俳優の平幹二朗さん 死去
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ライフワークのシェークスピア劇の上演をはじめ、NHKの大河ドラマの主演など重厚で格調高い演技で活躍した、日本を代表する俳優の1人、平幹二朗さんが、23日夜、亡くなりました。82歳でした。
平幹二朗さんは広島市出身で、高校を卒業後に上京して俳優座養成所に入り、俳優の道を歩み始めました。
昭和31年に舞台でデビューして端正な顔だちとスケールの大きさな演技で人気を集めました。その後も、ライフワークのシェークスピア劇をはじめ数多くの舞台に出演し、重厚で格調の高い演技で登場人物の性格を巧みに演じ、日本を代表する舞台俳優の1人となりました。
テレビにも多く出演し、NHKの大河ドラマでは、昭和45年の「樅の木は残った」や昭和48年の「国盗り物語」で主役を演じたのをはじめ、昭和63年の「武田信玄」では信玄の父親役として、横暴な支配者が息子に追放される姿を巧みに演じました。
平成10年には紫綬褒章を、平成17年には旭日小綬章を受章しています。演出家の蜷川幸雄さんとは長年にわたり交流があり、ことし5月の蜷川さんの告別式では弔辞を読んで、『ぼくらはまた、近いうちに、再会する』という芝居のせりふをささげていました。
平さんはテレビドラマに出演するなど活躍を続けていましたが、警視庁によりますと、23日午後6時半ごろ、東京・世田谷区の自宅の浴室で倒れているのが見つかり、死亡が確認されたということです。
昭和31年に舞台でデビューして端正な顔だちとスケールの大きさな演技で人気を集めました。その後も、ライフワークのシェークスピア劇をはじめ数多くの舞台に出演し、重厚で格調の高い演技で登場人物の性格を巧みに演じ、日本を代表する舞台俳優の1人となりました。
テレビにも多く出演し、NHKの大河ドラマでは、昭和45年の「樅の木は残った」や昭和48年の「国盗り物語」で主役を演じたのをはじめ、昭和63年の「武田信玄」では信玄の父親役として、横暴な支配者が息子に追放される姿を巧みに演じました。
平成10年には紫綬褒章を、平成17年には旭日小綬章を受章しています。演出家の蜷川幸雄さんとは長年にわたり交流があり、ことし5月の蜷川さんの告別式では弔辞を読んで、『ぼくらはまた、近いうちに、再会する』という芝居のせりふをささげていました。
平さんはテレビドラマに出演するなど活躍を続けていましたが、警視庁によりますと、23日午後6時半ごろ、東京・世田谷区の自宅の浴室で倒れているのが見つかり、死亡が確認されたということです。