僕は長時間労働反対派だ。
かつて勤めていたIT企業で、100時間を超える残業で死にかけた経験があるし、職場の先輩が過労で倒れて救急車で運ばれたり、全身に謎の皮膚炎を発症したりといった光景も目にした。
日本を出てニュージーランドまでやってきたのも、もう二度とあんな残業地獄を経験したくないからだ。
だが世の中にはそうした考えに反感を持つ人がいるらしい。今日もこんなブログがホットエントリー入りしていた。
この文章の主は、長時間労働反対運動を、「バカの一辺倒で労働時間ガーつって、それと一緒にこれから先の時代に必要なエネルギーもろとも叩いて満足してる」と揶揄している。が、これは大いなる勘違いだ。続く1行に、それが如実に表れている。
おれはがんばらないからオマエもがんばるなよ とかほんと反吐がでる。マジでやめてくれ。
いやいやいや。
「長時間労働しない」を「がんばらない」と同一視しないでくれ。
残業しなくても、がんばって働くことはできるんだよ。
「残業しない」と「がんばる」は両立できる
僕は、ニュージーランドの企業でプログラマとして9ヶ月ほど働いているが、月の残業時間はゼロだ。9時に出社したら5時半キッカリには退社するし、たまに8時から仕事を始めて4時半に退社なんてこともする。
しかしこれだけは断言しておく。がんばって仕事をすれば、残業ゼロでもかなり疲れる。日中、大量のコードと格闘しながら全力でタスクをこなしていると、これが相当頭を使う。毎日事務所を出る時間にはフラフラで、「疲れた……早く晩ご飯食べて寝よ……」という感じだ。そこから残業するような気力も体力もない。
長時間労働に反対する人に対して「お前はがんばりたくないのか?」と批判を向ける人は、「定時内でめいっぱいがんばる」という働き方の経験が無いのだろう。だから、残業したくない人間は、楽をしようとしていると思い込んでしまう。
実は、僕がまさにそういう考えを持っていた。ニュージーランドに来る前は、残業のない生活を手に入れて、早く楽な人生を送りたい! と願っていた。だから、残業がなくなってもそんなに楽にならないことに気づいたときは、かなり驚いたものだ。
疑問のある人は、ワークライフバランス推進事業に長年取り組んでいる、小室淑恵さんの著書を読んでほしい。残業ゼロが決してダラダラ適当に働くことではないと理解してもらえると思う。
「定時内だけがんばる」が普通の選択肢になってほしい
今の日本は、「定時後もがんばる」スタイルがあまりに一般的すぎて、「定時内だけがんばる」という働き方の肩身が狭すぎる。
「定時内だけがんばる」と書くと聞こえが悪いかもしれないが、労働契約で定められた時間内は一生懸命働きますという意味であり、至極まっとうな労働のあり方だと思う。むしろこちらが一般的な選択肢であってしかるべきだ。
それ以上働きたい人には、「脱社畜ブログ」の日野瑛太郎さんが『会社員には「長時間労働をする自由」など必要ない』で述べているように、「会社員を辞めて独立する自由もあるし、空いた時間で副業をする自由もある」。タバコを吸いたい人は喫煙所でどうぞ、と一緒。ルールを守って健康に気をつけながら、楽しく長時間労働していただければ何の問題もない。
僕は残業したくないばかりに地球の反対側まで来てしまったが、日本でも一日8時間だけがんばって働くスタイルが普通だったなら、こんな苦労しなくてすんだのになぁと思うことが度々あり、そのたびに寂しい気分になる。
残業せずに定時内だけ働くことは、決してサボりや堕落ではない。8時間めいっぱい働けばそのぶん疲れるし、成果だってちゃんと出る。日本でもそれがもっと普通の選択肢になってほしい。そうすればより働きやすく、生きやすい世の中が実現できると期待している。