北陸発若き等伯 氷見に仏画 蓮乗寺収蔵の鬼子母神十羅刹女像
20歳前後、最年少の作品か国宝「松林図びょう風(ぶ)」で知られる石川県七尾市出身の絵師、長谷川等伯(一五三九〜一六一〇年)の仏画「鬼子母神十羅刹女像」が、富山県氷見市の蓮乗寺で新たに見つかった。作風などから七尾美術館(七尾市)が等伯作と確認した。十代後半から二十代前半に描いたとみられ、最年少の作品の可能性が高い。等伯が二十歳前後で高い技術をもち、信頼された絵師として幅広く活動していたことがうかがえる。(高島碧) 仏画は、縦七十九センチ、幅三十八センチの掛け軸。同館によると、作品の左下には等伯の画業最初期の二十代前半に使っていたとされる四辺形の落款「矩形(くけい)印」が押されている。また、画面構成や鬼子母神のポーズ、十羅刹女の顔貌や衣装が、等伯を名乗る以前の若き「信春時代」の仏画によく見られる。これらの視点から、等伯作と認められた。蓮乗寺は、等伯と養父宗清の合作とされる「宝塔絵曼荼羅(まんだら)」も所蔵している。
これまでは、石川県羽咋市の妙成寺にある、矩形印が押された日乗上人像が最年少の作とみられていた。今回の鬼子母神十羅刹女像は、その日乗上人像よりも線描や彩色が不慣れなため、制作年代がさかのぼるとみられる。 蓮乗寺は、この鬼子母神十羅刹女像を一九七五年ごろまで仏事で掛ける仏教絵画として使っていたが、傷みが進んだため収蔵していた。 鬼子母神は仏教を守護する女神で、子授け、安産、子育ての善神としてまつられ、女性の信仰があつかった。画面中央に赤子を抱く鬼子母神を大きく描き、その周りに十羅刹女を配している。等伯が描いた鬼子母神像は富山県内では大法寺(高岡市)と妙伝寺(富山市)、新潟県三条市の本成寺も所蔵しており、北陸で鬼子母神信仰が盛んだったことを裏付ける。 信春時代の等伯に詳しい東京国立博物館研究員の松嶋雅人さんは「天蓋(てんがい)の上に天女が描かれているのは珍しく、鬼子母神図の図柄を研究する貴重な資料となる。等伯は宗派や地域ごとに描き方を変えていたことが考えられる」と話している。 長谷川等伯 七尾城主畠山氏の家臣の子として生まれた。絵師長谷川宗清の養子となり、信春の号で仏画や肖像画などを描いた。30代で京都に移ると、大寺院の襖絵(ふすまえ)やびょう風(ぶ)など大作を描き、当時全盛だった狩野永徳ら狩野派を脅かす絵師に成長。51歳ごろから名を等伯と改めたとされる。水墨画の最高峰といわれる「松林図びょう風」や、金碧障壁画の国宝「楓図」などの傑作を残した。 PR情報
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