1: 日本@名無史さん 2016/06/13(月) 05:19:29.35
戦国時代という現在のソマリアのごとき
群雄割拠状態による戦乱時代を防ぐにはどうすればよかったのか
群雄割拠状態による戦乱時代を防ぐにはどうすればよかったのか
2: 日本@名無史さん 2016/06/13(月) 11:26:47.35
応仁の乱が早期決着の場合
・応仁の乱で西軍が勝ち西陣南帝が王政復古の大号令。
応仁の乱が史実通りの場合
・細川政元が子沢山で、足利幕府から半将軍細川幕府にマイナーチェンジ
細川政権も史実通り混乱の場合
・天文法華一揆で大軍を擁した比叡山が、朝倉などの周辺大名を従え叡王政権。
細川・三好政権より強靭なので戦国時代とならない
・応仁の乱で西軍が勝ち西陣南帝が王政復古の大号令。
応仁の乱が史実通りの場合
・細川政元が子沢山で、足利幕府から半将軍細川幕府にマイナーチェンジ
細川政権も史実通り混乱の場合
・天文法華一揆で大軍を擁した比叡山が、朝倉などの周辺大名を従え叡王政権。
細川・三好政権より強靭なので戦国時代とならない
16: 日本@名無史さん 2016/06/16(木) 00:47:59.58
>>2
応仁の乱より前にとっくに戦国時代やっちゃってる関東の情勢が考慮されてない
やりなおし
てか南北朝から検証しないと駄目なんじゃない?
応仁の乱より前にとっくに戦国時代やっちゃってる関東の情勢が考慮されてない
やりなおし
てか南北朝から検証しないと駄目なんじゃない?
3: 日本@名無史さん 2016/06/13(月) 15:30:18.95
足利の世継ぎにこだわらないこと
将軍の性質は連合体の長みたいなもんだったから
三管四職ではないが色々な大名家で回せば良かった
将軍の性質は連合体の長みたいなもんだったから
三管四職ではないが色々な大名家で回せば良かった
7: 日本@名無史さん 2016/06/13(月) 21:42:33.08
義教暗殺を防ぐ
14: 日本@名無史さん 2016/06/15(水) 09:34:10.36
いわゆる戦国時代は足利義稙と細川政元の争いに始まるけど
政元の孫にあたる細川晴元、コイツが一番ダメ
一向一揆というパンドラの箱を開けたもんだから三好長慶のような怪物が飛び出して来て
松永久秀みたいなのが跳梁跋扈する魑魅魍魎の世界に突入した
政元の孫にあたる細川晴元、コイツが一番ダメ
一向一揆というパンドラの箱を開けたもんだから三好長慶のような怪物が飛び出して来て
松永久秀みたいなのが跳梁跋扈する魑魅魍魎の世界に突入した
19: 日本@名無史さん 2016/06/17(金) 11:44:06.26
足利幕府が大名の寄せ集まりで将軍の力が弱い
遅かれ早かれ戦国時代にはなった
歴史の必然だな。
遅かれ早かれ戦国時代にはなった
歴史の必然だな。
22: 日本@名無史さん 2016/06/17(金) 21:44:41.12
朝廷の支配が緩んだ流れで鎌倉幕府があり
鎌倉幕府がの支配が緩んだ流れで室町幕府があり
室町幕府の支配が緩い流れで戦国時代がある
この流れを止めるのは容易じゃない
鎌倉幕府がの支配が緩んだ流れで室町幕府があり
室町幕府の支配が緩い流れで戦国時代がある
この流れを止めるのは容易じゃない
23: 日本@名無史さん 2016/06/17(金) 22:55:49.78
室町幕府の支配が強い時期ってあったか?
25: 日本@名無史さん 2016/06/18(土) 07:10:16.28
守護大名の権力の源泉は守護本来の軍事警察権と合わせて下地進止権と上分知行からなる一円知行である
守護領国制では全国各地に事実上のミニ幕府を誕生させる結果となった
守護領国制を確立させた応安の半済令は足利義満が幼少の頃、管領細川頼之によって発布され、明徳の乱の遠因ともなった
室町将軍は足利義満の後半生以降、このミニ幕府化した守護大名の統制に費やされたと言っても過言ではない
守護領国制では全国各地に事実上のミニ幕府を誕生させる結果となった
守護領国制を確立させた応安の半済令は足利義満が幼少の頃、管領細川頼之によって発布され、明徳の乱の遠因ともなった
室町将軍は足利義満の後半生以降、このミニ幕府化した守護大名の統制に費やされたと言っても過言ではない
26: 日本@名無史さん 2016/06/18(土) 08:50:42.86
惣領制の変質と守護大名の既得権益拡大は守護大名家の家督相続争いの熾烈化を招き
庶家が宗家を簒奪し、家臣が主家を下克上する風潮の火種となったと言える
その火種を掻き回して煽ったのが室町将軍本人であったことは何という皮肉であろうことか
庶家が宗家を簒奪し、家臣が主家を下克上する風潮の火種となったと言える
その火種を掻き回して煽ったのが室町将軍本人であったことは何という皮肉であろうことか
31: 日本@名無史さん 2016/06/19(日) 19:56:09.92
南北朝統一時点で義満が幕府を鎌倉に移していればあるいは
35: 日本@名無史さん 2016/06/20(月) 09:26:26.11
大内義興が上洛の褒美にもらった堺を寺社に返上せずに
信長と同じことしてたら60年早く戦国終わってた
信長と同じことしてたら60年早く戦国終わってた
47: 日本@名無史さん 2016/07/05(火) 22:35:25.92
みんなが大内義興にひれ伏して
大内幕府が開かれれば
戦乱の時代はそれで終わった
大内幕府が開かれれば
戦乱の時代はそれで終わった
49: 日本@名無史さん 2016/07/06(水) 18:06:42.19
>>47
尼子経久がひれ伏さない。
尼子経久がひれ伏さない。
48: 日本@名無史さん 2016/07/06(水) 05:58:26.31
内藤湖南の言説に従えば、応仁文明乱を境にしてこの国の様相が変わった訳なんで
スレタイの答えは南北朝の趨勢に懸かっていたことは明白
正平一統をひっくり返した黒幕は二条良基
スレタイの答えは南北朝の趨勢に懸かっていたことは明白
正平一統をひっくり返した黒幕は二条良基
51: 日本@名無史さん 2016/07/06(水) 21:23:36.30
王朝国家は摂関家のアダ花である二条良基によって自滅
孫の満済は魔王将軍足利義教を誕生させた
孫の満済は魔王将軍足利義教を誕生させた
52: 日本@名無史さん 2016/07/08(金) 18:21:14.18
足利義教は結局のところ改革が挫折して恐怖政治に走っただけ
しかも恐怖と言われるほど残酷なことは一切していない
ただ掲げた理想は時代を考えればこの上なく素晴らしかった
しかも恐怖と言われるほど残酷なことは一切していない
ただ掲げた理想は時代を考えればこの上なく素晴らしかった
56: 日本@名無史さん 2016/07/17(日) 17:59:23.72
建武の新政が成功していれば
57: 日本@名無史さん 2016/07/17(日) 22:29:08.70
建武の新政が成功していたとしたら、それは朝廷が常備戦力を持った事を意味する。
後醍醐天皇が失敗したのは、あくまで軍事力は汚れだから嫌がったってからだ。
しかし成功したということは恐らく、護良親王が即位なり何なりして朝廷を一新したのだろう。
そして日本は奈良時代の頃のものに先祖返りする訳だが、これまた余った大量の兵士の対策に苦慮することだろう。
そして大陸へ活路を、なんてこともあるかもしれない。
ひょっとしたら英仏百年戦争ならぬ日明百年戦争になるかもな。
後醍醐天皇が失敗したのは、あくまで軍事力は汚れだから嫌がったってからだ。
しかし成功したということは恐らく、護良親王が即位なり何なりして朝廷を一新したのだろう。
そして日本は奈良時代の頃のものに先祖返りする訳だが、これまた余った大量の兵士の対策に苦慮することだろう。
そして大陸へ活路を、なんてこともあるかもしれない。
ひょっとしたら英仏百年戦争ならぬ日明百年戦争になるかもな。
58: 日本@名無史さん 2016/07/17(日) 22:35:00.60
余った大量の兵士なんて当時は農民だからね。
また農地を耕す生活に戻るだけでしょう。
また農地を耕す生活に戻るだけでしょう。
60: 日本@名無史さん 2016/07/18(月) 01:16:48.23
北海道や樺太に行って
寒さに強い雑穀を大量生産する生活が待っているわけだ
寒さに強い雑穀を大量生産する生活が待っているわけだ
61: 日本@名無史さん 2016/07/18(月) 01:27:14.35
日野富子が親バカじゃなく
京で戦争が起こらなくても
いずれは各地で力付けた大名達が畿内の命令を聞かなくなって
戦国時代になってたのかねえ
京で戦争が起こらなくても
いずれは各地で力付けた大名達が畿内の命令を聞かなくなって
戦国時代になってたのかねえ
66: 日本@名無史さん 2016/07/18(月) 20:00:06.47
つうか大名を取り潰すたびに他の大名にばらまくようなアホなことやらずに
秦が潰した国に県を置いたみたいにしろよ
秦が潰した国に県を置いたみたいにしろよ
77: 日本@名無史さん 2016/07/20(水) 04:47:54.80
>>66
四代将軍義持が赤松氏討伐を試みた際に播磨国を御料国
にしようとしたが結局赤松氏討伐自体が諸大名の支持を得られず中止
四代将軍義持が赤松氏討伐を試みた際に播磨国を御料国
にしようとしたが結局赤松氏討伐自体が諸大名の支持を得られず中止
72: 日本@名無史さん 2016/07/19(火) 21:00:54.79
尊氏の優柔不断すぎるところからやり直すべき
マジレスすると朝倉を守護と認めたところから。
マジレスすると朝倉を守護と認めたところから。
75: 日本@名無史さん 2016/07/20(水) 02:16:48.65
>>72
優柔不断じゃない
決断がことごとく空振りになってるだけだ
優柔不断じゃない
決断がことごとく空振りになってるだけだ
81: 日本@名無史さん 2016/07/20(水) 11:43:56.33
足利幕府の各階層では血縁、婚姻関係でがんじがらめだね
御一家、御一門衆と相伴衆との間の壁
相伴衆、国持衆と外様衆以下との壁
中でも御供衆、申次衆と奉公衆との間の壁は越えられない
御一家、御一門衆と相伴衆との間の壁
相伴衆、国持衆と外様衆以下との壁
中でも御供衆、申次衆と奉公衆との間の壁は越えられない
96: 日本@名無史さん 2016/07/22(金) 23:58:22.33
>>81
しかし応仁の乱以降、公卿クラスの公家の知行地への下向や有力守護大名・守護代への寄生、降嫁で
身分秩序は徐々に崩壊する
しかし応仁の乱以降、公卿クラスの公家の知行地への下向や有力守護大名・守護代への寄生、降嫁で
身分秩序は徐々に崩壊する
82: 日本@名無史さん 2016/07/20(水) 12:01:27.20
武家の有職故実、礼儀作法は室町時代中期に完成している
それを打破する下克上ってとんでもなく凄いことだったんだな
赤松氏の一刺しで瓦解が始まった(義教暗殺だけでなく後南朝の息の根も止めた)
それを打破する下克上ってとんでもなく凄いことだったんだな
赤松氏の一刺しで瓦解が始まった(義教暗殺だけでなく後南朝の息の根も止めた)
86: 日本@名無史さん 2016/07/22(金) 01:20:46.94
武士というのは際限なく所領拡大の欲望を持ち続ける人種だから、戦国時代の到来は
不可避だったろう。武士の業、宿屙だな。
もし、回避できるとしたら足利義教の頑張り次第かな。あそこで強大な中央集権体制が気づくことが出来れば
戦国の到来を幾分かは遅らせられただろう。しかし これも一時的で、誰かも書いているが
守護領国制そのものに戦国化に至る構造的欠陥があるからねえ。
映画「タイムマシン」で 主人公が過去に遡って恋人の事故死を防ごうとするのだが、
結局 別の原因で恋人は死ぬ。何回やってもそれぞれ違う理由で恋人が死ぬ。
それと同じで戦国時代はどんなIFやっても不可避な希ガス。
不可避だったろう。武士の業、宿屙だな。
もし、回避できるとしたら足利義教の頑張り次第かな。あそこで強大な中央集権体制が気づくことが出来れば
戦国の到来を幾分かは遅らせられただろう。しかし これも一時的で、誰かも書いているが
守護領国制そのものに戦国化に至る構造的欠陥があるからねえ。
映画「タイムマシン」で 主人公が過去に遡って恋人の事故死を防ごうとするのだが、
結局 別の原因で恋人は死ぬ。何回やってもそれぞれ違う理由で恋人が死ぬ。
それと同じで戦国時代はどんなIFやっても不可避な希ガス。
87: 日本@名無史さん 2016/07/22(金) 01:33:12.45
連投するぜい。
他スレで「清盛が頼朝・義経をガキの頃に処分していたらどうなっていたか」というのが
あって、ひとつ成程と同意したレスがあった。平氏の都落ち後、群雄割拠状態になり、
鎌倉室町を経ずに戦国が来る、というものだった。
おれもちょいと書き込んだが、木曽義仲の京都幕府が形式的に存在し朝廷も京都幕府もグリップが効かないカオスが
到来すると考えてみた。先の>>86と併せ考えると、
もしも頼朝が居なければ戦国時代は300年早く到来し、もしも足利義教が10数年長生きして
日野富子ももっと早くに男子を儲けていたら、戦国は50年遅かったかもしれない。
まあ、どっちにしろ戦国は来るわけだ。それが中世社会の本質なのではないか?
他スレで「清盛が頼朝・義経をガキの頃に処分していたらどうなっていたか」というのが
あって、ひとつ成程と同意したレスがあった。平氏の都落ち後、群雄割拠状態になり、
鎌倉室町を経ずに戦国が来る、というものだった。
おれもちょいと書き込んだが、木曽義仲の京都幕府が形式的に存在し朝廷も京都幕府もグリップが効かないカオスが
到来すると考えてみた。先の>>86と併せ考えると、
もしも頼朝が居なければ戦国時代は300年早く到来し、もしも足利義教が10数年長生きして
日野富子ももっと早くに男子を儲けていたら、戦国は50年遅かったかもしれない。
まあ、どっちにしろ戦国は来るわけだ。それが中世社会の本質なのではないか?
90: 日本@名無史さん 2016/07/22(金) 10:24:11.17
足利義教は治世前半はいいとして後期は人間不信に陥って躁鬱病状態とも言われているのだが
あんなのが長く続いてたら逆に戦国時代が早まったんじゃないか
あんなのが長く続いてたら逆に戦国時代が早まったんじゃないか
92: 日本@名無史さん 2016/07/22(金) 15:30:05.79
足利義満、あるいは義教あたりが後醍醐天皇の路線を徹底させて、
通貨の発行をして、できれば紙幣まで発行して、銭の経済に移行して、
海外貿易を行って、火薬兵器まで導入して、徹底的な中央集権国家
に移行すれば
通貨の発行をして、できれば紙幣まで発行して、銭の経済に移行して、
海外貿易を行って、火薬兵器まで導入して、徹底的な中央集権国家
に移行すれば
94: 日本@名無史さん 2016/07/22(金) 22:31:13.79
結局尊氏の政策のヘマがのちまで祟ってるわけだ。
なら、尊氏ではなく直義や新田義貞に天下を取らせればいいんじゃないか?
義貞は性格的に京都ではなく鎌倉に幕府を開きそうだし、幕府の政策も基本的に前政権の中央集権的な物を引き継ぐだろう。
直義も守護に気前よく領地や権限を渡すなんて事はしなそうだしな。
なら、尊氏ではなく直義や新田義貞に天下を取らせればいいんじゃないか?
義貞は性格的に京都ではなく鎌倉に幕府を開きそうだし、幕府の政策も基本的に前政権の中央集権的な物を引き継ぐだろう。
直義も守護に気前よく領地や権限を渡すなんて事はしなそうだしな。
95: 日本@名無史さん 2016/07/22(金) 23:00:40.72
直義や義貞では南北朝の内乱を収拾することができない。
結局戦国へ。
結局戦国へ。
105: 日本@名無史さん 2016/07/24(日) 08:42:44.58
信長なら郡県制を断行しそうだ。 恩賞に土地ではなく茶器をくれてやるという発想が凄い。
秀吉は天正大判を作ったが、恩賞が物品・貨幣が当たり前という社会までなれば、大名の改組は
可能かもしれない。室町中期は経済がかなり発展しているが兵農が未分離で国人の被官化が
まだまだ弱いこの時期では無理な相談だったろう。
織田信長と千利休と呂宋助左衛門を3つ足した豪傑が現れて初めて可能な「革命」だろう・
秀吉は天正大判を作ったが、恩賞が物品・貨幣が当たり前という社会までなれば、大名の改組は
可能かもしれない。室町中期は経済がかなり発展しているが兵農が未分離で国人の被官化が
まだまだ弱いこの時期では無理な相談だったろう。
織田信長と千利休と呂宋助左衛門を3つ足した豪傑が現れて初めて可能な「革命」だろう・
107: 日本@名無史さん 2016/07/24(日) 09:58:26.56
問題は大名身分でなくて世襲でしょ
家臣団が行政組織でなくて家政組織だったことが大問題
だから後醍醐天皇の建武の新政がとても重要な意味があったわけだ
家臣団が行政組織でなくて家政組織だったことが大問題
だから後醍醐天皇の建武の新政がとても重要な意味があったわけだ
127: 日本@名無史さん 2016/07/25(月) 19:19:16.29
建武の新政を破綻させた元凶は阿野廉子
建武の新政が成功していたならば戦国時代は到来することがなかった
後醍醐天皇の寵愛を受けた阿野廉子は元々、中宮西園寺禧子の上臈であった
いわば略奪愛である
西園寺家はかつて関東申次であり北条家とは昵懇であったため中先代の乱では足元をすくわれることになる
そして中先代の乱は足利兄弟に上手に利用されてしまう
建武の新政が成功していたならば戦国時代は到来することがなかった
後醍醐天皇の寵愛を受けた阿野廉子は元々、中宮西園寺禧子の上臈であった
いわば略奪愛である
西園寺家はかつて関東申次であり北条家とは昵懇であったため中先代の乱では足元をすくわれることになる
そして中先代の乱は足利兄弟に上手に利用されてしまう
131: 日本@名無史さん 2016/07/26(火) 05:43:03.60
戦国時代に至る日本の中世の萌芽時期を求める場合
政治史的には院政期(戸田芳実)
経済史的には延喜の治後(福田徳三)
政治史的には院政期(戸田芳実)
経済史的には延喜の治後(福田徳三)
135: 日本@名無史さん 2016/07/26(火) 19:34:53.89
>>131
経済史が政治史に先行する法則に従えば
経済史的に戦国時代開始は、貸し上げ・土倉が急成長し悪党が台頭して徳政令が出された鎌倉末期だろうね
経済史が政治史に先行する法則に従えば
経済史的に戦国時代開始は、貸し上げ・土倉が急成長し悪党が台頭して徳政令が出された鎌倉末期だろうね
210: 日本@名無史さん 2016/07/31(日) 21:46:59.80
昔太平洋戦争はどうしたら防げたかって問題で
現代人が戦前にタイムスリップして見事に大戦を回避して
そこまではいいんだけどその後どうするか分からなくて結局戦争に突入してしまうオチの
漫画があったような記憶が・・・
戦国も同じだろ
結局どうやっても混乱は訪れる
現代人が戦前にタイムスリップして見事に大戦を回避して
そこまではいいんだけどその後どうするか分からなくて結局戦争に突入してしまうオチの
漫画があったような記憶が・・・
戦国も同じだろ
結局どうやっても混乱は訪れる
212: 日本@名無史さん 2016/07/31(日) 22:15:49.81
一つの問題として、嫡子相続が確立したあとの跡目争い
一つの問題として支配者側の権力基盤から生じる、権力基盤内の争い及び権力の限界
結局これを上手く処理できず破滅的に失敗すると秩序が崩壊する
一つの問題として支配者側の権力基盤から生じる、権力基盤内の争い及び権力の限界
結局これを上手く処理できず破滅的に失敗すると秩序が崩壊する
218: 日本@名無史さん 2016/08/01(月) 17:27:30.37
主語領国制の源泉は半斉法と段銭である
段銭のルーツは後白河天皇が制度として確立した一国平均役である
後白河天皇は後鳥羽法皇と美福門院の遺領である広大な八条院領に手を付けられなかったので
院の財源として一国平均役の院宣を出したのである
だからの300年前の後白河が居なければ戦国時代の到来を防げたかもしれない
段銭のルーツは後白河天皇が制度として確立した一国平均役である
後白河天皇は後鳥羽法皇と美福門院の遺領である広大な八条院領に手を付けられなかったので
院の財源として一国平均役の院宣を出したのである
だからの300年前の後白河が居なければ戦国時代の到来を防げたかもしれない
250: 日本@名無史さん 2016/08/03(水) 21:09:59.65
戦国時代を終わらせた秀吉の論理は、王朝国家の復活なんだよな。
まずは天皇の権威を高めて、日本は天皇が治める国であるとの
論理を打ち出してから、全ての揉め事は天皇から関白に任命された
秀吉が解決するとの建前で、戦国の世を終結させたのだよな。
頼朝にしろ、足利尊氏にしろ、徳川家康にしろ、それなりに天皇を
尊重または意識して天皇の代行者として統治したのだよな。
ちなみに明治維新も、幕府ではこの国難に対処できないのは
明白であるから、ひとまず天皇に天下をお返しして、その上で国民国家を
樹立する党流れで混乱を収めたし、大東亜戦争の終戦のときも、
陛下の御聖断で、アメリカに降伏した上で、改めて天皇の名の
元に国家再建を図ったとの建前なんだよな。
戦国の到来を防ぐにはまず天皇の権威を持ち上げることから
始めないと駄目だよな。
まずは天皇の権威を高めて、日本は天皇が治める国であるとの
論理を打ち出してから、全ての揉め事は天皇から関白に任命された
秀吉が解決するとの建前で、戦国の世を終結させたのだよな。
頼朝にしろ、足利尊氏にしろ、徳川家康にしろ、それなりに天皇を
尊重または意識して天皇の代行者として統治したのだよな。
ちなみに明治維新も、幕府ではこの国難に対処できないのは
明白であるから、ひとまず天皇に天下をお返しして、その上で国民国家を
樹立する党流れで混乱を収めたし、大東亜戦争の終戦のときも、
陛下の御聖断で、アメリカに降伏した上で、改めて天皇の名の
元に国家再建を図ったとの建前なんだよな。
戦国の到来を防ぐにはまず天皇の権威を持ち上げることから
始めないと駄目だよな。
260: 日本@名無史さん 2016/08/15(月) 08:29:14.50
室町幕府が通貨発行権を確立すべきだったねぇ
どうして室町幕府は通貨発行権を確立できなかったのかねぇ
いや鎌倉北条氏でもいいや。
通貨発行権を確立さえしていれば、土地を巡っての争いを
かなりのところ抑制できたのに。
なぜか日本の武家は、信玄のころまでは経済政策と言うのを
まったく考えていないのだよな。
どうして室町幕府は通貨発行権を確立できなかったのかねぇ
いや鎌倉北条氏でもいいや。
通貨発行権を確立さえしていれば、土地を巡っての争いを
かなりのところ抑制できたのに。
なぜか日本の武家は、信玄のころまでは経済政策と言うのを
まったく考えていないのだよな。
265: 日本@名無史さん 2016/08/15(月) 10:53:35.80
鎌倉・室町幕府が貨幣を発行出来なかったのは朝廷の権威を差し置いて独断でやることが出来なかったということなのかなあ
268: 日本@名無史さん 2016/08/15(月) 17:51:25.93
>>265
鎌倉幕府の場合は、土地争いの調停だけが仕事だと
思い込んでいたのではないかねぇ。
鎌倉北条氏は割りと名君が多いのに、貨幣を発行しようとの
感覚は持っていなかったくらいだからな。
少なくとも銅山を押さえて、開発するくらいの力はあっただろうに、
後醍醐天皇は貨幣の発行どころか、紙幣の発行まで検討していたようだけど
室町幕府はやろうと思ってもできなかったのではないかなぁ
鎌倉幕府の場合は、土地争いの調停だけが仕事だと
思い込んでいたのではないかねぇ。
鎌倉北条氏は割りと名君が多いのに、貨幣を発行しようとの
感覚は持っていなかったくらいだからな。
少なくとも銅山を押さえて、開発するくらいの力はあっただろうに、
後醍醐天皇は貨幣の発行どころか、紙幣の発行まで検討していたようだけど
室町幕府はやろうと思ってもできなかったのではないかなぁ
269: 日本@名無史さん 2016/08/15(月) 17:58:00.08
鎌倉幕府の北条は土地持ってるし権力基盤強そうだな。
全国の守護、地頭の統制が効いていたイメージ。
室町幕府は、強力な守護大名たちのパワーバランスの上に成り立っていて不安定なイメージがある。
全国の守護、地頭の統制が効いていたイメージ。
室町幕府は、強力な守護大名たちのパワーバランスの上に成り立っていて不安定なイメージがある。
271: 日本@名無史さん 2016/08/15(月) 21:17:20.87
どうして武家は通貨を把握しようと考えなかったのだろうな?
信長、秀吉、家康のころまで通貨の発行を考えた形跡がないからな。
武家でも貨幣経済の波に飲み込まれて、それなりに通貨のことを
考えるやつはいただろうに。
信長、秀吉、家康のころまで通貨の発行を考えた形跡がないからな。
武家でも貨幣経済の波に飲み込まれて、それなりに通貨のことを
考えるやつはいただろうに。
270: 日本@名無史さん 2016/08/15(月) 20:43:29.42
ちなみにかの後醍醐天皇は通貨を掌握し発行しようとしてたよ
273: 日本@名無史さん 2016/08/16(火) 00:37:57.66
後醍醐のおっさんのイメージは銭がないならたくさん作ればいいじゃない
的な怖さがあるんだよな
的な怖さがあるんだよな
274: 日本@名無史さん 2016/08/16(火) 00:40:42.41
>>273
それはそれで、そういう世の中を見てみたかったなww
間違いなく経済学は発達していたと思うぞ。
それはそれで、そういう世の中を見てみたかったなww
間違いなく経済学は発達していたと思うぞ。
281: 日本@名無史さん 2016/08/22(月) 03:38:15.88
指導力のある将軍が出ないようみんなで努力してたからな
282: 日本@名無史さん 2016/08/22(月) 09:09:52.49
>>281
徳川幕府でも、権力の分散にこだわって、
例えば奉行所一つにしても、北町奉行、南町奉行といちいち分割しては
相互にチェックさせていたけど、
徳川幕府は結構まとめていたけど、室町はどうしてあそこまでグダグダに
なったのだろうな。
徳川幕府でも、権力の分散にこだわって、
例えば奉行所一つにしても、北町奉行、南町奉行といちいち分割しては
相互にチェックさせていたけど、
徳川幕府は結構まとめていたけど、室町はどうしてあそこまでグダグダに
なったのだろうな。
283: 日本@名無史さん 2016/08/22(月) 10:12:47.32
尊氏が気前よく武将に領地をあげまくったから。
後、守護の世襲化や年貢の中抜きを認めたのも大きい。
この南北朝時代に、始めて現代で言う“大名”が成立した。
それ以前の守護は単なる代官だ。
後、守護の世襲化や年貢の中抜きを認めたのも大きい。
この南北朝時代に、始めて現代で言う“大名”が成立した。
それ以前の守護は単なる代官だ。
286: 日本@名無史さん 2016/08/22(月) 19:18:38.00
クッソつまらんifではあるが、
「直義の意見を採用して、足利幕府本庁を鎌倉に置いた」としたら、
室町戦国の政治的様相は、全く異なるものになっていただろうな。
幕府本庁が鎌倉に置かれて「第二鎌倉幕府」となり、
坂東を中心に、足利将軍本人との間の主従関係を結び直すことで、東国政権としての基盤を固める。
史実は鎌倉公方の求心力不足が坂東に早々にカオス化をもたらすが、幕府本体が鎌倉なら全く事情は違うだろう。
西日本については、「室町探題」でも置いて、朝廷と西国守護を牽制するだけで深入りしない。
室町幕府の失敗は、畿内西国の商業の上がりに、軸足を置きすぎたことではないだろうか。
室町第を引っ掻き回す守護勢力は、よくみればみんな尾張国から西(承久の乱の上皇方地域)に実質的な地盤を持つ西日本勢だ。
ある意味、室町幕府は「その経済的先進性により、屋台骨を壊された」ように見える。これは江戸幕府と対照的だ。
このifでも、結局のところは、経済力を身につけた西国勢力が引っ掻き回して騒乱の時代が起きる可能性は高いが、
東国政権としての足利幕府本体は、実質的な統治機構を維持してぎりぎりまで粘れたような気がする。
「直義の意見を採用して、足利幕府本庁を鎌倉に置いた」としたら、
室町戦国の政治的様相は、全く異なるものになっていただろうな。
幕府本庁が鎌倉に置かれて「第二鎌倉幕府」となり、
坂東を中心に、足利将軍本人との間の主従関係を結び直すことで、東国政権としての基盤を固める。
史実は鎌倉公方の求心力不足が坂東に早々にカオス化をもたらすが、幕府本体が鎌倉なら全く事情は違うだろう。
西日本については、「室町探題」でも置いて、朝廷と西国守護を牽制するだけで深入りしない。
室町幕府の失敗は、畿内西国の商業の上がりに、軸足を置きすぎたことではないだろうか。
室町第を引っ掻き回す守護勢力は、よくみればみんな尾張国から西(承久の乱の上皇方地域)に実質的な地盤を持つ西日本勢だ。
ある意味、室町幕府は「その経済的先進性により、屋台骨を壊された」ように見える。これは江戸幕府と対照的だ。
このifでも、結局のところは、経済力を身につけた西国勢力が引っ掻き回して騒乱の時代が起きる可能性は高いが、
東国政権としての足利幕府本体は、実質的な統治機構を維持してぎりぎりまで粘れたような気がする。
288: 日本@名無史さん 2016/08/22(月) 20:40:54.15
>>286
いや、面白いアイデアだ。気に入った。簡単に言うと 寿永の宣旨以前の東国独立路線の焼き直しだ。
「もう西国はウザいから関わりたくない。棲み分けしようぜ。」という選択肢は当然有り得る。
単純に足利家の永続を考えたなら その方が良かったかもしれない。検討に値するプランではある。
しかし、この「プランB」は採用されなかった。西国を切り捨てられなかったんだろうねえ。
足利一門も西国に多くの所領を得てしまっているし、「西国は吉野朝、東国は足利氏」という
日本分割論は結局は一時的な休戦条約であって、長続きしそうもないことは明らかだ。
だから幕府を鎌倉に移転などとはできない話だし、直義も大局観に欠けている。
いや、面白いアイデアだ。気に入った。簡単に言うと 寿永の宣旨以前の東国独立路線の焼き直しだ。
「もう西国はウザいから関わりたくない。棲み分けしようぜ。」という選択肢は当然有り得る。
単純に足利家の永続を考えたなら その方が良かったかもしれない。検討に値するプランではある。
しかし、この「プランB」は採用されなかった。西国を切り捨てられなかったんだろうねえ。
足利一門も西国に多くの所領を得てしまっているし、「西国は吉野朝、東国は足利氏」という
日本分割論は結局は一時的な休戦条約であって、長続きしそうもないことは明らかだ。
だから幕府を鎌倉に移転などとはできない話だし、直義も大局観に欠けている。
287: 日本@名無史さん 2016/08/22(月) 20:40:34.01
東に戻っても足利には強引に事を進められる実力も求心力も無いという現実
290: 日本@名無史さん 2016/08/22(月) 20:51:32.14
武士という社会階級の存在がそもそも戦国の原因なんだよ。
だから 何やっても戦国の到来は不可避。これ、前にも書いた。
戦国を止めたければ、平安初期にまでタイムスリップしないといけない。
だから 何やっても戦国の到来は不可避。これ、前にも書いた。
戦国を止めたければ、平安初期にまでタイムスリップしないといけない。
291: 日本@名無史さん 2016/08/22(月) 22:05:34.48
>>290
徳川幕府と言う例もあるからねぇ
武士と言うよりも、中央権力が土地争いをきちんと処理できたら
戦国は防げたのではないかねぇ。
鎌倉北条氏は曲りなりのにもできたから、安定政権ができたけど、
足利幕府は全くできなかったから、戦国になった。
徳川幕府はできたからねぇ
徳川幕府と言う例もあるからねぇ
武士と言うよりも、中央権力が土地争いをきちんと処理できたら
戦国は防げたのではないかねぇ。
鎌倉北条氏は曲りなりのにもできたから、安定政権ができたけど、
足利幕府は全くできなかったから、戦国になった。
徳川幕府はできたからねぇ
307: 日本@名無史さん 2016/08/26(金) 18:31:42.81
尊氏だろうが後醍醐だろうが
どっちが勝ってもいいが
勝敗がさっさとつかず長引いたことが根本原因
孫の代で決着て長すぎるわ。
紛争始めたお前らの代で終わらせろ。
どっちが勝ってもいいが
勝敗がさっさとつかず長引いたことが根本原因
孫の代で決着て長すぎるわ。
紛争始めたお前らの代で終わらせろ。
308: 日本@名無史さん 2016/08/26(金) 20:53:10.14
嫌なこった。余計なお世話。すっこんどれカス
309: 日本@名無史さん 2016/08/26(金) 22:48:51.42
割りとマジでそういう姿勢が内乱を長引かせたんだろうな。
途中から私怨が原因の喧嘩になってたんだろ。
途中から私怨が原因の喧嘩になってたんだろ。
331: 日本@名無史さん 2016/08/31(水) 15:16:37.31
結局南北朝時代はどうすれば正解だったんだよ…
332: 日本@名無史さん 2016/08/31(水) 16:32:28.91
>>331
そもそも、後深草の系統のみ天皇に即位していたら倒幕はあったであろうか?
倒幕なくば楠木や赤松は兵をあげてないし。尊氏も兵を挙げる誘因はない。もちろん、
義貞も。北条の天下はいつ崩壊するんだろうね。
そもそも、後深草の系統のみ天皇に即位していたら倒幕はあったであろうか?
倒幕なくば楠木や赤松は兵をあげてないし。尊氏も兵を挙げる誘因はない。もちろん、
義貞も。北条の天下はいつ崩壊するんだろうね。
333: 日本@名無史さん 2016/08/31(水) 17:53:02.05
北条による守護の独占、分割相続による御家人の窮乏でシステム疲労を起こしていたのは間違いないでしょ。
後醍醐天皇が現れなくても同じくらいの時代に誰かが倒幕に動いていたという思う。
後醍醐天皇が現れなくても同じくらいの時代に誰かが倒幕に動いていたという思う。
336: 日本@名無史さん 2016/09/05(月) 02:23:44.31
ああもう大内義興がさっさと天下を制覇して山口で交易行いまくっていたら
日本はもっと発展してたんだよ
だれだよ邪魔したやつ
日本はもっと発展してたんだよ
だれだよ邪魔したやつ
339: 日本@名無史さん 2016/09/06(火) 07:36:19.04
>>336
尼子経久
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引用元: ・戦国時代の到来を防ぐにはどうすればよかったのか
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防衛せざるを得ない立場の人たちが多数いた筈だ。