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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2016-10-21

プログラミング教育ではもう遅いかもしれない 06:16

 土曜日はいよいよ全国小中学校プログラミング大会の最終成果発表会と表彰式です。

https://i.gyazo.com/59f60b606e5023a812abc967f4601e4c.png

全国小中学生プログラミング大会 | CANVAS | 遊びと学びのヒミツ基地

http://canvas.ws/workshop/12073


 一般の方も作品展示などを見ることで参加できますので、来年の参加を検討されている親御さんはぜひともお子さんと一緒にご来場ください。


 当日は僕とアスキー総研の遠藤諭さん、NPO法人CANVASの石戸奈々子さんの三人による鼎談も企画しております。



 と、いうわけでプログラミング教育百花繚乱なわけですが、本日鼎談の打ち合わせに行ってきて、「プログラミング教育ってどうしましょう?これからどうなるんですか」という話になったとき、ふと


 「いや、もうプログラミング教育では不十分なんじゃないか」と自分でも創造の範囲の外にあった言葉が自然にでてきてしまい、我ながら多少うろたえました。


 なぜかというと、AIの出現と急激な進歩によって従来のような積み木を組み立てていくタイプのいわゆるプログラミングや、アルゴリズムによる問題解決は、いよいよプログラマーの仕事でなくなる可能性が高くなっているからです。


 先日の品女の漆先生との対談のために、日本の義務教育の歴史について少し調べたのですが、実は戦前の日本の尋常学校(いまの小学校)では、今の学校よりも遥かに理数系科目が重視されていたようなのです。


 戦後、GHQが教育政策として軍国教育を辞めさせようということで教育指導要領を書き換えるわけですが、敗戦国の方が戦勝国のアメリカよりも遥かに高度な理数系知識を義務教育段階で教えていることに脅威を感じたGHQは、理数系科目の比重を極端に減らした新しい学習指導要領を押し付けます。昭和25年のことです。


 要は愚民化政策で、よく考えてみれば戦前の日本は英独の協力を得ていたとしても、曲がりなりにも自力で世界有数の機動力を誇る戦闘機を設計したり、世界最大の戦艦を建造したりしていたわけですから、GHQ先生としては「またぞろゼロ戦や大和を作られちゃ困る」と思ったのでしょう。


 その愚民化政策は戦後長く続きますが、コンピュータの台頭と普及に伴ってそれに対応すべく理数系にもっと力を入れるべし、ということで反動的に理数系がムチャクチャ高度になった新しい学習指導要領が昭和52年(1977年)に制定されます。


 つまりこれが僕とか昭和世代が受けたいわゆる詰め込み型教育なわけです。


 ちなみに1977年はApple Computerが出来た年ですが、日本で最初にヒットしたマイコンは1976年のNEC TK-80です。実はコンピュータにおいて日本も米国に引けを取らないほど早期に流行っていたのです。


 ところが唐突に難しい内容を義務教育に取り込もうとすると、そもそも先生がついてこれません。

 だって先生方は、GHQの愚民化政策の結果うまれたゆとり教育真っ青の雑な数学教育しか受けてないわけです。


 生徒以前に先生もついてこれず、よくわからないことをよくわからないままわかったふりをして説明する、という悪夢のような教育体制がここに生まれたのでした。下手すりゃ質問に答えられない。


 ちなみに、たぶん僕と同世代で理数系が好きなら経験があると思いますが、平成初期までの小学校、中学校の先生にわりと普通の3x3行列の乗算について聞いても、「そんな難しいのはわからない」と一蹴されたりしました。そのときの絶望感。僕が知りたいのは単に行列の乗算なのに、先生はそんなこともわかんないの?という混乱は、後に教育学部に進学した同級生がみんなさほど優秀じゃなかったことでようやく得心するまで長年の謎でした。


 さすがに今はそれが知りたければネットで調べれば一発ででてきます。でも当時は三角関数の話すらまともにできる先生がいなかった。わりと地元で一番いい中学に通っていたのでそのショックは大きかった。個人的には。プログラミングも含めて、教えてくれる大人が周りに誰も居ないという絶望感。


 そして若い先生は新しい学習指導要領のもとで育っているので、比較的難しめの話題でもちゃんと理解していて教えてくれる感じでした。なんと、要するに文部省の政策とはそれほどの影響力を持っているのです。


 この結果、ある程度の取りこぼし(いわゆる落ちこぼれ)はでたとしても、結果としてこれはこれで正しい国家戦略だったのではないかと思います。


 その後、詰め込み教育の反省からゆとり教育がうまれ、ゆとり教育の反省から「脱ゆとり教育、生きる力を育てるための教育」という現在の指導要領に変わるわけですが、現在の小学生は僕達が子供の頃とは随分違う形式で授業を教わっているようです。


 そして今度は「プログラミング教育」をどうやって「生きる力」につなげていくか、どのように義務教育に組み込んでいくか、という議論になっているわけですが、「なんのためにプログラミングが必要なのか」ということに対して、「論理的思考能力」とか「IT時代への対応(いまさら?)」とか、どうもしっくりこなかったんですよねー。



 で、僕が度々、「プログラミング教育を追加するんじゃなくて、ものごとの考え方の基準をプログラミングにするべき」だとか、「人類は全てプログラマーになるべき」だとか主張していても、まあ大半の人は「はいはい、わかってますよ」とシン・ゴジラ松尾スズキのような反応を返すばかり。


 もっと重要なポイントがある気がする。

 たとえばアスキー遠藤さんとの対談で遠藤さんが「Excelを使えるのはサイボーグだ」みたいなことを言っていて、なるほどそういうことか、というなにかがわかりかけた気がした。


 この場合の「サイボーグ」とは、最近このブログでも度々とりあげる「生まれながらのサイボーグ」という話から来ている。


 ヒトが動物と違うのは、生まれながらにして道具を使いこなし、教育を受けることができるからだ。


 そうすることによってヒトは自分の遺伝子だけでできることの限界を易々と突破し、人体の7000倍の速度で移動し、寝室に居ながらにして地球の裏側にあるサーバーから情報を引き出し、自動翻訳で未知の言語を読み取ることができる。


 つまり言葉や道具を使いこなすという人間の性質こそが、人間が生まれながらのサイボーグである根拠だという主張だ。


 この領域をヒューマン・オーギュメンテーションという。つまり人間拡張である。


 この、人間能力を大きく拡張している機構のひとつが、教育システムにあることは間違いない。


 日本で義務教育を受けてない人間、というのに会ったことがないが、たとえばポル・ポト派が全ての知識人を虐殺し、全ての書籍を焚書したカンボジアでは、文字すら満足に読めない大人が当たり前のようにいるという。なにしろ学校と名のつくありとあらゆるものを破壊し尽くしたわけだから、教えるヒトもいなければ継承する人もいない。


 そんな場所でも農作業は教え込まれる。これも一種の教育だろう。

 

 教育されることができる、一定以上複雑なことが覚えられる、というのが要は人間の圧倒的な凄さなのだ。


 犬や猫も教育できるが、一定以上複雑なことは覚えられない。

 オウムや九官鳥も言葉を話すが、やはり複雑なことは覚えられない。概念獲得が可能なのが人間の凄いところなのだ。



 そうしたサイボーグ的側面からみたとき、コンピュータとはどのようなものであるかというと、間違いなく人間の知的能力拡張を実現するツールである。


 そしてその知的能力拡張を直接行う方法は、プログラムを書くしかない。プログラムを書かなくてもある程度はコンピュータを使って知的能力を拡張することはできる。単純な計算などは電卓やExcelを使えばいい。重回帰分析のような面倒な計算もExcelはやってくれる。けれどもそれだけだ。Excelは大量の画像データを加工してはくれないし、アイドル画像まとめサイトからアイドルの画像を一括ダウンロードしてくれるわけでもない。もちろんVBAを使えば可能だが、それはもはやプログラミングしているということである。


 そこに今度はAIがやってきた。まあ僕はもはやAIがやってきたというよりも、今のコンピュータが単にAIとこれかから呼ばれることになるであろうもののプロトタイプか中間形態に過ぎないという印象を持っているので、コンピュータとAIを分けることはあまり意味がない。まあ次世代コンピュータという呼び方も古臭いから単にAIと呼ぶのでいいと思う。


 近年のAIの進歩は、控えめに言って驚異的である。

 アルゴリズムをあれこれ深く考えるよりもデータを集めて機械学習させたほうがいい。そんな時代が到来しようとしている。


 その意味ではもちろんプログラミング教育は大事だ。

 だがそこで得るべきものは論理的思考力などではなく、AIを含む人工知性に対する直感力だ。


 ある目的を達成するのに必要なものは何で、不要なものは何かということを見極める力である。

 これは当分の間、身体性を持たないAIそのものには代替不能な能力として残ることが考えられる。


 もはやあらゆるコンピュータがAI化するのは不可避の流れになりつつある。嘘だと言う人もいるだろう。しかもそういう声は、現場で実際にプログラミングしている人ほど強い語調で言うだろう。自分たちが学んできたものが機械にとってかわられるなんて信じたくないのだ。だから当然の拒否反応とも言える。だがAIはひたひたと、うしろから我々人類を追いかけてくる。しかし部分的にはもはや逆転は始まっている。そこから目をそらして生きてはいけないところまで来ているのだ。進化のスピードが去年に比べて全く衰えないどころか、むしろ加速しているようですらある。去年の今頃、僕は「画像認識ができるなんて凄い」と書いていた。LSTMというのを使うとWikipediaを学習してそれっぽい文章が生成できるね〜と言っていた。


 ところが今やAIは、単純なテキストによる情報から脳内(?)で情報を整理し、的確に状況をモデル化して出された質問に答えたり推論したりできるようになってきた(http://wired.jp/2016/10/18/deepmind-dnc/)。


 GoogleのDeepMindが囲碁に続きまたやらかした。今度は外部記憶を持つニューラル・ネットワーク・コンピュータである。


 この論文の軽い翻訳を、ド文系のエリックに頼んだら、なんとやってくれた。細かいところでちょっと変なところはあるが、こんなものを自分一人で独占するのはもったいないから共有したい。後半のアルゴリズム部分はもっと難しいので現在翻訳中だが、とりあえず前半だけでも凄さはわかるとおもう。

https://www.evernote.com/l/AAJ3mZAkxzBHfJ4GW2av-0E06I9ghwRSWvo


 ここで指摘したいのは、プログラミングの先にAIがある、という前提を置かないプログラミング教育は、全てただのお遊戯になってしまう可能性がある。ということだ。


 全く無意味ではないが、ほとんど意味がない、ということである。


 だからこそ、我々は知能サイボーグ化のためのAIとプログラミングの関係性について早急に考えなければならない。そしてそれは、教育ということそのものにも関わってくるのだ。


 昭和52年にコンピュータの台頭が念頭に置かれて学習指導要領が書き換えられたのであれば、今我々が念頭に置くのはAIが台頭する時代に対応した人材の育成である。


 我が国は、欧米、中国におくれをとってはいるが、まだ挽回できないほどの段階じゃない。今のところ部品メーカーのNVIDIAを除いてだれも、この領域で高い収益を上げるビジネスを構築していないからだ。


 イメージとしては、スマートフォン初期のiPhoneが今のAIで、NVIDIAがAppleである。

 NVIDIAは深層学習のためのプラットフォームとしてのハードウェアを提供して莫大な利益を上げている。


 スマートフォン初期はフリーソフトやろくでもないアプリの粗製乱造が目立ち、名もなき個人開発者たちが一攫千金を夢見て(そしてかなりレアな確率だが実際にそれはしばしば千金になった)、我も我もとこのマーケットに参入した。


 しかし本当にそのマーケットの真価が現れるのは、マーケットの内側に閉じたアプリではなく、Uberやメルカリのように、アプリをフロントエンドとして外の世界と接続した場合である。


 最初はギークや業界人だけのマーケットだったのが、普及するにつれて一般人が使うようになり、そこで利益を生むようになった。



 AIに関しても同じことが言える。

 今の段階では、マーケットの内側、つまりAIの活用を検討している企業や研究所がAIビジネスの顧客である。だからNVIDIAは半導体を売り、我々UEIはNVIDIAの半導体を搭載したワークステーションを売っているのである。


 次の段階は、その中から真に付加価値の高いビジネスを構築する企業や人物が現れることで、もちろん我々もこの領域を目指すつもりだが、それを世界でまだ誰も実現できてないわけだから、日本がこの段階で遅れを取っていることが全体として致命的な遅れにはならないと考えている。


 基礎技術分野に関しては、実はiPhoneなどと違いどのテクノロジーでも代替可能なので、Intelが新しいチップに深層学習専用命令を追加したりと、NVIDIAもいつまで盤石でいられるかというとそこまでとも思えない。


 フレームワークについては、もはやどれを選択しようがどうでもいい。あまりにも様々な組織がオレオレフレームワークを乱発するので、せっかくgithubで実装が公開されていても手元の環境ではすぐに試せないという間の抜けた混乱状態はむしろチャンスでもある。この状況では手を動かした者が勝つ。


 Uberが創業したのはiPhoneが米国で発売されてから2年後だ。βサービスが始まったのはさらに2年後。要はiPhoneが登場してから4年かけてβに入り、その一年後に正式サービスになったということだ。


 ディープラーニングが世界的に注目を集めて1年ちょいが経つ。あと1年以内にディープラーニングを活用した全く新しいビジネスを構築して、3年以内にサービスインすれば、ディープラーニング分野のUberになれる会社が日本からも現れるかもしれない。


 そう考えると、プログラミング教育を今頃取り入れても二周回くらい遅れてしまうのだ。我が国はもっとその先、AIを強く意識したAIプログラミング教育を義務教育に取り入れる必要があるのではないかと思う。


 つーてもそれこそ教える先生がいないよなあ

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 ということで土曜日はそんな思索を踏まえたお話を現役の教育者である石戸先生としてみたいと思います。

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全国小中学生プログラミング大会 | CANVAS | 遊びと学びのヒミツ基地

http://canvas.ws/workshop/12073

 ニコ生中継もあるのでぜひ