2016-10-24

奴隷道徳とは、正義平等の名のもとに

それはつまり反動形成である

反動形成面白い所は、「抑圧し反発したはずの元の欲求を、結局は満たしている」という部分である

・身近な例

1.依存心の強い人

この人が反動形成をすると、なんでも自分でやろうとする独立心の強い人となる

そうすると、この人は自分依存心を自覚しないで済むようになる(防衛成功)

さらに、ワンマンにやればやるほど周りは困ってしまい、あれこれと助けようとする

下手をすれば、「あの人は助けられると起こるから、見えないようにフォローしよう」となる

ここまで来てしまえばもうこの人は自分依存心を自覚して苦しむことなく、依存心を満たせることになる

2.何もかも壊したりめちゃくちゃにしたい人、ごちゃごちゃになっているのが好きな人

この人の場合は、すごく丁寧で几帳面になり、規律道徳などをきっちり守る善良で温厚な人になる

しかし、どうだろうか。この人には世界はどう見えるだろうか

大事に扱おうと物を見るということは、それを繊細で壊れやすものであると見なすわけで

この人には世界は壊れやすもので、壊れてしまもので満ち満ちているということになる

丁寧で几帳面という価値基準を持てば持つほど、世界相対的に粗雑で大雑把な世界となる

結果として、この人はめでたく自分の好きだった世界に入ることになる

3.相手支配したい、自分の正しさを認めさせたい

反動形成は、奉仕や服従、自己犠牲になる

DVしたり酷い要求ばかりするして振り回してくる恋人に傷つけられながらも、それでも献身的に尽くすというのを何処かで見たことはないだろうか

体調の悪いままにパートで働き、子供の世話や家事を行い、夫のためにお酒を買って来た挙句に「お前が居るから俺はだめになったんだ!」と言われる始末の妻

精神的に不安定彼女のために、リストカットをしたと言われれば深夜でも駆けつけ、あれこれと手をつくして慰め、同居させ、挙句の果てには暴力混じりに「あなたは私の事のことなんか全然きじゃないのよ!」と詰られる恋人

さて、この人達はいかにして支配欲を満たし、正しさを主張しているのか

答えは簡単である

この人達相手奉仕し、あれこれを手を尽くせば尽くすほど、相手依存し何もできなくなっていく

献身的になり、親切になるほど、相手自分葛藤を処理たり我慢したりしなくなり、何も考えないでも生きていけるようになる

尊敬し服従すればするほど、相手はそれ以上の成長はしなくなり、与えられた権力に酔って傲慢となり、相手に不当な扱いをするようになる

結果として、相手依存心を増強させ、自制も聞かない赤ん坊のようになり、感情欲求を吐き出すだけの無様な姿となる

にも関わらず、「にも関わらず」だ

それでも決して怒らず、優しくし、辛抱と忍耐を重ね、自己犠牲を続け、文句も言わずに働き続ける

この人達のことを、誰も責めたりせず、むしろ可愛そうで救われるべき正しい人々であると言うだろう

そう、ここが一番のミソである

彼らは自己犠牲をすることによって無事に被害者となることができ、理不尽世界に対して自分正当性を訴えることができるのだ

もはや、彼ら/彼女らは自分から何も主張せずとも、自らの正しさを認められる事となり、奉仕先を支配することができる

ここにおいては、相手を許すという行為はすなわち、相手を罪悪感で縛り支配する手段となる

正答な罰や応報もなく許され、良心の呵責に苦しむ

それを晴らそうとするが、奉仕と服従と自己犠牲に慣れた人間にとっては、それを躱すのは容易い

そして、相手に対して道徳的優越感を得て、奴隷道徳を旗印に勝鬨を上げるのである

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    ニーチェやフロイトは現代思想の礎とか言われてるけどただの脳内空想決めつけマンだとよくわかるね それを発展させたフーコーとかもうーんこのという感じ

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