若狭勝氏の原点…生まれ育った下町にあった
2016年10月24日1時55分 スポーツ報知
「曲がったことを許さない正義の人」。派閥の領袖・石破茂前地方創生相がこう評する若狭氏の原点は、生まれ育った下町にある。
1956年12月、東京・葛飾区に生まれた。タクシー運転手の父、母、年子の姉の4人家族。小学1年で足立区に引っ越すと、父は自宅裏に工場を増築して金属加工業を始めた。「けとばし」と呼ばれるフットプレスが並び、両親は朝から晩まで「ガッチャン、ガッチャン」とプレスを踏み続けた。加工製品1個の価格は数十銭。夏休みになると、姉と仕事を手伝ったという。
80年、中央大法学部を卒業し、司法試験に一発合格。検事を選んだ。東京地検では特捜部副部長や公安部長などを歴任。「政治家の汚職や利権追及に明け暮れた。小さい頃、汗水流し働く両親の背中を見ているから、そういう人たちを裏切るような、利権をむさぼる社会は許せない思いが強かった」
大学の同じサークルの同級生と結婚したが、99年にがんで亡くした。当時、中2の長男、小6の長女を男手ひとつで育てた。「子供は多感な時期でショックだったと思う。息子は荒れて『学校へいかない』と言い出したりして大変だった」と振り返る。妻もお気に入りだったというヒゲは、3年前に再婚した今もたくわえたままだ。
2009年の退官後、弁護士に転身し、コメンテーターとしてテレビにも出演。丁寧な解説で「ヒゲの弁護士」と親しまれたが、57歳で政治の道へ。「検事や弁護士は過去の出来事を追っていく仕事。政治家は将来に向けて一つの政策をたてることで、人や社会が変わっていく。すでに人生の第4コーナー。プロの法律家として、法律を作ることで日本の発展に尽くしたい」 (江畑 康二郎)