朝日新聞の「ファクトチェック」
- 2016/10/25
- 00:16
・安保関連法・二重国籍…首相答弁を「ファクトチェック」:朝日新聞デジタル
米大統領選でも注目されているファクトチェック(=政治家の発言やマスコミ報道などに事実関係の誤りが無いか検証すること)。日本でもじわじわと話題になり始めているなか、朝日新聞がなかなか気合を入れた記事を出してきた。
取り上げたのは安倍首相の今国会での発言。紙面と字数をかなり割いており、事実確認の文化を日本にも根付かせようという意気込みが垣間見える。しかし、まだ慣れていないのか正直「ファクトチェックってそういうものじゃないでしょ」と言いたくなるような点もいくつかあった。プロの新聞記者の方が書いたものにイチャモンをぶつけるのは勇気がいるのだが、期待感の裏返しとでも思ってもらいたい。
記事における各検証項目と検証結果を評価し、「ファクトチェックのチェック」をしてみる。
「安保法制必ず話した」
記事では参院選期間の街頭演説64カ所中44カ所で「平和安全法制」という言葉を出さなかったと指摘、安倍総理の発言を「誇張」と判断している。手間をかけた良い検証だと思う。単に「安保法制の話をしました」なら1回でも話していればセーフとなるだろうが、安倍総理は「必ず必ず、平和安全法制(安保関連法)についてお話をさせていただきました」と強調し断言している。こうなると「毎回どこでも話した」という意味に取るしか無いし、「誇張」にとどめず「誤り」とはっきり書いてもいいと思う。
まさかとは思うが「平和安全法制」という言葉だけを機械的に検索して「安保法制」とかはカウントしてないみたいなことは無かろうな、と一応気にならなくはない。
「野党時代ちゃんと大臣を指名していた」
2011年野党時代の自民党は、原発問題の質疑で原発担当相と経済産業相を呼ばず菅首相に質問を集中、菅氏に「当事者の大臣にお聞きになることが質疑をしっかりと進めるうえで重要だ」と言われたとして、上掲の安倍総理の発言を「一部誤り」としている。
とはいえ、話題が原発だからといって必ずしもいつも原発担当相や経産相が答弁するべきだというわけではない。この時も質問者は首相や原発担当相の認識と食い違うような発言を経産相がしたことを追及しているのであって(議事録)、最高責任者たる首相を指名して説明を求めるのにはそれなりの理がある。もちろん一方で、今国会で民進議員が年金問題に関して安倍首相を指名し答弁を求めたのも何かしら理由があるのだろう(文脈を見ないと詳しくは言えないが)。
全ての質問で大臣を指名し首相に何も聞かないというわけにもいかない以上、「ちゃんと大臣を指名していた」というのは「担当大臣を指名するべき内容の質問でちゃんと指名していた」「首相に聞くべきでない質問を首相にしていない」ということになる。そのような主張が納得できると思うかどうかは各人の考え方しだいであって、反証不可能であり、「ファクトチェック」で真偽を論じることはできない。
「自民議員は二重国籍でないという認識」
あくまで「認識」である。「自民議員は二重国籍でない」が誤りでも、「自民議員は二重国籍でないという認識を首相がしている」が嘘か本当かは分からない。これを「誤り」としたければ、二重国籍議員が存在するのを発言時点で首相が知っていたという証拠を示さなければいけない。
そういうわけで記事では「結果的に」誤りという書き方。それはいいのだが、首相が嘘をついたというわけではないので記事の他の項目とちょっと話がずれているように感じられる。
「結党以来強行採決しようと考えたことはない」
記事にも書かれているように、「内心の話」である以上これも真偽を論じようの無い話である。さらに言えば「しようと思ってしたわけではない」「自分でしようと考えたわけではないが周囲の考えに従った」などいかようにも解釈は可能だ。確かにずるい「レトリック」かもしれないが、そういうレトリックを使うのが良いとか悪いとか一切主張せずに、淡々と真偽のみを論じてこそファクトチェックである。真偽を判断できないなら判断できないとそのまま言うしかない。
また「強行採決」という言葉の定義が人によってまちまちであるという問題もあるが、ややこしくなるので説明は省く(参考)。
「南スーダンは永田町と比べればはるかに危険」
こんな人を食ったような発言をわざわざ検証するのは嫌味としか思えないが…。
真偽の定かでない発言の裏を取ってきて事実を証明するというのも確かにファクトチェックだが、さすがに永田町の治安が南スーダンより悪いと思っている人はごく少数だろう。比喩的な意味ではそういうことを言う人はいるかもしれない。
最後に
事実関係のみを判断するファクトチェックの姿勢からずれた論調が見られ、厳しい言い方をすれば、よくある政権批判記事に「ファクトチェック」という新語の看板を付けただけという印象を受けた。まあ一国の首相がそこまであからさまに間違った発言を連発していたら大変なので、多少無理のある指摘が多くなるのは仕方の無いことかもしれない。
あとこれは誰でも抱く感想だと思うが一応言っておくと、どうせならこの流れで野党側の発言もファクトチェックしてほしい。思想信条や立場によらず、ただ淡々と事実だけに価値を置く不偏不党の姿勢こそファクトチェックの醍醐味だし、読み手の信頼を得るために必要なことだ。
今回の記事の試みによって、日本でどれほどファクトチェックの風潮が根付くかは楽しみなところである。
米大統領選でも注目されているファクトチェック(=政治家の発言やマスコミ報道などに事実関係の誤りが無いか検証すること)。日本でもじわじわと話題になり始めているなか、朝日新聞がなかなか気合を入れた記事を出してきた。
取り上げたのは安倍首相の今国会での発言。紙面と字数をかなり割いており、事実確認の文化を日本にも根付かせようという意気込みが垣間見える。しかし、まだ慣れていないのか正直「ファクトチェックってそういうものじゃないでしょ」と言いたくなるような点もいくつかあった。プロの新聞記者の方が書いたものにイチャモンをぶつけるのは勇気がいるのだが、期待感の裏返しとでも思ってもらいたい。
記事における各検証項目と検証結果を評価し、「ファクトチェックのチェック」をしてみる。
「安保法制必ず話した」
記事では参院選期間の街頭演説64カ所中44カ所で「平和安全法制」という言葉を出さなかったと指摘、安倍総理の発言を「誇張」と判断している。手間をかけた良い検証だと思う。単に「安保法制の話をしました」なら1回でも話していればセーフとなるだろうが、安倍総理は「必ず必ず、平和安全法制(安保関連法)についてお話をさせていただきました」と強調し断言している。こうなると「毎回どこでも話した」という意味に取るしか無いし、「誇張」にとどめず「誤り」とはっきり書いてもいいと思う。
まさかとは思うが「平和安全法制」という言葉だけを機械的に検索して「安保法制」とかはカウントしてないみたいなことは無かろうな、と一応気にならなくはない。
「野党時代ちゃんと大臣を指名していた」
2011年野党時代の自民党は、原発問題の質疑で原発担当相と経済産業相を呼ばず菅首相に質問を集中、菅氏に「当事者の大臣にお聞きになることが質疑をしっかりと進めるうえで重要だ」と言われたとして、上掲の安倍総理の発言を「一部誤り」としている。
とはいえ、話題が原発だからといって必ずしもいつも原発担当相や経産相が答弁するべきだというわけではない。この時も質問者は首相や原発担当相の認識と食い違うような発言を経産相がしたことを追及しているのであって(議事録)、最高責任者たる首相を指名して説明を求めるのにはそれなりの理がある。もちろん一方で、今国会で民進議員が年金問題に関して安倍首相を指名し答弁を求めたのも何かしら理由があるのだろう(文脈を見ないと詳しくは言えないが)。
全ての質問で大臣を指名し首相に何も聞かないというわけにもいかない以上、「ちゃんと大臣を指名していた」というのは「担当大臣を指名するべき内容の質問でちゃんと指名していた」「首相に聞くべきでない質問を首相にしていない」ということになる。そのような主張が納得できると思うかどうかは各人の考え方しだいであって、反証不可能であり、「ファクトチェック」で真偽を論じることはできない。
「自民議員は二重国籍でないという認識」
あくまで「認識」である。「自民議員は二重国籍でない」が誤りでも、「自民議員は二重国籍でないという認識を首相がしている」が嘘か本当かは分からない。これを「誤り」としたければ、二重国籍議員が存在するのを発言時点で首相が知っていたという証拠を示さなければいけない。
そういうわけで記事では「結果的に」誤りという書き方。それはいいのだが、首相が嘘をついたというわけではないので記事の他の項目とちょっと話がずれているように感じられる。
「結党以来強行採決しようと考えたことはない」
記事にも書かれているように、「内心の話」である以上これも真偽を論じようの無い話である。さらに言えば「しようと思ってしたわけではない」「自分でしようと考えたわけではないが周囲の考えに従った」などいかようにも解釈は可能だ。確かにずるい「レトリック」かもしれないが、そういうレトリックを使うのが良いとか悪いとか一切主張せずに、淡々と真偽のみを論じてこそファクトチェックである。真偽を判断できないなら判断できないとそのまま言うしかない。
また「強行採決」という言葉の定義が人によってまちまちであるという問題もあるが、ややこしくなるので説明は省く(参考)。
「南スーダンは永田町と比べればはるかに危険」
こんな人を食ったような発言をわざわざ検証するのは嫌味としか思えないが…。
真偽の定かでない発言の裏を取ってきて事実を証明するというのも確かにファクトチェックだが、さすがに永田町の治安が南スーダンより悪いと思っている人はごく少数だろう。比喩的な意味ではそういうことを言う人はいるかもしれない。
最後に
事実関係のみを判断するファクトチェックの姿勢からずれた論調が見られ、厳しい言い方をすれば、よくある政権批判記事に「ファクトチェック」という新語の看板を付けただけという印象を受けた。まあ一国の首相がそこまであからさまに間違った発言を連発していたら大変なので、多少無理のある指摘が多くなるのは仕方の無いことかもしれない。
あとこれは誰でも抱く感想だと思うが一応言っておくと、どうせならこの流れで野党側の発言もファクトチェックしてほしい。思想信条や立場によらず、ただ淡々と事実だけに価値を置く不偏不党の姿勢こそファクトチェックの醍醐味だし、読み手の信頼を得るために必要なことだ。
今回の記事の試みによって、日本でどれほどファクトチェックの風潮が根付くかは楽しみなところである。
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