ホメオパシーが「効く」ということ [よしなしごと]
とし兵衛さんのイケダハヤト氏が「お試しあれ」と言ったホメオパシー半可通講座と云うエントリを読んだ。ここしばらくの流れがあるので、行きがかり上言及。
まぁ本来、レメディには(その原理どおりに製造されたものなら)顕著な害はない、はず。大量に使うと虫歯になったり太ったりして健康に害が、みたいなのはあるかもしれないけど。まぁNATROM先生がナイチンゲール曰く、「ホメオパシー療法は根本的な改善をもたらした」 と云うエントリでお書きのとおり。
で、そのプラシーボ効果が発生せず、症状が悪化した場合にはどうするか?
医者ならその症状に応じて、今度は小麦粉ではない別の薬なりを出すか、なにか別の療法を勘案するかするだろう。じゃ、ホメオパスは? 別の「効く」レメディを出す?
ここでそのホメオパスが「お医者さんに見てもらってください」って云ってくれるのなら、まぁあまり問題はない(このブログのコメント欄でも、そう云うスタンスのホメオパスと対話したことがある)。でも、日本の多くのホメオパス、そしてホメオパス団体は(プラシーボ効果の源泉となる信頼を獲得するためのメインの手法として)通常の医療を否定するスタンスに立っているので、そう云う対応は期待しづらい。
どう云う話かと云うと、運用する人間と云うファクターを取り除いてホメオパシーを論じても、あんまり意味はない、って云うこと(とりわけ、プラシーボ効果を云々したいのなら)。まぁ端的に云って、この方が代替医療のメソッドとしてのホメオパシーと、そのツールであるレメディを混同したまま論じている(悪く取れば読み手をミスリードしている、そうでなれけばよくわかっていないものについてご高言をお吐きになっている)ってことですね。
てなわけなので、ここから続くアメリカでの有害物質含有レメディの話も、ビタミンKレメディ事件の話もまるっきり的外れなのはまぁ当然。アルコールの話なんか、例え話としても成立してない(追記:あえて例え話に乗るとすれば「それって酒が悪いんじゃなくて飲ませる目上の奴が悪いんじゃん」って話になる)。
プラシーボ効果が確かに存在しているのにどうして基本的な通常医学のメソッドとして用いられないかと云えば、もちろんそれが万能ではなく、またその効果をコントロールすることが難しいからで。それでも医者はプラシーボ効果以外の手段を持っているけれど、ホメオパスはそれに対応するなにかしらの手段を持っているわけではない。レメディは無害かもしれないけど、通常医療を否定する(ことの多い)ホメオパシーは無害とは云えない。そう云う話。
このへんについては片瀬久美子さんの「たかがプラセボ効果、されどプラセボ効果」、およびTAKESANさんの偽薬を用いた心理療法もどきと云うエントリにリンクしておく。
いっちゃ悪いけど、ホメオパシーを問題視する論者、ニセ科学の問題を論じる論者には、ぼくみたいなスタンスは珍しくないよ。
でもとし兵衛さんやイケダハヤト氏のような文章上の技巧に長けたひとが、その能力を発揮して読んだひとの誤認を誘うような文章をネットに上げているときには、誰かが対抗言論を提示しておかないと。
とまぁこう云うことを書いたら、この方のようなスタンスのひとから返ってくるリアクションはだいたい想像がつく(ジョゼフ・ジョースター的に言い当てることだってたぶんできる)んだけど、Bloggerってトラックバックが飛ばせないんだなぁ。ここのところ言及してたはてなブログと云い、なんかちょっと陰口を云っているみたいでやな感じ。
まぁ本来、レメディには(その原理どおりに製造されたものなら)顕著な害はない、はず。大量に使うと虫歯になったり太ったりして健康に害が、みたいなのはあるかもしれないけど。まぁNATROM先生がナイチンゲール曰く、「ホメオパシー療法は根本的な改善をもたらした」 と云うエントリでお書きのとおり。
けれども「ホメオパシーは効く」のです。じつはここは、
「レメディに効果がないのにホメオパシーは効く」などとたわごとを言って、お前は人をおちょくってるのかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
TAKESAN 氏の記事でも少し説明がありますが、偽薬(プラシーボ)の効果というものがあります。
たとえ小麦粉であっても、医者がこれを飲むとよくなりますよ、といって出されて飲むと、何も飲まなかった場合に比べて早くよくなる、といったことが起こる現象が知られており、これをプラシーボ効果と呼ぶのです。
医者がこれを飲むとよくなりますよ、といって出した、と云うところが重要な点。医者に云われたから信じて、結果プラシーボ効果が発生した、と云う順番。で、同じ効果は患者が、そのひとが信じているホメオパスから出されたレメディを服用しても発生しうる。そのことばを信じる対象としてのホメオパス、またはレメディ販売業者が介在している、と云うのがポイント。先に書いたとおりレメディはそれ単体では害は少ない。これもNATROM先生が良心的なホメオパシーと云うエントリでお書きのとおり。
で、そのプラシーボ効果が発生せず、症状が悪化した場合にはどうするか?
医者ならその症状に応じて、今度は小麦粉ではない別の薬なりを出すか、なにか別の療法を勘案するかするだろう。じゃ、ホメオパスは? 別の「効く」レメディを出す?
ここでそのホメオパスが「お医者さんに見てもらってください」って云ってくれるのなら、まぁあまり問題はない(このブログのコメント欄でも、そう云うスタンスのホメオパスと対話したことがある)。でも、日本の多くのホメオパス、そしてホメオパス団体は(プラシーボ効果の源泉となる信頼を獲得するためのメインの手法として)通常の医療を否定するスタンスに立っているので、そう云う対応は期待しづらい。
どう云う話かと云うと、運用する人間と云うファクターを取り除いてホメオパシーを論じても、あんまり意味はない、って云うこと(とりわけ、プラシーボ効果を云々したいのなら)。まぁ端的に云って、この方が代替医療のメソッドとしてのホメオパシーと、そのツールであるレメディを混同したまま論じている(悪く取れば読み手をミスリードしている、そうでなれけばよくわかっていないものについてご高言をお吐きになっている)ってことですね。
てなわけなので、ここから続くアメリカでの有害物質含有レメディの話も、ビタミンKレメディ事件の話もまるっきり的外れなのはまぁ当然。アルコールの話なんか、例え話としても成立してない(追記:あえて例え話に乗るとすれば「それって酒が悪いんじゃなくて飲ませる目上の奴が悪いんじゃん」って話になる)。
プラシーボ効果が確かに存在しているのにどうして基本的な通常医学のメソッドとして用いられないかと云えば、もちろんそれが万能ではなく、またその効果をコントロールすることが難しいからで。それでも医者はプラシーボ効果以外の手段を持っているけれど、ホメオパスはそれに対応するなにかしらの手段を持っているわけではない。レメディは無害かもしれないけど、通常医療を否定する(ことの多い)ホメオパシーは無害とは云えない。そう云う話。
このへんについては片瀬久美子さんの「たかがプラセボ効果、されどプラセボ効果」、およびTAKESANさんの偽薬を用いた心理療法もどきと云うエントリにリンクしておく。
現実に催眠による治癒効果があるのに、治癒効果はない、と主張するのは矛盾していないでしょうか。医薬品の議論で云うところの
治癒効果があると云うのは、上でリンクしたTAKESANさんのエントリにある「特異的効果」のこと。通常の医薬品に特異的効果のないものはないからあまりそう云う言い回しをしないだけなので、この一文は言葉のスコープのあいまいさを利用した単なる詭弁ですね。
催眠を目的として、適正と思われる価格でレメディを販売することには、どのような問題がありえるのでしょうか。一般的に、とりわけ日本国内におけるホメオパシーは(プラシーボ効果を発生させるためにでも)通常医療へのアクセスを妨害するロジックをクライアントに向けて強く提示するので、そこで問題が生じます。そこで発生した問題に対して、ほとんどのホメオパスおよびホメオパシー団体は責任を取れません。いかが?
依存性もあり、有害性がはっきりしているアルコールの販売を取り締まらないことは、科学的に見て正しいことなのでしょうか。だからその比較は成立してないっての。
けれども、「疑似科学批判」ということになれば、これは科学の内部の問題ではなく、社会の問題であり、政治・経済の問題であり、宗教の問題でもあるでしょう。これはそのとおり。たいていのニセ科学に対して批判的な議論をする論者は、そう云う認識に立っている。
そうした社会的事象を論じるにあたって、狭い意味での「科学的真実性」を根拠として提示して、相手を叩くだけでは建設的な議論にならないように思うのです。ぼくのここまでの文章のどこに、
狭い意味での「科学的真実性」を根拠として提示して、相手を叩くだけのお話があった?
いっちゃ悪いけど、ホメオパシーを問題視する論者、ニセ科学の問題を論じる論者には、ぼくみたいなスタンスは珍しくないよ。
これは科学の内部の問題ではなく、社会の問題であり、政治・経済の問題であり、宗教の問題でもあるって認識のうえで批判的な議論をしている論者が大半。
大風呂敷を承知で言えば、思想・信条の自由、言論の自由ということを踏まえた上で、人類の価値に貢献できるような、楽しい議論をネット上で交わすことができたらなぁと、思うのです。それって、適当なことを放言してもだれからも批判されないですむ世界の話?
でもとし兵衛さんやイケダハヤト氏のような文章上の技巧に長けたひとが、その能力を発揮して読んだひとの誤認を誘うような文章をネットに上げているときには、誰かが対抗言論を提示しておかないと。
とまぁこう云うことを書いたら、この方のようなスタンスのひとから返ってくるリアクションはだいたい想像がつく(ジョゼフ・ジョースター的に言い当てることだってたぶんできる)んだけど、Bloggerってトラックバックが飛ばせないんだなぁ。ここのところ言及してたはてなブログと云い、なんかちょっと陰口を云っているみたいでやな感じ。
ていねいなご感想ありがとうございます。
「一般的に、とりわけ日本国内におけるホメオパシーは(プラシーボ効果を発生させるためにでも)通常医療へのアクセスを妨害するロジックをクライアントに向けて強く提示するので、そこで問題が生じます」とのこと、事実であれば、それがぼくの言う「擬似ホメオパシー」の実践者ということになります。
ネット上の情報を見ると、日本では「擬似ホメオパシー」の実践が多く見受けられるかとも思え、その点は懸念しております。
また、『狭い意味での「科学的真実性」』云々というのは、schutsengelさんに向けたものではありませんのでご理解ねがいます。
by 那賀乃とし兵衛 (2016-10-20 22:14)
今晩は。
「疑似で無い」ホメオパシー、とは一体何なのでしょうね。疑似ホメオパシーなる表現が出て来るという事は、当然、疑似で無い、あるいは真実のホメオパシー、を詳しく定義したり解説したり出来るはずですが。
後、「催眠」の独特の用法も気になりますよね。「暗示」とかなら、まだ通りやすいかも知れませんけれど。
-----------
何らかの概念なり教義なりを中心に据えた体系を支持・普及する組織群があるとして、その一部分が先鋭化して害を及ぼした場合に、「それはほんとうの○○では無い」というように評価する、みたいな事自体は、ままあるとは思います。宗教と宗教団体なんかが、まさにそうだろうと思います。
ではそういう議論が起こった場合に、「ならばほんとうの○○とは何ぞや」、と問われてきちんと説明出来るか。これはなかなかにむつかしい問題です。
たとえば、「標準医療と共存するようなものがほんとうのホメオパシーだ」的な主張をしたとして、果たしてその意見に説得力があるかどうか。
それは単に、標準医療と敵対しないという意味合いをホメオパシーの定義に含めて、アド・ホックに言い逃れしようとしているだけではないのか、と言われたらどう応えるだろうか。
そのような事を考えますね。
by TAKESAN (2016-10-20 22:44)
もう一点、アルコールのたとえ話の件、ご指摘ありがとうございます。言葉足らずでしたので、次の説明を追加しました。
「これは、アルコール自体(レメディに相当)の問題ではなく、また、アルコールの摂取という文化(ホメオパシーに相当)の問題でもなく、他人に飲酒を強要するアルコールの「誤用」こそが問題だからでしょう」
by 那賀乃とし兵衛 (2016-10-20 22:50)
TAKESANさん、ご指摘どうも。
「催眠」より「暗示」のほうが通りますか。
のちほど、なんらかの訂正をします。
「アド・ホックに言い逃れ」することによって、「有害性」が是正されるなら、それでよいのではないでしょうか。
by 那賀乃とし兵衛 (2016-10-21 01:11)