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エロの抑圧、萌えへの侮蔑。「駅乃みちか」への乱暴な批判は、「女性の身体はエロく卑猥なので、表現として不適切、表現すべきでない」につながる

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(C)柴田英里

(C)柴田英里

 東京メトロの公式キャラクター「駅乃みちか」の、萌えキャラバージョンが波紋を呼んでいます。

 「駅乃みちか」は、2013年秋から東京メトロ駅ポスターなどで活躍している、「東京メトロサービスマネージャーで帰国子女の23歳女子」という東京メトロ公式キャラクターです。

 3~4頭身程度で、近年流行の萌えキャラゆるキャラとは違った、素朴なテイストのイラストながら、メトロポスターではあざとそうな一面もあるキャラクターとして、東京メトロの利用者にはその存在がじわじわ浸透していたのではないでしょうか。

 さて、数日前から問題視する声が(主にTwitter上で)相次いでいる“萌えキャラバージョン”の「駅乃みちか」は、東京メトロ公式キャラクターとしてのデザインがリニューアルされたものではありません。萌えキャラクターコンテンツのひとつである『鉄道むすめ~鉄道制服コレクション~』(トミーテック)の企画に参加するために、人気イラストレーターの伊能津さんによって描かれたものです。

駅乃みちか

画像は駅乃みちかLINEスタンプ公式リリースより

画像は『鉄道むすめ~鉄道制服コレクション~』公式サイトより

画像は『鉄道むすめ~鉄道制服コレクション~』公式サイトより

 『鉄道むすめ』の公式サイトによれば、『鉄道むすめ』は、オリジナルキャラクター達が実際の鉄道事業者の現場で活躍する制服を着たキャラクターコンテンツであり、公開された「駅乃みちか」イラストは、2017年2月11日から開催予定のスタンプラリー企画『つなげて!全国“鉄道むすめ”巡り』へのゲスト参加を記念して公開されたものであると明記されています。

 つまり、『鉄道むすめ』版の「駅乃みちか」は、あくまで、萌えキャラクターコンテンツである『鉄道むすめ』とのコラボイベントのための姿であり、東京メトロ駅構内や車内に貼られる公式のポスターがリニューアルされたわけでもなく、萌えキャラとしての「駅乃みちか」が、駅や電車内といった公共空間に貼り出されたわけでもありません。にもかかわらず、リニューアルされたものと誤解して、「前のみちかのほうが良かった」「メトロのキャラとして不適切」といった批判を繰り出す人が目立ちました。

 「鉄道むすめ版駅乃みちか」イラスト批判の多くは、「公共交通機関の公式キャラクターが性的な記号を孕むことは不適切だ」というものでした。

●スカートの上から太ももや股間のラインが浮かび上がっており性的である。

●元イラストの特徴である困り眉やピンク色に染まった頬と、半開きの口元が合わさることで媚びているような恍惚としているような表情となっており性的である。

●いわゆる“乳袋”描写ではないが、ブレザーの上から胸のふくらみがわかるところが性的である。

●全身のポーズが妙にくねくねしていて性的である。

●サービスマネージャーという職にある女性を、知識と経験を備えたプロフェッショナルとしてではなく、性的にアピールする若く未熟な女性として表象している。

 しかし、公開されたイラストは公共交通機関の公式キャラクターとして使用されるものではありません。また、肌を露出しているわけでも、制服を激しく気崩しているわけでもありません。「困り眉」や「胸の膨らみ」、「あざといポーズ」などは、東京メトロ公式の「駅乃みちか」にも見受けられるものです。

 キャラクターが性的に見えることを指摘する言葉ひとつをとっても、「スカートから下着のようなものが透けて見える」「おしっこを我慢しているようなポーズで不快」「衣類と身体は、デフォルメするのではなく、実際の人間が服を着用した時と同様に描くべきだ」「女性の身体の美しさではなく、ヘテロ男性の一方的な性的欲望が描かれている」など、いささか過剰な意見も目立っていました。

 「東京メトロの安全性や信頼性に関する広報」などの文脈で、女性キャラクターだけが「サービスマネージャーという職にある女性を、知識と経験を備えたプロフェッショナルとしてではなく、性的にアピールする若く未熟な女性として表象している」となれば問題ですが、ゾーニングされた萌えキャラクターコンテンツの文脈でそれを批判されても、「萌えコンテンツで萌え萌えキュンしてなにが悪い」としか言えません。

 萌えコンテンツであっても、職を持つ女性は知識と経験を備えたプロフェッショナルとしてのみ描くべきであれば、少女漫画やBLにでてくる有職のイケメンに対して、その職業の特性や修練度とは別の部分で萌えたりときめくことも同様に成立しなくなります。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」

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コメント
2 :
2016年10月21日 03:13
>>1

柴田英里さんの記事へのコメントがこちらに間違って記載されてしまいました。失礼をいたしました。どうか、ご容赦くださいませ。

れーべん

1 :
2016年10月21日 03:10

問題が2点。いわゆる「萌え絵」が女という存在を侮蔑している、と多くの女が感じることや性に対する嫌悪の感情が「悪いこと」のように扱われていること。

性に対する嫌悪は男女どちらにもあるし、女の場合、性によって物理的、社会的リスクを負う可能性の男性とは非対称的な重大さ、また負ってしまった経験から嫌悪が生じやすいことはカウントされないのだろうか?セックスポジティビズムが蔓延る現代社会は、かえって嫌悪感を持つこと自体を病的なl事として扱ってはいないのか?

萌え絵に表現される女性性に対して不快を表すことは、美術館に「美」として収蔵されている名画の数々に対する異論にももちろん繋がっている。ディレッタンティズム、そして権威による「美の規範」運用によって女の表象がたどった画一化の典型が「裸」だったりするからだ。

萌え絵への批判が「女の体は卑猥なので表現として不適切」であるという結果を導くというのはおかしいのではないか?なぜなら萌え絵は「女の体を卑猥(煽情的)に描くこと」によって成立しているものであり、多くの女が萌え絵に感じるであろうことが既に「女の体に対する名誉の毀損」である。異を唱えることはその回復を試みるものだと私は理解する。なんで、不快だと声を出すことを我慢する必要があるのか?裸やエロは本当に女を解放するのか、それとも別の抑圧を与え得るものか?

最後に、感情論に支配されるな、というのはそれ自体が非常に差別的な価値観でもある。いろいろ言っているが、私は最終的には表現規制には賛成しない。嫌いなものや、いやなものであっても存在するし、そこにアクセスする権利は妨げられるべきではないと思う。ましてや萌え絵がゾーンの中で提供され、楽しまれているのであればそこに文句つける筋合いもない。ただし、オタクをマイノリティとし、女をマジョリティとする位置づけにはかなり微妙な認識の齟齬を感じざるを得ない。せいぜいマイノリティ同志のアイデンティポリティクスか、もしくはオタクのほうにヘテロ男性と結びついた権力性を多分に感じるくらいである。