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おかげさまで医師の診断ではインフルエンザの兆候は見られず、ただの風邪のようでした。
一時は40度近かった熱も下がり、喉の調子がまだ良くないですが順調に快方に向かっております。
今朝の聖教代配も無事終えることが出来ました。
・理由を明示しないものの地元組織に無視されていると自ら公言するような御仁が
「会おう、会おう」と所構わず押しかけて行っても先方が迷惑なだけだと思うが・・・?
しかしまあ投稿文を見るに、他人に放った一言一句がこれほど見事にブーメラン返しになる人も珍しい。
・現場学会員の生活実感から遊離した教学談義は、時機に応じたものでなければ百害あって一利なし。
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一会員さま、遅ればせながら。。。
≫男子部時代は総県幹部、方面幹部としても戦わせて頂いた。≪
・・・これ要りません。貴殿の男子部役職などどうでもいいことです。
過去に自分がいかに重用された存在か、、、知らず知らずのうちに自己宣揚の生命が出てしまっています。
信じられないかも知れませんが、貴殿が先日提起なされたような日蓮本仏論の正否や日寛教学の妥当性(本因妙抄創作説も含めて)も、小生の数日前の投稿に叙述されている通り、
すでに二十数年前の創価ルネサンス期、全国其処彼処の男子部や学生部の部活または御書学習会の場で議論の俎上に乗っていた案件です。
仕事を終え、あるいは学業やバイトを終え三々五々、拠点に集って御書を拝し日顕宗の邪義破折を研鑽する中で、各々が腹蔵なく議論を戦わせた内容の一環としてあった事です。
大事なのはまずそのように、六畳一間しかないような拠点に五人十人の若者がひしめき合いながらタブーを作らない言論空間を設定し、自由闊達な議論を展開する気風を育むこと。
そこを立脚点として、すべての学会員に納得がいくような本尊論を核とした創価教学の再構成を慎重に時間をかけて、なおかつ民主的な手続きを踏まえて進めていく。
五年や十年そこらで結論ないしは一定の方向性が出るものではない。五十年、百年、もしくは二百年、三百年と議論を積み重ねる必要があると肝に銘じて、今はその土壌づくりに勤しむ時だ--。
信濃町官僚の公式見解に全く左右されないところで、上意下達の無機質性から脱却できた現場の多くではそのようなロードマップが四半世紀近い昔に出来上がっていたのです。
ですから一会員さんにせよ、先だっての己心の認定本尊さんにせよ、問題提起をして議論を喚起されることはとても良いことでしょう。
当掲示板の本旨から決して外れる内容ではないと小生は考えます。
ただしその上で、先にあげた歴史的経緯を踏まえて当然のことながら短兵急に結論が導き出されるものでもなく、おそらくは一会員さんの目の黒いうちにでもそれが期待できる種類の議題ではないとご承知なさったほうが良いでしょう。
端から見ると無視・黙殺されているとお思いかも知れませんが、当板では他に今もっと優先的に議論を進めていくべき課題が多々ありますので。。。
いずれにせよ、小生を含め人生の折り返し点を回った四十代後半以降の学会員は、
平成3年、4年、5年・・・どこにいて、何をしていたか? 何を見て何を感じ、どのような行動を起こしていったかを、
今一度、自身を振り返り見て、心のロードマップを再確認する必要があろうかと思います。
原田執行部ならびに宮田教授が無自覚であれやってしまったことは、創価ルネサンスの全否定、その歴史そのものの抹殺だったのです。
小生が一番許せないのはその事です。
結局、彼らは「六畳一間の拠点で自由闊達な議論を展開する」若者たちの視座を持ち得なかった。その場に立ち会う機会がなかったのでしょう。
最後に、「花野充道」なる人物の論文を参考文献としてご提示なされていますが、、、
あまりくどくど書くと貴殿への人格攻撃になりますのでなるべく控えますが、ご所論を構成されるにあたって花野が依拠するに値する論を持つ御仁だと本気でお考えでしょうか?
この稀代の変節漢にして紊乱者の来歴を知ったうえでその持説を援用しているのだとすれば、失礼ながら一会員さんの人間性までもが疑念を持たれかねない事柄です。
相当な博識ではありましょうが正信会や法華講などと正面から渡り合った経験はないようにお見受けします。
言葉が過ぎるかもしれませんが、どうやら基本ひとりで本ばかり読んでいる精神生活を送ってこられたものと推察されます。
私たちが真に憂慮しなければならないのは、創価学会員ならびに幹部たちのどうしようもない教学力の低下・・・の前に、
学会員個々の時代状況への洞察力の欠如、そして信仰の内実を伴わない「机上の教学」に耽って今この時代に生きる人々の暮らしの現場から物を考えられない幹部の陶冶されざる人格なのです。
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