1999年10月5日(火)のParis-Turf紙

(4日(月)は新聞発売なし)

(注: 馬齢表示は日本式ではなく、欧米式(というか世界標準)です。)

(1面)

Le triomphe de MONTJEU

モンジューの凱旋

(c) Paris-Turf, 1999.

(最終(32)面)

Et MONTJEU vint terrasser EL CONDOR PASA

モンジュー、エルコンドルパサーを倒す

土曜日の豪雨は、フランス・ギャロFrance Galopの幹部に最悪の事態を検討させた。
すなわち、サラブレッドの世界チャンピオン決定戦を完全にキャンセルしてしまうことだ。
幸いにも、土曜の夜遅くには空は晴れ雨がさらに降るようなことはなくなり、
有名な(ホテル)チェーン、ルチアン・バリエールがスポンサーになって初めてのArcは
無事行われた。そしてそれは、オールドファンをして「こんな馬場のArcは1960年の
ピュイッサンシェフPuissant Chefのとき以来見たことがないよ!」と言わしめるほどの
泥のような条件で行われたのだ。

もちろん、たとえこの輝かしい舞台のプレーヤーたちが馬場状態への適応を
強いられたとしても、あきらめるしかなかった。ペネトロメーターでの5.1という
値から、何頭かにとっては不利な条件になることは明らかだった。幸い、2頭の
偉大なチャンピオンMontjeuとEl Condor Pasaは、彼らのようなアスリートだけが
見せてくれる、圧倒的な光景を展開して力の違いを示してくれた。2頭は、この
Arcの慢心すべてを蹴散らした。直線に向いてからは、2頭のヒーローとそれ以外の
馬たちは二つの別のレースをしたと言ってもいいほどだった。そして「勝利」への
緊張感は最後の最後まで持続した。追うものと追われるものは、この激戦に持てる
力をすべて出し切った。初めはまだMontjeuはEl Condor Pasaまで優に3馬身ほど
離れていた。そこから大追跡が始まり、それぞれのファンは大歓声をあげて応援した。
1メートルごとにマイケル・テーバーの馬は差を縮めたが、日本のヒーローの
脚色は衰えず、このまま逃げ切ってしまうかと思われた。それでも、蛯名正義の
懸命の願いに反して、Montjeuが彼の腰のところまで追いつき、そして残り
100メートルの地点で、かわした。El Condor Pasaも非常にタフでレースをあきら
めるようなことはなかったが、差し返すことはできなかった。Michael Kinaneは
(El Condor Pasaを差すために)真剣に追わねばならなかった。ゴールポストの
前で年度代表馬のタイトルを確実にした馬はライバルに半馬身の差をつけていた。
そしてその6馬身後で、前年4着のすばらしいCroco Rougeが、彼の非凡な能力を
証明するべく立派に3着に入った。Pascal Bary調教師は、彼の"Croco"(ワニの意)
の走りに満足だった。このRainbow Quest産駒の5馬身後では、ベテランのLeggeraが、
Montjeuにすぐわきをかわされていってしまったものの、ラチ沿いの馬群から
うまく抜け出し、さらに後の馬よりアタマ差先んじるがんばりを見せた。
1998年のこのレースでは2着だったMme Hildegarde Fockeの牝馬は、明らかに
前回よりレベルが高いArcで、再びいい走りをしてくれた。
false straightで外側から上がってきたTiger Hillはその後最高速度に達し、
ずっとラチ沿いを走っていたGreek Danceの前で5着に入った。さらには、
かなり後方から追い込んだBorgiaや善戦したCerulean Skyと続いた。
スウェーデンから来た6歳馬Albaranはずっと離れた位置を進んで目立っていたが、
結局最後の本当の戦いが始まったときには、これに加わることはできなかった。

期待はずれ組では、Daylamiの不本意な走りに触れるべきだろう。大いに迷った
挙句に出走を決めたが、馬群から抜け出すことはできなかった。しかも、
坂の下りですでに終わっていた。シャンティイの魔女、「ヴェルメイユ」の
女王Daryabaについても同様で、false straightでもはや圏外だった。
Flamingo RoadやFantastic Lightももっと優れた一面を見せることなくレースを
終えた。

次の小見出しに続く文章へ

Paris-Turf-p32(c)Paris-Turf, 1999.

(メモ)
5 「2頭はこのArcの慢心すべてを蹴散らした」
原文の "Ce duo a eclabousse de toute sa superbe cet <<Arc>>, ..."
で、eclabousserは「(水・泥を)跳ねかける、巻き添えにする、圧倒する」、
superbeは形容詞ではなく名詞の「慢心、得意」なので、素直に訳しましたが、
馬場の泥をeclabousserしたことと意味をかけてるのかもしれません。

15 「差し返すことはできなかった」
"Rien n'etait fait"は直訳すると「何もなされなかった」ですが、Montjeuが
追いつき、かわしたという前の文を受けて、「かわされたという状況を変える
ことは何もなされなかった」と理解し、エルコンドルパサーは「差し返せな
かった」としました。

21 「Montjeuにすぐわきをかわされていってしまったものの、ラチ沿いの馬群から
うまく抜け出し、」
この部分は「Leggeraががんばって5着以下にアタマ差をつけ4着だった」意の
主節にくっついた従属節ですが、これを導く"d'autant que"のここでの意味が
分かりませんでした。"..., d'autant qu'en sortant brusquement du piege
de la corde, ..." 一般に"d'autant que + 直説法"は「〜だから、〜である
だけに」の意味ですがここではそれでは意味がつながりません。ので、適当に
ごまかして「うまく抜け出し」だけにしてしまいました。

21 「ラチ沿いの馬群からうまく抜け出し、」
"(le) piege de la corde"はそのまま訳すと「ラチの罠」でよく分かりませんが、
このフレーズは別の記事にも使われており、それも参考に文脈から考えると
内ラチと周りの馬に囲まれた状態を指しているようです。"corde"にはゲートの
意味ももつことがあり、ちょっとまぎらわしい個所でした。

25 「false straight」
"la fausse ligne droite" 意味は「ニセの直線」「見せかけの直線」ですが、
一般には英語での呼び名「フォルスストレート」が使われるようです。
ロンシャン競馬場の特徴で、最終コーナー手前ある200メートル近い直線部分。
最後の直線にゆるい鈍角でつながる(160度くらい?)。

32 「坂の下りですでに終わっていた。」
原文では(坂の下りで)"il etait en perdition."(彼は破滅していた)です。
何もそこまでおおげさに言わなくても、という感じがしますが、Paris-Turfは
この手の表現が多いです。

(以上)

translated by K. Maruyama, Nov. 3, 1999.

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