰せは、何度も紹介させて頂きました。
 「一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり解とは智慧の異名なり信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり」(御義口伝725㌻)

 「此の信の字元品の無明を切る利剣なり」からあとの箇所です。
 つまり「信」は「元品の無明」を切る利剣であり、「疑惑」を断破する利剣であることを示すとともに、「元品の無明」が「疑惑」であることも指し示しておられます。

 思い起こされるのはまた、次の一節です。
 「法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、善神は悪人をあだむ悪鬼は善人をあだむ」(治病大小権実違目997㌻)。
 性悪性善は仏とほぼ同等の妙覚の位になお備わっている、「元品の法性」は梵天・帝釈等(の善神)と顕われ、「元品の無明」は第六天の魔王(の悪鬼)と顕われる、と拝することができます。梵天、帝釈と顕れるか、第六天の魔王と顕れるかは、ひとえに「元品の法性」(つまり仏性)か、「元品の無明」(つまり疑惑)かが、その分かれ目だということになります。

 人法一箇の「南無妙法蓮華経」の「南無」は「帰命」です。御義口伝にあります。「帰す」ことと「命(もとづ)く」ことは一体です。「命(もとづ)く」ものとは、御書と池田先生の指導しかないというのが私の立脚点です。だから、「御文」と「指導」をあげさせて頂いています。

 そうした前提に立って、「意見の食い違い」ということを見ていくと、「他者」の意見もまた、違った捉え方ができることになるのではないでしょうか。「妙法」はどこまでいっても、「己心の法」です。誰かが何かをしてくれる法ではありません。「一念即三千」の原理から見ても、さまざまな「三千」を持つ「衆生」が、別の「衆生」と同じ「一念」に立つことは難しいのが当たり前です。十人十色です。ただひとつ、同じ中心軸を持った時、「同心円」になった時のみに同じ方向になります。

 池田先生とトインビー博士との対談の「21世紀への対話」の対話は、もはや「古書」(=辞書)です。そのように海外の識者は語っています。「21世紀への対話」からその人類の素性を探ってみました。

 まず、集団力への「崇拝」という視点です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 トインビー 「二度にわたる世界大戦をはじめ、アメリカ独立戦争やフランス革命以後に起こったほとんどの戦争において、世界中のあまりにも多くの青年たちを悲劇と破滅に追いやった、あの種の愛国心というものは、私のみるところでは、一種の古代宗教なのです。西欧諸民族がこの古代宗教へと再転落したのは、彼らが近代に至って先祖伝来の宗教たるキリスト教への信仰を失い、その結果生じた宗教的空白に自分たちがいることに気づいたときのことでした。この新たに蘇生したキリスト教以前の宗教は、地域共同体の集団力をその崇拝の対象とするものです。元来それは、古代シュメールやギリシャの都市国家における、市民たちの宗教だったのです。
 ギリシャ・ローマの歴史では、こうした各地域の集団力への崇拝が、やがてローマ帝国全体の集団力に対する崇拝へと変容していきました。=中略=
 しかし、地域的なものであれ、世界的なものであれ、人間の集団力が崇拝の対象として適当でないことは確かです。国家というものは、地方国家であれ世界国家であれ、公共施設にとどまるべきものです」

 池田 「国家意識ないし国家対国家の敵対意識は、地域的集団力が基盤となって成立してきたものだという、博士のご意見には私も賛成です。そして、その人間の集団力を崇拝することがまったく誤りであることも、ご指摘の通りです」(21世紀への対話<下>66~67㌻)
 =中略=

 トインビー 「いまや人類の居住地全体が技術面で統合されているわけですから、心情面でも、これを統合することが必要です。これまで人類の居住地のうち、局地のみに、そしてその住民と政府のみに捧げられてきた政治的献身は、いまや全人類と全世界、否むしろ全宇宙へと向けられなければなりません。

 ギリシャ哲学のストア学派では、人間は宇宙の一市民であると唱えました。中国新儒学派の哲学者程顥(※ていこう)は『“仁”の人は天地万物をすべて一体と見る。彼には、彼自身にあらざるものはない』また『自然と人間には何の分けへだてもない』と述べました。また、王陽明の世界観によれば『偉大なる人は、天地万物を皆一体とみなす。この人は世界を一家と考える』とのことです。

 私は、人間にとっての正しい崇拝の対象とは、“宇宙の中に、その向こうに、またその背後にある究極の精神的実在”であると信じています。私の考えではまた、この究極の実在とは愛のことです。その意味で、私は『志向なる目的とは、人格の顕現、諸人への愛を第一義とすることである』という王陽明の格言に賛同しています。人間は、たとえそれが自己犠牲へ導くものであろうとも、あくまでも愛に従わなければならないと考えるのです。愛とは、奪う代わりに与えるという、精神的衝動です。愛はまた、自我を全宇宙との調和へと引き戻す衝動です。自我が宇宙から疎外されているのは、その本然的な、しかし克服不可能ではない、自己中心性のゆえなのです」(同68~69㌻)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 人間の持つ「自己中心性」に焦点を当てなければならないというのがここでの視点です。さらに「対立」ということについて、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 池田 「=略=
 こうした二大陣営の対立(※筆者註=米・ソ)は、いわゆる開発途上国に対する武器援助競争などにみられるように、依然として国際情勢を大きく左右しており、世界平和に与える脅威は少なくありません。このアメリカとソ連の対立は、これまでいわゆる資本主義と共産主義のイデオロギーをめぐる対立としてとらえられてきましたが、この点について、博士はどのようにお考えになりますか」
 トインビー 「資本主義と共産主義の対立といっても、それは私のみるところでは、ほとんどが見せかけにすぎず、ずっと古くから繰り返されてきた類いの、競い合う地方国家間の国益と野心をめぐる抗争を覆い隠す、一種の仮面なのです。

 この種の抗争にあっては、双方の好戦派が、恐怖と敵意をかきたてるイデオロギー上の形容辞をもって敵対国家に極印を押し、それによって自国民の熱狂を煽ろうとするものです。旧世界の西端部には、こうした宣伝工作の先例がいくつもあります。キリスト教徒対イスラム教徒、イスラム教のスンニー派対シーア派、キリスト教でもプロテスタント対カトリックなどの間で争われた、いわゆる宗教戦争も、実は競い合う地方国家間の敵対が、仮面をつけたものにほかなりません。

 いわゆるイデオロギー上の対立、宗教上の対立がいかにうわべだけの、偽りのものであるかの証左は、一枚岩と称される両陣営のそれぞれ内部にも、両陣営間のそれと負けず劣らずの抗争がみられることからも明らかです。今日、共産主義陣営では、ソ連と中国の対立が、現代世界でも比類がないくらい、もっとも深刻な対立(※対談当時)の一つとなっています」(21世紀への対話<下>190~191㌻)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 対立といっても、ほとんどが見せかけにすぎず、「ずっと古くから繰り返されてきた類いの、競い合う地方国家間の国益と野心をめぐる抗争を覆い隠す、一種の仮面なのです」という視点です。そして、「一枚岩と称される両陣営のそれぞれ内部にも、両陣営間のそれと負けず劣らずの抗争がみられることからも明らかです」としている箇所です。

 国家だけでなく、社会、あるいは組織生命体でも、同じことがいえるのではないでしょうか。


 

Bri-exit(英国のEU離脱)

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年10月24日(月)22時04分29秒
  を論じても、英国の核戦力がNATOに緊密に組み込まれていることを論じない聖教新聞日曜版。英国は政治経済的に欧州大陸と距離を置きつつも、軍事的には依然として一体なのだ。  

レ・ミゼラブルを読み直す(7) 補足

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月24日(月)21時51分31秒
  映画のシーン、フォーシェルバン老人を荷馬車から救い出すところです。ジヤベールがマドレーヌ氏の怪力を見つめながら、『こいつは.ジャン・バルジャンだ』と深く認識する。

山本伸一少年は、この部分をワクワクしながら読んでいたと思います。特に、
「人々は突き進んだ。一人の人の献身がすべての者に力と勇気を与えた。荷馬車は多数の腕で引き上げられた。フォーシェルバン老人は救われた。」
しかし、ジヤベールは、全く異なっていた。冷徹にマドレーヌ氏を疑い、人助けなど眼中にない非情な人間。若き日の読書でしたか?ジヤベールを憎らしく思った点は、ここにも有ったと思います。

それから、フォーシェルバン老人がマドレーヌ氏に「嫉妬」していたところ。私も読み直して気づいた点ですが、創価村の貴族社会の面々は、「嫉妬の塊」です。これを内々に持ち続けた者がどのようになるか?先生は常々、様々なスピーチで戒めています。でも、若い時から怠惰な生活をしてきた者は、取り返しのつかない生き方と人間関係の渦に巻かれて、死ぬまで「嫉妬の塊」で終わります。カラ題目唱えてもダメですよ!性根が年取るごとに益々曲がってますから(-_-)

22歳から28歳までの山本伸一青年の年譜を何方か作って下さい。次いでながら、反逆者の22歳から28歳までの比較が出来れば幸いです。
 

受け継ぐ師の思想・哲学

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年10月24日(月)20時57分34秒
  創価ルネサンスー
宗教改革として、宗教(日連仏法)の本来のあるべき姿へ、即ち「民衆のための宗教へ」と変わりゆく、新しい時代の幕開けを当時子供ながらに感じていた。
本部幹部会には活き活きと集い合う顔があった。
この時代に少年期を過ごした私を含めた、現在30代前半から未来部までの世代は、創価ルネサンス時代の日蓮正宗(日顕宗)との教学・思想闘争にあたり、様々な地域、場所で研鑽した模様を知らない世代である。

魂の独立とは何か。
人間復興とは何か。
日蓮を「末法の御本仏」と仰ぐ創価学会と日顕宗では何が異なるのか。
日蓮をなぜ御本仏と仰ぐのか。


1994/5/24にドイツのフランクフルト近郊で行われた「第3回ドイツ最高会議」での池田先生のスピーチに重要な点に触れられています。

ー中略ー
『偉大なる仏教が、インドで、どうして滅んだのだろうか。この点について興味深い観点がある。
 ネルー首相は、仏教滅亡の理由が、ずっと疑問であり、考え続けてきたという。
 アンドレ・マルロー氏に会ったとき、ネルー首相は、思索の結論を氏に語った。
 マルロー氏とは私も二度、対談したが、仏教に深い関心を寄せておられた。ヨーロッパに将来、仏教を基盤とする文明が生まれる可能性を否定できないとも語っておられた。
 ネルー首相の考察は次のようであった。
「仏陀の天才は、あくまでも仏陀が人間であるという事実にもとづいていた。人類の生んだもっとも深遠なる思想のひとつ、剛毅な精神、このうえなく崇高な惻隠(そくいん=慈愛)の情。さらには、神々にたいしてまっこうからこれと向きあった告訴者の態度」
「しかし仏陀の神格化が行なわれたとたん、仏陀その人はこの神々と同列にくわえられ、姿を没してしまった」(アンドレ・マルロー著『反回想録』、竹本忠雄訳、新潮社刊)

 釈尊は、あくまで「人間」として生き、神々にも強く訴えた。
 日蓮大聖人も、諸天善神である八幡大菩薩を「諫暁」なされている。神にすがるのではなく、“妙なる法”を持(たも)つ「人間」として、神を動かされたのである。
 本来、仏教は「人間の生き方」を説いたものであった。
「このように生きよ」「人生をこう生きよ」と、我が身で教えた。
 そこには師弟の道があった。
 しかし、いつしか「人間・釈尊」は権威化され、人間を超えた神になっていった。
 今でもインドの多くの人々は、釈尊を尊敬してはいるものの、ヒンズー教の神々のひとりのように、あがめているようである。
「仏」とは、ありがたく礼拝する対象であっても、「その生き方に続く」存在ではなくなった。
師弟の道も見えなくなった。
 仏教が「人間の生き方」でなくなったとき、インドでは、仏教は死んでしまった。
 ――これがネルー首相の結論であった。
 今、宗門にも、「人間の生き方」としての仏教は、まったくない。彼らは、大聖人の仏法を、「人間はこのように生きよ」という教えではなく、自分たちを権威づけるための飾りにしてしまった。
 自分たちの堕落を正当化するための手段にした。
 仏法の滅亡の姿である。
 そもそも日蓮大聖人の戦いも、ある面から言えば、「仏教を人間化する」戦いであられたと拝される。人間の実生活から遊離していた仏教を、人間の手に取り戻し、現実の生活法として教えられた。
「仏とは、人間(凡夫)である」
「人間(凡夫)こそ、仏である」
 こう叫ばれた。
 当時、日本でも、阿弥陀仏とか、大日如来とか、「仏」を遠い、超越的なものとして説く仏教が流行していた。
 また法華経での仏も、一般には、人間とはかけ離れた存在としてとらえられていた。
 それらを大聖人は逆転された。
“日蓮本仏論”の思想的な意義も、ひとつには「仏教の人間化」にあったと拝される。
 諸法実相抄には、「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用(ゆう)の三身にして迹仏なり」(1358頁)――凡夫は本体としての三身であり、本仏である。仏は、(本体の)働きとしての三身であり、迹仏である――と仰せである。
 詳しくは論じないが、大聖人の重要な法門である「観心の本尊」も、「名字究竟(みょうじくきょう)」も、「等覚一転名字妙覚」も、「凡夫即極」も、「仏教の人間化」という観点から見るとき、その深義に、より迫れるかもしれない。
 妙法を信じ、行じる「人間」こそが「仏」だということである。妙法の「信心」にこそ「仏界」はあるということである。
 それでは、どのような「人間」が「仏」なのか。どういう生き方が「仏」としての生き方なのか。
 日蓮大聖人が教えられたのは、「社会の中で三障四魔と戦い、打ち勝っていく」人生である。
 妙法のため、人間のために、広宣流布に生き抜く人生である。
 そして大聖人自ら、その模範を示されたのである。
 その道に続いているのがSGIである。皆さまである。皆さまこそ「仏」と輝く方々なのである。
 創価学会は、大聖人の御精神通り、仏法を「生活の中で」「人間の生き方」として実践してきた。
 大聖人が仏教の原点に返られたように、創価学会が大聖人の仏法の信心の原点に返ったのである。
「人間」に帰ったのである。
 あるとき、戸田先生は、ひとこと、我々の信心は「人間宗」と言われた。徹底した「人間主義」こそが、大聖人の仏法なのである。』
 

警鐘さま、良い感しています!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月24日(月)18時48分25秒
  私も、同じように診ています。お誕生会兼ねた本部幹部会、創価村の絶対権限者ですから、やっちまうでしょう。

某女からも、観えないところで花束もらう(-_-)
これが、創価村貴族社会の真骨頂ですから。

やりたい放題、気にくわない学会員をバンバン粛清して、昔の日本共産党並みに独善主義で組織内を闊歩する!!自分の周りだけ豊かであれば良いというスターリンの世界です。
その後ろには、宦官(姦臣)が行列を成して歩いている。ケモノ道ですね。若い頃から、今も未来も、そして来世も、三世変わらぬケモノ道を行く畜生の世界です。便1も便2も便3も便所虫も共に眷属(眷族)となって内向きな創価村貴族社会が破綻するまで突き進む事になります(-_-)
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月24日(月)18時31分52秒
  全集未収録の特別文化講座『創立者 ダンテを語る』を掲示します。

2008-4-23 創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る②

 ● 「知力」「体力」「人間性」を磨け
 一、学園の草創期、私は指導者になるための六つの指針を贈りました。
 1.まず人よりも、よけいに勉強し、努力しなければならない。
 2.民衆の味方になっていくこと。大衆のために戦っていく。弱い立場の人の味方となっていく。
 3.どんなことがあってもくじけない信念を持っていること。
 4.人間性のある、また、ユーモアのある、そのままの姿で語っていける人でなければならない。
 5.常に常識豊かで、納得させながら、人をリードする人。信望があり、信頼が厚く、尊敬されながら、大勢の人を指導できる人でなければならない。
 6.強靭な体力がなければならない。体力と英知を持った人でなければならない。
 以上ですが、今なら、さらに、1.に「将来、2カ国語以上の語学をマスターする」を加えたい。                          ※算用数字は原文では丸数字です。

金星よ輝け友情で光れ
ダンテも寮生 寮・下宿生活が人格を育てる

 学んだ人は、自分が強くなる。人生が豊かになる。
 皆さんは、苦しんでいる人々の心が分かる指導者になってもらいたい。不幸な人を救っていける力のあるリーダーになってもらいたい。
 そのために、今は、学ぶのです。
 世界平和の大指導者を育てるのが、創価学園の使命なのです。

 晴れ晴れと 今日も努力の 勉学に  君も挑戦 指導者なるため

 ● 兄弟姉妹の麗しい関係を
 一、さて、ダンテは、ボローニャ大学の学生時代、初めて故郷を離れて生活を送りました。
 そして大学のそばにある簡素な施設で、十数人の学生と一緒に「寮生活」をしていたともいわれています。
 ダンテは大きな志を胸に抱いて、見知らぬ土地、新しい環境に飛び込んでいった。
 ヨーロッパの各地から集い来た、優れた学者や学友と出会い、若きダンテは人間的にも大きく成長していったようです。

 一、ちょうど40年前(1968年)の4月、私は、東京校の栄光寮を訪れ、1期生に根本の精神を語り伝えました。
 「先輩は後輩を、弟のように可愛がり、後輩は先輩を、兄のように尊敬していくという、麗しい気風で進んでほしい」
 「日本一、世界一の寮にしていこう!」と。
 青春時代の労苦は、無上の栄光です。
 とくに、良き学友と切磋琢磨し合う「寮生活」「下宿生活」の意義は大きい。
 それは日々の学問とともに、かけがえのない人格錬磨の道場です。
 この点については、トインビー博士とも語り合いました。
 私も訪問しましたが、博士夫妻の母校であるオックスフォードやケンブリッジなど、「世界の指導者」を育成する名門校は、いずれも「学寮」を重視していました。

 一、私も青春時代、下宿生活をしました。
 それは、お仕えする師匠・戸田先生の事業が最も大変な時代でもありました。
 親元を離れた皆さん方の苦労は、痛いほど、よくわかります。
 わが学園には、日本全国から、さらに海外からも英才が学びに来てくれている。
 お腹をすかせてはいないか、風邪をひいていないか、何か困っていることはないか......。
 いつでも、どこにいても、私と妻の心から、皆さん方のことは離れません。
 この創立者の心を心として、寮生、下宿生の皆さん方を支え、護り、励ましてくださっている、すべての方々に、この場をお借りして、厚く厚く感謝申し上げたい。


 ● 真心に「謝謝!!」
 一、関西校の男子同窓生の集いである「金星会」は、今春で約5000人の「正義」と「友情」の連帯となりました。
 13年前(1995年)には、関西校の金星寮を訪れました。
 真っ先に寮の管理者をされていたご夫妻にあいさつをしました。「寮生は私の宝ですから、くれぐれもよろしくお願いします」と。ご夫妻は懸命に寮生のために尽くしてくださいました。
 真新しい畳が敷かれた「金誓の間」。
 そこに入ると、寮生たちが待っていてくれた。
 「どんな時代、どんな立場になろうとも、君よ、金星の如く光り輝き、社会を照らし、友を照らす存在であれ!」
 皆、私の呼びかけに元気いっぱいの返事で応えてくれました。どの瞳も、すがすがしい決意に燃えていたことが忘れられません。
 実は、ダンテも『神曲』の中で、金星について記しています。彼にとって星は「希望」の象徴でした。ダンテは、天高く金星を仰ぎつつ、困難な旅路を勇敢に進んでいったのです。

 一、寮生たちとの語らいを終え、私は寮の様子を視察しました。
 ある部屋の前を通ると、「池田先生ありがとうございます!!」と筆字で書かれた、手づくりの横断幕が掲げられていました。大学ノートをつないだものだったから、時間のない中、寮生が真心込めて作ってくれたのでしょう。
 私は、その心がうれしくて、横断幕の余白の部分に、「謝謝!!」(中国語で「ありがとうございました」)と赤ペンで返礼の言葉を綴りました。
 その晩に行われた懇親会では、寮生・下宿生の皆さんと夕食をともにしました。私は、皆の健康と成長を祈りつつ、関西ゆかりの師弟の曲"大楠公"や「荒城の月」「熱原の三烈士」をピアノで弾き、贈りました。

 ● 尊敬でつくられた友情は永続的
 一、ダンテは、同世代の友と寝食をともにし、夢を語り合い、深き友情を結び広げていった。
 友人が大切です。どんなに社会で偉くなっても、心から分かり合える友のいない人は不幸だ。
 また友人といっても、遊びだけのつき合いの人もいるだろうし、さまざまです。その中で、最高の友人とは、最高の主義主張で結ばれた人です。別の言葉で言えば、高い志を同じくする友人です。
 中国に「患難見真知(フアンナンジエンツエンツ)(困難な時こそ、真の友が分かる)」との言葉があります。

ダンテを雄弁にしたものは何か
「真理への愛」と「虚偽への怒り」

 困った時に助けるのが友情です。順調な時はいいが、状況が悪くなると離れていくのは友情ではない。
 皆さんは、どんな時も、一生涯、離れない、真の友情を結んでいってもらいたい。
 私の人生の誇りは、ただ誠実の一点を貫いて、嵐に揺るがぬ友情を築いてきたことです。
 「尊敬によってつくられた友情が真実で完全で永続的である」(中山訳『ダンテ全集第5巻』同)
 これは、ダンテの友情観です。
 尊敬できる、よき友を持つこと。そして、自分自身も尊敬に値する、よき友となっていくこと。
 ここに、誇り高き青春の名曲が奏でられていくのです。

 ● 暴力は許さない
 一、私と妻が出会いを重ねた、アメリカの「人権の母」ローザ・パークスさんは、お母さんからの教えを一生涯の指針とされていました。
 それは、「自尊心を持ちなさい。人から尊敬される人間になり、また、人を尊敬していきなさい」ということです。
 パークスさんは、「人間の尊厳」を守るために命を懸けて戦いました。
 人を見下したり、いじめたり、侮辱して、相手を苦しめることは、暴力にも等しい。
 軽い気持ちでやったことが、取り返しのつかない深い傷を与えることだってある。
 わが創価学園は、絶対に暴力否定です。いじめも断じて許さない。
 互いの尊敬と信頼と励まし合いで結ばれた、世界一、美しい友情の城です。
 この尊い伝統を確固と受け継ぎながら、さらに賢く朗らかに前進していってください。

 一、ダンテは、数学の「ピタゴラスの定理」で有名な、古代ギリシャの哲学者ピタゴラスの言葉を大切にしていました。
 それは、「友情において、多くのものが一つにせられる」(中山訳『ダンテ全集第6巻』同)という一言です。
 このピタゴラスが活躍したシチリアの天地に立つ、イタリアの名門パレルモ大学とも、私は深い交流を結び、「名誉コミュニケーション学博士号」を拝受しました。
 私が世界に開いた「友情の道」を受け継ぐのは学園生の君たちです。
 そのためにも、今は、語学にも大いに挑戦し、平和と正義の「友情の大連帯」を世界中に広げていってください。

 学園は  一生涯の  宝の連帯
 ● 言論の勇者に
 一、ともあれ、青春時代の読書、そしてボローニャ大学での2年におよぶ研鑽は、ダンテの人格形成と文学の大きな土台となりました。
 それは真理と真実の探究の日々でありました。
 真実を見つめ求める青年は、虚偽を許さない。
 「悪魔は嘘つき、嘘の父親」とは、ダンテの『神曲』の一節です(中川祐弘訳、河出書房新社)。
 卑劣な嘘は悪魔の所業であるとの洞察です。
 「真理に対する愛と、および虚偽に対する憎悪とにおいて、反駁しよう」(中山訳『ダンテ全集第7巻』同)──ダンテの胸には、この烈々たる情熱が燃え盛っていたのです。
 ゆえに、ダンテは、だれにも負けない「言論の力」を鍛え上げていきました。
 "ダンテは並外れて雄弁であった"と讃嘆されている。その弁論には、悪人の気力さえも削ぎ取る説得力があったとも伝えられています。
 この研ぎ澄まされた英知と雄弁の力で、ダンテは信頼を勝ち取り、30代で、大都市フィレンツェの最高指導者となっていきました。
 この点、東京校の「創価雄弁会」、関西校の「ディベート部」をはじめ、学園生の「英知の力」「雄弁の力」「文筆の力」は、日本随一です。
 今、世界でも、若い雄弁の指導者が台頭しています。
 青年の時代です。そして学園生の世紀です。
 「自分の信条を堂々と述べ、正義のためには、勇気をもって実行する」
 これが、わが学園の誉れの校訓の一つです。
 「学園生よ、ダンテの妬く大雄弁の指導者と育て!」と、私は強く申し上げておきたい。

 弁論は 世界に平和を  打ち立てる  最も正しき 法理なるかな

使命の山を登りゆけ 負けじ魂ここにあり!
平和の人材光る学園城を
『ダンテ』 正義か強ければ世界は善くなる

  一、万葉の里・交野の天地に広がる、わが関西創価学園は、「蛍」が飛び交うロマンの城です。
 私の提案に応えて、関西学園の友が情熱を傾けて育ててきた蛍が、最初に夜空に舞ったのは、29年前(1979年)の5月のことでした。
 この蛍をはじめ、東西の学園では、桜、蓮、鯉、白鳥など、さまざまな自然の命が大切に保護されています。
 関係者の皆様の尽力に心から感謝申し上げます。

 ● 奇跡の連帯・蛍会
 一、私は、関西学園の女子同窓生の集いを「蛍会」と命名しました。現在、「蛍会」の友は約6000人。
 美しき「誓い」と「励まし」で結ばれた「奇跡の連帯」となりました。
 私は本当にうれしい。

 蛍会  一人ももれなく  幸(さち)光れ

 実はダンテの『神曲』にも、夕暮れ時、農夫が蛍を見つめる光景が詩情豊かに描かれています。
 きっとダンテも少年時代、フィレンツェの森に舞う蛍を見つめ、詩心を膨らませたのでしょう。
 蛍は、平和と共生の象徴でもあります。

 一、「世界は、そのうちに正義が最も有力であるときに、最も善く傾向づけられてある」(中山昌樹訳『ダンテ全集第8巻』日本国書センター)
 ダンテの獅子吼です。
 この世界を、平和の方向へ、幸福の方向へ、繁栄の方向へ、調和の方向へと前進させていくためには、正義が厳然たる力を持たねばならない。
 これがダンテの一つの結論であった。
 では、正義が力を持つためには、どうすればよいのか。
 それは、一人でも多く、力ある正義の人を育てることです。
 その使命を厳として担い立つ「教育の大城」こそ、わが創価学園なのです。

 幸福と  平和の土台の  学園城

 ● ケランジェロもダンテに共感
 一、ダンテが心から愛した故郷フィレンツェは、ルネサンスの文化が花開いた「芸術の都」として世界的に有名です。
 光栄なことに、このフィレンツェ市から私は、意義深き「フィオリーノ金貨」と、最高栄誉の「平和の印章」をお受けしています。
 ともに授章式は、フィレンツェ市の由緒あるヴェッキオ宮殿(市庁舎)で行われました(1992年6月、2007年3月)。
 同宮殿内の「五百人広間」には、ルネサンスの大芸術家ミケランジェロが創作した凛々しき青年の彫像「勝利」が設置されています。
 ミケランジェロも、200年前の先哲ダンテの文学に啓発された一人です。
 熱血の彼は、横暴な権力悪を許さぬダンテの強き魂に共感を抱き、よく論じていたという。
 ミケランジェロの傑作である「最後の審判」の壁画は、ダンテの『神曲』から影響を受けています。
 ダンテの文学は、ルネサンスの文化を発展させゆく大いなる原動力ともなりました。

哲人政治家ダンテの信念
 政治は誰のために?すべては人民のために!!

 ● 二つ目の苦難
 一、ダンテが生きた当時のフィレンツェは、ヨーロッパで最も人口の多い都市の一つでした。
 「フィオリーノ金貨」が鋳造され、経済の中心としても、堂々たる興隆を誇っていた。
 そのフィレンツェの哲人政治家としてダンテが登場したのは、30歳の年です。
 そして、その5年後には、最高指導者の一人に選出されています。
 ダンテの胸には「正しき政治」「正義の社会」の理想が明確に思い描かれていました。
 「市民は執政官(政治家)達のためにでなしに、また人民の王のためでなくて、逆に、執政官達は市民のために、王は人民のために存在する」(中山訳『ダンテ全集第8巻』同)と。
 為政者のために人民がいるのではない。
 人民のために為政者がいるのだ。
 この「何のため」という一切の原点を見定めていたのが、ダンテです。
 だから強かった。
 一、ダンテは、古代ギリシャの大哲学者アリストテレスの英知を学びました。
 その言葉を通して厳然と主張しています。
 「邪曲(じゃきょく)な政治の下にあっては善人は悪しき市民である」(同)と。
 悪い権力、悪い政治のもとでは、善人こそが悪人にされてしまうというのです。
 この狂った悲劇が、残念ながら、人間社会では際限なく繰り返されてきました。
 そして、まったく同じ事態が、ダンテにも襲いかかったのです。
 ダンテが最愛の人々との死別に続いて直面した、二つ目の苦難が、ここにありました。
 その過程を簡潔に見ておきましょう。

正しいからこそ迫害される 卑劣な陰謀が悪の手口

 ● 事実無根の罪
 一、絶大な権力を持っていた、時のローマ教皇ボニファティウス8世らは、美しき都市フィレンツェを自らの勢力下に収めようと狙っていました。
 この宗教権力者の一党は、自分に従うフィレンツェの勢力と結託し、謀略をもって、フィレンツェを乗っ取ろうとしたのです。
 そして、彼らの攻撃の標的にされた一人が、ダンテであった。
 ダンテは、「わが故郷のために!」「愛する祖国の自治と独立のために!」と断固たる闘志を燃え上がらせて、故郷を支配しようとする勢力の動きに、頑強に反対し、抵抗したからです。
 そこで、ダンテが公務でフィレンツェを離れている間に、権力を掌握した政敵たちは「欠席裁判」を行った。
 そして事実無根の罪をでっち上げた。
 彼らは、「ダンテは公金を横領した」「教皇庁に対する陰謀を企てた」などという罪状を並べ立てたといわれている。
 しかし、すべてが濡れ衣であった。
 ダンテを陥れようとする「冤罪」であった。
 「陰謀を企てた」のは、ダンテを無き者にしようとする敵のほうだったのです。
 これが正義の人を陥れる手口です。
 仏典では、陰謀の悪人に対して、「確かな証人を出せ! もし証拠がないというならば、自分が犯した罪をなすりつけようとしているのだ。糾明すれば分かることだ」と呵責されています。

 一、ダンテは「国外追放」されました。
 戻れば「火あぶり」にされるという。
 だれよりも、フィレンツェを愛し、フィレンツェのために戦い続けてきたダンテは、いわれなき罪人の汚名を着せられて、フィレンツェを追い出されました。
 そして56歳の死まで、二度と故郷の土を踏むことなく、受難の生涯を送ったのです。

 ● 正義とは?
 一、ダンテは、苦難の嵐の中で、人間の根本問題を真正面から見つめました。
 「なぜ、この世界では悪人がもてはやされ、わがもの顔で、のさばっているのか?」
 「一体、人の世に『正義』はあるのか?」
 「人道──人として歩む道は、どこにあるのか?」
 自分自身が迫害に遭ったからこそ、その思索は計り知れないほど深まったのです。

 一、正義とは、何でしょうか。
 人間にとって、正しい道、正しい生き方とは、どのような生き方なのでしょうか。
 これは、本当に重要な問題です。また難しい問題です。
 例えば、第2次世界大戦中、日本では、戦争に反対すれば、「犯罪者」とされました。
 しかし、敗戦後には、戦争に反対した人が、「正義」と賞讃される時代が来た。
 何が正しいのか。何が間違っているのか。真実は、どこにあるのか。
 表面的な世評などに流されては、あまりに愚かであり、不幸です。
 物事の奥底を見抜いていく「英知の眼」を磨いていかなければならないのです。


 ● 民衆の側に立て
 一、かつて私は、東京校2期生の卒業のはなむけとして、次のように語りました。
 "皆さんには、正義の人になってもらいたい。具体的に言えば、悩める人、苦しんでいる人、不幸な人の味方となってほしいのです"
 "将来、どのような地位につこうとも、庶民の側に立ち、人間生命の尊厳を守りゆく人であっていただきたい"と。
 ダンテもまた、「権力の側」ではなく、「民衆の側」につきました。
 「人が苦しもうが、どうでもいい」「事を荒立てたくない」と思って静かにしていれば、弾圧などされなかったでしょう。

『ローマの哲学者』
悪人がどんなに暴れても 賢者の月桂冠は光り輝く

 しかし、ダンテは、「人民のため」との信念を曲げなかった。わが正義に生きた。
 正義であるがゆえに、迫害される──。
 これが歴史です。これが現実です。
 ゆえに、重ねて申し上げたい。「正しい眼」を磨き、「強い心」をつくっていかなければならないのです。

 一、私は、創価大学で、「迫害と人生」と題して講演を行ったことがあります。〈1981年(昭和56年)10月31日〉
 そこで私は、さまざまな中傷、迫害と戦った人物──菅原道真、屈原(くつげん)、ユゴーら東西の詩人、思想家ルソー、画家セザンヌらの生涯に言及しました。
 とくに、悪い政治権力と悪い宗教権力は、結託して、正義の人を弾圧する。
 創価教育の創始者である、牧口常三郎先生と戸田城聖先生を苦しめた迫害の構図も同じでした。
 お二人の不二の弟子であるがゆえに、私も同じ難を受けてきました。しかし私は、「戸田大学」に学んだ師子です。ゆえに何があっても絶対に負けない。
 また私には、愛する青年たちがいます。学園生がいます。ゆえに何があろうとも必ず勝たねばならないのです。

 ● 「学園生はどうするのですか?」
 一、私は、創価の友に贈った詩の中で次のように綴りました。

 ある日 ある時 ふと  私は妻に漏らした
 「嫉妬うず巻く  日本を去ろう
 世界が  待っているから」

 その時 妻は  微笑んで言った
 「あなたには  学園生がいます
 学園生は  どうするのですか?
 きっと  寂しがりますよ」

 そうだ!
 そうだ 学園がある!
 未来の生命たる 学園生がいる!
 君たちのためなら 私は
 いかなる迫害も いかなる中傷も
 いかなる試練も まったく眼中にない

 このように詩に詠んだ私の思いは、今も何ら変わることはありません。

③に続く
 

若狭議員が、、

 投稿者:フラフラ  投稿日:2016年10月24日(月)18時22分25秒
  当選のインタビューを受けてた時に、顕正新聞持ってたね~。
その辺で手渡されただけなのか、、それとも?
宮崎の公明党市議会議員がビデオ放映会に毎回参加してるって。
大丈夫か?宮崎の男子部の皆さん?ほっといていいの?
 

【定期案内:おすすめ】教学部レポートをお読みください

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月24日(月)16時24分44秒
  ■注目!
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2010年5月以前のわが友に贈る

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月24日(月)14時19分16秒
編集済
  【わが友に贈る】

追撃の手を緩めるな! 火を吐く言論で邪悪への総攻撃を!

正義は徹して叫び続けよ! 邪悪が根絶し滅び去るまで!

悪に怒る心を燃やせ。 魔との戦いは圧倒的な唱題から!

金銭や異性問題で学会に迷惑をかけた幹部は解任だ。 清浄な同志の世界を断じて守れ!

悪を糾弾せよ! 徹して暴くのだ! 滅び去るまで叫び続けよ!

傲慢で威張る幹部は絶対に許すな! 恩知らずは叩き出せ!

悪には容赦するな! 相手がひるむまで徹底して強く攻め抜け!

悪を滅してこそ善が栄える。 ゆえに極悪と戦え! 青年が先陣を切れ!

「瞋恚(怒り)は善悪に通ずる者なり」 邪悪は断じて許すな! 魂の炎を燃やせ!

 

11月の本幹

 投稿者:警鐘  投稿日:2016年10月24日(月)14時09分12秒
編集済
  11月の本幹同中が11日だとどなたかの投稿にあった

まさか、本番(職員等は撮影日とよんでいる)
は11.5ではないだろうね?
11.5原田会長様の生誕日
75歳になられるそうである
師匠の秋谷会長様は75歳で会長を更迭された
そんな師匠を越えた「原田会長様」などと言うことは勘弁して貰いたい

今年、池田先生88歳
永遠の師匠、池田先生のお祝いをしない創価学会が
原田会長様の生誕日に創価学会創立記念本幹を開催したりしないで貰いたい
そうなったら、北朝鮮と同じだからー

最近、青年部時代の後輩から相談を受ける事が多い
皆、組織が会員をマシン化、ロボット化されていることを嘆いていた

今の組織に疑問を感じない、そんな無慈悲な人間を育てて来なかったことを改めて嬉しくなった

彼等は、幹部批判は怨嫉と苦しんでいた
自分は、こんな状況をなんとも思わない、そんな非人間的な人でないことが嬉しい「正しい怨嫉」である
しかし、正しい怨嫉だけど、幹部もベクトルが違っているだけだから、お題目送って上げよう
最高幹部がおかしいから、現場の幹部もおかしくなっていると話した

自分と先生は勿論境涯は全く違う
しかし、ふと思った

師匠の精神がふみにじられ、会員が集票マシン、新聞拡張員にされていることを怒り、悩み奮闘している弟子がいることを先生は喜んでくださっているに違いないと

今の組織に何の不満不信も持たずに進んでいく人は逆に「?」ではないか?
創価学会の上意下達、北朝鮮的なおかしな所は池田先生発ではなく、秋谷会長様や原田会長様発である事が明らかになってきている

外部は池田先生が「洗脳している」と言う
しかし、先生は「洗脳」ではなく、寧ろ「開放」してくださっている
会員を「洗脳」しているのは、名誉会長ではなく、歴代の会長職等の輩達

力不足、慈悲不足、祈り不足、勉強不足を
「先生の為」と魔法の言葉で会員を洗脳してきたのではないか?

創価学会にある「おかしな事」が秋谷会長様、原田会長様、発である事がよく分かる昨今
創価学会にある「素晴らしい事」「感動的な事」が全て先生発である事を改めて痛感する昨今である

同中で先生は度度教えてくださった
「私に直結しなさい!
他の人ではダメなんだ、無慈悲なんだ」

後輩達には、無慈悲な会長様に直結して無慈悲な幹部にだけはならないで欲しいと願う
そして、そんな後輩が1人もいない事は自分の喜びだ

元職員の本が楽しみである
今の創価学会がいかに先生を蔑ろにし、先生の精神に違背しているか?
最高幹部の皆さんが厳しい師匠の目が無くなり、どれほど勝手三昧しているか?
結果、口で、先生の名前を叫びながら、どれ程違背し、先生の軌道から外れているか?
いかに「変貌」しているのか?
実態を知るいい機会だと思う




 

54年の繰り返し

 投稿者:ただ一言  投稿日:2016年10月24日(月)13時01分53秒
  2010年5月先生ご出席の最後の本部幹部会。
先生の時代と大きく変わった。
当初「先生がいなくても私達で上手くやっていける」と思っていたに違いない。これは、昭和54年当時と同じ命を感じる。
「創価学会の組織を守る」との美名のもと大恩ある師匠を守らず辞任に追い込む。勇退と言えば聞こえがいいが、実際は「時流には逆らえない」と辞めさせた。「先生は厳しすぎる。私達は宗門や社会とも上手くやっていける」と。

当時の事は、随筆 新・人間革命 嵐の4.24にある通りである。

創価学会の側近の宿命‥

一大事の時に師匠を守れない。いや守らない。

今、本当なら池田先生の広宣流布の御構想の総仕上げの時。これで、いいのかと思う。


 

「今週のことば」「わが友へ贈る」

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年10月24日(月)12時52分20秒
  「今週のことば」「わが友へ贈る」を残されているとは凄い!
同じ頃にあった、牙城会会合の聖教記事。その面に

「職員は官僚になるな」

という意味の「今週のことば」「わが友へ贈る」にあり、それがずっと牙城会警備室に貼られていて、任務のたびに見て、「やっぱり奴らはヤバイのか」と思っていました。
他にも同内容の「今週のことば」「わが友へ贈る」が日を空けずに出ていたので、「こら、アイツら、相当ヤバイところまで来てんのやな」と、印象強く記憶に残っています。
まさか、それも残されてはいませんよね?
 

大いなる希望

 投稿者:誰か私を呼んだ?メール  投稿日:2016年10月24日(月)12時40分39秒
  「大いなる希望  師の心
胸は高鳴る  明日の日に
決意あふれる  ・・・」
と歌っていたでしょうか?
あの日の決意、思い出さないと(^-^;

「雛鳥もやがておおとりとなる
ああ  その羽ばたきが大空をおおうとき
なべての継続の辛労は昇華され
ものみな人間勝利の歓喜に包まれて
高らかに凱歌を歌うに違いない」
(少年・ただしうろ覚えです。)

先生  ありがとうございました。
こんな境涯になりました。
 

仰る通り。

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月24日(月)12時13分52秒
  虹と創価家族さんはじめ様々な方々も仰っている様に、2010/5以降と以前では全く変貌し時が経て

ば経つほど劣化が激しいのは内外共に周知の事実です。殆どの学会員さんは信心で我慢しているだ

けかと思われます。

添付の2001年代前半の「今週のことば」「わが友へ贈る」を見ても一目瞭然です。


「少なくとも、2010年5月以前の聖教新聞と比較すれば、記事の内容が変わったと言わざるを得ない。自分は2010年5月以前の聖教新聞と比較して、最近の聖教新聞は破邪顕正の「破邪」の熱が無くなったと感じます。」

この「今週のことば」や「わが友へ贈る」の通り戦っていれば現在の様な状況にはならなかったの

では?と思います。
 

何言ってんだか(笑)

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月24日(月)11時57分52秒
  今週は何だか騒々しくなりそうですね(笑)

ですので↓↓↓みたいな「、」とか出てきます。
 

返信

 投稿者:  投稿日:2016年10月24日(月)11時38分41秒
  直談判して除名されたら、それが学会の意志なのです。
日蓮大聖人の生命哲学、先生の御指導は変わりません。
変貌したのは学会の方です。
聖教本社に直接苦情を伝えれば良い話で有って、皮肉を書いている必要はありません。
柳チャンのコラム等いりません。
 

レ・ミゼラブルを読み直す(7)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月24日(月)11時38分8秒
  p.306

六     フォーシェルバンじいさん

ある朝、マドレーヌ氏は、モントルイュ・シュール・メールの敷石のない小さな通りを通っていた。その時、彼は騒ぎを聞きつけ、少し向こうに一群の人々を認めた。彼はそこに行ってみた。フォーシェルバンじいさんと呼ばれている老人が、馬の倒れたため馬車の下に落ちたのだった。

このフォーシェルバンは、当時マドレーヌ氏がまだ持っている少数の敵の一人だった。マドレーヌがこの地にやってきた当時、以前は公証人をしていて田舎者としてはかなり教育のあるフォーシェルバンは、商売をしていたが、それがしだいにうまくゆかないようになりはじめていた。
彼はその一職人がしだいに富裕になっていくのを見、また人から先生と言われている自分がしだいに零落してゆくのを見た。それは彼に嫉妬の念を燃やさした。そして彼はマドレーヌを害うために機会あるごとにできるだけのことをした。そのうちに彼は破産してしまった。そして年は取っており、もはや自分のものとしては荷車と馬とだけであり、その上家族もなく子供もなかったので、食べるために荷馬車屋になったのだった。

さて馬は両脚を折ったので、もう立つことができなかった。老人は車輪の間にはさまれていた。車からの落ち方が非常に悪かったので、車全体が胸の上に押しかかるようになっていた。車にはかなり重く荷が積まれていた。フォーシェルバンじいさんは、悲しそうな呻き声を立てていた。人々は彼を引き出そうとしてみたがだめだった。無茶なことをしたり、まずい手出しをしたり、下手に動かしたりしようものなら、ただ彼を殺すばかりだった。下から車を持ち上げるのでなければ、彼を引き出すことは不可能だった。ちょうどその出来事の起こった時にき合わしたジヤベールは、起重機を取りにやっていた。

マドレーヌ氏がそこにやってきた。人々は敬意を表して道を開いた。
「助けてくれ!」とフォーシェルバン老人は叫んだ。
「この年寄りを助けてくれる者はいないか。」マドレーヌ氏はそこにいる人々の方へ振り向いた。
「起重機はありませんか。」
「取りに行っています。」と一人の農夫が答えた。
「どれくらいかかったらここにきますか。」
「一番近い所へ行っています、フラショーで。そこに鉄工所があります。しかしそれでも15分くらいはじゅうぶんかかりましょう。」
「15分!」とマドレーヌは叫んだ。
前の日雨が降って地面は湿って柔らかくなっていた。車は刻一刻と地面に食い込んで、しだいに老荷馬車屋の胸を押しつけていった。五分と経たないうちに、彼は肋骨の砕かれることは、わかりきっていた。
「15分も待てはしない!」とマドレーヌ氏はそこにながめている農夫らに言った。
「仕方がありません!」
「しかしそれではもう間に合うまい。車はだんだんめいり込んでゆくじゃないか。」
「だと言って!」
「いいか、」とマドレーヌは言った、「まだ車の下に入り込んで背中でそれを持ち上げるだけの余地はじゅうぶんある。ちょっとの間だ。そしたらこのあわれな老人を引き出せるんだ。だれか腰のしっかりした勇気のある者はいないか?ルイ金貨を五枚あげる。」
一群の中で動く者は誰もなかった。
「十ルイ出す。」とマドレーヌは言った。
そこにいる者は皆目を伏せた。そのうちの一人はつぶやいた。「滅法に強くなくちゃだめだ。その上自分でつぶされてしまうかも知れないんだ。」
「さあ!」マドレーヌはまた言った、「二十ルイだ!」
やはり、誰も黙っていた。

「やる意志が皆にないのではない。」と誰かが言った。
マドレーヌ氏は振り返った、そしてジヤベールがそこにいるのを知った。彼はきた時にジヤベールのいるのに気がつかなかったのである。ジヤベールは続けて言った。
「皆にないのは力だ。そんな車を背中で持ち上げるようなことをやるのは、恐ろしい奴でなくてはだめだ。」
それから彼は、マドレーヌ氏をじっと見つめながら、一語一語に力を入れて言った。
「マドレーヌさん、あなたがおっしゃるようなことのできる人間は、私はただ一人きりまだ知りません。」
マドレーヌは慄然とした。
ジヤベールは無頓着なようなふうで、しかしやはりマドレーヌから目を離さずにつけ加えた。「その男は囚人だったのです。」
「えっ!」とマドレーヌは言った。
「トゥーロンの徒刑場の。」
マドレーヌは青くなった。
そのうちにも荷車はやはり徐々にめいり込んでいった。フォーシェルバンは息をあえぎ叫んだ。
「息が切れる!胸の骨が折れそうだ!起重機を!何かを!ああ!」
マドレーヌはあたりを見回した。
「二十ルイもらってこの老人の生命を助けようと思う者は誰もいないのか?」
だれも身を動かさなかった。ジヤベールはまた言った。
「起重機の代わりをつとめる者はただ一人きり私は知りません。あの囚人です。」
「ああ、もう私はつぶれる!」と老人は叫んだ。

マドレーヌは頭を上げ、見つめているジヤベールの鷹のような目付きに出会い、じっとして動かない農夫らを見、それから淋しげにほほえんだ。そして一言も発しないで、膝を屈め、人々があっと叫ぶ間もなく車の下にはいってしまった。
期待と沈黙との恐ろしい一瞬間が続いた。
マドレーヌがその恐ろしい重荷の下にほとんど腹這いになって、二度両肘と両膝とを一つ所に持ってこようとしてだめだったのが、見て取られた。人々は叫んだ。
「マドレーヌさん!出ておいでなさい!」フォーシェルバン老人自身も言った。「マドレーヌさん、およしなさい!私はどうせ死ぬ身です。この通り!私のことはかまわないで下さい!あなたまでつぶれます!」
しかし、マドレーヌは答えなかった。

そこにいる人々は息をはずました。車輪はやはり続いてめいり込んでいた。そしてもうマドレーヌが車の下から出ることはほとんど出来ないまでになった。

突然、人々の目に、その車の大きい奴が動き出し、だんだん上がってき、車輪は半ば轍から出てきた。息を切らした叫び声が聞こえた。「早く!手伝って!」マドレーヌが最後の努力をなしたのだった。

人々は突き進んだ。一人の人の献身がすべての者に力と勇気を与えた。荷馬車は多数の腕で引き上げられた。フォーシェルバン老人は救われた。

マドレーヌは立ち上がった。汗が流れていたが青い顔をしていた。服は破れ泥にまみれていた。

一同は涙を流した。その老人は彼の膝に脣をつけ、神様と呼んだ。彼は幸福な聖い苦難の言い難い表情を顔に浮かべていた、そしてジヤベールの上に静かな目付きを向けた。
ジヤベールはなお彼を見つめていた。

六    終了
 

河合師範の指導の全文を出しました

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年10月24日(月)11時11分17秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/58089
河合師範の指導  平成10年6月2日寝屋川文化会館(全文)   投稿者:太ちゃん@まとめコメント   投稿日:2016年10月14日(金)12時01分45秒

長文のため、いきなり出さず過去ログになるのを待ってましたが、過去ログになったので、予定通り全文を出しました。

よろしくお願い致します。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

、さま、その昔にも同じような琴を投稿していた方が居ます(-_-)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月24日(月)11時07分29秒
  ↓↓↓

直談判は良いのでは ?投稿者:琴の弦
?投稿日:2016年 2月 7日(日)22時18分49秒
会長はじめ最高幹部への直談判は良いと思いますが、


↑↑↑

聖教新聞社に直談判ですね(-_-)
 

寝たきりオジサン様、ありがとうございます(^○^)

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2016年10月24日(月)11時02分23秒
  大いなる希望

未来部の時に暗唱して部員会で発表いたしました。

懐かしいです。ヽ(^○^)ノ
 

ツイッターから拾っています。庶民弾圧の魔女狩り、問答無用の処分は大聖人の仏法では御本仏への反逆。なるほど、原田会長と谷川主任副会長は大聖人仏法の反逆者

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年10月24日(月)10時26分52秒
編集済
  ◆宗教的権威による庶民狩り、信徒狩りがあったならば、それはもはや仏法ではない。仏法破壊であり大謗法である

◆見逃してはならないことは、この魔女狩りと言う殺人システムは、支配階級内部の権力争いや矛盾から、人々の目をそらす働きをしたということである。

◆無力な信徒を問答無用に処分するような考え方や行為は、絶対に仏教ではない。いわんや、日蓮大聖人の仏法の世界では、大慈大悲の御本仏への反逆となろう
 

ツイッターから拾っています。言葉の裏にある心根にその人の主観が入る、なるほど。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年10月24日(月)10時13分58秒
  一つのツイートでも、多角的な捉え方があるんだなとよく思います…

それは読んだその人の心根が何を主観としてるかによるんだなと

利用されることは防げないですよね

ただ、染まらず愚直に謙虚に御書と指導を学び、縁する人の仏性を信じて学会を護っていきます^_^
 

返信

 投稿者:  投稿日:2016年10月24日(月)10時10分25秒
  新聞購読者として苦情を聖教本社に直接伝えれば良い話です。
無冠様の先生の御指導。私はその類を読みたいのです。柳チャンのコラム等、どうでもよい。
 

柳チャ~ン、煽るだけの駄文は自分の地位を落とすだけだと知ろうね~

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月24日(月)09時42分9秒
  おはよう柳チャン、久しぶりに出て来たら、事実の検証ではなく、感情的に煽るだけの文章では人の心も打てないし、三流週刊誌にも劣るよ~(笑)

柳チャンは「宿坊」板を叩けば叩くほど調子がいいのは何故だろうってつぶやいているじゃな~い(笑)

なのに最近話題が違う方向なので、どうしたのかな~? って思ってたんだよ。(笑)

もしかして、調子が悪くなったから「やっぱり宿坊板を叩こう」なんて決意しちゃったのかな~(笑)

それでね柳チャン、
>「宿坊」掲示板における常軌を逸した状態<
>自身の個人的事情から問題を起こし、好き勝手に飛び跳ねる連中<

なんら具体的事実無く、ただ煽るだけの駄文はもう止めたら~(笑)


おまけにね柳チャン、
>「波田地」「田口」という過去の脱会者や除名者から見ればかなりの小物に見られる人物<

この表現もどうかな~って思うんだよ。だって柳チャンはこの二人を取材してないじゃな~い。

「取材」も「調査」もせず、何を基準に小物扱いしてんの?

まあ、万が一柳チャンが個人的に思っているだけなら、なんでその小物を執拗に取り上げてるの?

かっこよく「城者、城を破る」「獅子身中の虫」とか言ってるけどさ~。(笑)

そこに、裏のクライアントの存在が浮き出ることを知らなきゃダメだよ~(笑)


柳チャン、小物ばかり取り上げずにさ~、「一流のジャーナリスト」なんだから、例えばアンギリーアをめぐる富士美術館問題とか

某社の自販機問題とか、もっと大物を扱えば「一流」の証明になるんじゃないかな~(笑)

ガンバレ、柳チャン、(笑)

(> <部分は10月24日コラム日記より引用)
 

皮肉に聞こえる心。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月24日(月)09時17分6秒
編集済
  カンピース様の指摘は、聖教新聞社員や体制側の方にとって痛いところを突いている。
だから皮肉に聞こえ、イライラする人もいるのでしょう。

少なくとも、2010年5月以前の聖教新聞と比較すれば、記事の内容が変わったと言わざるを得ない。
自分は2010年5月以前の聖教新聞と比較して、最近の聖教新聞は破邪顕正の「破邪」の熱が無くなったと感じます。

添付記事は一例です。
このような記事があるから、当時は安心して公明党の支援をできたのです。

今では公明党に意見すれば、査問となり処分です。
あきらかに、聖教新聞も創価学会も変わってしまいました。

あらゆる権力は必ず腐敗します。
権力の魔性と戦う破邪の一念を忘れた記事は、会員の心を動かす事はありません。

議員は必ず慢心すると、原田氏・秋谷氏が発言しているのです。
山口代表に意見して何が悪い!公明党を諫めて何が悪い!!
はっきりと、断言しておきます。

 

、さまは、聖教新聞社愛読者相談室のお方ですか?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月24日(月)08時05分29秒
編集済
  であれば、先般の後付けメッセージに関する解説を宜しくお願いします。違和感一杯でした(-_-)

今後も、このような本幹再放では、全く説明のなかった話が、聖教新聞紙面で展開されると、現場会員は混乱します。
『後から何でも有り?』と新聞報道の歪みを感じてしまいマス(-_-)
 

カンピース様

 投稿者:  投稿日:2016年10月24日(月)07時25分56秒
  皮肉しか投稿出来ないでしょうか?
改善は聖教本社に直接して下さい。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、どうして先生のメッセージを全文掲載しないのですか~?

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月24日(月)07時07分25秒
  おはようございます。原田怪鳥様、南開大学での池田思想国際学術シンポジウムの開催、誠におめでとうございま~す。

それにつけても、「名誉会長がメッセージ寄せる」とのことデスが、そのメッセージが掲載されないのは不思議ですね~(笑)

何はともあれ全文掲載しましょう。ヨロシクお願いしま~す。(笑)それともナニか都合が悪いことでも書いてあったんですか~?

原田怪鳥様は地域部首都圏大会に御参加されたそうですが、「原田怪鳥と共に」はいただけません。「出席」ぐらいにしておいてくださ~い(笑)

「使命の本舞台で友情の花を爛漫と咲かせよう」ってのは、年明け解散をにらんで、F取りの下準備ですか~?

ともあれ、師匠を宣揚するようでしていない、何ともおかしな政教珍聞でした~。(笑)
 

寝たきりオジサン様

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月24日(月)07時02分12秒
  おはようございます!


「大いなる希望」

原点です。


ありがとうございます!

きょうも自身の挑戦の一日。

師匠のお姿を脳裏に思い描いて!





 

今週のことば 2016年10月24日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年10月24日(月)06時33分12秒
  任用試験に挑む宝友へ
皆で真心のエールを!
仏法への入門は
幸福博士の大直道なり。
生命の最高峰へ共々に!
 

大いなる希望

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月24日(月)03時23分4秒
  大いなる希望
高らかな暁鐘
ニ十一世紀まであと三十年―――
その時 君たちは
人生の最も充実した年代になっている
僕はニ十一世紀を
すべて君たちに託したい
いや それは
人類 みなの心でもあろう
未来は
すべてが君たちのもの
―――それを決して忘れてはならない
広布の堂々たる歩みを思う時
昭和五十四年に
第七の鐘は ひとたび鳴り終わる
その時 君たちは
はつらつたる青年と育っていよう
次に新しい 七つの鐘を鳴らすのは
君たちしかない
そのために 勉強しよう
そのために 体を鍛えておこう
失敗もよし
苦しみも 悩みも 喜びも 希望も
すべて未来のための財産だ
どんなことがあっても
くじけてはならない
退いてはならない
蓮華は泥中より出でて花開く
栴檀も大地から生じていく
ほんとうの人材は
名もない庶民の
辛苦の青春のなかに
はぐくまれていくものだ
ああ
新しい かがやく鐘の音が聞こえてくる
君たちの
紅潮した顔 澄んだ瞳
自由奔放にふるまう姿
―――僕の胸には
ニ十一世紀の歌声がひびいてくる

大いなる希望
深き生命の絆
君たちのことを思えば
僕も さらに力強く
全生命をかけて道を拓き
舞台をつくっていかなくてはならない
君たちが
その大道を晴れがましく
胸をはって闊歩する日を
心から待っている
僕の心は
ただそれだけしかない
空には 鳥の飛ぶ道がある
海にも 魚の通る道がある
目には見えないが
重力の波は
大宇宙を貫いている
生命それ自体にも
目に見えず しかも
厳然と実在する法則があるのだ
諸君が進む大道は
たとえ誰人が見ずとも
未曾有の栄光の花道であることを
僕は確信したい
君たちよ
大木となれ
力と福運の葉を茂らせよ
勝利の花を爛漫と咲かせ
実を結べ
僕は 根っこになる
根は見えない
見えなくてもよいのだ
君たちよ
壮大な大殿堂をつくりゆけ
人類のために
未来のために
僕は喜んで その礎石となろう
君たちよ
新しい世紀の建設は
僕と君たちの共同事業だ
君たちは
必ず
僕の望みをかなえてくれるだろう
信頼のきずなをさらに深く
強く結んでいこうよ

大いなる希望
光り燦たる平和
いまなお
この地上には戦火が絶えない
民族と民族
国家と国家
思想と思想の対立は
深刻さを加えている
誰の責任でもない
みな 過去の
大人たちがもたらしたものだ
これからも いやまして
平和ヘの道はけわしいかもしれぬ
だが ひとたび
君たちが立った時には
時代の相は一変してしまう
君たちは
平和の旗手だ
逞しい担い手なのだ
世界の友だちと心を一つに
手を取りあって
どこまでも「平和」のニ字を
貫いていってくれたまえ
人間が 他の天体にまで
行ける時が来ているのに
ちっぽけな地球で
いがみ合う必要はないはずだ
人類は
みな友だちであり
兄弟でなくてはならない
全世界は
君たちが乱舞する庭なのだ
花園なのだ
大地も 大海も
ことごとく生命に満ちみち
一切をはぐくんでいく
慈愛にあふれている
そこに いったい
なんの境界線が必要か
この地球は
みんなのものだ
みんなで協力し 開発し
さらに栄えさせていかなくてはいけない
過去の悪夢を断ち切ろう
そして 心を開いて
燦たる平和の光を迎え入れよう
この時 この一瞬
刻々と
平和の殿堂が
富士のすそ野にそびえゆく
君たちの育つ姿にほほえみながら―――
そして 君たちの
その前途を祝福し たたえながら―――

(一九七〇・一・一)

池田大作全集Vol.39 p383~393

 

【保存用文証】「五月三日へ私の誓い」会長 秋谷栄之助

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月24日(月)03時17分1秒
  「五月三日へ私の誓い」会長 秋谷栄之助

創価学会は、牧口初代会長、戸田第2代会長、池田第3代会長が「永遠の指導者」である。
なかんずく、今や190カ国・地域に広がる世界広宣流布の偉業は、第三代池田先生の死身弘法、不惜身命の大闘争によって打ち立てられた。
「一閻浮提広宣流布」との日蓮大聖人の仏勅は、池田先生の御出現なくしては虚妄に帰したはずである。
仏法史上、どれほどの聖業か。
それだけに、今もって本当に申しわけなく、また情けなく、悔しくてならないのは、あの昭和54年4月24日の第三代会長御勇退である。
嫉妬に狂った坊主どもの暴圧があった。
それと結託した裏切り者どもの謀略があった。
だが、その虜と成り果て、魔に食い破られ、悔やんでも悔やみきれない事態を招いてしまったのは、すべて私ども執行部の罪である。
あの時の、全国、全世界の同志の叱責! 池田先生を求める悲痛な叫び!
いったい最高幹部たちは、何をしていたのか。
戸田先生の「第三代会長を守れば、広宣流布はできる」との遺言を忘れたのか!
私は、一言もなかった。
池田先生は泰然としておられた。
「いよいよ『世界』だ。本格的に世界広布の道を開こう」
私は、あまりにも大きく、深い先生の御境涯に、ただ頭を垂れるほかなかった。
すべて池田先生に拾っていただいた私である。
戸田先生の時代以来、一から十まで、池田先生に教えていただいた。
男子部長、青年部長にもさせていただいた。会長にまでさせていただいた。
全部、池田先生のご慈悲である。
先生だけが、御書の通りの大難を受けられ、学会を守ってくださった。
先生だけが、言語に絶する迫害の矢面に立ってくださった。
池田門下として会長職を25年もやらせていただきながら、果たして自分は、何ほどのことができたのか。
まことに、ふがいなく、申しわけない限りである。
いま「5・3」を前に、改めて誓う。二度と再び、あの敗北の弟子の姿であってはならない。
畜生のごとき忘恩の輩と断じて戦う。断固、打ち倒す。
それが池田先生に限りない御恩を受けた私の報恩の道である。

(2006年(平成18年)4月11日付 聖教新聞3面)

 

【保存用文証】聖教新聞から抜粋した54年問題の真実

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月24日(月)03時13分17秒
編集済
  新・人間革命に残すべき真実がここにある。
以下は、昭和54年4月当時の聖教新聞から抜粋した文証です。

辞任決議に賛成した原田稔氏・秋谷栄之助氏の名前がある事実。
この事実に対し、何も言い訳はできません。

更に秋谷氏は辞任決議に対し、平成18年4月11日の聖教新聞で、信心を「魔に食い破られた」と自身と当時の執行部の罪を認め謝罪しています。

たとえ会長であろうと、信心を魔に食い破られてしまう事実がここにある。
池田先生が指導されているように、会長であろうと特別な存在ではないからです。

この事実を後世に伝えなければならない。

創価学会は池田先生が永遠の基準です。
それが出来てこそ、三代の師匠を永遠の師匠と定める事ができます。

会長を始め最高幹部が、池田先生の指導通りに指揮をとるなら問題はありません。
しかし、池田先生の指導と違う発言やふるまいをするなら、それは会員が見抜き、厳しく諫めなければいけません。
信心を魔に食い破られた会長を信用したために、会員が弟子の道を誤り、信心を狂わせ、正しい人生を歩めなくなるからです。
三代の正しい軌道に戻すのは、目覚めた弟子の使命です。

~~~~~~~~~~~~

【池田先生(第三代会長)を辞任させた事実】

①全総務の総意で名誉会長になっていただきました。
②北条会長は、池田前会長に名誉会長就任を要請したい旨提案し、全員一致で賛成。
③会則の定めるところに従って、秋谷 栄之助、和泉覚、辻武寿、青木亨、山崎尚見、上田雅一、柳原延行、和田栄一、原田稔を副会長として任命
④参詣したのは会長のほか、森田一哉理事長、和泉覚総務会議長、秋谷栄之助中央会議議長、辻武寿師範会議議長、小泉隆参事会議長、青木亨監正審査委員、中西治雄中央審査員長、それに山﨑尚見本部事務総長の各メンバー。


【54年問題(第一次宗門問題)の文証】

■聖教新聞1979-04-26掲載(昭和54年4月26日1面)「北条新会長の話」より
「また池田先生には、昨日の総務会で、全総務の総意で名誉会長になっていただきました。(拍手)」

■聖教新聞1979-04-25掲載(昭和54年4月25日)「総務会」より
さらに北条新会長は、会則の定めるところに従って、秋谷 栄之助、和泉覚、辻武寿、青木亨、山崎尚見、上田雅一、柳原延行、和田栄一、原田稔を副会長として任命した。
また、会務の執行に関する決定機関である中央会議の議長として秋谷副会長、教義研さんの機関である師範会議の議長として辻副会長、さらに中央会議員五十二人、常任中央会議員十五人の任命が発表され総務会としてもこれを了承した。
最後に北条会長は、池田前会長に名誉会長就任を要請したい旨提案し、全員一致で賛成。
これによって、創価学会は、盤石の体制と重厚な人事、そして新生の息吹をもって、二十一世紀への新たな前進を開始することとなり、記念すべき第一回臨時総務会は、午後四時、閉会した。

■聖教新聞1979-04-29掲載(昭和54年4月29日)「日達上人猊下にお目通り」より
北条浩新会長をはじめとする新体制なった学会の最高幹部は、二十八日、総本山大石寺に参詣した。
就任後初の登山となるこの日、参詣したのは会長のほか、森田一哉理事長、和泉覚総務会議長、秋谷栄之助中央会議議長、辻武寿師範会議議長、小泉隆参事会議長、青木亨監正審査委員、中西治雄中央審査員長、それに山﨑尚見本部事務総長の各メンバー。

【秋谷氏が自ら、辞任決議を謝罪した文証】

■聖教新聞2006-4-11日掲載(平成18年4月11日3面)
「五月三日へ私の誓い」会長 秋谷栄之助

今もって本当に申しわけなく、また情けなく、悔しくてならないのは、あの昭和54年4月24日の第三代会長御勇退である。
嫉妬に狂った坊主どもの暴圧があった。
それと結託した裏切り者どもの謀略があった。
だが、その虜と成り果て、魔に食い破られ、悔やんでも悔やみきれない事態を招いてしまったのは、すべて私ども執行部の罪である。
(全文)http://6027.teacup.com/situation/bbs/58665

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■【54年問題の事実】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/15185
http://6027.teacup.com/situation/bbs/15186
http://6027.teacup.com/situation/bbs/15187
http://6027.teacup.com/situation/bbs/15188

■4・24を前に【正義の揮毫】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43124

■4・24を前に【共戦の揮毫】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/42675

■【2006年11月22日全国合同協議会】
(全文)http://6027.teacup.com/situation/bbs/29864

・もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない。
異体同心の革命児の弟子たちが、猛然と戦い抜いて、三代の正しい軌道へと戻していくのだ。

・幹部が役職を笠に着て、威張る。大変なことは人にやらせて、自分は楽をする。そんな権威主義の学会になってしまったら、大変だ。一生懸命に戦ってくださる学会員に申し訳がない。
たとえ、会長であっても、特別な存在ではないのだ。
民衆の真っただ中で広布に戦う人が一番偉い。
広布のため、同志のため、だれよりも真剣に祈り、戦う人が会長なのである。
その意味で、全員が会長の自覚で進んでいけばいい。

・そして、広宣流布の敵とは、外だけにいるのではない。
いかなる組織も、大きくなり、根幹の精神を忘れると、いつしか、冷たい官僚主義、事なかれ主義がはびこっていく。要領よく、戦っている格好だけ見せる。派閥をつくって気に入らない人間をいじめる。陰でこそこそ悪事を働く ―― そういう人間が、のさばりだすものである。
少しでもこうした兆候があれば、それは、広布を破壊する魔の働きであると、鋭く見破っていかなければならない。幹部になるほど、十分に戒めていくべきである。


 

輪転機貸して

 投稿者:窮状辞任させられた元?長  投稿日:2016年10月24日(月)01時52分30秒
  信濃町の人々様から
我が家のコピー機が悲鳴をあびています。
 

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