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ツイート人さま、有り得ますよ!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月22日(土)03時26分36秒
  昨年の11月18日を目の前にして、クーデター

え!! 日蓮世界宗創価学会 発表してるじゃん!?投稿者:九州人
?投稿日:2015年11月17日(火)23時09分48秒
創価学会公式サイトより
会則(1)

池田先生は、創価学会の本地と使命を「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されて、創価学会が日蓮大聖人の仏法を唯一世界に広宣流布しゆく仏意仏勅の教団であることを明示された。
そして、23世紀までの世界広宣流布を展望されるとともに、信濃町を「世界総本部」とする壮大な構想を示され、その実現を代々の会長を中心とする世界の弟子に託された。
http://www.sokanet.jp/info/kaisoku01.html
?


今も現場会員で、この会則やら名称を知る者は・ほとんど居ません(-_-)
ピンポイントで、解雇や降格、査問・除名しても見せしめの大会合での発表が無い限り、誰も知らないうちに着々と琴は進められマス。これが、コンサル会社の手法であると私が述べているのです。
 

後輩と対話

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月22日(土)02時28分41秒
  後輩「集団的自衛権って、結局何のためですか?」

ひかり「自衛隊をいかに戦闘に参加させるかってことの追求で、突破口作りじゃないの?」

後輩「ですよねえ。職場の人も近所の人もうちのダンナも、みんなそう言ってるんですよ」

ひかり「このタイミングで集団的自衛権。大統領選、ブッシュの弟担いで戦争して儲けようとしてたじゃん。自公はアメポチなんだよ。振り回され、利用されて、ばっかみたい公明党」

後輩「オレらは学会票を束ねてっから、かけ声ひとつでさあ、まかしといてくだせえ、ってシッポ振って、あーやだ、腹たつ」

ひかり「会員なめてるよ、幹部も公明党も」

後輩「ヤキ入れてやらなきゃ。わからないんですよ。ちゃんと、思い知らさないと」

ひかり「そうそう」

後輩「そうそう」



ひかり「旦那様は、怒ってるでしょ、その調子では」

後輩「怒ってますよ~。もう公明党なんか応援するんじゃねえって」

ひかり「長年苦労して、旦那様を公明党の味方にしたのにね」

後輩「そうですよ~。友達にも頼んでくれてたんです」

ひかり「ええ~?それじゃ、怒るわ」

後輩「台無し、です。ジ・エンド」



後輩「こないだ突然地区部長が50部やりましょう、って言ったんです」

ひかり「新聞啓蒙?50部?」

後輩「はい。17部しかできなくて、明日までにあと33部なんですみなさんて言うんです」

ひかり「ふうん。Hさんかな?」

後輩「そう。Hさん」

ひかり「幹部の前で勝手にホラ吹いて、後でみんなが困る」

後輩「そう!勘弁してくれって。地区部長が勝手にやりなよって」

ひかり「一日でやれって言ったって、ムリでしょ」

後輩「結局多部数になったのかな。私は聞きたくないから無視してます。先月3部やったんですよ私。そしたらね、今月のにすればよかったのにって!なんか悪い事したみたいに言われちゃって!」

ひかり「いや~、しっかし」


後輩「でも、今回は上から50部って言われたみたい」

ひかり「ナヌ!?」

後輩「上から50部」

ひかり「・・・・・・」

後輩「完全におかしいですよね。ブラックですよ、ブラック」










 

11.18 シン・御本尊登場か!? またはガセネタか?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年10月22日(土)02時11分25秒
  11.18 シン・御本尊登場か!?
neco様より特別特装御本尊授与の情報がありました。(下記参照)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58225

そして、以下のyoutubeは注目。
ガセネタならこの人、流行りの処分にならないのかなw

特装に特別つけた御本尊様って必要なの?
商売の臭いがプンプンw
これも、コンサル会社の指南による宗教ビジネス?

https://www.youtube.com/embed/j_a6m_1A-GU

https://youtu.be/W0iTw0rd1Vg

特別特装御本尊は55cmx34cmのサイズだとか。
サイズは会館用サイズとほぼ同じかな

金剛堂や他の仏壇屋の情報ありますかね?
 

その昔、学生部時代には奇人・変人が沢山居り

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月22日(土)01時49分4秒
  例えば、十字餅御書でしたか?正月によく拝読する御書を教材に、『日蓮大聖人の童貞論』なる釈迦のとてつもない経典から拾い出しをして納得いく解釈(-_-)をする好人物もいました。人それぞれで、かなり様々な展開を研鑽していた時代でした。それが先生が引きずり降ろされた昭和五十年代です。ビンボーで真面目な?弟子は自己研鑽してました。金有って遊べる境涯の弟子は374919ばかりやって、今の創価村大患部に成っているのですね(-_-)  

御本仏論

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年10月22日(土)00時51分32秒
  あくまでも参考程度、思索の糧として読んでください。

誰でもわかるように簡潔に書きます。単純に考えて、御本尊を顕すことができるのは、御本仏(日蓮大聖人)以外にはありえないのではないか。御本尊とは、御書に、「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ」(p1124)とあるように、日蓮大聖人そのものであることは明白です。釈尊の魂ではなく、日蓮の魂であることに、甚深無量の意味があるのでしょう。

そして御本尊の中央には、「南無妙法蓮華経 日蓮」とあるように。法本尊である南無妙法蓮華経と、人本尊である日蓮が並んでいる。もしも法本尊のみであるなら、題目を唱えれば、信心があってもなくても変わらない結果を得られる。しかし、人本尊という概念は重要で、大聖人の魂(心)に反する(信心がない)と、功徳は生じない。大聖人を悪しく敬うと、それは信心のない者の祈りであるので、正しい御本尊であろうとも、ダメなのです。

では、正しい信心とは何か。それは、三代会長の指導を守り、実践するということです。もちろん指導の量は膨大であり、様々な角度が存在する。一つの指導を、すべてのケースにあてはめたり、固執しすぎると、かえって三代会長の心を死すことになるので要注意です。

市井の臣様が仰るように、大聖人は謙遜されていると思います。末法という濁悪の世に生まれ、法華経の行者として、釈尊とは較べることのできないほどの大難を受けられた。あえて私は言いましょう。「釈尊では、大聖人の足元にもおよばない」と。正法時代の仏では、末法では通用しない。釈尊を遥かに凌ぐ難を何故受けられたのか。そして法華経で出現する地涌の菩薩が、釈尊よりも立派な姿をしていたのはどうしてか。よくよく思索すべしである。

石ころであろうとも一念三千の当体なので、仏界を有している。しかし、仏界があったとしても、湧現させることができなければ、ないのと同じである。仏界と云っても、現実には、人間だけが湧現させることができる。題目を唱えることが出来るのは、人間だけだからである。ここに人本尊の意味がある。御本尊とは、生命そのものであり、就中、人間なのである。

御本尊を顕したこと自体が、日蓮大聖人が御本仏であることの証左である。御本尊とは、南無妙法蓮華経であり、日蓮大聖人であり、そして、自分自身である。

 

法華経の智慧が、現場会員として分かりやすく日寛教学から宮田論、須田論文に至る本仏論・教義論は難解!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月22日(土)00時38分8秒
  と言うのが、私が知り得る板の閲覧者です。
でも、『三大秘法や日寛教学否定して何で日寛師のご本尊拝んでるの?』と言うのが、現場会員の素朴な疑問です。これに明確な解答を学会はしなければならないのに黙りですね。どうするのでしょうか?
 

京都・要法寺

 投稿者:tesuto  投稿日:2016年10月22日(土)00時38分4秒
編集済
  天文法華の乱(1536年天文5)によって焼失した 上行院と住本寺が統合・建立された寺院 「末法相応抄」の対告衆である 住本寺の広蔵院日辰が 建立に尽力した

http://

 

シビックさま、そう言う事ではなくて

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月22日(土)00時00分48秒
  教義・教学論の文言における展開を別スレッドでやった方が価値的であると言う話ではありませんか?

一会員さまのような方が、昔の学会組織にはたくさん居て、泊まり込みの研修会でときめくような話をよく青年部時代には経験しました。今は、このような話は何故か御法度で任用試験のようなマークシート単一思考のみを求める教学で、頭の中で試行錯誤もしない(つまり訓練させない)アイヒマンをつくるような教学です。

別スレッドのアルベア論も、その昔、青年大学校で展開され、未来部研修会でもたくさんの人材を生みました。でも、今の学会では×で、気づきやら発見は、個別にさせない。早い話が、金太郎飴をたくさん育てる事のみに懸命なようです。

宿坊、昔の学会会館は、宿泊設備を整えていました。寝泊りしながら、たいした食事も無いままでも、よく勉強しましたね。一会員さまのような方がたくさん居て、一晩で家に帰って何度も御書を読み直した記憶が有ります。

アイテー、アイテーと叫ぶ前に、一会員さまのような方が、勉強会やると言われるならばアイテーと賛同しますが、何も無い、得るもの、発言も無い交流は無駄足であると言う事です。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年10月21日(金)23時43分55秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
世界中で被害にあわれた方々が
ご無事でありますように
おやすみなさい
 

素朴な疑問

 投稿者:市井の臣  投稿日:2016年10月21日(金)23時40分59秒
  最近、日蓮大聖人が自らを本仏と思ってはいなかったとの発言に、まあ言うのは自由だなぁと内心笑っていたが、御書を持ち出し「日蓮、日興には日蓮を本仏とする思想は存在しない。」とまで言い切るにあたっては、どうかと思うようになった。そしてまた、これが最新の研究結果と言われて、真面目に受け止める方がいるようなので、小生の素朴な疑問を書きます。
この説には突っ込みどころが多くて困るのでけど、ひとつは宗教の中心として尊敬される人が、自分から「我こそ本仏なり」って言わなかったからそれがどうなの?ということ。
キリストが弟子に「私が神」とか、釈迦が「私こそが仏なり」って言われると言われたほうは引くんじゃないの。それは弟子が師の行動や言葉に感銘を受け、位置づけるものではないのでしょうか。
むしろ大聖人が少し謙遜して先の仏(釈迦)を持ち上げるのは、至極当然の話。

日蓮本仏論を否定している人に聞きたいのは、あなた自身は日蓮を本仏と思っているのか否かということです。本仏と思っているなら、この説を力説するのは何か別の思惑があるのではないかと勘ぐってしまうし、本仏と思っていないで例えば釈迦を本仏と思ってるなら、他の仏教団体で活動された方がよろしいのではと思います。

この板の進む方向から外れる気がしてきたので、ひとつで止めます。気持ちを害した方がいらっしゃれば、お詫び申し上げます。

 

実践の教学、歓喜の教学

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年10月21日(金)23時32分22秒
  観念の教学は他所でやれば良い。他門流も居る、専門の仏教学会で自身を学問的に鍛えてください。他門流はなかなか手強いですよぅ。我ら現場の学会員の脳細胞は筋肉質でできているのです!実践の教学に、難解な観念論は不要です。実践の役に立たない。観念論で、苦悩の部員さんを救えますか?新聞啓蒙をできますか?観念論は無用の長物なのです。  

同盟題目23時に開始となります。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月21日(金)22時56分6秒
  熊本の復興もままならないのに、
鳥取で大きな地震がありました。
隣接県も大きく揺れた模様です。
被害に遭われた方、お見舞い申し上げます。

鳥取県を中心とする山陰(山光)、山陽地域の方の為に
お題目をあげます。

同盟題目への参加は自由ですが
皆様、少しでもお題目を送っていきましょう。

よろしくお願い致します。

熊本方面にもお時間あれば
お題目、よろしくお願いします。
 

最高幹部の退転者の実態

 投稿者:ナンコー  投稿日:2016年10月21日(金)22時52分39秒
  ご存知の方は教えてください。
最高幹部の退転者。裏切り者。
麻美のような学会利用した輩を。
知ることが大事です。
知らすことはもっと大事です。
 

【平成の日精問題】 池田先生のスピーチから宗門の堕落と権威化を学ぶ③

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月21日(金)22時16分24秒
  【ポイント】

正しい信心を失うと、異なる目新しいものに飛びつき、日蓮大聖人の本来の教えから離れていく愚かな歴史があった。

また、その邪義を固めるために教団は権威化する。

同じ轍を踏む岐路にいる可能性はないか。
日蓮を悪しく敬うものどもが、次から次へと湧き出るのは何故か。正しい信心を失えばこそではないのか。

正しい信心を教えてくれたのは、誰か。
創価三代の会長であり池田先生ではないのか。

牧口門下はかつてこう述べた。
戸田先生の姿をみて牧口先生の偉大さがわかった。

戸田門下もまた、こう述べた。
池田先生から戸田先生の偉大さを教わった。

三代だけだよ。池田先生はそう指導されているのだ。

信心こそ大切なのであり、それを見失った理論闘争は本来の教学の目的になりえない。

戸田先生は叫ばれた。
信心は大聖人の時代へ、教学は日寛上人の時代へ。

また、信と理の関係をこのように訴えている。

「信は理を求め、求めたる理は信を深からしむ」 「教学により信心が強くなり、高まるから、功徳がでる」と。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【池田大作全集84巻より、沖縄・九州合同協議会での語らい (1994年2月21日)③】

■大石寺″失格法主″の系譜

    法主の座を途中で放棄した日精法主について、日亨上人はこう記述されている。

「日昌”にっしょう”(十五世)より日啓”にっけい”
(二十三世)まで、大石寺の九代の山主(法主)は京の要法寺の出身であり……多少の新儀(新しい化儀)を輸入した。

   ことに、日精などは、自分の権威の及ぶ範囲の末寺に、仏像を造立して、富士大石寺の古来の化儀を破壊した」(趣意、「史料類聚2」富要九巻)と。

    日精法主は、江戸に大石寺の末寺を増やしたが、そこには釈尊の仏像を造立したというのである。

(京の要法寺は、日興上人の弟子・日尊”にちぞん”
の開いた上行院が発展したもので、富士門流の寺だったが、釈尊の仏像を本尊とし、法華経二十八品を読誦するという邪義に染まっていた。

こういう寺の出身者から、九代、約百年間も続けて法主を出さなければならないほど、大石寺は衰え、正しい信心を失っていたのである)


  法主が、仏像を造立し、法華経二十八品を読誦するという「大謗法」をおかした。日興上人が御遺誡された、「仏法に相違して己義を構える」法主が出現したのである。

   「御本尊根本」の正義が、要法寺の邪義によって、濁ってしまっていた。

    そこで日寛上人は、「御本尊根本」「御書根本」の正義を明示されるとともに、邪義で濁っていた宗門を浄化し、蘇生された。

    たとえば、「末法相応抄」では、上巻の冒頭で「二十八品読誦」の誤りを、下巻の冒頭で「仏像造立」の誤りを厳しく破折されている。

   しかし今、「法主絶対論」に毒された人々は、日顕宗の大謗法を責めようとしない。このように「法主絶対論」は「謗法の法主」をも正当化し、正法を破壊する、危険きわまる邪義なのである。まさに魔物の教義である。

(続く)

平成の日精問題、池田先生のスピーチから宗門の堕落と権威化を学ぶ

http://6027.teacup.com/situation/bbs/57781

http://6027.teacup.com/situation/bbs/58048
~~~~~~~~~~~~
【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■■【宮田は平成の日精について①】■■
平成の日精??投稿者:正義の走者

■■【宮田は平成の日精について②】■■大仏のグリグリのとこ
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57734
 

ネット対策さん

 投稿者:シビック  投稿日:2016年10月21日(金)22時15分12秒
  魔の輩であると決めつけて一刀両断するのは、いかがなものでしょうか?
それは、原田会長らが対話拒否している姿と同じように見えます。
池田先生が日蓮本仏論を採用しているのであれば、御書に裏付けがあるんじゃないのですか?
先生の正しさを証明するためにも、その論陣を張られれば良いだけだと思います。
ここには、力ある論客たちがたくさんいらっしゃるじゃないですか。
 

フェイク 第1553号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年10月21日(金)22時06分21秒
  (発行=16.10.21)

西村正雅の強制わいせつは二件
日蓮正宗の前住職を沼津警察署が再逮捕
四十代・五十代の女性を相次ぎ襲う

もう、唖然、愕然として言葉を失う感がある。日蓮正宗の坊主だった西村正
雅(写真)の悪質極まる犯罪が、また明らかになった。今月十九日、沼津警察署
が西村を強制わいせつ致傷容疑で再逮捕、これで逮捕は三度目になる。

西村は八月二十三日、五十代の女性に対する強制わいせつ致傷事件で同署に
逮捕され、起訴された。

次いで女性の下着十三枚を盗んで九月二十七日に同署に再逮捕されていた。

それに加えて、この度は静岡県・清水町内で県東部の四十代の女性を転倒さ
せ、わいせつな行為をしたうえ左肘に打撲など全治一カ月のケガを負わせた強
制わいせつ致傷の疑いでの再逮捕である。この事件は静岡新聞の十月二十日付
で報道された (下に静岡新聞の該当記事を掲載)。

 四十代・五十代の女性に対する強制わいせつ致傷、下着泥棒の三件は、いず
れも八月二十三日の犯行で、当時、西村は開道寺(北海道留萌市)の住職であっ
た。

 まず、下着泥棒は同日午前六時半ごろから午後四時半ごろ迄の間、静岡県三
島市内のアパートや一般住宅の軒先で下着十三枚(一万一千円相当)を盗んだと
いうものであった。

 その下着を盗み回っていた間の午後二時頃、先述の通り、清水町内で四十代
の女性に強制わいせつ行為に及んだものである。

更に、一人の女性に対する強制わいせつ事件だけでは満足できず、同日午後
七時二十五分頃、同じ清水町内の路上で県東部の五十代の女性に後ろから抱き
つき、引き倒して、わいせつな行為をしたうえ、ケガをさせたのである。

 静岡新聞の記事では、西村は「無職」となっているが、これは西村が八月二
十三日に逮捕された後、拘置所で「還俗届」を書き、それが認められて今は僧
籍がないためだが、犯行時は開道寺の住職で、大石寺での全国教師講習会に参
加するために静岡県に来ていたのである。

最初に逮捕された時、西村は「いたずら目的だった」と容疑を認めていたが、
新聞報道によると、今回は容疑を一部、否認しているという。この種の破廉恥
坊主は他にもおり、ここまで腐敗した邪宗門である。


 

三代会長と歩めた、かけがえのない時

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月21日(金)22時02分30秒
  三代会長が信じた日蓮仏法。
人生をかけて信じ抜かれた民衆救済の法。

三代会長は、自ら民衆に寄り添ってくれました。
それは、この世界から「悲惨」の二文字を無くすため。

学者や坊主に、民衆を包む愛情があるだろうか。
論文に見識の深さがあろうと素晴らしい解釈をしようと、一身に難を受け民衆を救う一念がなければ煙のようなもの。
机上から民衆の苦しみを見下ろすだけの無慈悲な輩は、創価学会に必要ない。

三代会長ほど多くの民衆を救った史実はない。
池田先生のふるまいには、いつも戸田先生と牧口先生がいました。

三代会長と共に歩めた軌跡を、正しく後世に伝えたい。
もう二度と築く事はできない、この かけがえのない時を永遠にするために。

池田先生と歩める、残された時を大切にしたい。
だからこそ池田先生を背に、魔軍に立ち向かう自分でありたい。

三代会長の軌跡を傷つけた原田会長を諫めなければ後悔する。
会則改定により、池田先生が受け継がれた信心が、正しく後世に伝えられることは無くなったからだ。

『深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む』

黄金の三年間で、どれだけ悔しい思いをした事だろう。
査問・処分の痛みだけでない。
師恩を忘れた友の姿に、どれほど心が痛んだ事か!!

この悔しさが必ず道を開く。
三代会長に大恩を返す一生で終るために。
 

となりの創価学会より

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月21日(金)21時16分45秒
  ●「折伏に来たのではありません」  副会長(1995年当時) 原田 稔さん

1974年、中国を訪問したときの池田先生にはほんとうに驚きました。
72年に日中国交が回復し、創価学会としては初めての中国訪問だったんですよ。
それで同行させてもらう僕たちは、中国で問題を起こしてはならないとピリピリ
してね。準備室を作って、いろいろ資料を集め勉強を始めたんです。

例えば、中国では「支那」とは言ってはいけない、ソ連の話は絶対タブー
だとか・・・。とにかく失敗をしないようにと、頭に知識を詰め込もうと
していたんです。

ところが、そんなにわか仕込みの勉強をしているところを池田先生に見つかって
しまったんです。「何をしているのか?」と訊かれた僕たちは、「中国に
行かせていただくので勉強を・・・・・」と大真面目で答えた。すると先生は
「バカなことをするな。資料はぜんぶしまいなさい。変な先入観なんていらない。

そんなもの、持っていってもしょうがない」と叱られたんです。
そんな経緯のなかで中国を訪問しただけに、中国での先生の振舞いには
面食らいました。中国友好協会の寥承志さん(故人)にお会いしたときです。
池田先生は開口一番、何と言ったと思います?

「私は、折伏に来たのではありません。」と、にこやかに挨拶されたんですよ。
「お国は、今、毛沢東思想で建国しているんですから、それで頑張って
ください。で、もしも、あなたの国がこれから二千年、三千年、一万年と
たつうちに、毛沢東思想では厳しくなったときには、遠慮なく創価学会に
SOSを出してください。そのときには、私たちは喜んで応援にまいりましょう。

一千年先でも、一万年先でもけっこうです」
ちょっと想像できないでしょう。日本人だって、創価学会といえば、折伏される
んじゃないかと警戒しているわけですよ。中国の人たちもそれは同じなんだよって
言われてね。僕なんか、勉強して外見だけ繕おうとしていたことが恥かしかった
ですね。


●チョコレートの贈り物

(「人間の中へ」の著者) 吉村元佑さん

池田先生がかつて東北を訪れたときのことです。先生の乗った汽車が一関という
駅に途中停車するとことを聞きつけた数人の高校生たちが、ひとめ先生に
会いたいと駆けつけたんです。先生が乗った汽車が到着する。息を切らせながら
高校生たちがホームへ駆けつける。

ほんのわずかな停車時間の、それも窓越しの出会いでした。当然、言葉を交わす
余裕などありません。しかし、その汽車が目的地の仙台に着いたときに、
高校生1人ひとりに、池田先生から和歌と激励の品々が届いたんです。しかも、
その和歌のなかには、ホームに駆けつけたそれぞれの姿がしたためられて
いたんです。

「Yシャツも まばゆく見えて 君達の 未来の栄光涙して待つ」とね。
池田先生は汽車が駅を離れるや、すぐさま車中で和歌を詠まれて「今の青年たちに
手渡してほしい」と、そばにいた幹部に話したそうです。

先生はそこまで一人ひとりの学会員を大切にする。一瞬の出会いのなかで相手の
心を揺り動かす。それには並々ならぬ愛情がなければできませんね。私自身も、
まさか先生がこんなことまで覚えていらっしゃるのかとびっくりしたことが
あります。

たしか、先生が国連平和賞をいただいたときのことです。テレビでそのニュースを
聞いた私は、小さな箱に入ったチョコレートをお祝いのプレゼントとして学会本部
に届けました。池田先生のもとに届けられる「報告」や贈り物は、1日分だけでも
相当な数です。

チョコレートのプレゼントなんてありふれたものですよ。ところが、本部で取材を
終えて帰ろうとしたとき、池田先生と偶然お会いする機会があった。そのとき、
大勢の方と語りながら忙しそうに私の前を通り過ぎた先生から「チョコレート
ありがとう」とお礼の言葉をいただいたのです。

1日に何千という報告に目を通す先生が、まさかチョコレートのことまで覚えて
いてくださっているとは・・・。そんな感動が先生の周りには無数にあるんですよ。       
 

鳥取地震心配ですが(-_-)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月21日(金)21時14分33秒
編集済
  プレート崩壊し始めているのであれば、敦賀から琵琶湖、京都、大阪ラインまで境界線上は危険地帯ですね。琵琶湖と日本海が続いて、瀬戸内まで海がつながるような事態は、勘弁してほしいです。  

なんと詩的な表現!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年10月21日(金)20時40分46秒
  >活動の後に見る太陽(日天子)や月(月天子)の神々しさ、雲との微妙な調和を生み出す美しさ、胸に焼き付きます。
題目をあげきって見る花や会う人々が素晴らしく見える。吹く風の心地よさ、なんとも言いえない境涯とシーンですね。(投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール   投稿日:2016年10月21日(金)12時33分35秒   編集済)<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58495
 なんと詩的な表現でしょうか。素晴らしい!
 教学を?! ダメダメ、私なんかでは。
 なんてたって、大仏のグリグリのところさんです。今後ともよろしくお願い致します。


 

信濃町のネット対策チームの対策 様

 投稿者:平和の弾丸  投稿日:2016年10月21日(金)20時40分30秒
  私は、全面的にあなたに賛成します。

牧口先生も、戸田先生、そして、池田先生という、大功労者である三代の会長が、やってこられたことです。

広宣流布史上、何の功績もない、不知恩の輩が何を言っているのか!と言いたい。

人間として、あまりにも醜い。
人間として、あまりにも情けない。

仏法を習っているのに外道以下だ!
 

池田先生の思想と日蓮本仏論

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年10月21日(金)20時25分53秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

この掲示板は池田先生のことを敬愛する弟子が集まる掲示板です。

最近、日蓮本仏論は日寛上人が考えた「論」であるとの意見がこの掲示板に書き込みされています。

様々な方が研究されていることを私も承知しております。そして様々な研究論文が出ていることも承知しております。

しかしながらこの掲示板は冒頭にも書きましたが、池田先生の弟子が集まるこの掲示板です。
であるならば「池田先生が日蓮本仏論採用されて世界へ弘教」されたのですから、私たち池田門下は、「日蓮本仏論」を信仰の中心とすることは当然であります。

それが「信仰者の教学」です。

世の中には「学者の教学」を好む方もいらっしゃいます。
しかし、私たちは「学者」ではありません。
「信仰者」であり「行者」であります。
「法華経の行者」すなわち「池田先生の弟子」であります。

創価大学の宮田教授は「学者」であります。
しかし「信仰者」と勘違いされる「立場」にいるから、「魔」なのです。
この掲示板に日蓮本仏論を否定する書き込みをされる方も「同じく魔」です。

池田先生が日蓮本仏論を堅持されている。
このことに集約されます。

日蓮本仏論を否定する議論を嬉しく思うのは、宮田教授や原田会長率いる執行部に繋がる「魔」の輩だけです。

皆様は、私のこの意見に賛成ですか?反対ですか?

 

谷川の家族の入信の経緯披露は?・・折伏の勧め

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月21日(金)19時35分29秒
編集済
  ですね・・文をよく読み、そこから、推測できるのは・・

彼の父親の体験を話した理由は、いかに、SGIメンバーの折伏が大事か、それを訴えたのでしょう。

つまり、折伏をやりましょうと、言った(言いたかった)のではないでしょうか。

(その心は・・・たくさん折伏して下さい、自分が会長になるので花道を・、
 自分が行ったアメリカ指導で折伏成果が出た事にしたい)・・・おそらく・・ミエミエ?

それとも、もう、日本では会長になる芽はもう消えた。外国に行きなさいと言われたか・・

自分で、そう思ってやってる事か?

コロンビア・メキシコでは・・美人いっぱいよ・・命がけですが・・

そこで、谷川王国を築いたら・・

http://

 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月21日(金)19時29分20秒
編集済
  全集未収録の特別文化講座『キュリー夫人を語る』を掲示します。

2008-2-8 創価女子短期大学 特別文化講座『キュリー夫人を語る』①

使命を自覚すれば希望と勇気が生まれる

 一、素晴らしき青春の詩を紹介したい。
     私は幸福だ
    わが優しき友よ
    かくも純粋で
    調和に満ちた君の声が
    私の夢を
    揺りかごのように
    揺らしながら歌う時
    私は幸福だ
    私は幸せだ
     人生のために
    君がより良き人間に
    なることを私に約す時
    私は幸福だ

 これは、大科学者であり、豊かな詩心をあわせ持っていた女性マリー・キュリー(1867~1934年)が記し残した詩の一節です。
 私と妻の「夢」は、創価教育の創始者・牧口常三郎先生、そして戸田城聖先生の「夢」を実現することであります。
 その最大の「夢」の一つが、女性教育の殿堂たる創価女子短期大学の創立でありました。 この短大の麗しきキャンパスで、「正しき人生」「幸福の人生」「勝利の人生」へと、「誉れの青春」を乱舞しゆく皆さん方を見守ることが、私と妻にとって、何よりも何よりも幸福なのであります。

 ● 春夏秋冬、励ましを贈りゆく像
 「わが創価女子短大の「文学の庭」には、キュリー夫人の像が立っています。
 背筋を凛と伸ばし、真摯な探究の眼差しで、手にした実験のフラスコを一心不乱に見つめています。
 うららかな桜花爛浸の日も、激しい雷雨の日も、寒風の吹きすさぶ木枯らしの日も、そして白雪の舞いゆく日も、学び勝ちゆく姿で、わが短大生の向学の春夏秋冬を励まし続けてくれています。
 この高さ2・5メートル、台座1・5メートルの像は、アメリカの気鋭の彫刻家ジアノッティ氏が、1915年の写真をもとに渾身の力を込めて制作されたものです。
 第1次世界大戦のさなか、放射線治療班を組織して、負傷兵の看護に奔走した時期のマリー・キュリーの姿です。
 この像の除幕式が行われたのは、1994年の春、4月4日。
 寄贈してくださったブラスナ一博士ご夫妻と一緒に、私と妻も出席いたしました。
 式典に参加した短大生の皆さん方の、あの晴れやかな喜びの笑顔が、私は本当にうれしかった。
 マリー・キュリーは、1867年の11月7日生まれ。
 「創価教育の父」である牧口先生が生誕したのは、1871年の6月6日ですから、ほぼ同世代になります。
 私の恩師・戸田先生も、牧口先生と同じ時代を生きたキュリー夫人の足跡に格別の関心を寄せられ、模範の女性として最大に賞讃されていました。私が短大にキュリー像を設置した淵源も、ここにあります。
 私の行動の一切の起点は、師への報恩であり、師の構想の実現であります。
 恩師のもとで、若き日に編集長を務めた雑誌「少年日本]に「キュリー夫人の苦心」と題する伝記を掲載したことも、懐かしい。

 ● 令孫との出会い
 一、この像の除幕から4年後の1998年の秋、短大生の代表が、来日していたマリー・キュリーの令孫で、核物理学者でもあるエレーヌ・ランジュバン=ジョリオ女史とお会いする機会がありました。
 短大のキュリー像のことを申し上げると、それはそれは喜んでくださったといいます。
 今回は、この像の前でゆったりと懇談するような思いで、講座を進めさせていただきたい。

 ● ノーベル賞を受けた初の女性
 一、改めて申し上げるまでもなく、マリー・キュリーは、人類史に輝きわたる屈指の大科学者です。
 1903年には、ノーベル物理学賞を受賞しました。〈夫のピエール・キュリー、フランスの物理学者であるアンリ・ベックレルと共同受賞〉
 これは、女性として最初の受賞となりました。
 さらに初の受賞から8年後の1911年には、ノーベル化学賞を単独で受けています。
 二つのノーベル賞を勝ち取ったのも、彼女が初めてです。
 しかも、その人格は、そうした"世評の風"によって、いささかたりとも左右されなかった。かのアインシュタイン博士も、「名のある人々のなかで、マリー・キュリーはただひとり、その名声によってそこなわれなかった人物である」(ビバリー・バーチ著、乾侑美子訳『キュリー夫人』偕成社)と感嘆しておりました。
 だからこそ、時を超え、国を超えて、民衆から、彼女は深く広く敬愛されてきたのです。

 ● 最も好きな歴史上の人物
 一、これは、フランスの友人が教えてくれたのですが、5年前(2003年)にフランスの調査会社が、ヨーロッパの6カ国(ドイツ、スペイン、イギリス、イタリア、フランス、ポーランド)の街角で、「最も好きなヨーロッパの歴史上の人物は誰か」と尋ねるアンケートを行いました。
 イギリスのチャーチル首相や、フランスのドゴール大統領など、錚々たる歴史の巨人の名前が挙がりました。
 そこで、6000人の通行人が一番多く筆頭に挙げたのは、いったい誰であったか?
 マリー・キュリーその人であった、というのです!
 2006年の11月、フランスでは、「マリー・キュリーの記念コイン(20ユーロの金貨・銀貨)」が発行されました。
 これは、1906年の11月、彼女が亡き夫ピエールに代わり、女性で初めてパリ大学の教壇に立ってから100周年を記念して、作成されたものです。
 さらにまた、昨年には、パリ市内を走る地下鉄の一つの駅が、改装オープンに当たり、「ピエール・エ・マリー・キュリー駅」と夫妻の名前が付けられました。これは、3月8日の「国際女性の日」にちなんだものです。
 マリー・キュリーという存在は、その夫ピエールとともに、今も生き生きと、人々の心のなかに生き続けているのです。


 ● 波潤万丈の生涯
 一、それは、今から36年前(1972年)の4月30日の朝のことです。
 20世紀最大の歴史家トインビー博士と、私が対談を開始する5日前のことでありました。
 私と妻はフランスの友人とともに、パリ郊外のソーにある、マリー・キュリーの家を訪ねました。
 3階建ての赤い屋根の家。そこには銘板が設置されており、1907年から1912年の間、マリー・キュリーが暮らしたことが刻まれていました。
 この家で暮らした期間は、マリーにとって、最愛にして不二の学究の同志である夫ピエールを亡くした直後に当たります。
 そしてまた理不尽な迫害など、幾多の試練を乗り越えていった時期でもあります。
 さらに、1910年、「金属ラジウムの単離」に成功し、翌年、ノーベル化学賞の栄誉が贈られたのも、この家で過ごした時代のことでした。
 私は家の門の前に、しばし、たたずみ、マリー・キュリーの波瀾万丈の生涯に思いをはせました。
 ──生まれた時は、すでに外国の圧制下にあった、祖国ポーランドでの少女時代。
 幼くして、最愛の母や姉と、相次いで死別した悲しみ。
 好きな勉強がしたくても、許されず、不遇な環境で、じつと耐え続けながら学んだ青春時代。
 親元を離れ、大都会で、貧苦のなか、猛勉強に明け暮れた留学の一日また一日。
 女性に対する差別もあった。卑劣な嫉妬や、外国人であるゆえの圧迫もあった。
 さらに、愛する夫との突然の別れ。そして戦争、病気......。
 絶望のあまり、生きる意欲さえ失いそうになることもあった。
 けれども、彼女は、ぎりぎりのところで踏みとどまった。
 断じて屈しなかった。絶対に負けなかった。

順風満帆の人生などない。むしろ困難ばかりです。
マリー・キュリーの偉大さは「悲哀に負けない強さ」にある。

 そして、苦難を押し返していったのです。
 私は、妻と一緒に並んで歩いていた、フランスの清々しい創価の乙女に語りかけました。
 「私は、マリー・キュリーの偉大さは、二つのノーベル賞を取ったということより、『悲哀に負けない強さ』にこそあると思う。
 順風満帆の人生など、ありえない。むしろ困難ばかりです。
 それを乗り越えるには、自分の使命を自覚することです。そこに希望が生まれるからです」
 あの時、瞳を輝かせ、深くうなずいていた彼女も、気高い使命の人生を、鋼鉄の信念の夫とともに、希望に燃えて歩み抜いてこられました。
 今では、3人のお子さん方も、その父と母の使命の道を受け継いで、立派に社会で活躍しております。

 ● 戦う勇気、耐え抜く勇気を!
 一、マリー・キュリーは青春時代、友人への手紙に、こう記しました。
 「第一原則、誰にも、何事にも、決して負けないこと」(スーザン・クイン著・田中京子訳『マリー・キュリー1』みすず書房)
 「決して負けない」──これが、彼女の一生を貫いた金剛の一念です。
 この一点を定めた人生は、強い。
 私の妻のモットーも、「勝たなくてもいいから、負けないこと」「どんな事態、状況になっても負けない一生を」です。
 戦時中、特高警察の監視のなか、堂々と正義の信念を叫び抜く牧口先生の師子王の姿を、幼き日の妻は、自宅の座談会で目の当たりにし、生命の奥深くに焼きつけました。
 そして、そのあとを継がれた戸田先生を人生の師匠と仰ぎ、「負けないこと」を鉄則として、黙々と使命を遂行してきたのです。
 アインシュタイン博士は、マリー・キュリーを追憶する一文の中で書いています。
 「まったくの知的な作業の面で彼女が何をなしとげたか、ということ以上に、おそらく、ひとつの世代そして歴史の一時代を画するものとして重要なのは、その傑出した人格の内面的な質ではないでしょうか」(高木仁三郎著『マリー・キュリーが考えたこと』岩波書店)
 彼女の傑出した人格の特質──。それは、第一に「負けない勇気」であったといってよいでしょう。
 「勇気」がなければ、どんなに人柄がよくても、人々を守ることはできない。
 偉大な使命を果たすことはできません。
 戦う勇気!
 恐れない勇気!
 そして耐え抜く勇気!
 この勇気を、マリー・キュリーは、いかに鍛え、いかに奮い起こしていったのか。
 私と妻にとって、最愛の娘の存在である創価女子短大生、また創価大学、アメリカ創価大学の女子学生、さらに、創価学園の女子生徒の皆さん、そして、すべての創価の女性に、万感の期待を込めて、お話ししていきたいと思います。

短大は創価三代の夢の結実
「女性の世紀」のリーダーに!

 また、短大を受験してくださった皆さんは、全員が、一生涯、短大姉妹です。
 試験だから、どうしても合格・不合格はある。しかし、短大という場に来て戦ったこと自体は、厳然と生命に残る。それは、生涯、消えない。
 ですから、何があっても、朗らかに、生命の王女としての誇りを持って、堂々と「誉れの青春」を生き抜いてほしいのです。
 私ども夫婦は、創価女子短大を受けてくださった皆さん全員の勝利と幸福の人生を、真剣に祈っています。

 一、マリー・キュリーは、19世紀から20世紀への転換期を、あの像の姿のごとく、毅然と頭を上げて、胸を張って生き抜きました。
 皆さん方もまた、学び勝ちゆく晴れ姿で、20世紀から21世紀への転換期を生き抜き、不滅の歴史を創り残していただきたい。
 皆さん方こそ、人類の希望と光る「女性の世紀」の旭日のリーダーだからです。

 ● 向学の乙女が花の都・パリへ
 一、フランスと北東ヨーロッパを結ぶ交通の要衝が、花の都のパリ北駅です。
 私も、このパリ北駅から急行列車に乗って、5時間かけて、オランダの首都アムステルダムへと旅した思い出があります。25年前の1983年6月25日のことです。
 私たちが乗る「北極星号」は夕刻に出発し、途中、停車したベルギーのブリュッセルでは、わざわざ待ってくれていた同志とともに、ホームで記念撮影をしました。
 次のアントワープ駅でも、わずか1分の停車時間でしたが、同志と窓越しに心を通わせあったことが、今も胸から離れません。
 ──時代は19世紀の終わりに遡ります。
 1891年の11月の早朝、パリ北駅のプラットホームに列車が到着しました。
 長旅に疲れた多くの乗客とともに、一人の若い女性が、荷物を抱えて降り立ちました。
 ポーランドのワルシャワから、3日間、ずっと4等車で揺られてきたの
ですから、くたびれていないわけがありません。身なりも質素そのものでした。
 初めての大都会。まったく見知らぬ人々。不安がないと言えば嘘になるでしょう。
 しかし、その心には、熱い熱い向学の魂が燃え盛っていました。
 この乙女こそ、若き日のマリー・キュリーなのです。
 私の胸には、その誇り高き「第一歩」の足音が、寮生をはじめ、親元を離れて私の創立したキャンパスに集ってくださった学生の皆さん、そして留学生の皆さん方の決意の足どりと重なり合って、響いてくるのです。
 この時、彼女は23歳。女学校を卒業してから、すでに8年が経っていました。今であれば、大学を卒業している年頃です。一家全体の家計と学費の問題など、留学できるように環境を整えるまで、それだけの年月が必要であったのです。
 学生生活にあっては、いわゆる浪人や留年、休学など、さまざまな事情で、人より年数がかかる場合もある。
 しかし、人と比べて、くよくよすることはない。人生の戦いは長い。途中の姿で一喜一憂することはありません。
 最後に勝っていけば、よいからです。青春の生命に失望などない。
 もちろん、お父さんやお母さんには、よけいな心配をかけないように、努力を重ね、賢明な選択をすること。そして、必ず喜んでもらえる自分自身になって、親孝行をしていくこと。
 この一点は、絶対に忘れてはなりません。

人と比べるな くよくよするな 最後に勝てばいい

 ● 他国の支配下での少女時代
 一、ここで、留学に至るまでのマリー・キュリーの歩みをたどっておきたいと思います。
 マリーがポーランドのワルシャワに生まれたのは、1867年11月でした。日本では、江戸幕府の終焉となる大政奉還が行われた、明治維新の時代です。
 ともに優れた教育者であった父と母のもと、5人きょうだいの末っ子として誕生しました。生まれた時の名前はマリア・スクウォドフスカ。3人の姉と一人の兄がおり、「マーニャ」との愛称で呼ばれていました。
 このワルシャワの生家のすぐそばには、ポーランドSGI(創価学会インタナショナル)のマルケピッチ婦人部長のお宅があります。
 このお宅では、いつも明るく、地域の座談会が開かれ、平和と革福への実りある語らいが広がっております。
 マーニャが生まれた当時、愛する祖国ポーランドは帝政ロシアの支配下にありました。ポーランド語の看板を通りに掲げることも許されない。ポーランドの歴史や言葉を教えることも厳禁。人々は不自由と屈辱の生活を強いられていたのです。
 マーニャが通っていた学校にも、視学官が頻繁にやってきては、教育内容を厳しく監視していました。
 もしも、自国のポーランド語で話したりすれば、自分だけでなく、両親にまで危険が及んでしまう。そんなひどい状況だったのです。
 しかし、そうした環境であったにもかかわらず、マーニャの心が卑屈になることはありませんでした。
 それは、思いやりにあふれた、温かな家族の絆があったからです。
 お父さんは大変な勉強家で、人に教えることが大好きな人物でした。最新の科学に通じているとともに、何カ国語も話すことができました。
 お母さんも、20代で女学校の校長を務めるなど、まことに教養ある女性でした。マーニャは、この父母を、心から愛してやまなかったのです。
 世の中は暗い。つらいことも、たくさんある。けれども、家に帰れば、安心できる。何があっても家族で励まし合い、守り合っていける。
 そうした和楽の家庭をつくっていくことが、社会の最も大切な基盤であり、平和の原点となるでしょう。
 そして、何といっても、娘である皆さんの聡明さと、明るい笑顔は、家族を照らす陽光であり、和楽を築く大きな力です。
 「家族のものが互いに結び合っているということは、ほんとうにこの世での唯一の幸福なのですよ」(エーヴ・キュリー著・川口篤ほか訳『キュリー夫人伝』白水社)と、マリー・キュリーはのちに、姉への手紙に綴っています。
 家族の結合は、ともに人生の試練に立ち向かっていくなかで、深まり、強まり、そして永遠性の次元にまで高められていくものです。

 ● 愛する家族の死を越えて
 一、マーニャは、まだ10歳のとき、思いもよらぬ悲しみに襲われました。
 最愛のお母さんが、結核で亡くなってしまったのです。42歳という若さでした。
 じつは、その2年前には、病弱だったお母さんに代わって家事を切り盛りしてくれていた、一番上の優しいお姉さんも、チフスに感染して亡くなっていました。
 相次ぐ家族の死去に、一家は打ちひしがれました。幼いマーニャは、こらえきれず、部屋の隅に座って涙を流すこともあったようです。
 幼くして、家族を亡くすことは、一番、深い悲しみです。しかし、マーニャは、のちに自ら打ち立てた「第一原則」の通り、「決して負けなかった」のです。
 「苦しみなしに精神的成長はありえないし、生の拡充も不可能である」(北御門二郎訳『文読む月日(上)』筑摩書房)とは、自らも幼くして母を亡くした、ロシアの文豪トルストイの言葉です。
 創価学園の草創期、お母さんを亡くした中学生に、私は語ったことがあります。
 「人生には、必ず、越えなければならない山がある。それが、早いか、遅いかだけなんだよ。
 深い悲しみをかかえ、大きな悩みに苦しみながら、それに打ち勝ってこそ、偉大な人になれる。偉人は、みんなそうだ。
 だから、君も、絶対に負けずに頑張るんだ」
 その通りに、彼は、わが母校を"母"とも思いながら、大きな山を、学園生らしく越えていきました。
 一人の勝利は、亡き家族の勝利であり、一家の勝利です。
 そして、苦難を乗り越えた前進の足跡は、未来に生きゆく人々に、計り知れない勇気と希望を贈っていくのです。

学びゆく者こそ人間の王者
『学生時代のキュリー夫人』
 「未知の事柄を学ぶたびに喜びが胸にあふれました」

  短大生  生き抜け   勝ち抜け  この一生

 人生には、さまざまな試練や悲しみがあります。
 しかし皆さんは、決してそれに負けてはいけません。
 創価女子短大に縁したすべての方々は、必ず人生の勝利者になっていただきたい。それが私と妻の願いです。

 ● 監視の目をくぐって勉強
  一、家族が「一家の魂」と慕う母を失った後、マリー・キュリー(キュリー夫人)のお父さんは、いっそう、子どもの教育に大情熱を注いでいきました。
 "先立った妻のためにも、必ず子どもたちを立派に育て上げてみせる!"という、深き真情であったのでしょう。
 マーニャ(マリーの幼き日の愛称)は15歳のとき、最優秀の成績で、女学校を卒業しました。
 しかし、当時のポーランドでは、それ以上、学問を続けることができなかった。
 高等教育への門は、いかに優秀であっても、女性には開かれていなかったのです。
 勉強したくてもできないことが、どれほどつらいことか。私は自分の経験からも、痛いほどわかります。
 私たちの世代は、最も勉強に励める10代の青春を、戦争で滅茶苦茶にされたからです。
 マーニャは、16歳のころから、家計を助けるために家庭教師を始めました。
 とともに、自らの学問への熱情は、いささかもやむことがなく、「移動大学」で学んでいったのです。
 「移動大学」は、正規の大学ではありません。祖国ポーランドの復興を目指す青年たちが、自発的に設立した"秘密の大学"です。
 なぜ、「秘密」か? もしも、集まって勉強しているところを、警察に見つかれば、ただちに投獄されたからです。
 監視の目をかいくぐって、場所を転々と変えながら、青年たちは、ときに教師となり、ときに学生となって、教え合い、学び合い、互いの知性を錬磨していったのです。
 独立のために幾たびも勇敢に蜂起し、過酷な弾圧を受けてきたポーランドの人々は、「暴力で社会を変えることはできない。教育によって、民衆に力をつけていく以外にない」という結論に深く達していました。
 学ぼう! 苦しむ同胞のために!
 力をつけよう! 未来のために!──青年たちの勉学の原動力は、この崇高な使命感でした。
 汝自身の使命を深く自覚することは、人間としての根を深く張ることです。その人は才能の芽を急速に伸ばしていけるのです。

 ● 現実の厳しさを生きた人間学に
 一、キュリー夫人は、書いています。
 「ひとりひとりの個人の運命を改善することなくしては、よりよき社会の建設は不可能です。
 ですから、各人が自分の運命をきりひらいていこうと努力しながら、しかも同時に全人類にたいして責任をわけもたねばならないのです。
 なぜなら、自分がいちばん役に立ってあげられるひとびとをたすけることは、わたくしたちひとりひとりの義務だからです」(木村彰一訳「キュリー自伝」、『人生の名著8』所収、大和書房)
 一人の人間の運命を変革せよ!
 人類に対する責任を自覚せよ!
 苦しんでいる人々に手を差し伸べよ!
 これが、マリー・キュリーの信念でした。それは、創価の「人間革命」の理念とも響き合っております。
 17歳のマーニャは、自ら"先生"となり、工場で働く女性たちに勉強を教えました。彼女たちが本を読めるよう、小さな図書室もつくってあげたといいます。
 日中は家庭教師として市内を駆け回る。工場で女性たちに授業をする。そして、移動大学の秘密講義を受けるという毎日でした。
 マーニャにとって、最大の希望は、フランスのパリ大学へ行って勉強することでした。また、姉のブローニャも、同じ望みを持っていました。
 パリ大学では、女性に対して門戸が開かれていたのです。
 パリに行って勉強して力をつけた後、祖国ポーランドに舞い戻り、人々のために、人々とともに働きたい。これが、彼女たちの熱い願いでした。
 花のパリヘ──しかし父の給料と、姉妹のわずかな家庭教師の収入だけでは、いつまでたっても留学できる目処(めど)が立ちませんでした。
 そこでマーニャは、姉のブローニャに、一つの提案をしました。
 ──まず、姉がパリへ行く。自分はポーランドに残り、住み込みの家庭教師をして仕送りをする。
 そして姉が学業を終えて帰ってきたら、今度は自分がパリに行く──
 二人の姉妹は、父親にも相談し、この約束を実行に移しました。
 当時、女性の家庭教師は、下に見られることもあった。マーニャは、傲慢な、大嫌いな人のもとで働かなければならないときもあったようです。
 彼女は若くして、現実社会の厳しさを嫌というほど味わいながら、その一つ一つを、生きた人間学の糧に変えていったのです。
 マーニャは、友人への手紙に書いています。
 「人間というものがどういうものか、少しわかるようになったのは収穫でした。小説の人物みたいな人が実際にもいるとわかったし、お金で堕落した人たちとつき合ってはいけないということも、学びました」(エーヴ・キュリー著、河野万里子訳『キュリー夫人伝』白水社)
 つらいとき、苦しいとき、彼女は友人と語り合ったり、手紙のやりとりをしたりしては、励まし合っています。良き友情は、青春の最高の力であり、宝です。

②に続く
 

(無題)

 投稿者:シビック  投稿日:2016年10月21日(金)19時18分22秒
  「法華経で二乗の作仏が許され、権経では不作仏とされていた」と理解していながら、「自分の頭でモノを考える二乗や大学卒は成仏が難しい。高学歴学会員を撲滅せよ」という爾前経の観点からの指導に迷わされる悲しさ。
法華経で二乗は成仏できるのですから、二乗の人間を撲滅したり、お邪魔虫扱いする必要は無いのですよ。
私たちは、爾前経ではなく法華経を信じているのですから。
 

一会員様

 投稿者:見込みない人々  投稿日:2016年10月21日(金)19時15分44秒
  管理人さんに「『日蓮本物論を語る(例)』で別スレッド立てていただけないでしょうか?そこでの議論の進行は私が責任を以って混乱したり荒れたりしないように最善の努力をします。勿論、管理人様の権限は尊重します」みたいにお願いしてみたらどうですか?

こちらの本スレはタイトルに有る通り「54年問題総括」がテーマですから反発も出ます。このメインテーマから派生して別スレッドにする価値あり、と管理人さんが判断すれば対応してもらえるかもしれませんよ。幸い関心ある人もいるようです。但し、法華講の人とか色んな人が来る可能性あるので舵取り大変になるかもしれないので覚悟は必要です。一方で、見る人はいても投稿者が極小で寂しいものになる可能性もあります。



ちょっと離れてたら350を超える未読投稿・・(汗)
3日かけてやっと追いつきました。
 

(無題)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月21日(金)19時11分37秒
  セントラルパークのベンチに一人座り込んでいた男、これが一躍大金持ちになっていくと言う外資系企業の成り上がり物語ですね。

このストーリーは、大半が美談のような嘘であり、人物評価を高める印象操作に使われています。谷川佳樹が、東大裏の公園の暗がりで強姦魔やっていたのであれば、皆さん納得するストーリーでは?
 

(無題)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月21日(金)19時05分34秒
  それは、便所男No.1の琴ですか?
それとも、便所虫の琴ですか?
 

法華経を拝しましょう。

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年10月21日(金)18時44分28秒
  法華経で二乗の作佛が許されていますが、権教では不作佛とされていました。自分の頭でモノを考える二乗や大学卒は成仏が難しい。高学歴学会員を撲滅せよ。と男子部時代に指導をされました。何が言いたいかと言うと、賢しらげに観念を弄ぶ壮年約一名はお邪魔虫です。  

谷川氏の信仰体験

 投稿者:見込みない人々  投稿日:2016年10月21日(金)18時37分21秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/58469
https://www.worldtribune.org/2016/10/lion-kings-mentor-disciple/

Mr. Tanigawa then shared his personal experience in faith, including the story of how a determined SGI member introduced Nichiren Buddhism to his father, while he was sitting on a park bench. He joined the same day. His mother resisted the practice for six years but eventually also embraced faith.

谷川氏は自らの信仰体験を披瀝した。その一部を紹介する。谷川氏が公園のベンチに座っている時に、ある強信な学会員が彼の父親に折伏をした。彼(父親)はその日に入会したが、母親は6年間反対した後に入会した。
------------------------------------------------

WTの英文、私は上のように理解しました。
でもこれ、最後まで読んでもエピソードが並んでいるだけで、これが体験かいな~~???という印象です。

 

八尋みのる さま

 投稿者:通行人  投稿日:2016年10月21日(金)18時22分48秒
編集済
  丁寧なご返答ありがとうございます。

現在起きている学会内の事象は、池田会長全集9巻 対話篇 の中の「組織の論理と人間の論理」P634 のなかで、「組織というものが存在するかぎり、永久に対決していかねばならないテーマといえます」と、先生が早くから巨大化、複雑化に伴う学会という組織の陥りがちな「組織主義」への傾斜に警鐘を鳴らされてきたものです。そして、先生ご自身が内外にわたる“権威”と“権力”と闘ってこられました。

「組織主義」の傾向やあり方の程度は、その地域のリーダー達の人間性や地域の過去からの伝統、親分子分のような人事を連綿と行ってきた組織など、場所によって様々なのだと思います。特にリーダー(人)の特質に大きく影響されています。

ですから、会員に対してひどい対応をする地域(人)もあれば、鷹揚な対応をするところもある。要は、“我見”が酷いということですか。近きを視るに、集団指導体制なんてほど遠いでしょうね。先生ご自身も「学会は上意下達が強い」と明確に指摘し、注意されています。

会員の方々は皆まじめですから、そうしたことをあげつらうよりも、題目を唱え日々の活動を愚直にして、広宣流布していこう、功徳をいただこうと精いっぱいの方々が90%以上です。超克しているという見方と、相手にしていないという見方、関心がないという見方いろいろのような感じですね。(話した実感)

そうした意味では、師匠に対する弟子の在り方の原点に立ち返り、最前線から展望する学会の将来像を語り合っていくことは、“「一凶」を指弾するとともに”、とても有意義だと思います。

しかし…、これがだめ(できない)なんだよな~。(笑)おエライ幹部さん方は。
一生懸命にやられてるんだけどね。

「学会員をひとりの人間として接し、その人の人生を尊重し大切にしようとしてますか?」

私には、そう見えない人が多いですよ。
 

やってみれば

 投稿者:ヨッシー  投稿日:2016年10月21日(金)17時51分58秒
編集済
  解釈は自由です。
在世の造仏許容が、像法残機の暫用還廃と思えなければ、一尊四士でも、二尊四士でも立てて実践してみればいいじゃないですか。
我々は戸田先生、池田先生の指導こそ蓮興二祖の本意に適っていると信じているから、日蓮本仏、曼荼羅正意を実践し、また確信を得ている。

理屈だけ言ってないで、造像でも何でも実践して確信を掴まれたらまたどうぞ。
宗教なんですから。
 

臥子龍様

 投稿者:  投稿日:2016年10月21日(金)17時28分33秒
  ご指摘ありがとうございます!

魔に紛動されずに→魔との戦いに勝ち、自分の信心を確立する

頭で考えるのではなく→ネットや週刊誌など色んな情報が錯綜しているこの世の中、あれこれ考えたり迷わされる事もあるけど、まずは題目をしっかりとあげ、体験するのが重要であるという事を伝えたかったのです。
一日一時間の唱題で、自分の揺るぎない信心が確立された体験ですが・・・。現在も、もちろん継続中です。

伝えた方って大切ですね。勉強になりました!
僕自身、魔が競ってきたならば、厳然と戦うように、常に唱題根本に励んでいます☆

思ってる事をわかりやすく伝えれるよう励みむくね!
 

奏様

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2016年10月21日(金)17時07分33秒
  私はあなたのような話を何度となく会合で本部職員の指導として聴かされてきましたが、

大変違和感があるのです。

先生の指導は魔に粉動されるなではなく、魔と戦えです!。

頭で考えるのではなく、ではなく考察し、

咀嚼し自らの意志を持つことと何度も指導されています。

あなたのような方は妄信を起こしやすくなります。

お花畑信仰です。
 

南無妙法蓮華経、全てはこれに集約されています

 投稿者:  投稿日:2016年10月21日(金)16時21分30秒
  こういう掲示板がある事、初めて知りました。

とにかく一日一時間の唱題を持続してみること。

強き一念を持って。純粋に御本尊様に全てをさらけ出すんです。


そうして、日蓮大聖人の御書や池田先生のご指導を深く学び、行動、実践していく中で、信心をしているとはどういう事なのか自然とわかります。

つまらぬ魔に紛動されてはいけない。頭であれこれ考える前に、御本尊様を信じきって題目をとにかくあげる!

 

師弟不二アーカイブより  【絶対に変わらないもの】池田先生指導 

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月21日(金)16時02分6秒
  【投稿者:河内平野   投稿日:2015年 4月 5日(日)11時52分34秒】

「どのような大善をつくり、法華経を千万部も読み、書写し、一念三千の観念観法の道を得た人であっても、
法華経の敵を責めなければ、それだけで成仏はないのである」(御書一四九四ページ、通解)

法華経の敵と戦わなければ、成仏はできない。

この烈々たる破折の魂、破邪顕正の精神こそ、日蓮大聖人の仏法の生命である。

いかに時代が変わろうとも、この根幹は、いささかたりとも変わってはならない。

ここに、学会精神の真髄があるからだ。

この精神を忘れた、格好だけの人間、戦わない人間が、幹部のなかに多くなると、
組織は沈滞し、分裂する。衰亡の坂を落ちていく。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=5495
 

一会員さんへ

 投稿者:別名・タイフ-ン パワ-  投稿日:2016年10月21日(金)15時45分54秒
  あなたは池田先生、池田先生とみんなはいうと書いてありますけど、池田先生は御本尊様のことを常に指導され、私たちが指導を受けると御本尊様の前に向かわせる指導をされてきました。先生、先生と私を拝んでも功徳はない、御本尊様に(当たり前ですが) お題目をと、常に指導してこられましたよ。◆学会員同志では池田先生、池田先生というのは師匠でありますし、池田先生の御本尊様に対する私たちに対し、御書を通した信心のご指導をしてくださるから池田先生と言ってきています。◆私は折伏のときには必ずこのことを対話の相手に語ってきました。 では。  

一会員さま

 投稿者:浦島の太郎  投稿日:2016年10月21日(金)15時05分45秒
  教学にご堪能で、しっかり勉強をされたお方と感じました。
長文の書き込み、これからじっくりと読ませていただきます。
多数の人が読まれていることと思います。ありがとうございました。
 

御書

 投稿者:とやま  投稿日:2016年10月21日(金)14時43分40秒
  牧口先生も信者としてのお立場で御書を学ばれていたかと思いますが。
大石寺版として編纂されたのが今の学会の御書ではないでしょうか。
この際に大石寺から追加されているものがあります。
創価学会版として再編纂してもよいのではないかと思うほどです。

一会員さんへの投稿に口を挟んでしまい申し訳ありません。
 

一会員さんへ

 投稿者:別名・タイフ-ン パワ-  投稿日:2016年10月21日(金)14時33分5秒
  はじめて投稿させて頂きます。創価学会員の婦人部です。   ◆御書で答えるのは当たり前ですが、ネットの狭い世界だけで判断をすると誤ってしまうことが多いですよ。◆御書は見せびらかすためにあるのではなく、また創価学会出現前は御書として、まとまってはいなかったですよね。御書としてなってなかった時は日蓮正宗にはあっても、信者として皆さんには学べなかったのではないですか。◆学会の組織もそうです、学会の組織があって、私たち学会員は御書も、宿命転換も、その他も教えて頂きいまの自分がいるのですよ、◆御書だって、御書としてまとまるまでの・努力、そのほかがあって御書として出来て私たちも学べてこれました。◆私たちは御書はお金を出せばすぐ買えます。ですから、創価学会と当時は宗門と和合僧でしたので強力して御書としてまとめることができましたが、そのことも知らずにただ、楽に簡単にお金を出せばすぐ御書を買えるので学会の組織があったおかげでいまの私もいるのです。◆御書としてないときはどうしてたのですか。 私は創価学会に入会して58年になりますが、いつもこういうことも忘れたことはありません。創価学会の同志は本当にありがたいです。いろんなこともあり見てきたこともありますが、創価学会の出現の不思議さは本当にすごいものです。 では  

鳥取で震度6強!!

 投稿者:速報  投稿日:2016年10月21日(金)14時27分44秒
  やはり
彼の万祈よりは一凶たる原田執行部を追撃するべし
このままでは
日蓮を悪しくうやまい国滅ぶ
 

社会に有為な人材

 投稿者:警鐘  投稿日:2016年10月21日(金)14時23分53秒
編集済
  創大の田中、池田投手
それぞれドラフトに指名された

池田先生は本当に社会に有為な人材をたくさん育てておられる

それに比べて、秋谷会長、原田会長が育てた職員の劣化は酷い

池田先生が会長の頃の職員は見た目も身なりもパッとしなかったけれど、「輝き」がありました
職員の腐敗堕落は歴代会長の責任

所で谷川さんはなぜ、どういう立場でアメリカに行かれたのでしょうか?

原田会長、笠貫副会長
ゴールデンコンビは、北米訪問団と銘打って、なぜ、北米周りしなかったのでしょう?
今の時期のボストンは最高です

今日のニュースで議会休んでネパールに行った
議員が話題になっています
なぜ、議会を休んで行ったか?
秋のネパールに行きたかったそうです

秋のボストン
最高です




 

毒矢のたとえ、

 投稿者:大阪の地区ブチョ?、メール  投稿日:2016年10月21日(金)14時11分31秒
  教学のむずかしい話しは、恥ずかしながら勉強不足でよくわかりません。今まで創価学会で学んできた教学が正しいとか間違いとか。細かいところはよく理解できていません。
ただ、この信心を教えてくださった若き日の先輩は、仕事かえりの汚ない汚れた作業着のままで何度も僕の家に来ていただき、
信心の世界にひっぱり上げてくれました。
この先輩には学はありません。ただ、目の前にいる僕をだまってみているわけにはいかない気持ちから、声をかけてくださったのです。僕もそうして生きたい。



 

一会員様

 投稿者:とやま  投稿日:2016年10月21日(金)13時55分24秒
編集済
  一会員様の投稿を興味深く読ませて頂きました。
学会で教わってきたものは日蓮教学ではなく日寛教学なのでは?と疑問に思っていたところでした。
「久遠元初」が「百六箇抄」と「本因妙抄」にしか出てこないということ。
大聖人がご自身のことを「本仏」と呼ばれている御書がないこと。
「人本尊」という言葉はいつの時代から使われだしたのか。
そもそも「法主本仏論」などという邪義が生まれてしまったのも「日蓮本仏論」があったからこそではないのか。このままの教義では一部の人間の仕業で師匠が「神様」のように扱われていってしまうのではないか。等々。

長い間、日蓮正宗の教学が「文底」という言葉で面倒な議論をすっ飛ばしてきたことによって、本来の大聖人のご精神が正しく伝わっていなかったのではと思うようになりました。

学会の教義を変えていくということになると歴代会長の発言との整合性や会員の納得が必要となるため長い時間をかけての議論が必要になると思いますが、一会員様の言われるとおり、議論の機会、対話の機会を意識的にあらゆる場で作っていかなくては、学会は他の宗派から本当に取り残されていってしまうのではないかと危惧しております。

ネット上で「創価学会はヒンドゥー教の亜流」と書かれているのを見たことがあります。
このままでは逆に密教化へと進んでいってしまうような気がしてなりません。
 

ひかり様m(._.)m

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2016年10月21日(金)13時43分36秒
編集済
  遅くてすみませんm(._.)m

仕事が忙しくて見るのが遅くなってしまいました。

m(._.)m

ひかり様の投稿の方が爽快、豪快、痛快ですm(._.)m

読んでるだけで嬉しくなります。

私は単純に見るので手一杯の時が有りますが、

ひかり様の投稿は忙しくても探して見てます。(^o^)

 

コメントありがとうございます

 投稿者:満天の星メール  投稿日:2016年10月21日(金)13時41分20秒
  陽光様はじめ、谷川SGI副会長についてコメントをされた方々へ感謝いたします。とても勉強になります。以前、ニューイングランド地方の友人から、ボストンに新会館が出来ると聞いて「良かったね!」と返したのですが、せっかくのオープニングがこれでは、、、、とても、とても不憫に思ってしまいます。残念ながら、生涯広布 & 広布一筋様がおっしゃるように、既に「日蓮世界宗」が機能し始めているように感じますね。  

谷川佳樹は、青年部時代から全く学会活動歴が無いために、詐称歴を創作する!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月21日(金)13時30分21秒
  親が信心していなかったのに、学会書物を読みふけった?日本共産党資料室ですね。
親を折伏した?偽装入会して子供を創価学園に送り込む。
創価大学などと世法では三流以下の大学を蔑視して当然の琴ながら東京大学へ進学。
とりあえず、商社に入社して様子を伺い、秋谷の手引きで本部職員になる。秋谷にはかなりの高額な報酬が日共財閥から支払われた琴でしょう。そして、不出来な下半身の弱いだらしのない男だったけれども、学歴あるし、無難なところで役職を与えて、学会が上昇気流になっているところへ下駄を預けて登る琴が出来たような感じですね(-_-)
 

谷川佳樹のシアトル事件なんて起きてしまうかも?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月21日(金)13時20分55秒
  海外遊行と言えば、日顕誤法主承認芸閣下さま。シアトルならぬニューヨーカーに混ざって良からぬ所(風俗=スナック)に夜な夜な子飼いの米国大患部と入り浸っているのでは有りませんかね?還暦過ぎた禿げオヤジでも、プラグマティズムの米国では金さえあれば歓待です!!  

出てきた出てきたww 荒らしやろうのシビックww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年10月21日(金)13時10分30秒
編集済
  ところで、これまだ?
渋調w  ネタを早くね~w

↓↓↓↓↓↓↓↓↓
投稿日:2016年10月 3日(月)12時28分21秒   通報
渋調ネタww まだかな?ww  投稿者:八尋みのる
投稿日:2016年 9月11日(日)07時10分5秒   通報
http://6027.teacup.com/situation/bbs/54492

>思考の自由度をうたいながら、現執行部の思考のフレーム内でしか言論を展開できない渋調Twitterの発信者の特定<
>後日谷川側の指示発信とともに検証して参りたい<
 

谷川佳樹創価学会主任副会長は、やはり組織破壊を目的として、創価学会中枢に送り込まれた日本共産党のスパイ!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月21日(金)13時02分16秒
  断って置きますが、今の日本共産党ではなく、ちょっと前まで独善主義で戦略研究所の指示に従って共産主義革命を目論んでいた時代の日本共産党です。今はこれが仇であったと気づき方向転換しています。まぁ、また再び逆戻りも有るかもしれないですが(-_-)

親は信心していなかった、本人も青年部時代からの活動歴が無い、折伏・弘教も聖教啓蒙も青年部時代から全くやって無いので、この板で叩いても、誰~もフォローしてくれない。

でも、役職だけはバンバン上がって気がついてみればNo.2です、便は1ですが。オカシイでしょ。草創の幹部の子供でも無いリンカンばかりやっていた人物が創価学会最高幹部になっている。私は創価学会内の中枢に破壊工作を仕掛けている中枢幹部が居る事に危惧していました。秋谷・矢野とは別物。先生がご健在の時から、観察していますが本部内が歪んでいる。改革が進まない、常にトーンダウンさせていた悪人が居ると観て居ますがどうなんでしようか?

先生は分かっていて、放していたと思いますが、感度の良い方々は、あいつだ!そしてあいつも!と知っていたのでは?
 

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