1999年10月5日(火)のParis-Turf紙

(4日(月)は新聞発売なし)

(注: 馬齢表示は日本式ではなく、欧米式(というか世界標準)です。)

(最終(32)面)

Et MONTJEU vint terrasser EL CONDOR PASA

モンジュー、エルコンドルパサーを倒す

(前の記事からの続き)

(小見出し) Un des plus grands laureats! 最も偉大な勝者の一頭!

理論上(下馬評の段階で)、伝説となりうるArcだったに違いない。1920年に
Comradeが第1回のこのレースを勝って以来、めったに達するレベルではなかった。
おそらく、Corrida, Tantieme, Ribot, Sea Bird, Mill Reef, Dancing Brave,
さらにはPeintre Celebreといった連中だけが比較の対象になるだろう。
つまりは、それほどのレベルであったろうということだ。レースそのものは
この印象を裏づけてくれた。私は、MontjeuがArcの歴史の中でも最も
すばらしい勝者の一頭だと信じる。着差が半馬身しかなかったとしても、
それは単にもう一頭のけたはずれの馬と対決したためだ。もしMontjeuが
出走していなかったとしたなら、誰もが6馬身差で勝ったEl Condor Pasaは
世紀の名馬だと言ったことだろう。この日本の馬にとって不運だったのは、
John Hammondの教え子と同じArcを走らねばならなかったことだ。たしかに、
逃げを打つ戦法は、特にこんな馬場では思い上がったものだという人も
いるだろう。しかしながら、この意見を共有する必要などない。Tony Clout
厩舎の下宿人は、実際のレースでは一度逃げたことがあるだけで、滑らかに
自分のリズムにのって走り、実力を発揮することができたのだ。そして、
彼の走りには全く自滅的なところがなかった。そうだよね、Helissio?

3,100メートルのロワイヤル・オーク賞で2着だったよき母Floripedes(スタミナ
のある牝馬だなあ!)の息子Montjeuは、名種牡馬Sadler's Wellsに2回目の
凱旋門賞勝利をもたらした(1回目はCarnegie)。そしてJohn Hammond調教師に
とってもSuave Dancer以来8年ぶり2回目の優勝となった。決して感情を露わに
しない、シャンティイの調教師の中でもっともイギリス的な男は、自分の馬が
winner's enclosureに戻ってくるのを待つ間、彼のレインコートのように白かった。
しかし、それも当然だろう。感極まっていたであろうに、感激や興奮は
奥底に隠され、この偉大な才能のプロフェッショナルからはそういった
ものは感じ取れなった。これを英国風冷静沈着さの一種と呼んでおこう。
なんにせよ、一頭の馬をまさにこの日のこの瞬間に100%に導いたビッグ
Johnの手腕を称えようではないか。

2,400メートルを2'38''50/100というMontjeuのタイムについては長々と
論じるのはよそう。この時計自身はたいしたことないものだが、ここまで
重い馬場では何の意味ももたない。むしろ、夢の三大レース<<Jockey-Club,
Irish Derby, Arc de Triomphe>>優勝を成し遂げた、マイケル・テーバーの
端正な顔立ちの名馬によって、すばらしい一年がもたらされたことを強調
するべきだろう。Breeders' Cupに行って駄目にならなければよいのだが。
もはやこれ以上証明する必要などないのだから。

この名勝負を観戦した何千もの観客は、MontjeuだけでなくEl Condor Pasaにも、
彼らが戻ってきたとき、雷鳴のような拍手や歓声で迎えた。彼らは満足感で
胸を一杯にして、競馬場を後にしたのだった。

空気は本当に冷たかったが、レースは猛烈に熱かった!

Philippe LORAIN


(メモ)
5 「つまりは、それほどのレベルであったろうということだ。」
"C'est vous dire l'altitude du debat..."ですが、文法的に変な
気がします。C'est vous dire??? なぜdireが不定形のままここに
現れるのか? せめて、C'est ce que vous dit...なら分かるのに。
でも意味はだいたいこんな感じだろうと思います。

9 「El Condor Pasaは世紀の名馬だと言ったことだろう。」
もちろん、「世紀の名馬(のうちの一頭)」の意味です。

21 「シャンティイの調教師の中でもっともイギリス的な男は、…」
この「調教師」についている"cantilien"という形容詞の意味が
ずっと不明でしたが、ようやく分かりました。
「Chantillyに住んでいる人, Chantillyの」という意味でした。
Parisに対するParisienのようなものです。(ケベック人に
聞いて分かりました。Merci, Simon!)

今回Arcの記事ではかなり意訳してるので、多少のニュアンスの
変化については目をつぶってください。でもこの方が日本語としては
少しは自然に読めるはずです。

(以上)

translated by K. Maruyama, Nov. 3, 1999.

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