23日に行われたノアのGHCヘビー級選手権で中嶋勝彦(28)が王者の杉浦貴(46)を撃破し、第28代王者に輝いた。15歳でプロデビューしてから14年目にして初めてヘビー級シングルのベルトを戴冠。原動力は小学生時代から持ち続けているハングリー精神で、記念会場となった横浜文化体育館(横浜文体)は約15年前にプロへの扉が開いた運命の場所だった。
苦しかった。花道でのフロントスープレックスに蹴り、イス攻撃…。一連の前哨戦で負傷し、テーピングが巻かれた脇腹に集中砲火を浴び続けた。それでも苦悶の表情で必死に耐え続けて30分過ぎだ。杉浦の顔面にトラースキックを命中させると、すかさずこの日2発目のバーティカルスパイク(垂直落下式ブレーンバスター)へ。33分45秒の死闘を制し、同王座4度目の挑戦でついに至宝を手にした。
「長かった。この日を夢見て、頑張ってきました」(中嶋)
その瞬間、2002年2月15日の出来事が鮮明によみがえった。場所は同じ横浜文体。リングスの大会を訪れ、控室で前田日明氏(57)と対面した。「背中を見せてみろ」と指示され、緊張しながら衣服を脱いだ。体つきを確認され「よしっ、うちに来い」とリングス入りが決まった。直後に同団体が活動停止となり、紆余曲折を経てデビューは03年9月6日のWJ横浜文体大会になったが、横浜文体はプロへの道筋が開かれた“運命の会場”だったのだ。
「そもそもこの世界に入ってきたのは、自分が貧乏だったから。稼ぎたい気持ちがあった」。3人兄弟の次男として生まれ、幼少期に両親が離婚。愛知県内で母の富士子さん(70)が女手一つで育ててくれた。
だが、小学生時代の生活は困窮を極めた。空手の稽古が終わり午後10時過ぎに自宅に帰ると真っ暗。「ロウソクを持ったオカンが『お帰り』って出てきた。電気とガスを止められていたんです。汗をかいて帰ってきても、水風呂しか入れなかった」。白米は食べられず、主食は玄米。母がパート先から持ち帰ったコーンスープだけが食卓に並んだ日もあった。
そうした中、希望の光を見たのが当時大ブームだった立ち技格闘技「K―1」だ。自分と同じように小さい体でヘビー級の強豪を倒す故アンディ・フグさん(享年35)の姿に憧れ、11歳の時に格闘技の世界に入ろうと決めた。そこから空手の実力をつけ、前田氏の目に留まった。
夢を抱いたあの日から17年。ついにヘビー級の頂点に立った。「この瞬間から新しい時がスタートした。俺は止まらない!」と豪語した28歳の若き王者が、新時代を築いてみせる。
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