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本土決戦 地域の演習資料 太平洋戦争末期 長野で見つかる

第10特設警備隊の教育計画。郷土防衛のため肉迫攻撃に当たる方針が記され、極秘扱いだった第10特設警備隊の教育計画。郷土防衛のため肉迫攻撃に当たる方針が記され、極秘扱いだった
 太平洋戦争末期、本土決戦に備えて現在の長野市で計画された演習の資料が市内で見つかったことが20日、分かった。兵力不足を補うため全国的に制度化された「地区特設警備隊」の教育計画などで、米国の空挺(くうてい)部隊が吉田地区に飛行場を造ったと想定し、警備隊が「肉迫攻撃」などで応じる詳細な内容。専門家は、地域ぐるみで本土決戦に備えざるを得なくなっていた状況が分かる貴重な資料だと評価している。

 防衛省防衛研究所戦史研究センター史料室によると、各地区特設警備隊の教育計画は所蔵していない。明治大平和教育登戸研究所資料館(川崎市)館長で、軍事史などが専門の山田朗(あきら)・明大文学部教授(59)によると、警備隊の具体的な行動を示す記録や証言はこれまでなく、「何も動いていないとみなされがちだった」と説明。地域で具体的な動きがあったことが分かる点で、今回の資料は重要だとする。

 資料は、長野市信州新町の元高校教諭久保田雅文さん(66)宅で発見。父の故猶重(なおしげ)さんが保管していた。45年6〜7月の日付で警備隊の演習内容などが記されているが、実際に演習が行われたかは確認できていないという。

 教育計画は「対空挺戦闘」「爆薬戦闘指導」などの項目が並ぶ。うち「遊撃戦」は、7月12日未明に米軍の空挺部隊が「長野平野」に戦車を降ろし、吉田地区一帯とみられる「吉田平地」に飛行場を造ったと想定。上水内農学校(現長野吉田高校)を拠点に、上水内郡の浅川村(現長野市浅川地区)や吉田町(現吉田地区)で行う内容だ。

 「築城構築」の項目では、射撃したり敵の攻撃から身を守ったりする穴「掩体(えんたい)」の掘り方を図解。銃の握り方から教えるとされており、実戦経験のない住民も動員される内容だったことが分かる。

 県内の地区特設警備隊は45年4月、長野師管区の長野地区司令部の下、長野、松本、飯田市などを拠点に22の部隊が配置され、45歳までの予備役や住民が召集された。吉田町に置かれた第10特設警備隊の定員は531人だった。

 猶重さんは1905(明治38)年、信州新町生まれ。日中戦争などに従軍し2002年に96歳で亡くなった。資料は土蔵の金庫に「昭和二十年七月大東亜戦争極秘書類」と書かれた封筒に残されていた。久保田さんは、猶重さんが在郷軍人会幹部として計画に関わっていたとみている。

(10月21日)

長野県のニュース(10月21日)