なんとなく、そう思った。
酒や煙草が消えていく延長線上にある気がする。
「明確に健康被害がある酒や煙草と誰も傷つけていない萌え絵が一緒とか何言ってんだ」と思われるかもしれないけど、根っこの部分にある「不快だから消えてほしい」は共通してると思うんだよね。
この「不快だから消えてほしい」という声が正当性を持っているかのように扱われる今の時代では、次に何が「不快だから消えてほしい」と言われるかはわからない。今回は駅乃みちかだったけど。
オタクフォビアは昔からあるけれど、昔はある意味マイノリティへの好奇の目や迫害に近かった気がするけど、今は明白に「オタクって不快」という不快感から批判が出発してるんじゃないかな。
誰も迷惑を被っていないのになぜ批判されなければならないのかと理不尽さを感じるけれど、批判する側も結局のところ「不快だから消えてほしい」でしかないんだと思う。
「あれは不快だから消えてほしいけど、あれくらい許してもいいんじゃないか」という線引は十人十色だけど、その声が大きさを持ってしまえば「消えるべき」正当性を持つようになる。
最近の黒石市の自殺した女の子の写真の入賞取り消しの場合も、黒石市は世間があの写真の背景を「不快だから」と思うんじゃないかと思っていたけど、世間はまだ「あれくらいいいじゃない」だったっていう、線引を間違えた事例だと思う。
つまるところ、世間から「不快な物」が消えていきどんどん浄化されていって「正しく」なれば、次に浄化されるのはある一定以上の「不快だから消えてほしい」と声が集まる物になるんじゃないかな。
「不快だから消えてほしい」は年々意見として強くなり正当性を持つようになっているような気がするけど、自分が「あれくらいいいんじゃない」と思って勝手に線引しているラインも、いつ世間から脅かされるかわかったものではない。
「不快なら見ないようにすればいい」は通じない。「不快に思ったのだから消すことに正当性がある」が通じるし、そういった要望が通りやすくなっているのではないか。
浄化していくことが万人にとって都合が良いわけないが、窮屈さを感じる人がいる一方で、そのまた逆の人も当然いるのだろう。
リベラルってのは現代の宗教なんだと思う。 信仰の自由は尊重するけど(メジャーな宗教限定)、それ以外はインテリが決めたことを 一般人に強制する。 その現代の宗教に抵抗するに...
リベラルがそういう思想なのではなくて、どっちかというと今日本でリベラルを名乗ってる奴等が実際には保守+社会主義に近い偽リベラルなんだと認識してた
「明確に健康被害がある酒や煙草と誰も傷つけていない萌え絵が一緒とか何言ってんだ」という結論は変わらんな。
「誰も傷つけていない萌え絵」 誰も傷つけていないのか?ほんとうにそう言い切れるのか? 暴力が伴ういじめはダメだが精神的ないじめはOKとか言っちゃうタイプ?
一般的に問題とされる閾値は超えていない、と言い換えられる。
これ「私は傷つきました」って言い出すと「お前が過敏なだけ」って返される高度なトラップですよォォォォ
誰かが傷ついてるかもしれないからダメとかいうのは一番やっちゃいけないことだろ。
確かに「誰も」傷つけていないってのは言い過ぎでwikipediaで書いたら要出典つけられる程度には雑だとは思うけど 厳密に「誰も傷つない」ってのは不可能だと思うし、ある程度は許容し...
その時々の常識や風俗によって見えない線はあって、超えると批判の声が大きくなる たとえば岩下の新生姜ペンライト 作ってる側は大まじめに新生姜を模していたが卑猥に見えるという...